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この度は、当方の小説に興味を持って頂き、ありがとうございます。よろしければ今後もお付き合い頂けましたら幸いです。
ちなみに、タイトルは『そうかいとけいやくのつるぎ』と読みます。何故そうなのかは、物語上追々。
GLでもBLでもございませんが、物語の設定上そういった表現がネタとして出て参ります。多少だろうがネタだろうがお嫌いな方は、これ以降進まれないことを堅くお勧めします。
「双海くん、これ。いつものやつ、持って来たよ~」
「おお、マジか!」
差し出されたビニール袋いっぱいのブツを受け取った少年――双海葉は、満面の笑みを大放出する。心の底から発せられたそれを真正面から食らった少女は、ふわりと頬を染めた。そうして照れくさそうに口早に続ける。
「は、半分くらいは揚げるんだけど、どうしても余っちゃうんだよね。だからまた持ってきてあげるね」
「すげぇ助かる。ホントありがとな」
改めて述べられる礼を、「たいした事じゃないから」と受け流し、少女が足早に離れていく。それと入れ替わるようにして背後から近づいてきた影が、ホクホク顔で収穫物を眺める双海の頭を打ち払った。
「よおっす! 朝からモテモテだな!」
打ち据えられた頭から物凄くいい音が教室内に鳴り響く。唸りうずくまる頭を流れるように野太い腕にロックされてしまった。
「いってぇ! うげ、ちょ、離せ馬鹿!」
「イケメンは得だよな、にっこり微笑むだけで貢物を得られるんだから」
抗議の声を無視し、双海に見事なヘッドロックをかけたまま、彼より一回り体格のよい少年が、感慨深げに呟いている。
まさに今、一人の少年を屠ろうとしている同じく少年の名は、剣持高志。双海葉の数少ない友人の一人である。中学からの腐れ縁で、双海より一回り体格が良い。平均より少し高い身長を誇る少年の一回り上だから、校内でも十指に入る体格の良さを誇る。
そして、今そんな男による渾身のヘッドロックが――
「や、やばい、やばいって、剣持、お、落ちる……」
飛びそうな意識を繋ぎ止めながら首に回る憎らしい腕をバンバン叩いたところで、漸くそれが離れていく。しゃがみ込み、咳き込みながら背後に立つ男を睨み上げる双海に、「お、やりすぎたか? わりぃわりぃ」と悪気の欠片もない笑顔が返ってきた。
「死ぬかと思った……」
何とか息を整えて身体を持ち上げる。死んだじいさんが川向こうで満面の笑顔を浮かべていたとか、ベタなオチはない。ひたすら苦しかった。
「お前ももうちょっと鍛えろよ。ひょろひょろしやがって。それでも男か」
「滅びろ、筋肉馬鹿。俺は平均的で、お前が発達しすぎて……ん? あれ?! な、ない!!」
そこでふいに、手にしていたはずの袋が消えていることに気付いた。
「ど、どこいった?!」
「あん?」
「今俺が持ってた袋だよ!」
慌てて足元を見回すと、すぐ見つけることができた。一メートル程先、教室の入り口近くに転がっている。筋肉馬鹿に命の危機にさらされて、思わず手放してしまったようだ。
あんなとこにあっては誰に踏みつけられるかわかったものじゃない。慌てて駆け寄り、掴み取かけたところで双海は一旦動きを止めた。
「……だよ」
「えぇ、あんたも物好きだよねぇ……かに」
廊下から少女の会話が漏れ聞こえてくる。そう大きな声でもないし、盗み聞きするつもりはなかったのだが、少女の声とはどうしてこう響きやすいのか。
聞き覚えがある声。片方は先程手の中にあるブツを双海に謙譲してくれた少女のものだった。
「だって、見た目は好みなんだもん。あんまし男臭くない綺麗系っての? 目少し青いのってカラコン……のわけないか。あれだけは捨てがたい! あいつってハーフかクウォーター? 色素全体的に薄いし。実はどこぞの金持ちの息子です!ってオチないかなぁ。あの顔で微笑まれるとキュンとすんだよね」
「ないないない。どんだけ乙女な発想だよ。きもい。見た目はまあまあだと私も思うけどさぁ。あれを彼氏とか……絶対無理だし」
残念ながら双海は純日本人だ。もしかしたら何代も前に異人さんがいたのかもしれないが、生まれも育ちも日本純粋培養である。鏡に映る己の顔に、もしかして拾われてきたのかもしれないと疑ったこともあった。写真がないのは環境のせいだとわかっていたが、最終手段と調べた戸籍は、間違いなく実子であることを示していた。
「そういや前にさ、元カノの話聞いたことあるんだけど。デートが全部公園で、喉渇いたぁっておねだりした時持ってきた飲み物、何だと思う? 水だよ、水! ありえないっしょ! もしオヤツとか言ってさっき渡したパンの耳渡されたら私ドン引きだよ!」
「ぶはっ、マジ?! んなもん恵んでたわけ? そういやあんたんちパン屋だっけ。それにしてもパンの耳って……双海ってば激貧すぎんだろ! 元カノ、猛者だな」
「恵むっていうかぁ。どうせ捨てるし、それなら目の保養しよっかなぁって」
「遠目で眺める分にはいいけどさぁ。あんだけやばい貧乏だと行き着く先って、寒いっしょ。ホストとか?」
「えーせめてモデルとかぁ?」
「無理無理。アルバイトもできない事情があるって聞いたことある。弟だか妹だか? 小さい兄弟がいるんだってさ。第一自分の容姿を上手いこと利用できるタイプならもちっと出世してるって」
女がもつ情報伝達力の半端なさはどういったからくりがあるのだろうか。人様の情報を流し合って盛り上がって何がそんなに楽しいのか。性別のせいか、そもそもの性格故かはわからないが、双海には全く理解できなかった。
「あれだよねぇ、双海くんって……ほら、残念なイケメン?」
「そうそう、それだ! ネタじゃよくあるけど、実際イケメンはイケメンじゃんって思ってた。でも実物見たらドン引きだって。あんな勿体ない生き物ありえない!」
「顔もー性格もー頭も悪くないのにー金がない」
「世の中金じゃないっていったりすっけど、それって金持ってる奴の発想じゃん? なさすぎたら惨めだよねぇ」
「いつの時代よって感じ?」
バリバリ平成生まれである。
双海は、よくもここまで他人をネタに口が回るもんだと感心しながら落し物拾いを再開する。
しゃがんだまま袋についた埃を払っていると、双海の肩にそっとでっかい掌が乗せられた。剣持だ。
どうやら彼も、少女達の明け透けな会話を聞いていたらしい。
「俺たちゃまだ十六歳だ。人生まだまだこれからだぞ! 残念なイケメンで何が悪い! お前の残念さは世の男達にとって好ましい個性だ」
身動きしない友人を見て落ち込んでいると勘違いしたのか、同情の眼差しで慰めてくる。さりげなく更に蹴落とされた気もしないではないが。
――そう、いずれにせよ大きな勘違いであることは間違いない。
双海は周りが思うほど気になどしていなかった。言いたい奴には言わせておけばいいし、表面的に付き合えばいいのだから。
「誰が残念だ。イケメンの基準はよくわかんねぇけど、この顔で貰えるもんがあるならラッキーだし。どう思われようが貰うもん貰いさえすればどうでもいいよ。恋愛とか、今んとこ興味ねぇし」
一応扉から離れて話し始める。心からの言葉だった。
「何つーかさ……女子ってすげぇなって感心してただけ」
剣持は相変わらず同情的な視線を送ってきて鬱陶しいが、自分の考え方が人と少しずれているらしいと自覚ある双海は、何を言っても正確には伝わらない気がして、それ以上の弁明を諦める。
袋についた埃を払い、通学かばんにしているリュックの中に大事に仕舞い込む。折角の朝ごはんを台無しにしてしまっては元も子もない。
「女子の情報網って半端ねぇよな、ああして情報流しあってんだなと思って」
「ああ、それわかる」
しっかりチャックを閉めながら言うと、背後でその様子を伺っていた剣持が同意してきた。気を利かせたのかどうかはわからないが、会話の流れが変わったのに安堵しながらそれに乗る。受ける謂れのない同情など、空々しいだけだ。
「女子の情報網ってマジ恐ろしい。お前の中学の時の彼女って別の高校だろ? よくそんな情報手に入れたよな」
「あれを彼女と呼んでいいものか謎だけどな」
当時の双海は、今以上に余裕のない生活をしていた。主な関心が「如何にして日々を生きていくか」だったので、周りに対するものまで割けなかった。その隙を突くように現れた一人の少女が周りをうろつくようになり、肯定も否定も面倒で放置していたら、いつの間にか彼女の位置にいた。実のところ顔すら曖昧だ。
「別れの言葉もすさまじかったよな」
「そうだったっけ?」
「ちょ、当人のお前が覚えてないのかよ!」
本当に記憶にない。存在自体、今会話に上げられて思い出したくらいだ。首を傾げる双海を恨めしげに見つつ、剣持の方が当人であるかのように顔を歪めている。
そうなると、そんなに凄かったのかと気になってくる。まるで他人事みたいに記憶を探ってみるが、思い出せたのは何か言い募っていた顔のない少女と、背後で思いっきり引きつらせていた剣持の面白顔だけだった。
「くっ……まあいい。覚えてないならそれで。ぶっちゃけ俺の方がトラウマだ。リアル女はこえぇ……」
でかい身体を縮こまらせて剣持が言う。乙女のように身震いしている様子に嘘はなさそうだ。頭一つ分でかい男にされたら実に気持ち悪い仕草だが、原因は自分にあるようだし、双海はあえて突っ込まない。
双海と剣持は中学の頃からの友人だ。正直、その剣持に関しても記憶は曖昧な双海である。
詳しい説明は省くが、ここまで長く双海という人間と関われたというだけで、剣持高志という人間は稀にみる根性と情の備わった人物だったということが言える。それくらい双海はやっかいな中学時代を経て今に至っているのだ。
「どこかにいないかな……見た目も中身も可憐で尽くしてくれる美少女……小さめの胸を気にしているとなおいい……」
うん、そうか。単なる馬鹿という説も捨てがたい。
馬鹿だから何を言われてもされても気にしない。
有力説が新たに芽生えたところで、いまだどうでもいい好みを言い連ねている剣持を無視して双海は自らの席につく。今日の晩飯をどう調達するか考えねばならない彼は忙しい。
「無視かよ! 俺だってわかってるよ? 贅沢な望みだって! でもさ、どこかにいると思うんだ、キラリちゃんみたいな美少女が!」
誰だキラリちゃんって。
双海は突っ込みそうになるのを堪え、意識を引き戻す。今日は裏山でキノコでも集めてこよう。『世界キノコ図鑑』と『食べられる身近な野草百選』を小五で丸暗記し終えた双海に怖いものはない。
「二次元にだって走りたくなるって! わかるだろ?! この世知辛い世の中じゃ……ポイズン」
双海のスルーを気にした様子もなく何故か歌っている。しかも文字数合わず、激しく調子っぱずれなのが痛い。
何がポイズンか知らないが、ご要望なら毒キノコくらいいくらでも食わせてやろう。キノコ博士に任せておけ。
「あ! そういや明日『マスミリア国物語』の発売日なんだよ」
本日の献立はマーガリンでなんちゃってキノコのバターソテーで一品決まりだ。これは妹の好物である。隣のおばちゃんから頂いたかぼちゃを使ってスープでも作ってやろう。後一品欲しいところだが、贅沢は言えない。
「お一人様一点までなんだけど、ソニア様バージョンとミリア様バージョンで分かれててさぁ。でもどうしても二つ欲しいんだよ……」
米が残り僅かだから、そちらを補給する方法を考える方が先だ。
そういえば昔、狩猟免許を取ることを本気で考えたことがあった。年齢も足りない上、肉を手に入れるまで金がかかりすぎるのでやめたが。
無事卒業して就職を果たすまでは、竿一本で獲れる魚で満足しておかねばならない。海まで自転車で一時間ちょっとかかるが、行けない距離ではない。ここ数年は、休日ごとにママチャリで足しげく通っている。お陰でボウズの日でも、顔見知りになった釣りマニアのおじさんが分けてくれることもあった。オマケにちょいと長い釣自慢が付いてくるが、聞くだけでお魚が頂けるのならご愛嬌だ。
「確かにミリア様は巨乳だよ?! だけど、あの清楚さは捨てられない……っ! ソニア様はツンデレなんだけど、素晴らしい微乳の持ち主でな……俺にどちらかを選べなんて、何の拷問だよ!」
いっそその拷問で死んでくれないかな、こいつ。
相手をされていないにも関わらず、剣持の口は止まらない。わかっているのだ。聞いてないようで聞いていることを。
双海とはそういう人間だった。言葉を逃さない――というより逃せない。五感が齎す情報を悉く受け入れ、逃せない作りになっている。だからこそ、残さない。殆どが蓄積という段階の選別で振り落とされる。
考えなければならないことなど山ほどあった。何故こんな人間に、こんな冗談みたいな人生が用意されていたのかと、神の配剤を呪いたくもなるが、生まれてしまったからにはもうどうしようもない。
全てが入ってくるからといってほいほい受け入れていれば、いつか壊れてしまうだろう。だから必要なものだけ受け入れることにした。当然の自己防衛本能だ。
そうして出来上がったのが、頭はいいが記憶力の乏しい、他人がどう言おうとどうでもいいと胸を張って言える、年齢そぐわぬ確固たる精神状態の少年だった。
ある意味逃げてるのかもしれないと思わなくもないし、そう感じるものもいるはずだ。だが、逃げずに得たものもあるわけだから、双海自身に問題はない。
双海は大きなため息を吐き出した。腐っても剣持は友人である。
「付き合えってか。朝から無駄にテンション高かったのはそれか」
「双海ぃぃぃぃ! 我が心の友よ!」
まだ付き合うとも言ってないのに剣持が瞳を輝かせ、むさ苦しい顔を寄せてくる。勘弁して欲しい。いっそ言葉通り心の中だけで友になろうか。うん、そうしよう。
双海の決意などいざ知らず、剣持は興奮のあまり鼻息荒く更に身を寄せてきた。彼の中の友に寄せる信頼ポイントがアップしたが、友からの親交ポイントは大幅ダウン。実に逆効果だ。
剣持は剣道部在籍中の、根っからのスポーツ馬鹿だが、コアなオタクでもあった。特に美少女が沢山出てくるゲームに夢中で、それが絡むと人が変わる。中学の頃は違ったように思うが、記憶が曖昧なこともあり、何がきっかけなのか双海にはわからない。高校に入学する頃にはこんな奴になっていたような気もする。
そうして気付けば何事にも無駄に熱い彼に巻き込まれ、付き合わされることが多くなっていた。パソコンやゲームなどといった、生活の余裕が齎す産物とは縁遠い生活をしている者にとって理解できないことだらけだが、ここまで好きなものがあるというのは大なり小なり羨ましいと思わなくもなかった。
「で? 貢物は何?」
――羨ましくとも好ましくとも、話は別だ。時は金なりという。双海の「時」は金でなくとも意味ある何かでなければならない。
「おお! 待ちたまえ御大。本日の貢物はこちらでございます……」
嬉しそうにいそいそと差し出されたのは数枚の紙切れ。だが、ぺらっぺらな長方形のチケットが、双海には輝いて見えた。
「な、なんだこれ……こ、こんなもの一体どこで……!」
双海は沸きあがる歓喜に打ち震えながら数枚のチケットを受け取る。予想以上のものだった。
これ一枚あるだけで、数日暮らしていける。
その名も――――
「はっ、お米券でございます。我が母堂より賜りしものでございます」
「お、お母様……!」
そろそろ周りの目が痛い。始業も近づき、教室には生徒の数が増えてきた。だが、双海の眼は手の中にある紙に釘付けだった。これで何日飢えずに暮らせるか。考えただけで涙目だ。
早速今日の帰宅途中、一番安い米を買いだめしようと堅く決意する。細い体のどこにそんな力がと驚かれるが、米なら十キロ三袋を余裕で抱えられる。
ただし、自らの財布に痛みのない時に限るが。
「うちのおかんの実家、米農家なんだよな。なのに何を思ったのか、どこぞの御仁がそれを送ってきたらしくて。うちも今年分の米、大量に貰ったばっかだからさ。どうしよかって迷ってて。んで、思わずお前の事情話したら、涙ながらにあの『イケメン葉くん』にあげなさいってくれた。イケメンを強調しすぎておとんが微妙な顔してたけどな! 多分また来たらくれると思う」
小芝居に飽きたのか、素に戻った剣持が事情を説明してくれる。お言葉にときめきすぎて死にそうだ。
「俺……お前んちのおかんに求婚したくなってきた……お前、俺の息子になるか?」
「真顔で言うのやめて! うちのおかん本気のイケメン好きだからマジでやばい! おとんが路頭に迷うから!」
新たな小芝居でとんでも提案を跳ね除けた剣持だったが、そこでふと真顔になる。不審に思いじっと見つめていると、苦笑が返ってきた。
「えっと……よかったか? おかんに話しちゃって」
少し逡巡した後、彼の意図を察した双海は、小さく笑う。
「むしろ今、話してなかったことに驚いている」
「そうなのか?」
「ああ。隠してもない。だからお前の判断で好きにすればいい。でもまあ――」
少しの驚きと感動。嬉しいような照れくさいような、僅かな苦味が混じったそれは、意外に心地いい。この若さで、人を思いやることが普通にできてしまう剣持は、恵まれた環境で育ったのだろう。それは金銭面とかそういうことだけじゃなく、そういうものも全て含んだ心に恵まれた環境。
「――変態だけどお前って良い奴だなぁと今思ってる」
「そうかそうか……って、変態?! 誰のこと?! 一言余計だよ?!」
「悪い、俺、根が正直だから……」
「マジな顔で言わないで! 俺が本気の変態みたいじゃん!」
『微乳を恥らう少女』話で、一晩眠らせて貰えなかった記憶新しい双海にしてみれば、妥当な評価だった。
「今日は本気で並ばせてもらうよ。目の前でガンガン横入りされて、売り切れになってまあいいかとか思わないようにする」
「うんうん、そうかそうか、横入りはよくないよな……って、ちょっと待て! お前、前回もしかしてそれで買い損ねたとか?!」
「よぉし! 俺、本気で頑張るぜ!」
親指を立てて爽やかに宣言する。ここでの『本気』はもちろん『マジ』と読む。
「あの時流した俺の悔し涙は?! ねぇ?! おま、前回渡した貢物を返せェェェェ!」
残念、あの時頂いた駄菓子セットは既に妹達の腹の中だ。
素直に感謝を示すのは中々に恥ずかしいものなのである。ちょっぴり達観してるからといって、双海もそういう羞恥を持つくらいには少年だった。
ここまで呆れず見捨てず友達やってくれている剣持に、それなりに感謝をしている。
それなりに沢山救われていた気がする。
もちろん、そこまで口にするかどうかは別の話だが。
――――どうせなら、口にしてやってもよかったのかもしれない。
彼自身に会うのは、これが最後なんだから。
後からするから後悔なんだって、誰が言ってたんだっけ?
「剣持……っ!!」
迫る大きな影に、咄嗟に体が動いた。反射的すぎて、自分が何をしているのかわからない。
精一杯腕を伸ばし、自分でも驚くくらいの力で大きな身体を突き飛ばす。
視界の端で、カラフルな箱が転がるのが見えた。先程手に入れたばかりのなんたら国物語とかいうゲームだ。そうそう、『マスミリア』だったか。
早朝から付き合わされて凄く眠かったが、これのお陰で昨日は腹いっぱい思う存分米を食した。昼用に握り飯もたんまり作れた。
ああ、今日も即効帰って晩飯作らないといけないのに。
最近少々生意気さも増したが、言うこと成すことしっかりしてきた妹の顔が浮かぶ。まだ小さく、お迎えが必要な弟。今日は珍しく早く帰れそうだから、母が帰りに迎えに行くと言っていたけど、大丈夫だろうか。漸く働くことに慣れてきた母に、あまり無理はさせられない。
そういえば今日、何か大事な話があると言っていた。何だったのだろう。帰って聞いてあげないといけない。
「双海!!」
悲痛な呼び声。倒れ込みながらこちらに身体を向けた少年と視線が絡んだ。凄い顔をしている。
身体を捻り、必死に双海へと手を伸ばそうとしている。流石スポーツ馬鹿。凄い運動神経だ。見たこともない必死な表情は、こんな時だというのに笑えた。
こんな時でも、ほんの一瞬の情報を逃さず拾う自分という存在は、何なのだろう。
転がっていた箱が潰れた音がする。折角手に入れたのに、あれじゃあもう使えない。
悪いな、剣持。今回ばかりは許してくれ。
「ど……」
何か言おうと口を開いた。
だが全身を襲った衝撃で、途切れる。同時に前のめりになった先にある掌に、何か痛いくらい別の感触があった気がするが、めまぐるしく回る視界のせいでそれを確かめることは適わない。痛みなんて飽和して、感触ごと何処かへ飛んでいってしまった。
ゆっくり閉じられた視界の内側が真っ白に染まる。こういう時、真っ暗になるもんだと思っていたが違うようだ。
何処かに浮遊しているような、足元の覚束ない感覚。そもそも足元などないのか。
(どうせ死ぬなら可愛い子助けて死にたかった)
双海だって男の子である。
何もこんな時に発揮しなくてもいいとは思うが。
(ごめん、母さん、千佳、健太)
後悔はしてない……といったら嘘になる。だが、もしまた同じ時に戻されても同じことを繰り返すだろう。
(お前のせいじゃないから、気にすんなよ)
もし本当にこの声が伝えられたとしても、彼なら自責の念に苛まれるに違いない。
(みんな、本当にごめん……)
しかし一体何なのだろう。
夢だと自覚した夢の中にいるようだ。
先程まで感じていた現実感は、確かに消えている。
これって所謂あれか?
死後の世界ってやつ?
どうせ死ぬなら晩飯作ってからとか、少し安心できたのに。
今日母さんが作るのかな。
あの人の料理、殺人的にまずいのに。
あれを一番食べたのって俺だよな。千佳が物心付くころには俺が作るようになってたし。
ああ、俺、死んだのか。
そうだよな、あんなでけーのにぶつかって生きてるなんてこと、ありえない。
双海の中を、いろんな想いが浮かんでは消えていった。
「どうしたもんか……」
誰に言うともなし口に出し、少し悩んでみて、固まる。
口に?
悩む?
何故?
「え?!」
目を見開く。そもそもその動作すら双海を混乱に陥れた。
閉じても開いても真っ白だった。それを知覚している。
「お、俺死んだんだよな……これが死後の世界ってやつか?」
見回してみても何もない。そこで漸く双海は自らの身体に意識を向けた。
痛みも何もない、普通すぎる状態の自分の身体。のろのろと見下ろせば、今日着ていたパーカーとジーパンが目に入る。特に汚れている様子もない。
ここはお約束的に頬でも抓ってみるかと、両脇に付いていた手を持ち上げようとして違和感に気付いた。
右手に絞られているような感覚がある。親指以外、指一本動かせない。
まるで何かが力ずくで掴んでいるかのようだ。というか頬を抓らなくても痛い。
死んでても痛いらしい。などと、顔を真っ青にしながら考え――――
「うわあぁぁぁ!」
叫んだ。我ながら情けない叫び声が飛び出た。
これまでの経験上、結構動じない性格を築き上げたと自負していた双海だったが、こればかりは叫ばずにいられなかった。
「な、な、なんだこれ、怖い! きもい! ありえない!!」
ブンブン振り回した右腕の先で、肌色のものがグルグル回っている。がっしりと右手を掴んで離さない――――右腕。
ちょうど肘から少し上くらいまである右腕が、単独で双海の掌にくっついていた。
非常に、多大に、この上なく、気持ちが悪い。
どうにかして離そうと床に打ち付けたり足で押さえつけて引っ張るが、一向に取れる気配はなかった。
状況把握も自分が多分死んだのだろう嘆くべき事実も吹っ飛び、必死になる。
『いた、いた、いたい!!! やめ、やめろ!! ふっ、双海、俺だ、俺!』
そこに至って漸く頭の中に響く声に気付いた。何故か頭の中に直接聞こえてくる。聞こえてくるという表現はおかしいのかもしれないが。今働いてるのが聴覚でないことだけはわかった。
「死んでまでオレオレ詐欺とかありえねぇし!!」
流石の双海も相当混乱しているのだ。訳の分からない返答と共に、足で腕を踏みしだく。
『ちょ、やめ、折れる、折れるから! だから俺だって、双海、けんもちけんもち!』
「餅は好きだが腕はいらん! 呪いの腕はお断りです!」
もう自分が何を言っているのかすらわかっていない双海は、足と左手を使って梃子の原理でぐいぐい押し引いた。
『あああああ、折れる折れる折れる! アホかぁ! お前の親友、超絶美麗筋肉のモテモテ剣持だっつってんだろ』
「筋肉馬鹿なら知ってるが、美麗筋肉など知らん!」
『ビバ微乳! 微乳世界一! 二次元では負けなしモテモテの剣持くんだぁぁぁ!!』
「…………え? 剣持……?」
そこまでして漸く双海の動きが止まった。
『ちょっ……待って。そこで納得する? 微乳だけが俺のアイデンティティ? レーゾンデイトル?』
唖然としすぎてフォローはまだしも突っ込みさえ儘ならない。双海は右腕を持ち上げる。ぶらんとぶら下がったそれが、捩れながら自ら揺れている。どうやら拗ねているようだ。
「け……剣持、なのか?」
『だからさっきからずっとそうだっつってんだろうが!!』
頭の中に直接反響するものだから、頭痛がする。先程は混乱で意識する間もなかったが、耳から大声を流し込まれるより効く。
「いっつ……」
『あ、わりぃ、大丈夫か? 何? 大声出したらやばい』
急に小声で愁傷になる様子に、間違いなく剣持だと確信する。
状況は掴めないが、腕のみとはいえここに剣持がいる事実に、最悪の事態を予想してしまった。
「けん、もち? じゃあお前、もしかして……」
『ああ、何? 俺も死んだのかって心配してるの?』
言いよどんだ双海の言葉を汲み取り、剣持が先を続ける。気遣いは人一倍できても、見た目そのまま大雑把で人の機微に疎い剣持にしては察しがいい。
ここで双海はとあることに気付くべきだったが、生憎この時そこまでの余裕はなかった。
「そうだ。俺がしたこと無駄になんだろうがっ」
内心激しく動揺していた。口にしながら、本当にその通りだと思った。元気で生きていってくれないと報われないではないかと。
『傲慢だなぁ。残されたものはどうすんだよ。俺、後悔に苛まれて生き続けるぜ?』
「それでも……人間ってのはどんな強い感情が働いても、生きてる限り時間が解決してくれる」
双海は身を持ってそれを知っていた。
『だな。数年はアホみたいに落ち込むし、俺、右利きだったからちょっと大変だろうけど、何とかすんだろ。俺だからな!』
「え?」
何事もなかったかのように言い放った腕は、ゆらゆらと左右に揺れている。
『俺、生きてるぜ? このとおり、腕は無くなっちゃったけどな! 俺なら左腕だけでも片手剣とかつって、剣道も続けるだろうなぁ。うんうん、前向き通り越した前倒れだけが取り得だし?』
「左腕、だけ?」
『そう、右腕はここにあるっしょ? あーあ、結局助けられるだけで助けることができなかったなぁ……すまん、双海』
「そ、それは俺の台詞だろうが!! 右腕無くして生きてくってことだろう?!」
『だけど、俺は生きてる』
後悔の言葉はもっと大きな後悔で打ち消される。顔はないが、剣持がどんな顔をしているかわかった。
『お前のお陰で【俺】は生きてゆける。ありがとな、双海。そんでもって、ホントごめん』
そうして、掴まれた腕の力が強まる。それは、剣持の決意を表すかのような力強さだった。
『お前の家族のことは俺が出来る限りのことをするって約束する。ていっても、ここにいる【俺】は厳密に俺じゃないから、あまり意識を繋げることはできないんだけど。何となくそう決意してるのがわかる。俺なら絶対そうする。いや、でもこんなことで返せる恩じゃないってのはわかんってんだけど』
気付けば双海は、零れ落ちる鼻水を必死にすすっていた。
――――なんだ、自分は泣いているのか。
空いてる左腕で顔を拭うが、どんどん濡れて止まらない。こんなに泣いたのはいつ以来だろう。きっとすぐには思い出せないくらいには昔の話だ。たかだか十七年の人生で、昔もクソもないとは双海も思うが、それでも、彼にとってこの十七年は重い。
「……頼む。頼んだ、剣持」
『そうそう。それくらい素直に頼んでくれた方が気も楽だっつーの。俺高スペックだから、片手でも何とかなるなる!』
子供みたいに泣いてる双海には触れず、いつものような軽口を叩いた剣持は、多分気の抜ける豪快な笑顔を浮かべているのだろう。
ここにあるのは腕のみだけど。
だから双海も、沸いてくる悲しみや喜び、ちょっとの照れくささと後悔を吹き飛ばすように笑った。