すべての公営レースを張れることに意味があるのか
ボートレースは二十四場、競輪は四十四場、競馬は地方競馬十七場プラス中央競馬、そしてオートレース六場・・。そのすべての開催レースを、一台のパソコンで投票できる部屋。それがオレの住み家。東向きのワンルームマンションの八階の端部屋。
もうすぐ三十になろうというのに、彼女がいるでもなし、かといってオトコに興味があるわけでもなく、朝の九時くらいから、ミッドナイト競輪とやらがあるときは深夜まで、働くでもなく部屋にこもって公営レースに賭けているのだ。
馬なら馬、ボートならボート、どれかひとつに絞って日夜研究に励むほうが、当たる確率が上がるのではないかと、オレは傍から見てそう思うのだが、当のご本人にはそんな気はないようだ。
レースを当てて、その儲けで食っているのかって?とんでもない。二連単を買えば裏が来る。大本命の単勝を一点買いしたら、見事に飛んでしまう。そんなことが日々起こり、そのたびに、
「おい、ダッキーニ、どうなってんだよ!」
と、ネコのオレに八つ当たりする。ギャンブルで勝つために、お稲荷さんの使いのキツネによく似た茶トラのオレを飼ったというが、そんなこと、動物愛護団体に訴えたら、「動物虐待ですよ」と、非難されるはずだ。