DO・GE・ZA
♢8♢
おっちゃんに和菓子屋の裏側。自宅の方から入れと言われた俺は、恐る恐るインターホンを鳴らす。
こんなにプルプルしながらインターホンを鳴らしたのも、人が出てくるのを待つのも始めてだ。もう帰りたい。
「あら、れいちゃん。いらっしゃい。ルイは居間よ? お茶とお菓子はすぐ持っていくから、あがってあがって」
いつでも逃げられる体勢でいたのだが、幼馴染様が初っ端から出てくることはなく、何故だかひじょーーに楽しそうな、おばちゃんが出てきた。
おばちゃんは幼馴染様の母上であらせられる方だ。顔はよく似ている。中身は真逆だがな。
「なんか、ご機嫌ですね」
「こんなにおもし……──良い日なんだから!」
この人さ『こんなに面白い』って、今言いかけたよね? 違うと否定されても、その顔では誤魔化せない。
「お菓子はいいです。これ、買ってきましたから」
おばちゃんはお菓子って言うけど、店に出てる和菓子じゃん。餡子の甘さは今の俺には必要ない。
お茶も本当は遠慮したい。熱々のお茶が顔に飛んできたら嫌だし。うわぁ、嫌な想像してしまった……。
「うそ、どうやって……。学校サボったわね? そんな子に跨がせる敷居はウチにはありません。出直してきなさい!」
手土産に驚かれたが、それは一瞬でキッと睨まれる。そんな顔をされると、幼馴染様に睨まれた気になってしまう。こ、こわいです。
──だが、怯んでばかりはいられない。これを練習と思って乗り切らなくては!
「ちょこっと抜け出しただけですー。ちゃんと戻って、クソつまらない授業を聞きましたー。 ……黙っているなら1個やろう」
「今日のところはそれで手を打とう。中に入りなさい」
よし、勝った! プリン1個で買収に成功した!
これで親バレもない! いい出だしなのかもしれない!
「おじゃまします」
「はい、いらっしゃいませ」
そして俺はずいぶん久しぶりに、この家の玄関に足を踏み入れた。
靴を脱ぎ家の中を進んでも店の方と違って、こっちは記憶の中と何も変わらない。
「……なんでついてくるんですか?」
「台所は居間の横よ。お茶用意しなくちゃ! それと、晩ご飯の支度もしなくちゃ!」
絶対違う。おもしろそうだから、隣で立ち聞きしてるつもりだ。おばちゃんはそういう人だ。
しかしあれだ。それならば……。
「おばちゃんはさ。おっちゃんと違って、俺がピンチの時は、助けてくれるよね?」
「言ったでしょう。晩ご飯の支度しなくちゃいけないから、ムリ!」
こっちも助けてはくれないらしい。
密室で助けもないとなると、これは死ぬかな?
「最初から若い2人に任せて、お邪魔虫はすぐに退散するから。気にせずやってください」
なんで、そんなに楽しそうなんだろうか……。
俺はこんなにも不安と恐怖で吐きそうなのに。マジで逃げ出したいのに。
「れいちゃん。あの子も鬼じゃないわ。誠意を見せれば許してくれるわ。 ……きっと」
「きっとなんだ。余計に不安になったわ」
「でもね。れいちゃんが悪いのよ? 私だったら、ぶっころしてるわね。きっと」
昔の俺は何をやらかしたんだろうか? というか、おばちゃんはルイが怒っている理由を知ってるのか?
俺はまったく心当たりがないというのに。
「それが何なのか、教えていただくわけには……」
「あら、覚えてないの? じゃあ教えない」
「──なんで!? ぶっころされるよ!」
「ほらほら、ただでさえ機嫌が悪いのよ。早く行きなさい!」
おばちゃんに背中を押され、居間の障子の前についてしまった。
おばちゃん、『早く逝きなさい』って言わなかった? そう聞こえたんだが。き、聞き間違えだよね?
※
突然だが、俺がこれまで味わってきた恐怖を、数字で表してみようと思う。最大値は100点とする。
異世界で拷問椅子に括り付けられ、強面たちに囲まれる。これが100点だ。もうぶっちぎりで!
お姫様の着替えシーンに遭遇する。うーん、70点かな? あの時は他の感情も多分に含まれていたからな……邪なやつが。
セバスにヤラれそうになる。60点だな。『こわっ!』とは思ったが、俺は恐怖に耐性を得た。もう半端なことではビビらない。
この何日かで様々な恐怖体験をし、もう慣れた。余裕。くらいに思っていたんだが……。
「「……」」
居間に入ってすでに10分。互いに何も話さない。
前に座る幼馴染様は能面のような無。
怒りなどまるで感じさせないが、それが俺には恐怖でしかない。
何をされたわけでもないが、俺が感じている恐怖は99点。分かるか? 最大値から1点しか違わない。
囲まれての状況と大差ない。むしろ1人の圧としては、これ以上は有り得ない。
くそっ、なんて力だ……。俺じゃ到底敵わない!
余裕があるように思えるかもしれないが、そんなわけがない。こうでもしないとここに居られないんだ。
「「…………」」
そしてついに互いに黙ったまま動かない沈黙を、幼馴染様が破る。ルイはスマホをいじり始めた。
こいつは自分から口を開くつもりはないらしい。俺からいくしかないようだ。
「えー、本日は、お日柄もよく」
やっと口を開いた俺に、幼馴染様から視線が注がれる。その目はこう言っている。『ちげーだろ?』と。
「幼馴染様におかれましては」
今度は、『ふざけてんのか?』だろうか。
こんなことなら簡単に分かるのに、どうして何に怒っているのか、俺には分からないんだろ。
日本人が謝るといえばこれしかない──
「──俺が悪かった! ごめん!」
土下座である。DO・GE・ZA。謝るならこれだ。
「……」
頭を下げたままの俺にルイは何も言わない。ただ、少ししてパシャと音がした。
生で見ることの少ないだろう土下座は、どうやら撮影されたようだ。しかし、やはり何も言わない。
「それは何に謝ってるの? どうせなんにも分からないで謝ってるんでしょ?」
しばらくしてから、土下座の姿勢のままの俺にルイは言う。流石は幼馴染である。よく理解している。
「だけど……やっと謝りにきたから、話くらいは聞いてやる。けど、その前に立って」
一応、土下座の効果はあったようで、ルイの態度は軟化したような気がする。
ここで待たせては意味がなくなるかもしれないので、すぐに言われたように立ち上がる。
久しぶりに幼馴染と並んでみて、ルイは俺と身長が大して変わらないと知った。
何センチか俺の方が高いくらいだろう。
会わない間に互いに成長した俺たちたが、目線の高さは昔からずっと同じくらいだ。
そんな成長しても変わらないところと、明らかに変わったところ……。
姫的な誰かさんと比較すると、出るところは出ている。引っこむところも引っこんでいる。
変わったといえば髪も染められる。制服も今どきに着崩していて、ギャルっぽくなっている。昔はもっと真面目な感じだったのに。
そんなふうに変わった幼馴染だが、それでも唯一その爪だけは何もされてない。
今も変わらず、『将来の夢はお菓子屋さん』なだけはある。
「零斗、一発殴らせろ。それで許してやる」
「わかった。お前の気が済むならやってくれ」
そしてなんと男らしい。女々しい俺とは大違いだ。とは言え、女子の殴らせろって、要は平手打ちだろ?
くるとわかっていて、覚悟していればどうということもない!
「──さあこい!」
「いい度胸だ。 ──このクソ野郎が!」
「ぐはっ────!?」
平手打ちどころか本気のグーで殴られた!? 全然、平手打ちチガウ!
「──よし!」
予期せぬ本気のグーパンチに、何の用意もなかった俺は、受け身すら取れずに襖に突っ込み、大きく穴を開ける。その音は家中に聞こえただろう……ぐふっ。
「それで、話ってなんなの?」
殴って満足したらしい幼馴染様は切り替えが早い。
ただね……少しくらい俺を心配してくれないのかな? 絶対に口の中とか切れてるよ。これ?
「早く言えよ。いつまでも寝っ転がってないで」
誰のせいでこうなってるんだろうね。
……話を聞く限りお前のせい? そんなことわかってるよ!
「チョコレートを作りたい。豆から」
「……はぁ?」
正直に言ったのだが、何故だかゴミを見るような目をされた。それに先ほどと違い、明らかに怒っている。
あれ? なんか、危険な感じなんだけど? 命の危機な感じがする……。
「よりによってチョコレート! 零斗、本当はわかってて言ってるんでしょ!」
──スゴイ! チョコレートのレートと零斗ってかかってる! これは笑うところかな? ハッハッハーー……なんて言って誤魔化せない!
「──やっぱり殺す! ふざけんな!」
怒りのメーターはぐんぐん上がっているようだ。振り切れたら俺は死ぬ!
今も起き上がっていない俺に、容赦なくルイは蹴りを放つ。物理攻撃を多用し始めた! 痛い!
「痛い、いってーな! 全然一発じゃねーじゃねーか! それに見えてる! パンツ見えてるぞ!」
「なっ──!? お前はどこ見てんだ!」
「そのスカート丈で、足を上げ下げしたら見えない方がおかしい! 横暴だ。暴力反対!」
スカートを抑えながらも足蹴にするのをやめなかったルイだが、顔を赤らめたまま居間に戻り、何やらごそごそしている。
この隙に起き上がり逃げなくては! きっと俺は殺されてしまう。
「ぶっころす……」
「はっ?」
居間から戻ってきたルイの、その手には木刀が握られる。ブンと1回振られた木刀が出した音は、その重さを表している。
「なんでそんなのあるんだ!? そ、それで殴ったら本当に死んじゃうよ? おっちゃんもおばちゃんも、いい加減に助けろよ! 絶対に聞こえてんだろ!」
しかし、俺の叫びも虚しく、誰も助けはこない。
もうボッコボコである。次回に続く……。




