チャプター4
〜グリュックリンク・ポルトゼー 郊外〜
朝、宿を後にして街の外に出る。人出の多い港町だというのに、街の入り口はどこも警備の兵士や自警団などはおらず、自由に外に出ることができた。人の出入りが多すぎて管理し切れないからなのか、中央の警備に対する取り決めがゆるいのか、いずれにせよありがたいことだった。
宿に飾られていた近隣の地図によると、北東の方向に半日も行くと、大きな森があるらしく、次の目的地はそこだった。特に用もないということで、人も立ち入らず、そんなに近いわけでもない。
元の姿に戻って飛んでいくのであれば、本来は夜から明け方を狙うのが一番なのだが、やはり陽のある時間の青空を飛びたい。そんなわがままを叶えようと思うと、どうしても街から離れなければならなかった。とはいえ、人里離れた土地まで行くのも大変なので、こういう森はとてもありがたかった。現地での調査は必要だが、まず問題はないだろう。
「……ここがその森かぁ。大きさといい、街からの距離といい、申し分なし!」
街からここまでの道中は徒歩だった。街道を歩いているうちは通りを行き交う馬車や人々ともすれ違ったが、少し街道から外れると、もう誰も見かけることはなかった。
道中のお供は昨夜の思い出。宿の酒場で出てきた料理は、港町らしい海産物が中心で、魚はもちろん貝や海老など、普段食べないような食材が豊富に出てきた。王都に帰った時、是非とも自分の店でも出したいと思うのだが、食材の調達が難しそうだった。
国防上の安全のため、海からも隣接する国境からも離れた場所に位置している王都では、川で採れるもの以外の海産物はなかなか入ってこなかった。馬車を超える速度の輸送手段や、塩漬けなどではない鮮度を保つための画期的な方法でも編み出されない限りは、難しいだろう。尤も、それこそが海沿いの街で食事をする醍醐味に繋がってもいるのだが。
「あのエビのプリプリ感! それに、お魚の川魚とは違った風味、はぁ〜。美味しかった。それに、あの調味料はなんだったんだろう。どうせ王都じゃ手に入らないだろうけど、せめて教えてもらうべきだったかな。あぁでも、知ったら知ったで手に入らないのがもどかしくなるか。う〜ん、これで良かったのかどうか……」
料理人として、だが決してグルメなつもりではなく、ただただ美味しさを分かち合いたいという一心、そしてあの味を自分で再現したいという一心で、思いを巡らせていく。
「さてと、ここまできたらもういいかな」
森の奥深くに分け入ると、海の幸への思慕を一旦停止させ、周囲の気配を探る。とりあえず、人間さえいなければ、それでいい。人はほとんど立ち入らないとは聞いているが、何も禁足地ではないのだ、薪や木の実を求めて入ってくる人もいれば、猟師だっているかもしれない。何より出会いたくないのは、「人間」なのだ。
「……よしっ、誰もいないね」
気配でも、目視でも、人間と思しき姿は確認できなかった。いよいよ、この時がやってきた。着ているものをすべて脱ぎ去ると、それを丁寧に荷物にまとめる。面倒だし、今となっては恥ずかしいとも思うが、そのまま元の姿にも取ろうものなら、衣服が破れてしまうので仕方がない。
準備が整うと、いつものように、内なる竜の力を顕現させた。
『よしっ!』
一筋の雷が降り注ぐと、そこには周囲の木をなぎ倒してできた足跡の広場ができており、中央には桜色の竜、元の姿にもどったエルリッヒがいた。
潰さないよう気をつけながら、荷物を右脚で掴むと、青く晴れ渡った上空を見上げ、勢い良く飛び上がった。
『わぁ!』
高く飛び上がった上空に飛び込んできたのは、一面の青。海の色とは少し違う、どこまでも続く、青い空だった。眼下には、先ほどまでいた森や街、それに紺碧の海が見える。海峡の向こうには、うっすらと元来た大陸も見えて、自分がいかに高いところにいるのかを強く実感する。
『それじゃあ、行きますか!』
深く息を吸い、大きく咆哮すると、一路北に向けて進路をとった。元の姿に戻る際の稲妻やこの咆哮など、姿以外にも近隣の人間には気付かれているかもしれないが、どのみち捕捉することはできまい。一切気にしていなかった。そのための、この土地なのだから。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆
北に向かって飛んでいくと、徐々に景色が変わってくる。遠くに見える空は雲が張り出していて、灰色にくすんでいる。緑豊かな大地は次第に雪が降った後の白さが見え始め、山々も急峻な岩山が増えてくる。
大陸を問わず、世界を北に進んでいくと、どんどん土地が痩せていき、人間が暮らすのには適さなくなっていく。山々には優れた鉱石も埋まっているのだが、こんな土地まで来てわざわざ採掘しようというもの好きは、そうそう現れない。かつて魔王がいた時代や、さらにその前の国同士の争いも多かった時代ならいざ知らず、今は危険な遠征を行ってまで軍備を増強させようという機運はどこの国にもないだろう。
この100年色々な国を渡ってきたけれど、「魔王が滅んだからさあ他国を侵略しよう」などという国はさすがになかった。みんな、魔王軍との戦いで疲弊した国力を立て直すのに必死だったのだろう。
『さすがに、獣の姿もないか……』
こんな限界の土地では、大地の支配者も現れない。ただ、空を飛ぶ生き物にはいくらか出会った。その最たるものが、同じ竜族だ。彼らはエルリッヒの姿を見つけると、近くまで寄ってきてくれた。初めて見る桜色をした同種族に物珍しさを覚え、近づいて見て、その体躯の大きさに圧倒されていた。だが、相手が竜族の王女だと知ると、すぐに納得してくれた。遠く離れた土地でも、その威容は伝わっているということらしい。
彼らは色々な情報をくれた。この北の地域ではほとんど人間を見ないこと、獣も住まず、まるで無人の土地になっていること、そして、魔王復活の影響で魔族を見かけるようになったこと。
『魔王の根城……か』
魔王もまた、この世界の北限に根城を構えていた。勇者が倒し、その後各国の連合軍が調査に行ったが、そこに魔王の亡骸はなく、美しき居城はもぬけの殻だったという。人間があんな、ここよりもさらに北に位置する土地に意図的に足を踏み入れるなど、前代未聞だったことだろう。だが、居城を直接調査して尚、なぜ魔王があの土地にいたのか、まるで解明できなかったという。
魔界につながる入り口があったのだという学者もいたそうだが、所詮は冒険譚の延長に過ぎないと一笑に付されたという話は、当時世界中に広まった。
『くれぐれもお気をつけください』
別れ際、ありきたりな忠告を受けたが、並の生物よりも高い戦闘能力を持つ竜族の若者が言うのだ、それだけ危険になっているということなのだろう。
『ありがとう。だが、私も竜の王女として、魔族ごときに遅れをとったりはしないよ』
こちらもそれらしい返答を返したが、実際のところは戦ってみないとわからないのが本音だった。果たして、雑魚ばかりとは限らない。
『全く、空を飛ぶ邪悪なんて、無粋以外の何物でもないね』
今の所幸いにも魔族とは出会っていないが、油断だけはしないようにしよう。そんなことを思った矢先だった。前方はるか遠くに、こちらに向かって飛んでくる何物かが見える。おそらく、ガーゴイルの類だろうか。向こうの視力はわからないが、遅かれ早かれ見つかってしまうだろう。本当なら無用な争いは避けたいところだが、あれは間違いなく人間の街を襲いに行くところだ。ならば、野生の獣のフリでもして討伐したほうがいいだろう。
この距離ではさすがに攻撃を当てるのも難しい。進路はほとんど変更がいらないため、そのまま飛び続けて会敵することを選んだ。
『どこかの街の危機は、未然に防いじゃうよ!』
〜つづく〜