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『……み! おい……きてるか? ふ……み!』
「んん……う……」
『……み、……たみ! 双海ってば双海ぃ、双海ってば双海ぃ!!』
「……っるさい!! 誰が半次郎じゃボケェェ!」
目覚めと同時に聞こえてきた調子っぱずれな歌声に、完全に覚醒していないにも関わらず双海は本能的に突っ込みを繰り出した。腕を大きく振りかぶって握りしめていた諸悪の根源を、状況もわからないまま遙か彼方へすっ飛ばす。無意識って凄い。
「あー……あったまいてぇ……って、ここどこ?」
ぼんやり霞む意識の中、寝ぼけ眼で見覚えのない景色を見回す。
「白くも黒くもない、な」
一面緑色だった。何故か青々と生い茂る草木の中に横たわっていたようだ。唐突すぎて思考が追いつかない。湿度が高いのか、草いきれが凄かった。経験したことないそれに、少し咽る。
「けほっ、何このジャングル」
十六年過ごした世界で過ごした最後の季節は秋だった。なのに今、完全に夏の気候だ。しかもかなり蒸し暑い。
羽織っていたパーカーを脱ぎ捨て腰に巻いた後、長袖Tシャツの袖をたくし上げる。
長年穿いていい具合にくたびれたジーパンも多少汚れてはいるが、元々のものなのかここに来てついたものなのか、区別がつかない程度だ。
本来なら血塗れで、やぶれまくっていたはずなのに。腕も足も平常どおりに動くし、痛いところ一つなかった。
「よし、身体は無事だな」
『俺は死にそうだけどねー!!』
遠くから声がする。頭に直接響いているような、不思議な声。
「ああ、そうか……」
双海の頭が一気に回転し始めた。
理由は全くわからないし検討すらつかないが、一度死んだはずの自分は、元友人の腕と共にひたすら白いだけの世界からここへとやって来たのだった。
現在の双海は生きている。常と変わらない働きをする五感全てで自分は今生きていると認識していた。けれども、生きていた世界ではやはり死を迎えているのだ。
死んだ人間は皆、こんな目にあっているのだろうか。死んだ者達の行き着く先なんて、死んでみないとわからない。でも実際死んだ人間に聞くことはできない。ある種のパラドックスだ。
ただ生きている、現時点においてその事実だけがここにある。
「一体どこなんだよ、ここ」
改めて似たような台詞を繰り返し、あたり一辺見回してみるが、わかったのは確実に日本でないことだけ。こういった密林らしい密林など、日本にはありえない。日頃キノコや野草などを採取に登っていた双海であるが、あれはあくまで山の一部だし、森林の有り方がまるで違う。
立ち並ぶ木々は一本一本が野太く、うねるようにして天高く伸びている。所々人の腕くらいある蔦が絡まっていて、幻想的だ。何より緑の色が濃い。ジャングルなんてテレビでしか見たことないが、目の前に広がる景色はまさにそれだった。
『おーい、神さま双海さまー! 早く俺を抜いてくれないかー! このままじゃ俺、埋まっちゃうよ?! 飲み込まれちゃうよ?!』
最悪な起こし方をしてもらったお礼に悉く無視してやろうかとも思ったが、冗談抜きで切羽詰ってきた声色に、視線を声のする方へと動かした。数メートル先の草の隙間から、半分以上泥に埋まってしまっている金属の棒らしきものが覗いていた。
「は?」
双海は我が目を疑う。どこからどう見てもいわゆる諸刃の剣だ。
ここに至る前、元友人の腕が語っていた戯言を思い出す。
「剣って……マジか」
腕がどうなったら「ああ」なるのか、有機物が無機物になるとか、ありえなさすぎるだろう。あの白い空間は、もしかしたら意識下にある世界だったのか。その割には痛みある世界だったが、他に理由が思い浮かばない。
半信半疑で邪魔な草木を払い退けながら近づいてくと、三メートル幅くらいの泥だまりにたどり着いた。そこに突き刺さっていたのはやはり剣だった。
泥から生えるように剣の柄が見えている。
「お、お前、剣持か?」
『俺以外の何に見えるってんだよっ! 冗談抜きでやばい! た、助けてくれ!』
所謂底なし沼というやつらしい。暢気に喋ってる間にも、じわじわと剣が沈んでいく。
「ちょ、ちょっと待ってろ!」
助けに入って一緒に沈んでしまっては意味がない。慌てて何か役立ちそうなものはないかとあたりを見回した。そうして、一番近くの木にまとわり付いてる蔦に目が行く。
絡まってるものは、双海一人では太すぎてどうにもなりそうにない。更に見回していると、木に絡み損ねたのか、地面でうねっている比較的細身の蔦を見つけた。
半分地面に根を張っている部分とかもあって、これは無理かもしれないと思いつつも、今は考えてる間などなく。
とりあえず引っぱてみた双海だが――
「う、わあ!!」
予想以上にあっさり引き抜けたせいで、背後に転がってしまった。方向が悪かったら危うく沼に落ちていたところだ。
「あ、あっぶねぇ……」
転んでも離さなかった蔦は、今双海の右手にある。腕まではいかずとも、手首くらいの太さある見た目に反して異様に軽い。こんなもので大丈夫なのかと不安は残るものの、他に目ぼしいものは見つけられそうになかった。
軽く引いて先がどこかに埋まっていることを確認した後、それを左手で握り締め、精一杯伸ばした状態で沼へと足を一歩踏み入れた。
境界線があやふやなので、下手すると自分の身体まで持っていかれそうだ。ゆっくりと沈んでいく片足は踏ん張りもきかないが、幸いにも規模が小さい底なし沼だったこともあり、なんとか手が届く。
「ったく、めんどくせぇ奴だな!」
『ううううう』
自分が投げ入れたことを棚に上げ、周りの規模からして小さな一角である沼に行き当たるとか、どんだけ強運なんだと双海は内心毒づく。
そもそも青信号真っ只中にトラックに突っ込まれた剣持だ。きっとこれがハプニング体質というやつなのだろう。
『うぶぶぶぶ……じぬ゛……』
「剣なのにどうやって死ぬってんだ、よっ!」
柄と刃の境目あたりまで埋まったところで、双海は何とか救出に成功した。ドロドロの剣を抱え、蔦を使って足場がしっかりした部分まで身体を引き戻す。
蔦の軽さは強度とは比例していないようで、本当に助かった。
『剣はデリケートなんだからね! 大切に扱ってよね!』
「耳元でアホな替え歌歌ったりしなけりゃ死ぬ目にも会わなかったと思うぞ」
『あんな軽いジョーク一つで殺されたらたまんねーよ!』
「…………」
ぶっちゃけ夢見が悪すぎて、機嫌が最悪だったというのが大きい。半分以上八つ当たりだった自覚ある双海は口を噤む。
『しっかしここどこだろうなぁ』
もっと食いついてくるかと思いきや、剣持はあっさり話の矛先を変えた。喉元過ぎればなんとやら、言うほど気にしてないだけかもしれないが。
『マジで生きてたな、俺たち。まあ俺の場合剣という姿ですが! どうよこれ、かっこよかろう! 見惚れても……いいんだぜ?』
切っ先をキラリと光らせて言いたいところなのだろうが、生憎現在彼の御姿は柄の一部を除きどどめ色だ。
「……ただの泥の剣と化してますが」
『おうのう! そうだった! 折角の晴れ姿がっ』
腕のように動きがあるわけではないが、多彩な表情が見て取れるようだ。
剣持にしてみれば、意味不明に機嫌が悪い相手だろうに、全く態度を変えない。彼なりの気遣い――な気もしないことはない。
これではいかんと双海は気持ちを切り替えるべく、大きく深呼吸をしてから口を開いた。
「ふう……お前のお陰で俺まで泥まみれだっつーの。とりあえずこのままっつーのも気持ち悪いし、水場がないか探してみるか。食料一切ないけど、水さえあれば数日は生きられるだろうし」
『ふむ。確かにここでの状況判断は難しいか。まずは生命線を確保せねばな!』
同意を得られたので、とりあえず動くことにする。剣を目の前に掲げ一人話している姿は、かなり危ない人だろうということで、一つ確認するのを忘れない。
相次ぐ急展開で有耶無耶のまま聞けずにいたが、ここに至る前から何となく引っかかっていたことだった。
「あのさ、お前と俺ってどうやって喋ってるわけ? 声出してるわけじゃなさそうだし……」
『あん? そりゃまあ、あれだ。脳と直接対話してる感じじゃねーの?』
「脳と直接? テレパシーみたいな?」
『言葉を話す時は一回脳が考えてるわけだろ? それが直通で俺に――』
「…………」
『あれ? どした?』
歩みを止め固まった双海に、不思議そうな声で剣が尋ねる。
「ちょっと待て。直通ってことは、頭の中身を見てるってことか?」
『……あはっ』
「あはじゃねぇよ! 筒抜けってことか?! そういやおかしいと思ったんだよ! お前にしては聡すぎるっつーか、嘘だろ! きもちわりぃ!」
そして何より恥ずかしくて腹立たしい。どこまで覗き見られていたのか、全部などと言われた日には――想像しただけで背筋が凍る。いくら友人でも許しがたい。
『待て待て待て! 言葉として読み取れるのは表面にある意識だけだって! 後はすっごいおぼろげだし、そこんとこは制御出来るようになったから繋げてないぞ!』
「ほう、それはいつから?」
現段階で「出来るようになった」ということは、その前において出来てなかったときがあったという意味に他ならない。
『あは、あははははは』
「もう一度沼に沈めよう。なかったことにしよう、それがいい」
『わー!! いや、やめてっ! もう二度と繋げません!! 仕方ないじゃん! 俺だってこうなってからまだちょっとしか経ってないんだからっ』
双海は、大きく振りかぶった体勢のまま止まる。頭の何処かでは納得しているが、していても腹立たしい。別のものに頭の中を覗かれるなど、心底嫌だった。
「……わざとじゃなくても許しがたい。今度もし繋げたら叩き折るからな」
『俺だってどうせ繋がるなら可愛い女の子がよかったよ……』
うん、こいつ、全然反省してない。
双海の、顔だけなら女子悩殺間違いなしの爽やかな笑顔が炸裂した。
地面にぶっ刺して、置いてゆくことが決定した。
これが、双海にとって初回となる「剣捨て」記念日だった。
『酷いよ……丸一日も放置しやがって……このまま土に返って分解されちゃうかと思ったよ……』
半泣き声で成される訴えをスルーしながら、双海は先程取ってきたばかりの木の実を、せっせと両手で割っていた。
最初に目覚めた場所から一時間くらいは歩いただろうか、時計がないので正確な時間はわからないが、それくらい離れた場所に馬鹿でかい岩が積み重なってできた洞穴のようなものを見つけた。
多少歩くが、苦にならない程度の場所に水場もある。飲める清水であることは早々に確認した。喉が渇いていたこともあったが、異様に美味かった。足や顔を洗いさっぱりしただけでも大分気持ちが落ち着いた。
双海たちは今、そこを拠点にすべく、生活の場を整えている。
むやみに歩き回るよりも、太陽の位置と体感時刻の誤差、星や月の満ち欠けの情報などの収集を優先した方がいいだろうという結論に達した。主に双海の提案した意見だが。
幸いサバイバル的生活には慣れている双海だ。この地に生い茂る草木に見覚えがないので、キノコと野草博士の出番はなさそうだが、葉の形や生息場所の状態などで多少判断できる面もある。
万が一変なものを食して死んでも一度死んでる身なんだからいいか、という投げやりな気持ちもどこかにあった。ここで守るべきものは自分と一振りの剣くらいのもので――剣に死の概念があるか不明だが、一応――再度死んでもあの夢の中のようなことは起こりえない。
双海は一晩を洞窟で過ごし、今日も無用心に密林の中を歩き回って食料調達に勤しんだ。途中本当に忘れそうになる前にと放置プレイ中だった剣を回収し、先程拠点まで戻ってきたところだ。
収穫物は色とりどりの果実と、食用として記憶にあるものになるべく近しい見た目をした草花である。
「赤色や黄色より、青い色の方が食べられる代物ってのが凄いよなぁ」
一番最初に収穫した橙色の果実は、見た目はマンゴーに似て美味しそうなのにも関わらず、凄い苦味で食べられたものじゃなかった。
その後大小様々、赤や緑を始め青や白などといった、みたことあるようなないような多種多様な実を集めてみたものの、なんとか飲み込むことができたのは片手に余る程度で、比較的美味しいものとなるとたったの二種類という有様。
飲み込んだものに関して、こうして双海が生きているわけだから毒性はないのだろうが、どうせ食べるなら少しでも美味しいものがいい。
贅沢とは無縁の食生活をしてきた双海だが、そんな中でも乏しい食材で、以下に美味しいご飯を作るか常に模索していた。食を疎かにすると心が荒む、が双海の持論だ。
『俺、お前の相棒だよね?! 扱い酷くない?!』
乾いた泥を刃の部分に張り付けた金属が、何か喚いている。双海には聞こえない。
「うーん。あの野いちごみたいな赤い実はやばかったなぁ。舌が痺れてすぐ吐き出して口ゆすいだけど、あれ、やっぱ毒かね。一応何個か採取してあるけど、使いどころあるかねぇ」
果実類は、見た目いいものや見覚えのある外見のものほど、味覚的にはあまりよろしくない傾向にあった。反して草類は、双海が十六年かけて培った知識が役立つくらいには、目だって大きな違いがなかった。それも今のところの話ではあるが。
『無視すんなぁ! ただでさえ二十四時間も放置されて俺は寂しいんだかんな! 泣いちゃうんだかんな!』
涙なんかどこで流す。流せるものなら流してみやがれ。
――おっといけない。聞こえないんだから心でも反応してはいけなかった。双海は気を取り直して再び手の中にある果実に視線を戻す。
「それにしても不思議だな……」
『何が?』
話しかけてもない独り言に答えが返る。
双海は今、問題を抱えていた。
そもそも問題だらけなのだがそれはさておき、これは現時点においての最も見過ごせない「問題」だった。
身体が妙に軽い。本格的に気付いたのは一日目の移動途中、草木生い茂る悪路を休みなく歩いても一向に疲れを感じなかった時だ。
いくら山道を歩きなれているとはいえここまで特殊な環境にあって、変わらぬどころか日頃以上にあり余る健啖さをみせる身体に、我ながら異常を感じた。
物は試しと少し駆けてみて更に驚いた。軽い踏み込みで、身体がぐんと前に押し出された。勢い余って前に転がるくらいの急加速。泥と草にまみれながら、実に見事な一回転半を決めた。
「重力が違うのか?」
それくらいしか思い当たらない。だがそうなると、ここは地球ですらないということになる。まあ死んだのに生きている身としては、驚きも半減だが。
一番わかりやすかろうと懲りずに垂直跳びを行った結果、双海は更なる試練を味わった。葉っぱまみれで地面に叩きつけられた時には、冗談抜きに死を覚悟したくらいだ。
「あれはありえないくらい飛んだなぁ」
『俺? 俺のこと? ちょっとは反省してるの? 双海が?!』
「よし、今度は歩いて三日くらいのところに放置してこよう」
『うそですごめんなさいおれがすべてわるいです』
ようやく双海は少し離れた岩に立てかけてあった剣に向き直る。無視しつづけるのも同じくらいうざいことに気付いたからだ。
そもそもこの剣持自身が望んでそうなった訳じゃないだろうことは、双海だってわかっている。わかっていても、どうしても沸く嫌悪感を拭えなかったのだ。
「俺は例え親兄弟だったとしても、心の中を覗かれるなんて我慢ならない」
『確かにな……今日のオカズはなににしようかな~いや、違うよ?! そっちのオカズじゃないからね?! とかいう妄想まで覗かれたら俺は死ぬ』
「……今すぐ火にくべてやろうか」
『ごほんごほん! えー冗談はさておき、マジで反省してます。しようと思ってしたことじゃないけど、正直なところ、あの時心のどっかで読みたいと思って読んでました。卑怯でした。ごめんなさい』
「…………」
『だって、双海って肝心なところで何考えてるかわかんねー時あるし……俺あんましそういうの感じ取るの得意じゃねーからさ。俺のこと気持ち悪いって思ってないかなーとか、その――恨んでねぇのかなーとか、不安で』
「……で?」
『いっそ恨んで欲しい気持ち一杯だったのに、そういうの全くなくて非常に困った』
大きなため息が漏れた。
馬鹿は馬鹿なりに考えている。双海にしてみればその着眼点は大きく見当違いであるが、だからこそ怒る気を削がれてしまった。
「もういいよ。今後お前が制御できる限りやんないようにしてくれ、マジで駄目だ」
『おう』
冗談抜きで、剣を手放してしまいかねない自分を感じているからこその言葉だった。
「心を読まれるなんて、俺にとって死ぬより許しがたい行為なんだよ。ホント駄目だ。だから何か知りたいなら、お前の厚顔無恥スキルを活かしてとりあえず聞け。腹芸とか出来る柄じゃねーだろ。言える範囲でなら答える」
『お、おう? なんだろう……さり気に貶められている気が……』
その通りではあるが、双海としては同時にかなり褒めてるつもりだ。そこが剣持のいいところでもあると思っている。
「心の底から誓って、お前のこと恨んだりしてねーから。ぶっちゃけるとそりゃ少なからず複雑な心境にはなったけど。それは恨みとか、そういうことじゃなくて……自分に向けられたものっていうか。ともかく! 自分でしでかしたことなのにお前恨んだりするかよ」
『だなぁ。お前って結構サバサバ切り捨てるようで懐に入れたもんには甘いもんな。つい反射的に俺を助けてこんなことになっちゃうくらいには情の深い奴だし。だからあれは俺の救われたい気持ちからくる願望ってやつなんだな。俺ってば、卑怯者!』
明るい声は空回りして、沈黙に落ちる。本当に馬鹿な奴だと双海は苦笑いを浮かべた。
「とりあえず恩返しってことで、俺を助ける剣にでもなれば?」
『おお! 流石ツンデレマスター、良いこと言う! 任せろ、俺は既にお前の剣だ』
「相変わらず一言も二言も余計な奴だな……どうやったら喋らなくなるんだろ」
剣を持ち上げ、観察してみることにする。「いやん、えっちー!」とか騒いでる馬鹿は無視だ。あまりに酷いようならもう一度何処かに投げてやろうと考えたあたりで静かになった。本能で悟ったか。
約束をしたからには、読まないようにしてくれているはずだ。それくらいには信頼している。それでも防ぎきれないものがあるのかもしれないが。
不思議と憑き物が落ちたかのように双海の中から腹立たしさは消えていた。急激な環境の変化に、自分でも意識してない部分でストレスを溜めていたのかもしれない。
表面は泥だらけだったが、固まったそれらは軽く払うだけであっさりと落ちていく。最後に砂でくずんだ表面を拾ってきた葉で拭えば、鈍い光を放つ剣身が姿を現した。
「あんだけ乱暴に扱った割には刃こぼれ一つしてないな。悔しいが綺麗じゃん」
『そうだろうそうだろう。もっと褒めろ』
「可哀想になぁ。過去見た目で褒められたことがないからここぞとばかりに……」
『ちょっとちょっと、それどういうこと?!』
剣持はごくごく普通レベルの男子高校生だった。己の見目に関して、たまにできるどでかいニキビを気にするくらいのこだわりはあったが、その程度だ。
人好きのする顔ではあるが、体格の良さで目立つことはあってもその容姿を取り沙汰されたことはないに等しい。
今やもう、その姿すら見ること叶わないわけだが。
「なあ、この柄の真ん中にある石って何?」
いぶし銀に金を織り交ぜたような不思議な色合いをしたシンプルな柄だ。なのに、ど真ん中にそこだけ精巧な彫刻が施された台座がある。中に鶉卵と鶏卵の中間くらいの大きさをした石が嵌め込まれていた。半透明なそれは、角度によって色合いを微妙に変えているように見える。
『そこ、俺の大事なとこでーす!』
触れようとしていた双海の指先が固まった。中心にあるそれに、非常に嫌な想像をしてしまった。もう二度と触るまいと心に誓う。
『俺の命の塊みたいなところなんだよ、それ。それがなかったら多分こうして喋ることもできない……はず』
「紛らわしい言い方すんじゃねーよ! わかっててもきもいわ! ったく。んじゃ剣というより、これがお前なの?」
『うーん。丸々剣で俺ではあるんだけどな。人で言うなら脳みそとか心臓みたいなもんなのかな』
「曖昧だな。まあここが要ってことは理解した」
やっぱり触ることはせず、手を下ろす。口にはしないが、本当に美しい剣だった。売ればいくらいくらいになるかなと想像してしまうくらいには。
『そういやさっき何一人でブツブツ呟いてたんだ?』
「ああ、あれか」
双海は別に黙ってても仕方なのないことだしと、先程自らの身体に起きた異変をかいつまんで話す。前転と垂直跳びの失敗は、もちろん省く。遥か頭上にある大木の枝に頭をぶつけで出来たたんこぶはいまだ健在だ。
『へぇ、なるほどね。チートですな』
「チート?」
『うーん、できすぎちゃってずるい! ってこと?』
よくわからない。でも確かに、もしこの地に自分達の他に人のような者達がいて、この重力に地球レベルでなじんだ生活をしているのだったら、ずるいと言えるものなのかもしれない。
『じゃあさ、じゃあさ、力はどうなってる?』
「力?」
『そう。そっちも強くなってたりすんの?』
「どうだろ。重力の関係かなと思ってたんだけど。もしそうなら力は変わんねぇんじゃねーか?」
『ばっか、チートっつったら力の増幅も含むってのがお決まりパターンだろうが!』
何がお決まりなのか知らないが、剣持が妙に期待感を滲ませて言ってくるものだから、双海も半信半疑ながら確かめてみることにする。
立ち上がり、何か適当なものはないかとあたりを見回せば、ちょうど子供がうずくまっているくらいの大きさの石を発見した。
「よっと」
掛け声と共に気合を入れて持ち上げる。やはり見た目から予想していた重さを全く感じなかった。こちらの大きさは小学生くらいだが、まだ五歳に満たない弟を抱いた時よりも軽く感じる。
「軽い。俺の体つきが変わったわけじゃねぇし、やっぱ重力の影響だと思うんだが」
『とりあえず試してみろって。ほらほら、早く』
「……なんでそんなノリノリなんだよ」
ため息をつきながら、今度は置いたそれを叩いてみる。手触り、質感、見た目、どれをとっても双海がよく知る石や岩と変わりない。重さはさておき強度が変わらないのなら、拳が割れる可能性だってある。
痛みに弱いわけではないが、先の失敗にて既にたんこぶやかすり傷を隠し持ってる身としては、こんな馬鹿なことで怪我を増やしたくなどなかった。
どうしたもんかと悩んでいたら「俺を使えば?」との声がかかった。
『なあ、俺を使ってみろよ』
「相手は岩だぞ? 下手したら折れっぞ」
『多分大丈夫。それが切れるくらいの強度はある、と思う。多分』
「全然大丈夫そうじゃねーし……」
少し悩んで、やはり剣を使うのはやめることにする。折るやら火にくべるやら色々脅しもしたが、一応元友達の腕だ。
「よし。そこそこ軽く、怪我しない程度にやってみよう。足で」
腕よりは怪我もすくなかろうと足を振り上げ、踵落しで岩に挑んだ。剣持と違って通常程度の筋肉しか誇らない双海だ。本気半分程度で下ろした足だったが、恐ろしいことが起きた。
豪快な音と共に踵が岩にめりこむ。そうして少しの間を空け、砕けた。
「…………」
『…………』
一人と一振りは、無言で粉々になった岩を見つめる。
立ち直り早く口火を切ったのはやはり、最も奇妙なことになっている元友人の方だった。
『チートキタコレ』
とはいえ一言目にこれだったが。
『体力も力もアップだな……こうなるとやっぱ、重力よりお前自身に身体強化みたいなんがかかってる可能性高いんじゃねーの』
「…………」
『ま、いんじゃね? 見知らぬ土地で生きていくためのご褒美だとでも思っとけよ』
どこまでも気軽な剣である。でも確かに原因など思い至るはずもなく。考えるだけ無駄な気もしてきた双海は、再びその場に腰を下ろした。
「なんか……自分が自分じゃない別の生き物になった気分だ」
『それ言ったら俺なんかどうなるって話じゃん』
「そりゃそうだけど。でもお前の場合、元々剣持じゃない何かだったわけだろ。そういうもんだって思えるだけの何かがあるんだろうし」
『まあな。俺は剣だ。あ、そういえば俺って剣持でいいの?』
ただでさえ混乱の最中にある双海は、急な話の方向転換についていけず、怪訝に眉を潜める。
『いや、呼び名だよ、呼び名。俺はまあ剣持でもかまわねぇけど、剣持であって剣持でないんだし、見知らぬところにきたついでに名前でもつけてみる?』
「……なんだそりゃ」
『いいから、考えてみろって! できればエクスカリバー! 的なかっこいいの希望』
気を紛らわそうとしてくれているのか、単純に名づけが目的なのか、微妙なところだ。
「めんどくせぇ……んじゃエックスカリバァンで」
『なにそれ!? 気持ち悪い! 何かすっごく気持ち悪い!』
適当に答える。剣持は冗談と捉えたようだが、単に考える心の余裕がなかったからだ。
本音を言えば、自分の身体を勝手に作り変えられたという衝撃で、双海はかなり堪えていた。人ではないものになったようで、自分が気持ち悪くてしょうがない。剣になった友人を前に考えるのすらなんだが、死んでもなお人でありたかったらしい。
双海は軽く頭を振るって、目の前に横たわる事実を少しでも受け入れるよう自己暗示をかける。そうあるものは仕方がない。受け入れるしかないのだ。
「んじゃケンで。剣持のケン。剣のケン。ちょうどいいだろ」
『…………』
剣持改めケンは黙り込んでしまう。不服なのかもしれないが、黙り込まれてしまうと何を考えてるか双海には一切読み取れなかった。
「おい、剣持?」
『ケンなんだろ。そう呼べ』
嫌がっている口調ではないが、ならばさっきの沈黙はなんだったのか。
「いや、不満なら別に変えても――って、何?」
尋ねようとした双海を、何かの泣き声が遮った。
「すげぇうるせー鳴き声だな。鳥か?」
『鳥にしては声でかすぎだろ?!』
出元を確認するまでもなかった。その会話の後、間を置かずして足元に影が落ちた。
双海はあんぐりと口を空け、空を見上げている。
『お、おい、見たか今の……』
「見た。すげぇな。何ここ、紀元前地球とか、そういうオチ?」
『何その冷静さ! あれは、あれだよ、あれ! どう見てもあれっしょ!?』
驚きも度を越すと、思いっきり素に戻るらしい。双海はそんな己の性質を改めて知った。
「とりあえず洞窟の中隠れよう。あ、木の実置きっぱだ」
『あふぉか! そ、そんなのいいから、早く! 俺を忘れず抱えてけよ!』
剣の癖に大慌てで促す剣持改めケンを、言われるがままに抱え、洞窟の中へ走り込む。
同時に再び大きな影が、木々の天井の隙間を通り過ぎていった。
『ド、ドラゴン……』
「え? 恐竜じゃねーのか? プテラノドンとか」
『どこをどう見たらあれがそう見える?! 明らかにあれ、ワイバーンだろっ』
「……違いがわかんねぇ」
娯楽物から縁遠い生活を送ってきた双海は、頭の出来はよいのにそういう知ってなくても問題なく生きていけるという部類の知識に、恐ろしく疎かった。
現代社会において、「ワイバーン」とやらの知識は確実に必要ない。空想の生物など、飯の種にもならないのだから。
「どうすんの? 隠れてれば大丈夫?」
『どうだろう……竜ってのがどこまで鼻が利く生物なのかわかんねぇし』
ケンがわからないなら間違いなくお手上げだった。
『こういう時、王道ファンタジーものなら戦うとこなんだろうけど』
「は? 戦うって……あれと? 誰が? 冗談だろ」
ありえない。あんなどでかいのと戦うなんて、どこの馬鹿だ。例え死にたがりの自虐趣味だったとしても、あんなどでかいものに食い殺されるなんて無残な死に方はしたくない。噛み砕かれる痛みや恐怖を考えただけでぞっとする。
『うん……だよね、そうだよねぇ』
非常に残念そうに同意が帰ってきた。あれだけ恐怖してたくせに、双海には戦うことを期待してたとでも言うのか。これだから未だ大人になりきれない中二病患者は困る。
「お前が戦いたいってんなら投げ込んでやるぞ?」
満面の笑顔で柄を握り込みながら、記憶に新しい構えで振りかぶる。
『ちょっ、いや、待て! 違うから! ドラゴンに戦いを挑むなんて勇者チックじゃね? とか考えてないからっ』
「戦いたいなら一人で戦え。止めないから」
とかなんとかやりあってると、大きな音と共に足元が震えた。所謂地響きというやつだ。
『な、ななななんだぁ?!』
「あそこ……煙が上がってる」
『え? どこどこ?!』
双海が指差した先に、入道雲のような煙が立ち昇る。森の木々に殆どの視界が遮られているため、正しい距離感は掴みきれないが、音の感じからしてもそう遠くはない。
どうやって見てるのか相変わらず謎な剣を少し前に突き出し、見えるだろう位置に傾けてやった。光景に感嘆の声を上げているので、見当違いではなかったようだ。
「爆弾? でも飛行機らしきもんは飛んでねぇし。地雷?」
『おい、さっきの鳥――じゃねぇ、竜の鳴き声してねぇか?』
耳を澄ますと双海にも聞こえた。そういえば上空を通り過ぎた影はあちら方向に飛んでいった気がする。
間をあけて再度爆発音が鳴り響き、煙を上げた。先程より近づいているのは気のせいではないと思う。
「なんか嫌な予感が……」
『それ、俺も感じてたりして』
できれば外れて欲しいが、双海は底辺を這いつくばってた己の運の悪さをよく理解していた。
「ケン、逃げるぞ。 あの規模の爆発だと、こんくらいの岩場吹き飛ばしちまうかもしれねぇ」
ケンの返事を聞くまでもなく行動に移す。彼を左脇に抱え、右手で持てるだけの食料を掴んだ。収納袋なんて便利なものはないので、ポケットに無造作に突っ込む。
外に出た瞬間、衝撃が双海を襲った。爆風だ。すぐ傍で起こったらしい音と風に煽られ、数メートル吹き飛ばされる。数回転ののち体勢を立て直し、膝をついて身を起こした。
「げほっ、ケン、無事か!」
『うおー! なんだこりゃー! 嫌な予感大的中じゃねーか!』
元気そうで何より。
凄い砂煙だ。吸い込まないように口元を押さえた双海は、何が起こったか必死に確認しようとするが、一メートル先の視界すら儘ならない。
「……っ!」
突如背筋に走った悪寒に、反射的に背後へと飛び退った。
すっかり己の身に起きた変化を忘れて、全力で行われた背後へのジャンプは、双海たちを天高く舞い上げる。
「あわわわ! すっかり忘れてたー!!」
いくら力が上がっても、元々多少良い程度の運動神経しか持たない双海だ。多少ならともかく、ここまで上がった身体能力に対応が追いつかない。
とんでもない跳躍は煙すら通り抜け、一気に視界が開けた。前回みたいに大木の枝にぶち当たらなかっただけ運が良かったのか。
『おおお! すげぇ、何だこりゃ! お前すげーな!!』
興奮する剣と、彼曰く「凄い」分だけ落ちた時にわが身に受けるだろう衝撃を考え青くなっている少年と、対照的な一組が青い空を浮遊していた。