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今は昔。

帝と貴族が国を治めていた時代。

碁盤の目のように区切られた都。

人々は妖の存在を信じていた。


柳の葉揺れる 夜の都に 数多あまたの妖 通りまする―――――……



*    *    *



「どうしたものか」

男は困ったように呟いた。

日はもう暮れて、夜の帳が下りてしまった。


男は普段からふらふらと出歩いているので家に帰らずとも問題は無い。

しかし高いとはお世辞にも言えない身分ゆえに出歩く時についてくるとものものなどいない。

狩衣姿の男は夜の都で一人、どう夜を明かそうかと考えているのである。


男は源行昌(みなもとのゆきまさ)という。

歳は二十を少し過ぎたばかりである。

彼は式部省に勤める官吏ではあったが、貴族の括りに入れるような身分でもなかった。

その上、二人の兄がいたため親の期待もないに等しい。


貴族でもなく、しかも嫡男でもない者の将来に、明るいものはあまり見えないのが世の常。

仕事を真面目にするだけで出世出来るわけないのだから。


(こんなに遅くなるなんて聞いてはいないんだがなぁ)

行昌は荒れ果てた家も多く並ぶ通りを狩衣姿で歩きながら、この仕事を引き受けたことを後悔した。


上司である藤原成隆ふじわらのなりたかに近くまで使いとしてこの手紙を届けてくれと言われたのは出仕してそう経たないうちだった。

「使いと言ってもちょっとした知り合いに届けてもらうだけなんだ。正式な仕事ではないから、一人で行ってきてくれ」


勿論徒歩である。

遠慮したいと思ったが、成隆のやんわりとした口調に流され、断る機会を逃してしまった。


その知人の家は山奥にあった。

内裏からは恐ろしく遠く、着いたのはもうすぐ日も暮れかけるような時間だった。

成隆に言われた場所には小さな庵があり、何人かの女房とひっそりと暮らす若い女が居た。

庵の主であろうその女は行昌から手紙を受け取ると、行昌に恥らいながらも幸せそうに礼を述べた。

御簾越しだったために顔は見えなかったが、おそらくそれは紅く染まっていただろう。


女は、彼の新しい恋人のようだった。

手紙の礼を言われた時にそれに気付き、行昌は心の中で大きな溜息をついた。

(確かに、正式な仕事ではないな。これは公事ではなく私事だ)

仕事をさぼったことにはならないだろうが、日がくれるまでに帰宅するのは不可能になった。



(いいように使われたな、私は)

あの上司のことだ、明日出仕しても何事も無かったかのようにけろりとして私を迎えるのだろう。

そういう人だ。


「あぁ……」


家まではまだだいぶある。

おまけに、雨が降り出しそうなどんよりとした空模様である。

どこかに一晩泊めてもらいたいのだが、荒れ果てた、人が住んでいるのかどうかもわからないような家が並ぶこの辺りではそんなことは無理のように思えた。

(このまま歩くのは無理だろうなぁ。何が出るかわからないし。弱ったな)



「もし……そこの殿方……」

途方にくれながらもとにかく進まなくてはと歩いていると、突然前方から声がした。

どうしたものかと考えながら歩いていたため、一瞬誰のことだかわからなかった。

「貴方様です。萌黄もえぎの君」

そう言われて、萌黄色の狩衣を着た自分のことかと気付いた。


声のする方を見ると、道の端に月明かりに照らされた女童めのわらわが立っていた。

上流貴族の家に居るような、立派な衣服を纏っている。

(何故こんな処に)

行昌は驚いて女童を見つめた。

女童は行昌と目が合うと、微笑んで尋ねた。

「今晩の宿をお探しでしょうか。もしそうでしたら、お連れするようにと主が」

「主?この近くに住んでいるのか」

「はい。ですから……、あぁ、でも」

女童は行昌がこれから恋しい人のところへ行くのかもしれないと思ったのか、言葉を一度切ってから

「もう行く先が決まってらっしゃるならどうぞお行き下さいませ」

と付け加えた。


「いや、行く先は自宅だ。だが、このまま歩いても夜明けまでに辿り着けるかわからぬ。泊めていただけるならありがたい」

行昌は素直に答えた。

このような荒れた場所にこんな女童のいる家があることも驚きだったが、何より屋根の下で眠れるかもしれないということが嬉しかった。

「ではこちらに」

女童は行昌の答えに微笑み、彼を案内した。


通りからはずれ、細い道を少し歩くと女童の主の屋敷についた。

大きさこそ小さいものの、造りは立派で、手入れの行き届いている屋敷だ。

屋敷に入った行昌は、一つの部屋に連れてこられた。

「ただいま主が参ります。ここでお待ちくださいませ」

行昌が部屋の円座わろうだに腰を下ろすと、女童はそう言って部屋から出て行った。


一人になった行昌は、ゆっくりと部屋を見回した。

置かれている調度品は全てしっかりと管理されているようで、傷んでいるようなものは無い。

(この屋敷の者たちはよほど真面目に働いているのか?)


さっきの女童もそうだ。

声やしぐさは歳相応なのに、口調と微笑み方がやけに大人びている。

微かに色っぽささえ感じてしまうような女童だ。

それも主の性格のせいなのだろうか。


ぽつ、ぽつ、と庭の木々の葉や屋根に雨粒の当たる音がした。

音の数はすぐに多くなり、さあさあと雨が降りだした。

行昌はあのまま歩いていたらこの雨でずぶぬれになっていたと思い、今、屋敷の中にいられることに安堵した。


ところが、

(……やけに静かだな)

部屋でしばらく待っていると、そんなことに気がついた。

(人、女童あれの他にもいるよな)

ここまで手入れされている状態を維持するには、何人もの使用人がいるはずだ。


日は暮れたといってもまだ宵の内を少し過ぎた頃である。

屋敷のもの全員が寝ているはずは無い。

この屋敷はそんなに大きくないように見えた。

ならば近くの部屋にも誰か居るはずだろうに、声どころか物音1つ聞こえない。

人が部屋の前を通るような気配も無い。

それに、一人でこんなに待たされているのに白湯さゆすら出てこない。


(何なんだ)

行昌は今いる場所が急に不気味なところに思えてきた。

(事が上手く行き過ぎているとは思ったが)

もしかしたら入ってはいけない処に踏み込んでしまったのかもしれないなと思わず溜息をついた。


すると、しゅるしゅると布が床に擦れる音が聞こえてきた。

音の主である一人の女が先程の女童を連れて行昌のもとへやって来たようだ。

女は行昌とは御簾を挟んだ隣のに入り腰を下ろした。

女童は行昌の部屋の方に入り、御簾の傍に座った。


「お待たせして申し訳ありません。わたくしがこの家のの主にございます」

女が行昌に言った。

声からしてまだ若い女だ。

自分よりも年下かもしれないと行昌は思った。

(今日はやたらと女主に縁がある)


「私は源行昌と申します。仕事の都合で今夜中に家に帰れそうもないので、ここに泊めていただきたいのですが」

女は柔らかな声で答えた。

「どうぞお泊り下さい。このような場所ですから何もおもてなしできませんが」

「いえ、このようにきれいな屋敷に泊めていただけるなど思ってもいなかったもので、お気遣いなく。

私の方こそ、お礼になるようなものはあいにく何も持ち合わせておりません。後日何か礼の品をお届けしましょう」


行昌が言うと、女ははっきりいいえと言った。

「お礼の品などは要りません。ただ、この屋敷のことを誰にも話さぬと約束してくださいまし。それで十分でございます」

御簾で表情は見えないが、女は微笑んでそう言っているように聞こえた。

「ですがそれでは、見ず知らずの自分を泊めてくれた主殿あるじどのに失礼で」

「いいえ」

女は再び言った。


「私は勝手に貴方様をお招きしたのです、行昌様。――――ですが、どうしても気がすまないとお思いでしたら」

女は言葉を切ると、すすっと御簾のすぐ傍まで寄ってきた。

灯で女の影が御簾にくっきりと映る。

行昌は無意識のうちに緊張していた。

一体何を言われるのだろう、と。


だから

「一晩、わたくしと語り明かしてくださいませ」

という言葉を聞いて拍子抜けした。

それのどこがお礼なのだ、と。


女は言葉を続けた。

「奇妙だと思われたでしょう?この屋敷、あまりに静かだと」

「はい、少し」

行昌は素直に答えた。

「こんな処にやたらと手入れの行き届いた屋敷が建っていることも」

「はい。……あなたは、一体」

そう言ったとき、ふふっ、と女が笑ったような気がした。


だが次の瞬間、女は自分の前にあった御簾を右手でぐいっと押し上げるとするりと行昌のいる間の方へ入ってきた。

「なっ!!」

行昌は目をみはり、声を失った。

女の行動にも驚いた。

けれど何より驚いたのが、女の髪が長く、艶があり美しい、真っ白なものだったからだ。



「あ、ああ、あなたは……」

女は黙ってさらにするすると行昌の方へ寄ってきた。

けれど、行昌は女を怖いとは感じず、逃げずにただ驚いて座っていた。

顔を扇や袖で隠そうと、女は思っていないらしい。

行昌の目に映る女の、髪にも負けぬ色白の顔はは微笑ほほえみを絶やさない。

(やはり私より年下に見える)

ふとそんなことを考えた。


女はぴたりと、行昌の目の前で止まった。

そして目を合わせて

「驚かれましたか?」

と言った。

さっきまでの柔らかなものとは違う、感情の無い無機質な声だった。


「恐ろしい化け物だと、あやかしだと思われましたか?」

女は行昌をじっと見つめて問う。

顔のつくりは人間のそれと同じとは思えないほど美しく、愛らしい。

「いや、驚いたが、怖いとは、思わ、ない」

偽ることなく素直にはっきりと言った。

自分でもよくこんなに冷静に答えられたなと行昌は思った。


女ははっと驚き、それから困惑したような表情をした。

行昌の言葉が予想していたものとは違ったらしい。

「どうして、どうして恐ろしいと思わないのです。見ての通りわたくしは人ではありません。行昌さま、貴方を喰ろうてしまうやもしれませんよ?何故逃げようとなさらないのですか」


それは先程までの感情を持った女の声だった。


「……主殿が」

行昌はゆっくりと言葉を選んだ。

ここを飾った言葉だけで逃げ切るのは、女に対して失礼だと思った。

「主殿が私を喰らうおつもりなら、わざわざ屋敷に招く必要はありません。私は人がいるのかどうかもわからないような場所をぼけっと独りで歩いていました。隙ならいくらでもあったはずです。それに」

右手を伸ばし、目の前に座る女の白い髪にそっと触れる。

癖のない真直ぐでつややかな髪だ。


女は嫌がることもせず、ただ行昌の目を見ていた。

行昌も、その目をそらさなかった。

「喰う相手に会うために、このような格好はしないでしょう?」


女は藤重ねの細長をまとっていた。

細長は準正装の装束だ。

(誰もいないこんな場所で、いつもそんな服装はしないだろう)

おそらく、行昌を招くために支度したのだ。

屋敷に着いてからしばらく待たされたのもそのせいなのかもしれない。


行昌は、静かに問う。

「教えてください。主殿は、何ものですか」



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