3
再び歩みを進め、一時間程経った頃だろうか。道すがら先に行っていた、もしくは追いやられていた女兵士と合流した。
レスカの意外な配慮が功を奏したのか、当初の尖りまくっていた険は槍から棍棒くらいにまでは落ち着いていた。
そんな彼女の先導でたどり着いたのは、小さな村だった。
といっても日本の農村とは全く様相が違う。童話の世界に放り込まれてしまったかのようで、思わずしげしげと眺めてしまった。
木とレンガでできた質素で堅実な建物、突き出た煙突から立ち上る煙。薄暗くなってきた民家にぽつぽつと灯る光は、柔らかな橙色。片手一つで昼間と変わらぬ明るさを得られた現代を知る双海達からすれば、相当暗い。それでも、とても暖かいものに思えた。
『すげぇ……見ろよ、双海。あの家なんて魔法使いのばあさんとかが鍋かき回してそう』
「……お前の発想って小学生並だよな」
内心似たようなことを思っていたことはおくびにも出さず、双海は冷ややかに突っ込む。
「人の姿があまりないんだな。小さな村だから人口も少ないだろうけど」
気配はあるのに、姿が見えない。
「それもあるけどね。もうすぐ日も沈むからだよ。夜は魔の領域に入るから」
答えたのはセフィルだった。あまり大きな声でもなかったのだが、耳聡い。少し前を歩きながら首だけ振り返ってこちらを見ていた。警戒まではいかないまでも、注意を払っているのかもしれない。
『魔の領域って何? 魔物が出るってこと?』
会話を続けない双海に変わり、ケンが割り込んだ。思わず剣と剣が会話してるシュールな光景を想像してしまった。双海は咄嗟に口元に手をやり、堪える。
「まあそれもあるけど、村の外に出ない限り大丈夫。こうして集落となっている場所には結界が張ってあるから、余程の魔物じゃない限り入ってこれないし」
『へぇ。魔物と魔は別なのか』
「繋がってはいるけどね。魔は魔物を生み出すものだと言われているから。ただ、魔と魔物が齎す脅威は別物ってところかな。陽が沈むと同時に魔は濃度を増し、人を惑わす。そこらの村人には魔に対する耐性はないから、下手をすると取り込まれる。特に今晩のような満月の夜は、最も危ない」
セフィルが言いながら天を指差す。つられるように仰ぎ見ると、日本の夕暮れから宵の口にかけて見られるような、白く霞んだ月があった。
ただ、これまで見てきたそれらよりもずっと大きい。倍はあるだろうか。今にも落ちてきて食われてしまいそうだ。
「でかいな」
『でけぇ』
大口開けて見上げる双海を、セフィルといつの間にか振り返っていたレスカが不思議そうに見ている。
「月などどこで見ても同じ大きさだろう」
「……まあそうなんだけど、気分?」
我に返った双海は無難に答え、何食わぬ顔で歩きだす。
これまでは違う月を見ていました、などと言って信じて貰えるわけはないだろうし、不審がられるだけだと分かっているのに説明するのも癪だ。
観察するような視線を感じるが、男の視線など気持ち悪いだけなので、とことんスルーする。
村の端までやってきた一行を迎えたのは、初老の男性だった。近づく前にセフィルに止められた双海達は、十メートルくらい離れた場所で待つことになった。
白髪交じりの長髪を背後で束ねた小柄な男性は、娘以上に歳の離れているレスカに対し深々と頭を下げ、何事か告げている。一度鷹揚に頷いた少女が、こちらへと視線を向けた。
付き添っていた女兵士がレスカの指示を受けて、双海達へと近づいてくる。
「我々は本日、村長宅に泊まる。お前達はあっちだ」
事務的な口調で告げられた宿泊先は、村の最端にある小さな木製の小屋だった。
『ちょ、何あれ、物置? 酷くない?!』
「厩だよ」
『うまや? うまやってあの厩?! 俺ら人間ですけど?!』
「他にあるの? 厩は厩じゃない?」
『ちっげーよ、問題はそこじゃねーよ! きっと臭いよ? 寒いよ? 身体痛いよ?』
「君鼻ないでしょ。寒くも痛くもないよ。痛いのはこっちの少年。問題ない問題ない」
『そこはほら、気分の問題じゃん?!』
文句を垂れるケンを、楽しそうにセフィルがあしらっている。
「ありがたく使わせて貰う。村長さんに礼を言っておいてくれ」
煩い剣どもは放っておいて、双海は文句一つ言わず受け入れる。野宿生活を覚悟していた身からすれば、屋根があるだけで上々だ。
「悪くない心がけだが、礼を言うならそのように計らったレスカ様にすべきだろう」
レスカ様至上主義女兵士が呆れたような声で言う。もっと文句が続くものかと思っていたが、それ以上何も言うことなく、溜息一つ残し背を向けて行ってしまった。
彼女の言うことも一理あると思った双海は、村長と話し終わるのを待ってレスカを呼び止める。
「何だ? 厩では不服などと言うつもりか。贅沢を言うなら放り出すぞ」
礼を言う間もなく不機嫌そうに言われた。
あまりに早い切り替えしに、彼女の方がその決定に引け目を感じているように思えた。これまでに感じた意固地さや素直さの欠落からして、あながち間違いではないだろう。
「いいえ。お礼を言おうと思って。心遣い感謝します。ありがとうございました、レスカ様」
「…………」
礼儀もそれなりに踏まえて頭を下げたつもりだったが、彼女の眉根は益々寄ってしまった。どうしろというのだ。
「照れてるんですよ」
「え?」
「セフィル!」
いつの間にか背後にいたセフィルが、面白そうに双海に耳打ちした。内緒話を装っているくせに、レスカに聞こえる程度の大きさなのが小憎い。
『おおおおお! ツンデレ萌えー!!!』
手の中の柄が叫びと共に暴れる。自分で動くのはしんどいみたいなことを言ってたはずだが、随分と元気だ。
「黙れ。刺すぞ」
もちろん地面に。
途端に静かになったむき出しの剣を一瞥し、再度レスカに向き直る。
「本当に助かったから。俺の名は双海葉。ヨウ・フタミの方がいいんかな。ええっと、フタミってのが家名。こっちはケン。しばらくの間だろうけど、よろしく」
自己紹介とか今更だなと思いつつ告げれば、レスカが驚きに目を見開いた。
「……レスカだ」
どこか戸惑い混じりに告げられた名は、既に知っているもので、家名はなかった。
ここまで何者だとは聞かれたが、名を聞かれることはなかった。普通初対面で、意図はわからないが連れ歩こうとする相手に名乗らせないなどということがあるだろうか。
ずっと違和感を感じていた双海は、物は試しと自分から告げてみたが、彼女の反応でわざと聞いてこなかっただろうことを確信した。
「ファタミ? 変わった家名だね。これまで聞いたことがない。やはり相当山奥から出てきたのかな」
『ものすっごい遠くのド田舎でーす!』
「ほう、出会った場所から考えるに、セトルトの方?」
『セトルトの更に向こうのレトルト村』
「……聞いたことないなぁ」
嘘にしてももっとマシな嘘をつけ、双海は突っ込みそうになるのを必死に堪えた。地理など知らない双海がフォローしても、ケンとそう変わらないレベルでしか知識がないのだから、どツボに嵌ること間違いない。
そもそも、嘘だと気付かれていないわけがない。セフィルはあまり好ましいタイプではないが、頭の回転は多分この中で一番いいだろう。嘘とわかっていて話に乗っているのだ。
そんな彼が上手いこと話の矛先を変えたことから推測するに、あちらにも何かしら事情があるようだ。下手なことをしない限り、根掘り葉掘りは聞いてこないだろう。
「俺たちのことは好きに呼んでくれたらいい。セフィルとやらは? セフィルでいいのか?」
同じように矛先を変える意図も含め、暗に敬称は必要かと尋ねると、青年は「何だいそれ」と、肩を竦めて首を振った。
「セフィルでもセフでもお好きに。私はヨウと呼ばせてもらおうかな。どうもファタミってのは呼びにくい」
確かに彼の発音はどこかおかしい。翻訳機能もどきも名前の部分には働かないのか、そのままを伝えてくるからよくわかる。
「んじゃ俺もセフで」
『はいはい、俺も俺も! ケン様ってお呼び!』
双海ばかりか全員スルーだった。
自己紹介をし合う二人の男を、レスカが熱い視線で見つめていた。
「えっと……何デスカ?」
「……カでいい」
「え?」
もごもごと言うものだから聞き取れず、少し身を屈めて耳を近づける。不敬かもしれないが、煩い奴は少し離れたところで他の兵士に指示を出していたから、見咎められることもないだろう。
「だ、だからっ」
「呼び捨てのお許しが出ましたよ。呼びにくそうでしたし良かったですね」
『わお! デレ頂きましたー!!』
少女の台詞が奪われた。しばらく唖然としていたレスカの顔が、一気に真っ赤に染まった。
「なっ、お、せ、セフィ」
怒りと羞恥をない交ぜにした複雑な表情で、必死にセフィルに詰め寄っている。
「ぶっ!」
慌てて口元を押さえたが、遅かった。顔を背けて肩を震わす双海を見た少女が、居たたまれなさに益々顔に血を上らせている。
『おお……珍しい。双海が本気笑いしている』
「珍しいの?」
『うむ。年に数度あるかないかだな』
そんなわけあるかと思いつつ、湧き上がる笑いを収めようと必死だ。折角折れてきた少女を怒らせたいわけじゃない。
「ご、ごめん、えっと、敬称はいいってことだよな?」
「……知らん! 好きに呼べばいいだろう!」
顔を背けて素直じゃない了承を出す姿に、また笑いそうになるが、幸いなことに今度は我慢できた。
「ありがとう、レスカ」
笑いの余韻残る満面の笑顔を、目を見開いて見て――いたかと思えば、少女はいきなり背を向けて走り出してしまった。
「え? ちょ、レスカ?!」
疾風のごとくと言うが、まさにそれだった。常人ではありえない速さで遠ざかってゆく。途中女兵士がそれに気付き、慌てて追いかけて行った。後でまた何か噛み付かれるかもしれない。
あの竜を退治していた中にはレスカもいた。可愛らしい見た目で忘れてしまいそうになるが、やはり予想以上に身体能力が高いのだろう。
『おお、はえぇ!』
「レスカはわが国一の俊足ですからね」
逃げていく原因を作った男は面白そうに遠ざかる小さな背中を眺めていた。どういう関係なのか、いまいち良く分からないが、実際の身分と力関係とが反比例しているだろうことはわかる。
少しばかり不憫に思った双海だった。
翌朝陽が登りきる前に目覚めた双海は、うんともすんとも言わないケンを厩の扉脇に立てかけたまま外に出た。剣が眠るのかと不思議に思ったが、小声で呼びかけても反応がなかったので、やはり寝ているのだろう。
日本の夏と違い、この地の朝は昼間の蒸し暑さとは比べ物にならないくらい涼しい。それでも涼しい程度だからこそ、凍えることなく熟睡できたのだが。
湿度が高いのに過ごしやすいと感じる程の温度差とは、一体この世界はどうなっているのだろうか。不思議に思うが、過ごしやすいならそれでいいかと考えることを放棄した。
ここが何処かも分かってない、世界の原理も知らない状況で、わかることなど少ない。ならばある程度情報を得られてから考えればいい。
「自分の適応能力が怖いぜ……」
まだ朝焼けに煙る小屋の前で、大きく背伸びしながら一人呟く。
枕が替わったら寝れないとか言う奴もいるが、そういったナイーブさとは程遠い双海は、どこでも寝れる自信があった。
実際昨晩、干草を集め適当に寝床を整えると、空腹も捨て置き早々に寝入った。馬の鼻息が煩いとぼやいていた、意外とデリケートな部分が発覚した剣は一番離れた入り口側に立てかけ捨て置いた。
一つだけ心配していた悪夢も見ることもなく、爽やかな目覚めを迎えることができた。そもそもあまり夢を見ない双海だ。あれは心労が見せた幻のようなものだったに違いない。精神衛生上そう納得させる。
「おや、おはよう。早いね」
「っ!」
いきなり背後からかけられた声に、肩を跳ね上げる。足音も気配もなかった。声で誰かわかったが、あまり気分のいいものじゃない。
「忍者かよ……」
口の中だけで呟き、続けて「オハヨウゴザイマス」と硬い声で返しながら振り向く。予想通り人の悪い笑みを浮かべたセフィルが立っていた。
「あんたってさ、いつも人型なの?」
「ん? まあこちらの方が何かと便利だからね」
そりゃそうかと納得し、面倒くさい己の剣を思い浮かべる。
「あのさ、ケンを人型にすることってできねーのかな? えっと、魔力が足りないって、どっかで補充できないの?」
「魔力は主人からしか供給してもらえないよ」
「そっか……俺って魔力とやらがないってことか」
「そうだねぇ。この歳までかかって補給できた量はせいぜい数年分って感じだったから、無理なんじゃないかな」
「……ふーん」
何てことはない風を装いながら、湧き上がる疑問に頭をフル回転させる。
おかしな話だ。あの剣を手にして双海はまだ二日程度である。
その間に人様の数年分の魔力を溜めたというのか。もしくは元々溜まっていたとするなら、自分以外の誰かが溜めたという、言われたことと大きく矛盾した事実が浮上する。
それを尋ねることできないのがもどかしい。生まれると同時に手にし、ずっと共にあるのがソル使いとやらの「普通」であるならば、在り方そのものから自分達が過度に異例なのは想像に容易かった。
「で? あんた、何しに来たの?」
「散歩」
「な訳ないよな」
微笑みと共に告げられた答えに、双海は間髪入れず同じく食えない笑顔で返す。
「君達は一体何者なのかな?」
「同じ問いを俺らもしていいわけ?」
質問を質問で返したというのに、セフィルの笑顔は崩れない。
「私達としては、気にしてない体を装って、君達を観察しながら連れ帰ればこちらのものだからね。どうとでもなるよ」
「それ、俺に言っちゃ駄目だろ……」
どういう意図があるのかは知らないが、あまりにもぶっちゃけすぎた発言に、思わず苦言を呈してしまった。
「まあ万が一君達が剣を向けても、どうにかなる」
「向けねぇし。殺す覚悟もないし、責任も罪も終えない。そんな奴が人に向けていいもんじゃねーだろ」
「殺されてもかい?」
「殺されることと自分が殺すことは違うんじゃねぇの」
「ふむ。それが真実だとしたら、とても安心なんだが」
「嘘なんてついてねーし……つっても判断するのはあんた達だってのもわかってる。付いていくと決めた時点でこっちはそれなりに覚悟してる。好きにすればいいさ」
むざむざと殺される気は毛頭ない。窮鼠猫を噛むというし、まだ使いこなせていない身体能力を駆使して死ぬ気でやれば、命くらいは拾えるだろうと思っていた。
そもそも選択肢が少なすぎる。最善だと思えるものを適当に選んでいくくらいしかできない。
「その素直さは悪くないけど……よくこれまで生きてこれたね」
会話しながらも、常に送られてくる探るような視線が鬱陶しい。
「生きてこうと思えば生きていける。死ぬ時は誰だって死ぬ。そんなもんだろ」
一度死んだからこその実感が篭る。
「ドロドロに甘いことを言うかと思えば、歴戦の戦士のようなことを言う。おかしな奴だね、君も」
「あんたみたいに何考えてるかわかんねぇ奴に言われたかねーよ」
と、そこまで話したところで会話が途切れた。そして、タイミングを見計らったように頭の中に声が響いた。
『ふたみぃぃ! どこだぁぁぁ! また俺を置いていくつもりかぁぁ!!』
「…………」
半泣きで叫んでいる。本体を知っているだけに、でかい図体で想像してしまった。非常に気持ち悪い。
「呼んでるよ? 行ってあげたら?」
昨日の双海のように、笑いを堪えながらセフィルが言う。非常に面白そうに、黙り込む双海の様子を伺っていた。
「ソル」とやらは、一癖も二癖もあるような奴らばかりなのだろうか。それともたまたまレスカや自分が運悪くそういう灰汁の強い「ソル」を手に入れてしまったのだろうか。
双海はこれ見よがしに大きな溜息を吐き出し、厩へと向かうことにする。途中ふと思い立って振り返ると、まだセフィルはこちらを見ていた。
「あのさ! 俺等が何者かとか、自分でもよくわかんねぇ状態だから説明できない。わるいな。言っても無駄かもだけど、あんたが心配するようなことは一切ないって誓える。俺等は『ここ』で自分達なりに生きてこうと思ってる。そんだけだから」
信じてもらえようがもらえまいが、言うだけは言っておこうと口を開く。
セフィルは、感情の読み取れない瞳で「そう」とだけ呟き、同時に何かを投げて寄越した。突然のことに驚いたものの、かなり向上したらしい反射神経は、取り落とすことなくそれを受け止めた。
見下ろした先にあったのは、皮製のベルトのようなものだった。
「ソルとはいえ、裸の剣を手で持ち歩くのは頂けないからね。流石に鞘までは準備できなかったが、それで腰に吊るすといいよ。ソル使いが自分のソルに傷つけられることはないから、足に当たっても怪我をすることはない」
説明交じりにセフィルが言う。
本来、生まれた時から付き合い続けるソルのことを、ソル使いが知らないわけがない。説明など必要ないのだ。
数の少なさからくる希少価値だけでなく、能力もずば抜けて高いソル使い達は、ソル使いというだけで一定以上の未来を約束された存在だった。だからこそ自分達のことをこぞって学ぶ傾向がある。より高い場所へ行くために。
例え田舎暮らしであったとしても、ソル使いがソルのことを知らないというのは非常に可笑しな話だった。双海達は酷くアンバランスで、限りなく不審だった。
「へぇ、あんがと、助かるわ」
「いえいえ。何処かでしっかり恩を返してくれたらいいよ」
「……抜け目ねぇな。まあでも一理あるか。何か考えとくわ。んじゃまた後でな」
苦笑いと共に去っていく双海の背中を、笑みを消したセフィルの死線が追った。
セフィルは双海達を欠片も信じてはいなかった。信じられるだけの要素もないと思っている。
本当に名も知らぬような地から出てきたとしても、この地に生きるものが「魔」を知らないなどありえない。生きている限り常に共にあり、付き合っていかねばならないものだからだ。
一切人と交流せず、閉鎖された空間にいたというならわかるが、そんなことをして人が狂わず無事に生きていられるとは思えない。
そういった有り得ない知識のなさに反して、双海の対応には高い知性を感じさせた。あれは学ぶことを知っている者の目だった。
セフィルという剣はレスカという主の出自のせいで、幾度となく戦いを経験し、愛憎野心入り乱れる世界で生きることを強いられてきた。とはいえ、それはそれでよい経験だったと思っている。
意外なまでに繊細で純粋な主の見えない盾として、剣として。多少歪んだ敬愛でもって、陰ながら守ってきたのが彼だ。
警戒心が強いように見えて、根っからの箱入り娘であるレスカはあまり人を疑うことをしない。セフィル自身そうなるよう仕立て上げた一因である自覚があったし、今後もそうあって欲しいと願っている。その分セフィルが疑い続け、彼女にとってより良いものをと選別してきた。
普段の彼であれば、レスカが何と言おうと彼等のような輩を連れて行こうなどという馬鹿げた判断を下したりはしなかったはずだった。
思惑を煙に巻くのに最適なこともあり、軽いノリを装うことは多々あるが、今回のセフィルは自身でも戸惑うくらい思惑もなく、気付けばこの結果を招いていた。
まるで何か、逆らえない運命みたいなものに引きずられるように。
「彼等のソルとしての力のせいか」
厩の方から声が漏れ聞こえてくる。内容まではわからないが、暢気なやりあいであることはわかった。
彼等を欠片も信用していない。だが、同じくらい害はないと判断してもいた。まるでそういうものだと言わんばかりに、本能が告げている。
(問題はあの要石か……)
あの時口にしなかったが、目にした瞬間、強烈に惹きつけられる己の心に戦慄いた。
ソルにとって要石が命以上に大切なものだと、セフィル自身もソルなのだから嫌と言うほど知っている。主以外に軽く触れられただけで全身を不快感が襲うのだ。
人型となった現在も、セフィルの胸の真ん中には要石がはまっている。石が顕現する場所はソルによって多種多様だが、大概の者が何らかの形で保護するなり隠すなりしているし、そういうものだった。
そんな最も大切な他者の要石に思わず手を伸ばしてしまうなど、無意識下でもありえないはずだった。なのにあの時セフィルは湧き上がる強烈な欲求に逆らえなかった。
(魔力など殆ど込められていない状態の石が、あそこまで……)
あれは本当に自身と同じソルなのだろうか。セフィルの疑念は尽きない。あれは間違いなく強烈かつ苛烈極まりない要石だ。同じソルだからこそわかる。あの中に魔力が溜まっていたらと考えただけで戦慄が走る。
(満たされてないことを喜ぶべきところなんだが、そこが最も怪しいなんて、手に負えないな)
要石は、主となるものの魂に合わせてしつらえられるものだ。原理など知らない。それが真理で、事実。
主の魔力量が元となってソルを要石として生み出す。もちろん多少の例外がないとはいえないが、あれほどの差がでることは根本的に有り得ない。
「本当に、君達は何者なんだろうね……」
セフィルは胸に手をやり、厩を見つめ、呟く。
口にしたように、彼等を葬り去ることなどたやすいだろう。主に頼るまでもなく、セフィル自身の力のみでも簡易に殺すことができるはずだ。
「最善は今殺しておくことなのかもしれないね」
心からそう思っていても、見えないものに邪魔されるかのように、それができない。まるでしてはならないと感情とは別の部分で強要されているようで――――
「ああ……なんだろう。ひどく不快だ」
それは奇しくも双海が感じていたものと同じ不快感だったが、彼が知る由もなかった。
『おおおおお! ぶだみぃぃぃぃ!!』
「うおあっ! いってぇぇ!!」
厩の扉を開けた瞬間、剣に飛びつかれた。額に柄の飛び出た部分が命中し、双海は悶絶する羽目になった。刃を横にした状態だったとはいえ、金属にぶつかられたら相当痛い。
「くっ……おまえ、その身体で飛びついてくんなバカ! めちゃくちゃいてーだろうが!」
『お前が悪い! また置いてかれたかと思った!』
「んなわけねぇだろ……と、言いたいところだが今俺は、本気で置いていくことを思案している」
『すいませんでしたぁぁ!!』
人型だったら見事な土下座が見られたことだろう。残念だ。
双海は痛みを訴えてくる額をさすりながら、これ見よがしに大きな溜息をついた。
彼にこうまで疑われるトラウマを植えつけた元々の原因は双海である。自覚はしているが、痛いものは痛いし、腹も立つ。しばらく反省してろと無言のまま喚いている剣を手にした。
セフィルに渡されたベルトを早速使ってみるためだ。身軽に動き回るものではないようだが、こうして実際被害にあったことだし、大人しく吊るされてもらうのが一番だろう。
『何これ?』
「お前を拘束するベルト」
『SMかっ!』
「お望みならいくらでもしてやるぞ。主に放置プレイのみだけどな」
『ごめんなさいのぞみません』
学習しない剣だった。
皮でできた濃茶色したベルトは、ところどころ薄い金属で補強してある。色合いと手触りからするに、多分鉄だ。剣を差し込む部分と取り付けの金具がが最も頑丈な作りになっているようで、これなら長く使っていけるだろう。本当に助かった。
ケンを差し込んでみると、急場しのぎで渡されたものとは思えないくらいにピタリとはまった。
『ほうほう。中々よい具合だ』
「むき出しでも俺がお前に斬られることはないらしい」
とりあえず一旦怒りを収めた双海は、ベルトを腰に巻きながら説明し始める。
「お前が爆睡してたから、一人で外の空気吸いに出てたんだよ。そしたらあの金髪のにーさんが来て、くれた。鞘は用意できなかったとかで、代わりにこれを貰った」
『ほうほう。憎っくきイケメンの癖して気の付くやつだ』
「鞘の方がいいか?」
もしそうならどこかで調達しなくてはならない。今すぐというわけにはいかないが、いつかどこかで生活の目処をつけられた後なら、手に入れることもできるだろう。
『いんや。これがいい。鞘とか押し込められたら窮屈だし』
「ふーん、そんなもんか。まああいつも同じ剣みたいだし、その辺わかってんのかもな」
ベルトを付け終え、試しに色々と動いてみる。彼が言ったように、強く当たれば痛みもあるが、剣が双海に対し刃物として機能する様子はなかった。
「不思議だな。切れ味良さそうなのに、俺には一切傷が付かない。服だって破けてないし」
『ふふん。その辺は俺様の微調整の賜物よ!』
自信満々にうそ臭いことを言う。だが、もしかするとそうなのかもしれないとも思う。判断つきかねるので、「ああそう」とだけ流しておいた。
『あのさ、双海』
しばらくジャンプしたり――もちろん厩の天井を突き破って死亡などといった間抜けな死に様は晒したくないので、厳密に加減して――回ってみたりしていた双海だったが、妙に真面目な声に作業を中断した。
「なんだよ」
『んとさ、これからどうすんの?』
「どうするって。レスカ達についてくって言っただろ」
『そうじゃなくて!』
ケンの言いたいことはわかったが、双海は答えることなく黙り込む。少しの間宙を見つめた後、ベッド代わりに使っていた干草の上に座り込んだ。
それは双海自身答えを持たない問いだった。
正直、どうしていいかわからない。生きていくだけだとは思うが、実際どうやって生きていくかなんて、情報が少なすぎて判断できかねた。
「……わかんね。とりあえず、俺はわけもわからず死にたくはないかな。何かするなら自分で決めたいし、俺が俺でいれたらいいかな」
『ふむ。でもさ、多分そうするには必要なものが沢山あんじゃねーのかなと俺は思うわけだ』
ただの馬鹿ではないから困る。剣持もそうだったが、楽天的な癖して楽観的ではない。双海だって考えないわけではなかった。あまり考えたくない部類の話だっただけで。
『多分俺等の常識の半分も役立たねーんじゃないかな、ここ』
「ああ……だろうな。食っていくにも最低限、その辺知らねぇとどうにもなんねぇな。そこまで誰かに頼るのも難しいだろうし」
実際、昨晩食料は一晩泊まった岩場から慌てて持ち出した少量の木の実で賄った。そこまで面倒を見る気はないという無言の意思表示だろうし、双海も面倒を見てもらおうなんて欠片も思っていない。
『俺はさ……お前みたいに肉体があるわけじゃないから、その辺共有してやれねぇ。その代わりと言っちゃなんだが、俺は剣だ。だからさ、俺を使えよ』
「…………」
『使ってもらわないと困る』
「……それは俺に殺生をしろと?」
『殺生って! 年寄りくせぇなぁもう!』
言っていることはわかるが、受け入れ切れない。低くなった声色に気付いただろうに、ケンは常と変わらない口調でぼやいた。
剣は使い方次第で命を刈り取ることができる道具だ。
生きていたいと思っている自分が、他のものの生きる道を絶つなんて矛盾しているではないか。
それが綺麗事だと百も承知で思う。
これまで、ただ自分が殺したわけじゃないという前提のもと、生き物の肉を摂取し、己の糧としてきた。それに罪悪感を抱いたことなどない。
要は自らの手を汚し、命を刈り取ることを当たり前のこととしたくないというエゴなのだ。
いつしか人をも手にかける日がくるやもしれない。
双海には、多分それができる。彼はできてしまう自分を知っていた。
これまで双海が愛情を抱き、慈しんできたものなどたかが知れている。狭い範囲で、その分強烈に注ぎ込んだ。そうしているうちに、己の中に酷く冷たい部分があるのに気付いた。片側に注ぐ愛情が深まれば深まるほど、その冷淡さは浮き彫りになった。
悪意を抱かれれば反発もするし、嫌悪されれば近づかないよう心がける。もちろんそれくらいのことはしてきたが、同時に興味ない人間に何と思われようが、本当にどうでもよかった。
そんな双海だからこそ、綺麗事を並べてでも己自身に歯止めをかけようとしているのかもしれない。
「殺されそうになっても殺さないのかとさっきセフに訊かれた。俺は殺す覚悟もないし、責任も罪も終えない。殺されることと殺すことは違うって答えた」
嘘じゃない。心からそう思う。現在双海を作り上げている半分の精神は。まだ見たことのない半分はどうかわからない。
『多分さ、この世界って俺等の世界より死に近いんだろうな。よくわかんないけど、そういう臭いがする。何かを斬るのが仕事だからかな、俺自身凄く近くに感じてんだ』
「そうなのか?」
『うん。これまでの感覚で生きようとしたら、ものすっごい早死にしそうなくらいには』
「…………」
平和な世界でも早死にすることもある。実際双海だってそうだった。ただ、そういうめに合う確率の問題なんだろう。
「考えたくねぇけど、考えないと駄目なんだろうな……できたらどっか平和な村で、のんびり暮らしたい」
『だからお前は幾つだよ! 気持ちはわからんでもないが、多分それ、無理だと思う』
「んでだよ」
問いかけると、ケンは少し言い淀んだ。
『ううーん、俺が平和じゃないから? 俺さぁ、お前が言う殺すとか殺さないとか、実はなんも感じてないの』
「何だそりゃ。まさに今、ちゃんと考えてんじゃん」
『うん。考えてはいる。でも考えることはできても悩めないんだ。例えば動物でも魔物でも人間でも、対象が何であるかとか関係ない。必要があれば、何だって斬るよ。斬るのが仕事だからかな? もし何かを斬って、結果殺しちゃったとしても、何とも思えねぇ気がする。まあ、今んとこ何も殺してないんだけどさ。あー……うん、自分でもわかんねぇ。どうしよう、双海』
剣持が眉尻を下げて問いかけてくる姿が見える気がした。
剣持と言う男はその威圧感満点のでかい図体のせいか、中学生の頃など特に柄の悪そうな連中に絡まれたりしていた。
体力も力もあるのに喧嘩はてんで弱く、当時一回り以上小柄だった双海が助けに入ったこともある。きっと彼が本気になれば、勝つまではいかずとも相当健闘できたに違いないのに、決してそれをしなかった。
抵抗はしても対抗はしない、そういう奴だった。
「お前……」
『多分今俺、何とも思えないことが怖いんだ。でもそれは剣持だった俺が抱いてる感情で、どっか遠くにも感じてる。怖いくせに、その場になったら躊躇なく殺すだろうし、お前が死なねぇで済むなら、そうするよう平気で強要するかもしんねぇ』
胸がざわつく。不安にも似た――恐怖。
『どうしたらいい? 俺はお前といなくちゃならないのに、いていいのかわからない』
色んな感情が交じり合い、双海までどうしていいかわからなくなってくる。
こういう時、相手が「言葉以外でも語れるもの」でないのが悔やまれる。彼はどんな表情でこの台詞を吐いているのか。
「……っ……」
咄嗟に右手で顔を覆い隠した。湧き上がった感情が、熱い雫となって一粒だけだけ零れ落ちた。
『双海?』
さり気ない仕草で目じりの名残を拭い、腰にぶら下がる剣を見下ろす。
「ごめん」
『え? 何が?』
「ごめんな、剣持」
『…………』
「彼」の名前を呼ぶのも「彼」に謝罪をするのも、これで最後だ。
「お前は俺の剣なんだろ。仕方がないから一緒に行けるとこまで行くぞ、ケン」
『……いつか俺が、殺しまくって魔剣になっちゃっても?』
「そんときは責任持って溶鉱炉にぶち込んでやるよ」
綺麗事はどこまでいっても綺麗事で、自分は自分で、ケンは――――剣だ。
それを手にする自分は、きっといつか生きるために何かを傷つけたり殺したりするのかもしれない。
避けきれない要素が絡み合い、向かい合わねばならない時がくる。それも、そう遠くない未来に。
一つ言えるのは、それがケンに強要されるものであってはならないということ。ケンは剣で、それを振るうのは双海なのだ。
強要を受け入れた瞬間、双海は死ぬよりずっと最悪な気分を味わう。生きたいと願う限り、どんなに難しい選択でも自分で行わなければ、きっと双海は双海でいられなくなる。
ああ、そうか、剣持はもういないんだ。
これはケンであり、双海が契約した剣なのだ――――
双海がわけのわからない世界に放り込まれて初めて、心からそれを実感した瞬間だった。