若葉駄菓子屋考
「おやまぁ若葉ちゃん。久しぶりだねぇ」
「こんにちは」
ひっつめ髪の老女を前に、和倉葉若葉は曖昧な笑みを浮かべて立っていた。商売はいかがですか、と問うと、老女は黄ばんだ歯を見せて笑った。
ひなびた、という表現が実に適切な駄菓子屋の店内は土間になっていて、昔ながらの瓶詰めの飴などが並んだ棚を背に、老女は小さく座っていた。狭い店内いっぱいに背の低い棚が置かれ、駄菓子の入ったボール箱が所狭しと並んでいる。若葉は彼女の頭上に位置する、かすれた墨跡で「駄菓子屋」と書かれ額縁に収められた立派な書(死んだ主人が書いたの、と老女はよく自慢する)や長い年月を経て黒く滑らかになった柱、天井のくすんだ裸電球を順繰りに眺めて、老女に視線を戻した。
「久しぶりに近くまで来たので、寄ってみました。お変わりないようですね」
「あらあら、それはありがとうねぇ」
老女は嬉しそうに肩を動かし、それから小さな老眼鏡を鼻から外して小さく嘆息した。
「最近はお勘定もまともに出来なくなっちゃってねぇ。何度やっても売り上げが合わないもんだから、もう笑っちゃうわよねぇ」
「たまにはある事だと思いますよ」
若葉は優しくそう言った。曖昧な笑みは口元に残っているが、彼女の目元は長くうねった黒い巻き毛で隠れ、よく見えなかった。
もう一度嬉しそうに肩を揺すった老女は、ありがとうねぇ、とまた言い、ふと思いついたようで両手を合わせた。
「ああ、お茶を持ってくるから、ちょっと待ってておくれ」
「いえ、おかまいなく」
「いいのよ。ちょっと店番をしてておくれ」
よっこいしょ、と言ってゆっくり立ち上がった老女は、背を丸めて暖簾をくぐり、裏に消えていった。
若葉は少し考えてから、彼女が去った後の三和土の端に座り、足は靴を履いたまま土間に投げ出した。時間はすでに夕方で、赤い夕陽が出入り口から漏れている。陽の当たらない畳の上で小さく息をつき、若葉は微笑んだまま、少し考えた。
その時、ばたばたという足音と共に、小学生に見える二人の少年が元気に駆け込んで来た。若葉の顔を見るなり、一人が怪訝な声で叫ぶ。
「あっれえ? ばあちゃんはー?」
「ちょっと物を取りに行ってます。今は私が店番です」
若葉が告げると、もう一人がにやにやしながら彼女の顔を見つめる。
「へーぇ。怪しいなぁ」
「怪しいよなぁ」
「そうですか?」
曖昧に首を傾げる若葉を指差し、少年達は囃すように叫んだ。
「お前、ばあちゃん食っちゃったんだろ!」
「そうだそうだ! 人食いだ!」
「……じゃあ、貴方達も食べちゃいましょうか」
少し微笑みが大きくなった若葉が多少おどけた調子で言うと、彼らは両腕で大きく×を作った。
「やだねーっ」
「いやだ!」
そうしておどけてはいるが、見知らぬ彼女に対して多少の警戒感は抱いているらしく、少年達は駄菓子を物色しながら、出入り口の方をちらちらと眺めている。ふわふわとした巻き毛の下にある彼女の目が、ほんの少し光を孕んだ。
「……さて、私は店番です。買いたいものがあるならどうぞ」
「ふーん。……じゃあ、いつもの!」
彼らはそう言い、一人がポケットから手を取り出して若葉に歩み寄り、彼女の小さな右手に十円硬貨を二枚置いた。
「いつもの、ですか」
ちょっと考える若葉の顔を見て、少年達はけたけたと笑う。
「ほら、いつものだよ! な!」
「うん! いつものちょうだい!」
「どれですか?」
「教えなーい! 店番頼まれたんなら、俺たちがいつも買ってるやつも知ってるだろ! 知らなかったら、お前は人食いだ!」
「そうだー! ケイサツを呼ぶぞー!」
何とも子供っぽい論法だが、若葉はいつもの微妙な笑顔を崩さない。
「……困りましたね」
「ヒントやろうか?」
「一回だけね!」
人差し指を突き立て、少年達は楽しそうに笑う。
「それはありがとう」
若葉が頭を下げると、人差し指を立てた少年は、もう一人に目配せした。
「あげるー! えっとねぇ、えっとねぇ……『いつもの』は一個だよ!」
「一個ですか」
元気な少年の声に対し、若葉の声は至って冷静だ。
「そ! 一個だよ!」
「二十円で一個ですか」
「でもねぇ、もっと食べられるよ!」
「もっと?」
「これ大ヒントね!」
「さて、この中のどれでしょーか!」
土間に並んだ棚を大げさに指差しながらぴょんぴょん跳ねてはしゃぐ彼らを眺めて、若葉はまた少し顔を崩した。
「分かりました」
「え?」
「分かった!?」
「はい」
あっさり首肯した彼女は、後ろの棚を肩越しに指した。
「貴方達は『いつもの』と言いましたが、それは土間にある商品ではありません。土間にある物ならお金と一緒に持ってくればいい。それをわざわざ私、普段はおばあちゃんですが、つまり店番にお金を渡して要求しているという事は、店番に頼まないと貰えないという事です。つまり『いつもの』は、おばあちゃんの後ろの棚にある、という事になります」
「……ふーん?」
「それで?」
「そして、貴方達は『いつもの』は一つだと言い、また『もっと食べられる』とも言いました。私の後ろの棚にある品物で、二十円で一つしか買えず、状況によって『もっと食べられる』可能性があるものは、あたりが出ればもう一つもらえる、あのくじ引き飴ですね?」
若葉は、振り向かないよう肩越しに後ろの棚を指差した。確かに、瓶詰めのお菓子の中に糸付きの飴がたくさん入った大きな瓶が混じっていて、古びたラベルには「二十円」とくすんだ文字で書いてあった。
「……正解ー!」
「すごいなぁ、分かっちゃったよ!」
一瞬の沈黙の後、彼らは手を叩きながら、若葉を興味津々と言った風に見つめた。彼女は曖昧に微笑んだまま、小さくお辞儀した。
「ありがとうございます」
「じゃあ、くじ引き飴ちょうだい!」
「ちょっと待って下さい」
若葉は左手で彼らを制す。はしゃいでいた二人の少年は、少し不安そうに若葉を見た。
「?」
「何?」
「飴は私の後ろの棚の上です」
「……そうだよ?」
「早く取ってよ」
「という事は、あの飴を取るには立って後ろを向く必要があるという事ですね」
少年達は答えず、強ばった顔でただその場に突っ立っていた。若葉は膝に手を置いて行儀よく座り、微笑んでいる。
「つまり、あなたたちが普段くじ引き飴を買うのは、おばあちゃんに後ろを向かせるのが目的だという事です。おばあちゃんは瓶を取るために後ろを向き、そして、店内を見ている人はいなくなる。やたらと後ろを気にしていらっしゃるようなので、ピンと来ました。おばあちゃんが後ろを向いている間に、他の品物を盗むのが、貴方達の常套手段ですね?」
そう告げた彼女は、ゆっくりと土間に立った。夕方の空は薄く陰り、電気を点けていない土間はその半分以上が暗がりの中にある。小柄な姿が立ち上がった時、丁度目の位置だけが梁の落とす影に隠れて、白い肌に薄く浮かぶ笑みだけが、少年達を見ている格好になった。彼らの膝が震え出す。
「お、おい、行こうぜ!」
「うん……」
「ちょっと待って下さい」
後ずさりする少年達を呼び止め、若葉はゆっくりと右拳を突き出した。
「うわあああああああ!」
「ま、ってよぉ!」
恐怖に駆られた彼らが店から駆け出していくのを、若葉は右拳を突き出したまま、また微妙な笑顔を浮かべて見ていた。
「……お金、返そうとしただけなのに」
若葉は仕方なさそうに微笑むと、握っていた十円玉を手のひらで転がしながら後ろの棚から飴のつまった瓶を取り出し、一本の糸を引くと、ザラメの付いた赤いイチゴ味の飴が中から現れた。
「まあ、これでいいでしょう」
そう言って若葉はくすくすと笑い、糸の付いた飴を口に放り込んだ。飴に埋まった糸の先もまた、赤くなっていると信じて。
初めまして。枯竹四手と申します。以後宜しくお願いします。
この作品が初投稿です。こういった推理風味短編を頑張って書いていければと思っています。もう少し頑張って長編も書けるようになりたいなぁ。
感想等ありましたら、宜しくお願いします。凄く喜びます。