第4章 上京
父寅三がクミに自分の決意を伝えたのは、女学校の卒業間近になってからのことである。
「クミ、わしの考えじゃが……」と切り出した父の指示を、クミは素直に聞いた。
家長の父の命令とも言える考えに逆らえるはずもなく、むしろそうしたらいいのだとクミは素直に受け入れることができた。それにクミは勉強は嫌いではなかったし、女学校の授業では物理や数学の問題も難なく解けたので好きな科目だった。
寅三はクミが自分の方針を受け入れてくれたことで気分を良くしていた。クミが三月の終わりに女学校を卒業すると同時に、事の運びは寅三の考え通りに進んでいった。
東京へ向けて旅立つ日、一日も酒を手離せない寅三は、黒いマントの中に愛用の徳利をしのばせていた。船の中で徳利を出してチビチビ酒を吞んでいる父を見ながら、クミは微笑ましくも思ったが、自分はこの先、この父と遠く離れて暮らすことになるのだと思うと、今までには感じたことのない父へ愛着がふつふつと湧いてくるのだった。
予め予約を入れていた宿に着くと、寅三は駿河台の予備校まで下見に行ってみると言いだした。
「クミ、おまえも一緒に行くか。疲れたら休んどれ。疲れたら布団敷いてもらえ」
「おとっつぁん、ここは宿屋じゃないのよ。自分で布団は敷かないと」
「そやのう。今からは何もかも自分でやらにゃいかんのう」
寅三は下見した分にはまず良い学校らしいからと、予備校の入学手続きをして帰ってきた。
その翌日「何かあったら、すぐに知らせてこいよ」と不安そうに駅で見送るクミにそう言い残して、寅三は故郷行きの汽車に乗りこんだ。
下宿の朝飯には家では食べたことのなかったシャケの一皿が付いていた。シャケと味噌汁におしんこ……と決まり切った朝飯を食べ、予備校では熱心に授業を受けた。
クミは翌年の春、晴れて医学専門学校に入学することができたのである。