チャプター14
〜竜の紅玉亭〜
「……はっ!」
目が覚めた。どうやら意識を失っていたらしい。視界に入ってきたのは、見慣れた天井。そうか、ここは自分の部屋か。そして、ベッドの上にいるのか。上半身だけ起き上がり、窓の外を見てみる。
「……少し、日が傾いてる?」
この季節だと、日暮れまであと少しといったところだろう。街に戻ってきたのが午前中だったから、丸一日以上寝ていたのでないとすれば、半日ほど意識を失っていたことになる。
「おや、目が覚めたかい?」
「??? おばさん! もしかして、おばさんが?」
そういえば、最後に覚えているのはおばさんと中に入ったところまでだ。おそらく、おばさんがここまで運んでくれたのだろう。あるいは、おじさんを始め、近所の男手に頼んだのかもしれないが。
椅子に座ってこちらを見ているが、もしかして、ずっと見守ってくれていたのだろうか。
「多分、疲れが出たんだろうよ。街が襲われたなんて聞いちゃ、心労もあったろうしねぇ。エルちゃんの体が軽くて助かったよ。荷物は下に置いたままだけど、エルちゃんだけならおばさんでも運べたからね」
「ありがとう、ございます」
街が襲われて大変だというのに、迷惑をかけてしまった。少しだけ落ち込みながらも頭を下げ、視線を下げる。あまりに自然だったので意識していなかったが、寝間着を着ている。着替えまでしてくれたというのか。
「あの、服……」
「あぁ、あのままじゃ寝辛かろうと思って、着替えさせてもらったよ。脱いだ服はほら、そこに畳んでおいたから、後で洗うなりなんなりするといいさ」
なんとありがたいのだろう。感謝の思いで胸がいっぱいになった。が、次の瞬間、急に恥ずかしさがこみ上げてきた。
「見られた……見られた!!」
「え?」
着替えさせるということは、おばさんに体を見られたということだ。昔全身を鏡で確認したことがあるから、人とは違う何かがあるわけではないが、見られて恥ずかしいという感情こそ、人としての自然なものだろう。それは、今のエルリッヒからは意識せずに湧き上がった感情だ。
「おばさん、私の裸、見ましたね?」
「そりゃあ、着替えさせるからには見ないってわけにはいかないさ。でも、下着までは替えてないから安心していいよ。まーったく、エルちゃんもそんなことを気にするんだねぇ。アッハッハ! 傷があるわけじゃなし、女同士そこまで気にしなくてもいいんじゃないかね。何、誰にも言いやしないよ。特に男どもにはね」
おばさんの明るい物言いに、少しずつ恥ずかしさが薄れていく。そうだ、母親に見られたのと大して変わらないではないか。少なくとも、お互いその程度には心を許しているのだから、そこまで気にすることはないのだ。
「ごめんなさい、騒ぎ立てちゃって。なんか、急に恥ずかしくなって……」
「そりゃ、誰でも同じさ。いくらご近所でも、恥ずかしいものは恥ずかしいもんだよ。だけど、おばさんのことは少し、他の人より信じられるだろ?」
優しくも力強いおばさんの笑顔は、見ているだけで安心する。こういうところが好きなのだ。
「……そうですね。っとと、もう大丈夫です。それより、みんなの無事を確認しないと」
ベッドから出ようとするエルリッヒを、おばさんが止める。しっかと両の肩をつかみ、その身をベッドに押し戻す。いくら体の大きいおばさんといえど、どこに秘められているのかと思うほどの力だった。
「無理しちゃダメだよ、まだ寝てな。とりあえず、この辺のみんなは無事だから、顔を見に行くのは明日でも十分さね。幸い、この辺りで焼け出された人もほとんどいないしね。今はしっかり休んで、旅の疲れを癒しな。それじゃ、おばさんは家に帰って夕ご飯を作ってくるから、しっかり寝てるんだよ。いいね?」
「……はい」
「夕ご飯を作ってくる」というのは、おばさんたち夫婦の分だけではなく、自分の分も作ってくれるという意味なのだろう。本当に、なんとありがたいことか。人の親切が、心と体に沁み入ってくる。
「……行ったかな」
おばさんが階下に降り、気配が屋外に出たのを確認すると、上半身を起こし、寝巻きの中を確認してみた。先ほどはああ言ったし、おばさんのことは信頼しているが、やはり自分で確認するまでは気になって仕方がない。そっと、寝巻きのボタンを外してて中に視線を向ける。
「……ほっ、良かった」
寝巻きに着替えさせてはくれたが、その下の肌着などはそのままだった。寝巻きに着替えさせてくれたのでも充分恥ずかしいが、ここまででよかった。安心すると、どっと汗が出てきた。これは良くない。寝汗もかいているようなので、体を拭いて下着を替えなければ。
「よっと」
まだ少し疲れの残る体に鞭を打って起き上がると、替えの下着を用意して、それから手早く衣類を脱ぎ捨て、下着を洗濯物を入れる桶に放り込んだ。ついでに、おばさんが畳んでくれた服も一緒に入れた。
本当なら少し湿らせた布で拭きたいが、水は井戸に汲みに行かねばならない。この格好でそこまで行くのは憚られるし、着替え直すのも本末転倒だ。仕方なくそのままの布で体を拭いていく。これだけでも、それなりにはさっぱりする。
「は〜、スッキリする。無理してでも起きてよかった〜」
替えの下着を身につけてから、寝巻き姿に戻る。やっぱり、寝巻き姿にはこの解放感がなくては。これで落ち着いて休める。再びベッドに潜り込むと、静かに目を閉じた。
〜竜の紅玉亭 二階の自室〜
夜、おばさんが夕食を作って持ってきてくれた。久しぶりの二人での夕食だ。
「わぁ、いい匂い!」
「だろう? 疲れてる時は温かいスープがいいんだよ」
野菜の浮いたスープに小さいサラダと軽く煮込んだお肉、それにパン。それはとても美味しくて、そして温まる。こうしておばさんの料理を食べていると、仮にも料理で生計を立てているものとして今のままでいいのかと言う思いに駆られる。それほどまでに、心と体の栄養になった。
「これだけ美味しいと、おばさんに弟子入りしたくなります」
「何言ってるのさ。私の方が料理が上手かったら、いつも通ってないよ。そりゃあ、おばさんの方が長く生きてるし、多少の経験はあるけどさ、いつも感心してるんだから。若いのに上手だなーって。うちのも同じだよ、おばさんの料理も美味しいって言って食べてくれるけど、いつも通ってるのはエルちゃんが可愛いからだけじゃなくて、料理が美味しいからだからね。自信持っていいよ!」
テーブルで向かい合うおばさんの表情はどこまでも優しく、本当に母のようだった。それだけに、エルリッヒもついつい胸の内が出てしまう。だからこその嫉妬であり、料理人としての敗北感なのだ。ひとつだけ、おばさんの方が長く生きてる、と言ったことには、騙しているようで心が痛んだが。
「ありがとうございます。まだまだ、みんなのために美味しい料理を作っていきますね! それはそうと、みんなは本当に無事なんですか? それと、街の北の方は……」
「う〜ん、北の方やお城は、こっちより大変みたいだよ。建物も壊れてるし、何人かは亡くなってるって聞くしね。でも、騎士団のみんなとギルドのみんなが頑張ってくれて、なんとか追い払えたから、被害は最小限だったとも思うよ。その辺、おばさんには詳しいことはわからないから、明日、自分の眼で見てみるといいよ」
現実を。そして惨状を。おばさんの言葉がそんなニュアンスを含んでいるようで、少し言葉が重たかった。遠目には、大災害に見舞われたようには見えなかったが、少なくともこの100年は平和そのものだったのだから、それからすれば、十分に大きな被害だろう。できれば、敵の規模や倒した敵の姿も確認したい。本来なら一介の町娘が気にすることではないが、「追い払った」ということは、討伐したわけではないということだ。またいつ襲ってくるかわからないし、その時はきっともっと手ごわい軍勢が攻めてくるはずだ。そして、もしもの時には自分が今の姿でも、本来の姿でも、この街とみんなを守りたい。そのために、情報が必要だった。
「そういえばエルちゃん、さっきは聞きそびれちまったけど、どうやって街に入ったんだい? 確か、誰も出入りできなくなったって聞いたけど」
「あー、それです、か。えっと、乗り合い馬車の御者さんに無理言って、強行突破してもらっちゃいました。やっぱり、捕まりますかね」
すっかり忘れていたのに、思い出したら急に心臓が早鐘のように打ち始めた。全身を駆け巡る血が体を刺激し、脈動だけで大地を揺らしてしまいそうだった。
「だ、大丈夫かい? すごい汗だよ? もしもの時は、ちゃんと説明するんだよ? いざとなったら、みんなで嘆願してあげるからさ」
「は、はい」
そこから先は、せっかくの食事も味を感じなくなってしまった。ほとんど食べていて、本当に良かったと思うエルリッヒだった。
〜つづく〜