第9章 出産
クミ三十三歳。
クミは懐妊がわかると、恥じることなく子供を産むことを決意した。
宇多田は父親として、産まれる子を認知することはなく、責任を取る意志もなかったが、クミは彼の子供が産めることにむしろ喜びを感じていた。そして自分が傍に居ては迷惑がかかるからと、実家へ戻るつもりでいた。
一方クミからそのことを打ち明けられた母花江は、最初動揺していたものの、元々花江の内部に隠れていたド根性はへこたれることはなかった。花江は父親のいない赤子の籍をどうすればいいのか、あらゆる手段を思い巡らした。
――人生に行き暮れた時、考えに考えておれば必ず解決策は見つかるものだ。
須美に頼んでみよう!花江が考えついたのは、産まれてくる子の籍を須美夫婦の籍に入籍してもらうことだった。子供はクミの養女として育てていけばいい。花江の計画は着々として進んでいった。
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花江は次女の雪江を連れて、鹿児島に住む須美夫婦の家へと出向いた。
須美は花江の長女の娘で、花江の孫に当たる。若い時父親に結婚を反対されて九州の果て鹿児島まで逃れ、今では細々と開いた食堂も軌道に乗って幸せに暮らしていた。
突然の花江らの訪問で呆気に取られていた須美夫婦ではあったが、ふたりを快く迎え入れた。狭い所ですが上がってください、と夫の洋司はすまなさそうにうすっぺらな固い座布団を差し出した。
「叔母さん、どないしとっとですか、雪江叔母さんまで一緒に……」
「実はな、須美ちゃん。難儀なことになったのよ」花江は事の一部始終を話し終わり、
「洋司さん、すまんことですのう。そういうわけでご迷惑は重々承知しておりますけんど、助けてもらえませんやろかのう」
「叔母さんに頼まれては嫌とは言えませんがの」
苦渋の面持ちで花江の話を聴いていた洋司は、最後の決断を迫られ、はっとして言った。人のいい洋司は、クミの子供を次女として自分ら夫婦の籍に入籍することを承諾した。
「実家では人目もあるやろから、うちで産んだらええですがな。産まれるまでうちに居ったらええが」
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出産の場所が決まったことを伝える手紙を雪江から受けとったクミは、汽車と船を乗り継いで鹿児島まで行くことにした。九州への旅の途中、クミは船の甲板から眼の前に広がる海を眺めていると、今までの不安が少しずつ消えて行く気がしていた。
クミは日増しに膨らんでくる腹をかかえ、須美夫婦の家で毎日ごろごろして過ごしていた。須美の家には4歳になる女の子がいて、クミが横になっていると時々部屋を覗きに来た。
「どん腹!飯が減るがな」
「おばちゃん、屁ひったろうがな、臭せーが!」
汚い口をきく子を追いかけ、母親の須美は「こら!なんば言うとるとね」と首根っこを掴み叱り飛ばしていたが、幼い子供の言葉とはいえ、クミはその都度、傷ついていた。ここには長くはいられない。子供を産んだら早くこの家を出ていかなければと、クミは覚悟するのだった。
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やがて十月十日経ち、クミは男の子を出産した。
――新しい生命は『圭介』と名付けられた。
父親から祝福されることもなく、この世に生を受けた圭介……。クミは慣れない手つきで圭介に乳をふくませながら、この子を自分ひとりの力で一人前に育て上げねばと思うのだった。
産後一カ月経てば赤子を連れての長旅ができるというので、クミは圭介を連れて実家のある町に帰ることにした。
花江はクミのことが気がかりではあったが、実家に連れ戻すわけにはいかず、クミがこの先、生活していけるよう仕事を探してやらねばと、そればかりを考えていた。
「雪江、おまえの力で病院に勤めができるといいがのう。何とかならんものかの」
母と同じ思いでいた姉の雪江は、同業の商店の仲間に当たってみることにした。
雪江の計らいで、クミは町の総合病院に勤務することが決まった。出産間もない乳房は時を置いて痛むほどに張り、診察中にも診察着の内が溢れる乳汁でぐっしょり濡れた。
病院の近くに家を借りて、子守りの娘を雇っていたので、授乳の時間になると赤ん坊を病院まで連れて来させ乳を飲ませた。
一年あまり続いたその生活は、圭介が一歳を過ぎる頃、花江の意向で一変した。
「近所の手前なんかどうでもええよ、うちへ帰ったらええ。わしが圭介の守りしてやるからの」
クミは母がどんなに勇気を出して決めた決断かを察すると、親不孝な娘なのだと自分を責めていた。