チャプター7
〜北方 竜王族の住み処〜
『侵入者?』
その声は、家族の中でも最も苦手な、言う所の”ウマの合わない”姉のものだった。もともと意気揚々と帰ってきたわけではなかったが、その声を聞くだけで体が強張るのは、おかしいとしか言いようがない。何しろ、ここを後にして三百年も経っているのだから。
(これが、心の傷っていうことなのかな)
嘲笑めいた笑みがこぼれるも、歩みは止まらない。自分の家に帰ってきたのだから、大手を振っていればいいのだ。勘当されたわけでもなく、勝手に出て行ったのだから、親子の縁も切られてはいないだろう。
この苦手な姉とのコミュニケーションはいささか以上に気が重いが、何も後ろめたいことはない。そう自分を鼓舞する。少し重くなる足取りも、止まることはない。
「っ……」
一歩一歩、奥へと進んでいく。次第に、大きくなる足音とともに、姉の気配が強くなる。この先を曲がれば、大広間だ。おそらく、そこにいるのだろう。こちらの足音も、十分に聞こえているはずだと思うと、やはり緊張は高まる。
「……」
懐かしい、という感情はもちろん抱いたが、その一方で、竜王族の住み処といえどここは人間のお城のような飾り気があるわけではない。自然の洞窟を寝ぐらにしているのと大して変わらず、王都の自宅に比べれば、「我が家」という感覚ははるかに薄かった。
ここで過ごした百年余りは、十分に長い年月だったというのに。
『……人間?』
大広間に入ってすぐ、その姿は捕捉された。少し離れたところにいるのは、少し大きな緑色の竜。まごうことなき、姉の姿だ。果たして、自分のことをただの侵入者と見て排除してくるか、それとも、三百年経とうとも、変わり者であろうとも、妹だと気づいてくれるか。
いや、気づいてくれたとしても、排除してくるかもしれないのだが。
『こんなところに来れる人間がいるだなんて。まあなんであれ、排除するだけ……??? その気配、もしかして、エルリッヒ?』
『お姉様……』
ギリギリのところで気づいてくれたらしく、姉は威嚇するでもなく、炎を吐くでもなく、こちらに話しかけてきた。エルリッヒも、人の姿のまま、竜言語で応える。
『随分長い事家出をしていたと思ったら、何? 急に帰ってきて、それに、そんな姿で。相変わらず人間に肩入れをしているだなんて、ちっとも変わらない変わり者』
『なんとでも言って。人も竜も、そう簡単には変わらないよ。お姉様こそ、相変わらず人間を見下して、ちっとも変わってない。人の事をよく言えたもんだね』
やはり苦手だ。どうしても声が震えてしまう。普段の快活な姿はここにはなく、今いるのは、変わり者として馬鹿にされてきた末っ子だった。
一族の力を最も強く受け継いだのは自分なのだから、萎縮することなどないのに、それでも”力”ではどうしようもない威圧感に気圧されそうになる。
この、姉の高圧的な物言いが、本当に重たくのしかかる。
『それで? 何をしに帰ってきたの? ここにあなたの居場所はないし、用事があるとも思えない。人間に失望して帰ってきた、なんてわけもないのは、さっきの言葉で十分。本当に理解不能な子』
『……いつまで経っても感じ悪い言い方しかできないんだね。ずぅっとこの狭い世界で生きてたら、そりゃ変わるわけないよね。私はただ、久しぶりに生まれ故郷を見に来たのと、お母様のお墓まいりに来ただけだよ。それだけ済ませたら、お父様とお兄様に挨拶してさっさと帰るから』
本当は、挨拶とて避けたい。もっと言ってしまえば、ここでこうして姉と口喧嘩みたいなことすらしたくはないのだ。仲良し家族にはなれない以上、顔を合わさずに済めばそれが一番だった。
しかし、その可能性が低いことは百も承知だったし、顔を合わせてしまった以上話は最後までしなければならない。
『お父様とお兄様、ね。歓迎されないと思うけど?』
『わかってる。歓迎されなくても構わない。所詮私はこの家じゃ変わり者でしかないんだし。それでも、家族は家族だからね、挨拶くらいするだけの義理はあるんだよ。本当は、お姉様だってそれは同じなのに……』
挨拶一つにしたって喜ばれないのは、この姉も同じだ。いや、この姉こそが一番自分を嫌っているはずだ。一番価値観が凝り固まっているから毛嫌いしているのか、同性だから余計気になってしまうのか、実際のところはわからなかったし、聞き出すこともできないだろうが、とにかく、嫌なムードだった。
『確かに、理解不能の妹に挨拶されても、何も嬉しくはないし、こうして久しぶりに顔を見ても、何の感慨もないんだから、義理だってあるのかどうかね。せめて、本来の姿でいるんなら、もう少しくらいは湧いてくる感情もあるんだろうけど』
『そんなの、私の勝手でしょ。お姉様こそ、生まれ持った能力を全く使わないなんて、なんてもったいないんだろ。私はちゃんと、二つの姿を行き来して、使い分けてる。どっちも、大切な自分の体だよ』
だめだだめだ。こんなことでは、口げんかが続くだけだ。このままじゃ、会話を終わらせる糸口すら見つけられない。後味は悪くなるけど、強引に終わらせるか? 最初から最後まで変わらない険悪なムードに、さすがのエルリッヒもうんざりしてきた。
『そんな下等な生物の姿になんて、わざわざなる必要なんてないでしょ。それこそバカなの?』
『下等っていうのは、思い上がりに過ぎないでしょ。確かに私たちよりも小さくてか弱くて、先に死んじゃうけど、それが生き物として下等ってことにはならないと思う。少なくとも、私はそう思ってないから。これ以上話してても先に進まないね。通してもらうよ』
大広間を抜けた先に、竜族の住み処の最奥部、「竜の墓場」と呼ばれる場所へと続く通路がある。母の墓参りは、そこが目的地だった。
『黙って活かせると思うの?』
『邪魔をする義理がないのなら、通してくれてもいいでしょ? それに、力づくで止めるっていうんなら、姉妹ゲンカも厭わないよ、私は。お姉様より、お母様の方が大切だから』
死んでいても、生きている姉より愛おしいのは、人間社会で「宗教観」というものに触れたからかもしれないし、そもそもの感情が違うだけかもしれない。とにかく、姉を倒してでも進むという意思に変わりはなかった。
小さい人の体を活かして進んでいくが、姉は止めようとはしなかった。止めるほどの義理はない、とでも思ったのか。同じ親の卵から生まれたというのに、どうしても仲良くなれない。
『……邪魔をしないだけ、ありがとう』
『お礼を言われるようなことは何もしてないけど? 早く用を済ませて、ここから去ってほしいだけ』
ただの憎まれ口なのか本心なのか、相変わらず感じの悪い言い方しかできないのか。仮にも身内なので少し残念に思いながらも、邪魔をしないだけありがたいとそのまま奥へと進んで行った。
三百年も明けていた家だというのに、通路の一つ一つをしっかりと覚えている。記憶というものは偉いもんである。しかし、人の姿で進むには少しばかり骨が折れる。記憶にあったのは、本来の姿での感覚。人の姿で駆け回ったこともあるのに、たまのことだったからか、そちらの記憶は薄れていた。
「ふう、あと少しか」
薄暗い洞窟に、次第に光が差し込んでくる。「竜の墓場」はこの”家”の中ではなく、外にあるのだ。洞窟を抜けると、そこは奥に岩山のそびえる、開けた場所。ここだけは、どういうわけだか分厚い雲も薄れ、陽が差し込んでいる。
「来たよ……お母様」
〜つづく〜