チャプター15
〜竜の紅玉亭 朝〜
朝、鳥の声で目覚める。いつも通りの朝だ。
「んん……」
いつもなら、そのまま起き出して仕入れに行くのだが、今日は大事を取ってお店は休むことにした。それに、街の様子も見に行かなければならない。この季節の日の出は早いから、もう外は薄ら明るいが、完全に朝日が出るまでは眠っていよう。そう決め込んで再び意識を夢の世界に向けた。
そして、実際に起きたのは、それから数時間後のこと。狙い通り、とまではいかなかったが、それなりには程よく「朝」と呼べる時間に起きることができた。
「よし、起きよう!」
がばりと起き上がり、ベッドから立ち上がる。少し体を動かしてみるが、痛いところも無ければ、だるいこともない。おおむね回復したとみて良さそうだった。
そうなれば、まずは旅の荷物の整理をしなくては。ひとまず着替えをすませると、階下に降り、井戸に向かった。すでに気温が高くなっており、洗顔のために掬った井戸水が冷たくて気持ちいい。
「よーし、やるぞー!」
自分に気合いを入れると、おばさんが「とりあえず」運び込んでくれていた荷物との格闘を始めることにした。朝食は、その後でいいだろう。そもそも、どこかに食べに行かねばならないのだし。たまには敵情視察も悪くない。いや、今はそのような不謹慎な例えをしている場合ではないか。
少しばかりの反省をすると、それなりに多い荷物と向き合った。
数時間後、一通り荷物を片付け、渡すべきお土産の仕分けまでを終えた。一大ミッションをやり遂げたのだという、言いようのない自己満足感が襲ってくる。
「さて! すっかりお昼も近くなっちゃったし、さすがにお腹が減ったぞ? どこかに食べに行こうかな。お店、やってるといいけど……」
お財布を手に自宅を出る。行くあてはないが、どこかしらの営業しているお店に入れればそれで十分だろう。そこはもしかしたら顔見知りのお店かもしれないのだし。そう考えると、とても気楽だった。
☆☆☆☆
「はぁ〜、美味しかった〜」
一時間後、綺麗に空いたお皿を前に、満足そうに水を飲む。よく冷えた井戸水が美味しい。外に出て、あてどなく空いているお店を探してふらりと入ったのは、幸か不幸か知ってる人のお店ではなかった。王都は広いので、まだまだ知らない同業も多い。しかし、このお店は大当たりだった。街がこのような状況になっていても変わらず営業してくれていることもそうだが、何よりとても美味しい。
王都近辺の郷土料理はどれも素朴さを残していて、洗練されすぎていないところが魅力なのだが、それをプロのだす料理として十二分に発揮していた。一見どこの家庭でも出せそうで、かと思えば味付けや食材のセレクト、手間暇のかけ方など、こういうところでしか味わえないものだ。かといって、高級なお店のような肩肘張った感じではなく、価格も相応で、これなら多くの客で賑わうだろう。
「それじゃあ、お勘定ここに置いておきますねー」
お財布からお釣りの出ないように銅貨と銀貨をテーブルの上に置き、お店を後にする。さて、この後はどうしたものか。やはり気になるのは街の北側の様子だ。あちらはまだまだ煙が上がっており、火災があった気配を色濃く残している。キッチンで煮炊きをしているところを襲われたのか、魔物の吐く炎や魔族の放つ魔法が当たったのか、その辺りのことはわからないが。
「……」
通りを北に抜けると、徐々に破壊された家々が目立ってくる。大通りはまだしも、細い通りでは積み上げられた瓦礫や、それを撤去する人々の姿も目につく。これが、「魔王軍に襲われた街」の有様なのか。自分の家のある南側がどれだけ軽微な被害だったかが、よくわかる。
「それにしても……」
ここから見る限りだと、街の北東部から立ち上る黒煙が特に多い。あのあたりは確か、職人通りがあるはずだ。自分たちに害をなす武器を作る人もいるから、それだけ優先的に狙われたのだろうか。
「フォルちゃん!」
当然、心配になるのはフォルクローレのことだ。彼女は果たして無事だろうか。それとも、怪我でもしているのだろうか。居ても立っても居られず、駆け出した。
〜職人通り 入り口〜
「はぁ……はぁ……」
通りを一直線に駆け抜け、職人通りの入り口までやってきた。こんなに走ったのはいつぶりだろうか。さすがに息が切れる。思わず胸に手を当てると、鼓動が早くなっているのを強く感じる。
「フォルちゃんは……?」
呼吸を整えるように、ゆっくりと進んでいく。見ていると、思ったほどの被害ではなさそうだが、それならば、あの黒煙はなんなのだ。瓦礫の片付けをしている職人らしい男性に聞いてみることにした。
「あの……職人通りの方ですか?」
「そうだけど、お嬢さんは?」
よかった、手伝いに来ている別の通りの人ではないようだ。これなら、事情を聞いても教えてもらえそうだ。逸る気持ちを抑えながら質問を紡いでいく。
「えっと、私は南の通りから来たんですけど、この通りにフォルクローレっていう錬金術士の女の子がいますよね。私、彼女の友達で、それで、えっと、あそこだけずっと煙が上がってるのが気になって。それだけ被害が大きかったんでしょうか……」
その問いに、男性は答えるよりも先に笑い声をあげた。こんな時に、こんなに呑気に笑っていていいのだろうか。でも、とりあえずこの様子なら、フォルクローレは無事のようだ。まだ断定はできないものの、少し安心できた。これで、今少し穏やかな気持ちで話を聞けそうだ。
「あぁ、笑ってしまってごめんよ。そうか、君は彼女の友達か。いや、彼女はすごかったよ、次から次へと爆弾を投げつけてね、あれには魔物も逃げ出すしかなかった。そうして、獅子奮迅の活躍をしてくれたのは良かったんだけど、うっかり残った爆弾をその場で引火させちゃって、それであの辺りは一番ひどい火事になってしまったんだよ。幸い、それが元で起こった人的被害はないみたいだけどね。今日もあの辺にいるはずだから、行ってみるといいよ」
「ありがとう……ございます……」
事情を知ればあっけない。フォルクローレが魔物退治に活躍したという事実は友人として誇らしいし、その折に"うっかり"在庫の爆弾に引火させてしまったというのも、いかにもフォルクローレらしいミスだ。
でも、
「無事でよかった……」
涙ぐみそうになるのを必死にこらえ、煙の根元、フォルクローレのアトリエへと向かった。
「フォルちゃん!」
フォルクローレは、通りで瓦礫の片付けをしていた。彼女の金色をした髪は、陽の光を受けてキラキラと輝き、とてもよく目立つ。遠目からでも十分に分かった。
「??? あぁ、エルちゃん! 帰ってたんだ!」
「うん、昨日ね。それより、怪我はないの? 今そこで話を聞いたら爆弾をうっかり引火させちゃったって」
フォルクローレの表情はあっけらかんとして、街が襲われたという悲哀は一切感じさせなかった。それが、被害が少なかったことによる「当事者意識」の弱さなのか、生来の性分なのかは分かりかねたが。
それでも、重苦しい空気をまとっているよりはよほど助かる。エルリッヒはあまり深刻な空気は得意ではなかった。
「確か、街の入り口は封鎖されてるんじゃなかった? 人間に化けた魔物が入らないようにって」
「うん。だから、強行突破してきた。それより、私のことはどうでもいいんだよ、フォルちゃんのことだよ。街のことだよ!」
むしろ自分の方が深刻な空気をまとっているんじゃないかと思ったが、フォルクローレ自身からあれこれと話を聞かなくては納得できない。
案内する自宅が半壊しているためか、中に招き入れることはせず、その場で手を止めて話に付き合ってくれた。
「この辺りは、まあ見ての通り。腕っ節の強いのや、武器を持ったのもいるからね、十分に、とは言い難いけど、それなりには応戦したよ。でも、北西部はちょっとね。あの辺、貴族屋敷が多いでしょ? こういう時、お金じゃ魔物は帰ってくれないから。何人か、犠牲も出たみたいだし……」
「そんな! あぁ、後、ゲートムントたちは? あの二人なら役に立ったと思うんだけど。まさかまた武者修行にでも行ってないよね。なんか、こっちが混乱してるよ、ごめんね、こんなんで」
エルリッヒの焦りや戸惑いを、フォルクローレは優しく受け止めてくれた。
「いいんだよ。それだけ、あたしや街のみんなのことを心配してくれてるってことでしょ? ありがと。あの二人も、それぞれ大活躍したみたいだよ。今はどこかで片付けの手伝いをしてるはず。探すのも大変だし、中断させるのも悪いし、自由にさせておくといいと思う」
「そっか、安心した。フォルちゃんは大変そうだけど、何か手伝えることはある? 南の方は被害が小さかったから、手伝えるよ?」
ぷらぷらと両手を振り、手が空いていることをアピールする。それを聞いたフォルクローレは人差し指を口元に当て、少し考えた後、雲の少ない青空を見上げて一言だけ、
「ん〜、いいや」
と告げた。
「え、なんで?」
「南の方は被害が小さいでしょ? だったら、普段通りに過ごしてもらった方がいいのかなって。もちろん、手が足りない時はお願いに行くと思うけど、まだなんとかなってるし、お城の兵士さんたちも手伝ってくれてるからね。それよりは、お腹が減った時に気軽に食べに行ける方が嬉しい」
その考えには、目から鱗が落ちるようだった。それも、とびっきり上質な、桜色の鱗が。そうか、被害の少ない地域、被害のない人が平常通り過ごすことも、一つの関わり方なのか。
「そういうことなら、わかった。それじゃ、明日からは普段通りにお店を開けるから、お腹が減ったら来てよ。被害に遭った人たちは、少し安くするからさ。それでいいかな」
「うん、バッチリ! みんなにも伝えておくよ」
かくして、明日からの身の振り方は決まった。そうと決まれば開店準備をしなければならない。帰省していた分、店内には埃が積もっているはずだ。しっかりと掃除をしなくては。
「それじゃあ、私お店に戻るけど、今日はまだ時間あるけど、本当に大丈夫?」
「いいっていいって。それにさー、あたしの場合、この辺の瓦礫全部自分のうっかりでやったやつだからねー。それをさすがに手伝ってとは、気が咎めてお願いできない……」
本心なのか遠慮なのかは測りかねたが、全面的な嘘でもなさそうな口ぶりだった。とはいえ、このように言ってくれている以上、遠慮しては悪い。お言葉にあまえる、というのが筋だろう。
エルリッヒは手短に挨拶をして、コッペパン通りに戻ることにした。
「あ、そうだ。お土産、買ってきたから。明日でも明後日でも、お店に来た時に渡すよ!」
「本当に?! ありがとー! 楽しみにしてる! じゃねー!」
フォルクローレは箒を持った手を大きく振ってくれた。別れの挨拶としては十分すぎる。ただ一点、箒に着いた埃が舞ってしまうことを除けば。
〜コッペパン通り〜
歩くこと数十分、コッペパン通りに戻ってきた。が、なんだか騒がしい。みんなが外に出て、何かを伺っている。
「ん?」
この通りに何かがあるというのは想像できないので、実際に見てみるしかない。足を速め、衆人の中央に向かう。もちろん、いく手には自分のお店もあるわけで……
「ねえおじさん、これ、なんの騒ぎ?」
この通りの住人は大半が見知った顔だ。適当に声をかけてみた。
「ああ、エルちゃんか。なんか、物々しい顔をした兵士がやってきてね。って、エルちゃんじゃないか!」
「はい。エルちゃんですがどうかしたんですか?」
おじさんの驚きは、全てを物語っているようだった。が、念のため聞いてみるしかない。どこの家の誰目当てで、お城の兵士たちがやってきたのかを。
「どうしたもこうしたも、兵士たちはエルちゃんを探しに来てるんだよ。もしかして、何かやっちまったのか?」
「何かって、まさかそん……な……あー、いや、なるほど。うん、そうか。すみません、出頭します」
思い当たることは一つしかない。外門を”強行突破”してきた。そして、あの時、確かにどこの何物かを声高に名乗った。それを元にここまで来たのか。釈明の余地もないが、これはおとなしくしょっぴかれるしかないだろう。
いざとなればどうにでもなるし、運が良ければツァイネにでも伝わる。そうなれば、国権とのコネで無罪放免になるかもしれない。
「一体何をやったんだ? エルちゃんらしくもない」
「いやー、あははー。ほら、今って、街の入り口が封鎖されてますよね? 昨日帰ってくるとき、あそこを強行突破しちゃいまして。まさかこんなことになろうとは。あ、それで、私が捕まった場合なんですけど、職人通りのフォルクローレっていう女の子にこのことを伝えてもらえませんか? 金髪の女の子です」
これだけ言付ければ十分だ。後はどうにでもなる。さあ、行こう。
「すみませーん! すみませーん!! 通してくださーい!」
人混みをかき分け、この通りの看板娘が現れる。
「お前がエルリッヒか?」
「はい」
兵士の一人、少しだけ装飾の豪華な鎧を身にまとった男が訪ねた。おそらく、隊長か何かだろう。一方の兵士は、「赤毛の娘」という情報通りの少女が現れ、安堵すると同時に、少しだけ気が咎める思いがした。国王命令でもある封鎖を解いたことは大罪だが、真実この街の住人なら、帰ってくるだけの正当な理由がある。まして悪人面をした者ならまだしも、善良そうな少女だ。
これではいかんと小さくかぶりを振り、努めて平静を装って話を続けた。
「お前には入り口の封鎖を突破して街に入った罪がかけられている。おとなしく来てもらおう。抵抗するようであれば、捕縛させてもらうが」
「事実です。同行します」
小さく答えると、兵士が周囲を囲った。そうか、もしかしたら、魔物が化けた人間という疑いがかかっているのかもしれない。本当に偶然だが、街が襲われた時にはいなかったのだから、尚更だろう。
せめて、心配そうに見守る通りのみんなの顔が救いだった。
「そういえば、前にもこんなことがあったっけ」
小さく呟きながら、隊列の中央で歩みを進める。この場で強制連行するほどではないらしい。よかった。
「あの、私はどこへ?」
「決まってるだろう。お城だ。そこで、取り調べを行う」
ひとしずく、額から汗が落ちるのを感じた。
〜お・わ・り〜