燐光
「ありがとうございました」
ボロアパートの扉の前で女がしきりに頭を下げている。
「お大事にしてくださいね」
頭を下げられている少女は優しい笑顔で言った。
女を見送る少女。
「体は?」
少女が振り向くと彼女の母親が心配そうに言った。
「うん。大丈夫」
母親は少女を抱く。
「がんばっておくれ。もう少しでこんな生活ともおさらばできるんだから」
「うん……お母さん今度ね……」
「さあ、これから夕食を作るわよ。あんた何がいい?」
「……うん」
少女は思いっきりの笑顔で、
「あらびあーた!」
と言った。
雨の中少年は何度も家の扉を叩いていた。
「助けてください! お願いです! 助けてください!」
何度も何度も扉を叩くが中から人が出てくる気配はない。
「お願いです……母さんを……」
少年はうずくまり泣きながら同じ言葉を繰り返す。
ぎいっと言う音とともに扉が開き、中から男が出てきた。
「しょうがない。入りなさい」
「ああ。ありがとうございます!」
男は少年を玄関で待たせ、タオルを渡した。
「拭きなさい」
と言うと、ふうとため息をつき、
「お母さんのことだがね。もう長くはない、と言ったよね」
と少年を諭すように言った。
「はい」
少年は頭を拭くのをやめ、床に目を落とす。
「でも」
「何度も言うようにどうにもできないんだよ。医者は神様じゃないんだ」
少年がうつむいていると、男は奥へと歩いて行った。
「先生! 待って下さい」
あとを追おうとして段差につまずき倒れた。少年は泣きながらこぶしを床にたたきつける。
「くそお。母さんがなにしてって言うんだ。くそお」
「これを持っていきなさい」
男はいつの間にか少年のそばにしゃがみこみ、言った。
「これは?」
涙で顔がぐしゃぐしゃになっている。
「新薬だよ。まだ出回ってないものだ。効き目がどの程度あるかどうかわからないが……」
「治るんですか? 先生。これで母は……」
「わからないと言っただろう」
医者の男はため息をつき、
「持っていきなさい」
と言った。
「ああ! ありがとうございます!」
そういうや否や少年は頭を下げ、行きよいよく扉を開けて駆けていった。
「母さん。どう調子は?」
少年は医者からもらった新薬をすぐに母親に飲ませた。あれから一時間はたった。
「大丈夫。だいぶいいよ」
「母さん」
少年は母のうそを見逃さなかった。どうみても病状はよくなっていなかった。それから少年は寝ずに母につきっきりで看病をした。あるよる、いつの間にか少年は寝てしまっていた。ふと目が覚め、母のタオルを取り替えようと手を伸ばした時、気づいた。母が息をしていない。
「母さん!」
少年はあわてて飛び出し医者の下へ行った。しかし今度ばかりは医者の男も何もできない。少年は川のほとりでうずくまり泣いていた。
「どうしたの」
少年は見上げると買い物かごを持っている美しい少女がいた。一瞬頭が真っ白になっていると、少女が再び話しかけてきた。
「なにかあったの」
少年は事情を話した。話したところでなにも変わらないと思っていた。誰かに聞いてほしかったのかもしれない。
「だいじょうぶ。私が何とかするわ」
彼女は勇ましく言い放った。
川のほとりで会った少女を病気の母に会わせると、少女は神妙な面持ちでこう言った。
「いい。このことは誰にも内緒だからね。お母さんにお客さん以外はやっちゃいけないって言われてるの」
なにを、と問いたかったが、少女の気迫に押されて言葉をのんだ。
「じゃあ、いくよ」
と少女は手を止めた。
「もう一個約束してほしい事があるの」
「え?」
「報酬はもらわないから、その代わりね、海につれてってほしいの」
「海?」
「そう。小さい時お母さんに連れてってもらったの」
「う、うん」
「じゃあ、改めて」
少女は母の体にそっと手を当てた。
その瞬間彼女の体から緑色の蛍のような光がほとばしった。光は次第に勢いを弱め、部屋中にその緑色の光がやわらかく漂っていた。
目の前の光景に混乱して、言葉も出なかった。
少女は立ち上がると、めまいでも起こしたのかふらついた。
「大丈夫!?」
「ちょっとがんばっちゃったかな、へへへ」
少女は磁器のように白い頬を、赤く染めていた。
「うーん」
「母さん!!」
「あら。なんか。元気が出てきたわ」
少年の母親は起き上がり言った。
「母さん! 母さん! 治ったんだね。奇跡だ! 奇跡が起きた!」
「この薬、そんなに効くのかしら」
母は医者からもらった新薬のビンを取り、しげしげとながめた。
「ちがうよ。この女の子が……」
見ると少女はいつの間にか、いなくなっていた。
「あら。女の子なんていないわよ」
少年は必死に起きたことを説明したが、本人がいないので、なんとも要領を得ない。
「そう。じゃあその子にお礼を言わなきゃ」
母はよっと言って、布団から起き上がり、立ち上がった。
「あら? ほんとに治ったみたいね」
少年は開いた口がふさがらなかった。
「ただいま」
少女は少年の家から一直線に家へ帰ってきた。
「おかえり」
少女は腕がみえないように袖を引っ張りながら自分の部屋に行こうとする。
「買ったものは?」
「玄関に置いてあるよ」
「そう。今日のお客さんもうすぐだからね!」
「はい」
少女はそのまま部屋に入った。部屋の端にある古い化粧台の鏡に向かって座った。ポケットから貝殻を出した。買い物をした店でおまけにもらったものだ。それを長い間眺めていた。少女はそれを置き、袖をまくり上げる。少女の腕の上半分が緑色の光を放ち、燐光がかすかに漂っていた。
「お客さん来たわよー」
「はーい。今行くー」
少女は袖を伸ばして戻すと再び光を隠し、部屋を後にした。
「ありがとうございました」
「お大事に」
少女はにこやかにお客を見送った。中に戻ると、少女の母はタバコをふかしてボロい椅子に腰掛けていた。
「大丈夫だったかい」
「ええ。そんなに重い症状じゃなかったから」
「頑張っておくれよ。あとちょっとなんだから」
母はタバコをくわえたまま、今しがた受け取った札を数えている。
「お母さん」
「なんだい」
母は札を数えながら答える。
「もうやめたい。こんなこと」
札を数える手が止まった。
「なにいってんの。もう少しなんだからがんばってよ。重病人は看てないだろ。軽い症状ばっかりなんだから、大丈夫だろ」
「でも……」
「約束したじゃないか。二人で協力してこんな生活から抜け出すんだって」
母は札を数え終わると、それを棚に仕舞い、施錠した。
「うん。ごめん。そうだよね。もうちょっとだもんね」
「そうさ。わかったら、今日はもう寝な」
「うん」
少女はおやすみと言い、部屋に戻った。
少年は朝から晩まで大工の見習いとして働いていた。毎日きつかったがもう慣れていた。今日は高所の作業だ。少年はあまり高いところの作業はやったことがなかった。ふらつく足元。
「気をつけろよ」
「はい」
親方に言われ返事をする少年。
「これ頼む」
ほかの大工に道具を渡された。
「あ!」
その瞬間バランスを崩した少年は、頭から地面に激突した。
「おい! 大丈夫か!!」
親方が叫び、駆け寄った。しかし少年の返事はない。
「おい!!」
できる人だかり。通行人も集まってくる。そこへ少女が通りかかった。
「なんだい。この集まりは」
少女の母は言った。少女は人をかき分け人だかりの先頭へ行った。母もあとに続く。
「!!」
少女は少年を見ると青ざめた。駆け寄り声をかける。それを親方が制止する。
「だめだ。うごかしちゃ。頭を打ってる」
少年はぐったりとしていた。
「大丈夫私が……」
少女は頭に触れようとした。
「よしな!」
腕を引っ張られ、少女は振り向いた。少女の母がその腕をつかんでいた。
「こんな重傷者。治したらひとたまりもないよ。死にたいのかい!」
少女は愕然とした。
「なに言ってるの? お母さん。死にかけてるんだよ、この子は!」
「いいかい。よくきくんだ。この子はここで死ぬ運命だったんだ。あきらめな」
「それじゃあ何のための能力なの? この力は人を救うためのものでしょ!」
「だめだ。こっちへくるんだ」
母は少女の腕を引っ張った。
「はなして」
母の腕を振りほどく少女。
「あんたが死んだらどうすんの! 私のことも考えておくれ」
「自分のためでしょ。今までのことは……全部自分のためでしょ!!」
「なにを……」
少女は堰を切ったように言葉を吐き出した。
「全部そうじゃない! 貧乏から抜け出すために店をはじめようなんていって、私をそのための道具だと思ってるんでしょ!! 私が日に日に消耗してるの知ってるじゃない! そのうち私が死ぬの分かってるんでしょ!!」
「ちがうわ。私はあんたの体が心配で……」
「あんたら、あの子の知り合いかい?」
後ろから親方の声がした。振り向くともう少年は搬送されたようだった。
「あの子のについてやってくれないか。あの子の母親は病気で……」
「それなら私が治したわ」
少女は親方に言い放った。
「あんた――」
母が少女の頬をひっぱたいた。叩かれた場所を押さえ涙ぐむ少女。
「もういい。好きにしな」
母はそのままきびすを返し歩いていった。しばらく下唇をかみながらないていた少女は親方のほうへ向き、
「あの子が運ばれたところ、教えてください」
と言った。
少年は町医者のところへ運ばれていた。
「ここではどうにもできん」
少年に新薬を渡してくれた医者は困り果てていた。
「先生」
看護婦が暗い顔をして言う。
「ここは内科なんだ。私にどうしろと……」
医者がうなだれていると誰かが玄関の戸を開ける音がした。足音はまっすぐこちらに向かってくる。扉が開く。
「なんだ君は!?」
「私が治します」
少女は医者を押しのけ、腕まくりをした。
「きみ……」
少女の体が光り始めた。緑色のやわらかい光だ。
「大丈夫。私があなたを助けるわ」
少年に触れると同時に、少女の体から放たれた緑色の光が部屋中広がった。
「まだ、全部」
光はいっそう広がり強り、やがて彼女の姿が光で見えなくなった。
「ん」
少年はベッドの上でゆっくりとまぶたを開けた。
「あれ?」
あたりを見回すと、医者と看護婦が座り込み目を閉じている。寝てるのかな? と少年は思った。ベッドから降りると、あの少女がベッドに寄りかかり座っていた。体は今にも消えそうに緑色に光っていた。驚いた少年は体に肩をつかんだ。その感触はほとんど空気をつかんでるようだった。
「大丈夫か? どうなってんだ!」
少女は目を開け、少年を見るとほっとした表情を見せポケットから貝殻を出し、少年に渡した。
「これ、お母さんに渡して、お願い……」
「おい!」
少女はそれから目を瞑り、緑色の光の粒子となって消えていった。
「あらびあーたひとつ」
「はいよ」
店に響く注文の声とそれに答える威勢のいい店員の声。
「すげーなお前どうやって生き返ったんだよ」
少年が持ってきたあらびあーた受け取りながら大工の先輩が言う。
「いやー話せば長くなるんすよ」
「じゃ、聞かね。いっただっきまーす」
「おにーさん、注文いいですかー」
「はいよ」
賑わいを見せている昼のイタリアンレストラン。少年とその母は、そこで働いていた。
「しっかしうまいね、このあらびあーた。誰が作ってんの?」
「呼んできやしょうか」
「おう!」
少年は店の外へ出た。目の前には真っ白な砂浜が広がり、その奥には真っ青な海が見える。
「店長!」
店長と呼ばれた女はタバコをふかし海を見つめている。
「店長」
少年は砂浜にいる女店長に駆け寄った。女は手にもった貝殻を見つめていた。
「お客さんが呼んでます」
女はそれをポケットに入れ、振り返った。
「はいよ、今行く」
二人が戻った店の看板には「firefly」と書いてあった。
了




