無能だと神剣の一族を追放された俺、実は【神殺しの息吹】の唯一の正統継承者だった 〜世界の理を操る最適な呼吸で歩くだけで、異形の王たちが勝手に塵に還っていく件〜
千年の歴史を持つ鬼殺の最高峰、緋ノ神家。
その本邸の奥深くにある地下牢は、いつも血と黴の匂いが立ち込めていた。
「おい、無能。時間だ。さっさと出ていけ」 鉄格子の向こうから、冷ややかな声が響く。
そこに立っていたのは、純白の隊服に身を包んだ私の実の兄であり、緋ノ神家の次期当主、天馬だった。
彼の腰には、選ばれた剣士にしか与えられない特製の変色刀が鈍い光を放っている。
私はゆっくりと立ち上がった。
手枷や足枷がガチャリと重い音を立てる。
私の名は焔。
この緋ノ神家の当主の次男として生まれながら、十五歳になる今日まで、この地下牢に幽閉されていた。
「……追放、ですか」
「そうだ。我が一族は、闇から現れ人を食らう異形『妖鬼』を屠るため、呼吸法を操る選ばれし戦闘集団。お前のように、一族の基本である『焔の呼吸』を1ミリも使えない木偶の坊を、これ以上養う余裕はない。父上もお前の存在を緋ノ神家の汚点だと仰っている」
天馬は吐き捨てるように言い、牢の鍵を開けた。
私は何も言わずに歩き出す。無能。汚点。出来損ない。幼い頃から一万回は聞かされた言葉だ。
緋ノ神家では、呼吸法によって肺を拡張し、血液の循環を急激に高めることで、人間の身のまま鬼を両断する身体能力を得る。
天馬をはじめとする一族の人間は、私の肺から何の「音」も「気配」も感じ取れないため、私を呼吸のできない無能だと決めつけていた。
だが、彼らは致命的な勘違いをしている。 私の呼吸が彼らに感知できないのは、できないからではない。 彼らの操る『焔の呼吸』があまりにも「浅く、未熟で、不完全」だからだ。
私が使っているのは、一族の始祖すら数百年前に失伝した、すべての属性の源流にして頂点――『神殺しの呼吸』。
その呼吸は、あまりにも深く、あまりにも静か。
あまりに最適化され尽くしているがゆえに、並の剣士の五感では、ただの「呼吸の停止」にしか見えないのだ。
「これを持っていけ。一族の情けだ。二度と緋ノ神の姓を名乗るな」
天馬が私の足元に放り投げたのは、刃毀れした錆びだらけの鉄の刀だった。
まともな剣士なら、鬼の硬い首を前に一瞬で叩き折られるような代物。
しかし、私はそれを静かに拾い上げ、腰の帯に差した。
「ありがとうございます。お世話になりました」
「ふん、さっさと失せろ。せいぜい野良の鬼に食い殺されんことだな」
天馬の嘲笑を背中に浴びながら、私は千年間続いた壮麗な屋敷の門をくぐり、一歩外へと踏み出した。
空はどんよりとした曇天。空気は冷たい。
しかし、私の胸を満たしていたのは、かつてないほどの解放感だった。
これでようやく、あの狭苦しい地下牢から解放される。自分の好きなように息ができる。
門から数町ほど歩き、鬱蒼とした竹林の街道に差し掛かった時のことだ。
ぞわり、と周囲の空気が凍りついた。
竹林の影から、不気味な、ねっとりとした殺気が染み出してくる。 ベチャリ、と重い足音が響き、目の前に巨大な影が現れた。
「ヒヒッ、ヒヒヒヒッ! いい匂いだ、上質な人間の匂いがするぞォ!」
それは、人間の三倍はある巨体に、四本の腕を持つ醜悪な化け物――妖鬼だった。
肌はどす黒く変色し、口からは青白い涎を垂らしている。 並の人間なら腰を抜かして失禁する恐怖の象徴。
緋ノ神家の一般隊士でも、数人がかりでなければ仕留められないレベルの鬼だ。
「おいおい、なんだァ? その貧弱な体。刀を持ってるってことは緋ノ神の回し者か? だがそんな錆びたナマクラじゃ、俺の首の皮一枚も傷つけられねえぞ!」
鬼は四本の腕を激しく打ち鳴らし、猛烈な速度で突進してきた。地面が地響きを立てて揺れる。
距離は一瞬で詰まる。鬼の爪が私の顔面に迫る。
私は、ただ静かに佇んでいた。 身構えもしない。構えなど必要ない。
肺の最奥、細胞の隅々にまで、世界の理そのものを引き込むように、深く、果てしなく深く息を吸い込む。
体内の全血管が、神聖な熱量で満たされる。
私を中心とした半径数十メートルの全空気が、一瞬で真空になったかのように張り詰めた。
鬼は、その劇的な変化にすら気づいていない。
『神殺しの呼吸・第零型』 私は腰の錆び刀の柄に手をかけた。 抜刀。
『――神寂』 パシッ、と。 ただ、それだけの音が竹林に響いた。
私は刀を抜き、一閃し、すでに鞘へと収めていた。その間、瞬きの一回すら満たない。
「ガ……ハ……?」 鬼の動きがピタリと止まった。
突進の勢いのまま、四本の腕が、そして巨大な胴体が、まるで繊細なガラス細工が割れるように、縦横無尽の細かい線に分かれて崩壊していく。
「な、なんだ……何が、起きた……? 痛みが、ない……? いや、俺の肉体が……消え……っ!?」
鬼の首が地面に落ちる。しかし、地面に触れる前に、その肉体は黒い塵へと変わっていった。
鬼が再生を試みようとする意志すら、私の刃に込められた『神殺しの気』によって完全に分解され、消滅していく。
鬼滅の剣士たちが使う変色刀は、太陽の光を吸収した金属でできているから鬼を殺せる。
だが、私の『神殺しの呼吸』は、呼吸そのものが太陽、いや、星の運行そのもののエネルギーを体現している。
そのため、どんな錆びた鉄くずであろうと、私の手が触れ、私の呼吸が乗れば、それは神を穿つ絶対の神剣へと変わるのだ。
私は小さく息を吐き出した。 私の通った跡には、黒い塵すら残らない。
ただ、爽やかな風が竹林を吹き抜けていくだけだった。
それから数日、私はあてもなく旅を続けた。
路銀は幽閉される前に母の形見として隠し持っていた僅かな小粒銀だけだったが、贅沢をしなければ十分だった。
何より、自分の意志で歩き、自分の意志で夜を迎え、朝起きるという生活そのものが、私にとっては奇跡のような幸福だった。
ある日の夕暮れ時。山あいの小さな宿場町へ向かって歩いていると、街道の脇にある崩れかけたお堂から、激しい争う音が聞こえてきた。
「嫌ッ! 来ないで!」
「ケケケッ! 泣け、叫べ! その新鮮な血の匂いが、俺たちの食欲をそそるんだよォ!」
人間の少女の悲鳴と、複数の鬼の下劣な笑い声。
私はお堂に足を向けた。中を覗き込むと、三匹の小柄な鬼が、一人の少女を囲んでいた。
少女は着物が破れ、地面に這いつくばって怯えている。 だが、違和感があった。
鬼たちが襲っているその少女――彼女の頭部には、小さな、美しい漆黒の角が生えていた。
彼女自身もまた、鬼だったのだ。
「お前、鬼のくせに人間を食わないからそんなに弱いんだよォ!」
「同じ鬼の面汚しめが! 人間を食わねえなら、俺たちの栄養になりやがれ!」
なるほど、と私は納得した。
鬼の中にも、何らかの理由で人を食うことを拒み、結果として同類から実の不届き者として迫害される個体が存在するらしい。
彼女から漂う気配には、他者を害するような濁った殺意が一切なかった。
あるのは、ただ純粋な恐怖と、生き延びたいという願いだけ。
「そこまでにしてください」 私が開け放たれた扉から堂内に入ると、三匹の鬼が一斉に振り向いた。
「あァ? なんだお前。ただの人間か?」
「ひゃはは! 丁度いい、鬼の肉じゃ口直しにもならねえと思ってたんだ。美味そうな人間が向こうから歩いてきやがった!」
三匹の鬼が、四足歩行の獣のような歪な姿勢で、一斉に私へと飛びかかってくる。
壁を蹴り、天井を這い、死角から私の首を狙う連携。私は一歩も動かない。
ただ、肺の機能をほんの僅かに、解放する。
『神殺しの呼吸・漆ノ型』 彼らの鋭い爪が、私の衣服に触れるよりも早く。
『――星穿ち(ほしうがち)』 突き。 それは一本の細い光の線だった。
私が放った一突きの衝撃波が、お堂の空気を文字通り「割った」。
目にも留まらぬ速さで繰り出された三回の連続突き。
それはあまりにも高速だったため、完全に一本の光の束に見えた。
ドン、と。 お堂の背後の壁に、綺麗な三つの巨大な穴が空いた。
そして、空中にいた三匹の鬼は、その穴を通過する前に、胸の核ごと完全に蒸発していた。
細胞の一つすら残らず、光の粒子となって消えていく。
「え……?」 地面にへたり込んでいた角の少女が、琥珀色の大きな目を丸くして私を見上げていた。
何が起きたのか、彼女の貧弱な鬼の動態視力では全く理解できなかったのだろう。
ただ、自分を殺そうとしていた凶悪な同類たちが、目の前の人間の少年が軽く腕を振っただけで、この世から消滅したという事実だけが残されていた。
「怪我はありませんか」 私は刀を鞘に収め、彼女に向かって手を差し伸べた。
少女はビクリと体を震わせ、差し出された私の手を恐る恐る見つめ、それから小さく頷いた。
「あ……ありがとう、ございます……。あの、私、鬼なのに……怖く、ないんですか……?」
「人を食わない鬼なのでしょう? なら、私にとっては、あなたが人間であっても鬼であっても変わりありません」
私の言葉に、少女の目から大粒の涙が溢れ出た。
彼女の名は、こよみ、と言った。
数年前に突然鬼に変異させられ、それ以来、人間からも鬼からも追われ、孤独に隠れ住んでいたらしい。
こよみは「行くあてがないのなら、お供させてください。私は戦えませんが、家事や身の回りのお世話ならできます」と、健気に私の後ろをついてくるようになった。
それから、私とこよみの奇妙な二人旅が始まった。旅の途中、私たちは何度も鬼に遭遇した。
街道を脅かす大蜘蛛の鬼、旅人を誘い込む幻術の鬼、触れたものを腐らせる沼の鬼。
いずれも、巷であれば多くの熟練剣士が命を落とす凄惨な化け物たちだったが、私の前では等しく無力だった。
『神殺しの呼吸・弐ノ型・水鏡』刀をただ横一線に払う。
それだけで、津波のように押し寄せていた鬼の群れが、一瞬で綺麗な鏡面のように二つに裂け、そのまま塵へと還っていく。
「すごいです、焔様! 今日も一瞬でした!」 こよみはパチパチと小さな手を叩いて喜ぶ。
彼女は旅の間に、私がどれほど圧倒的な力を持っていても決して傲らず、ただ淡々と、当たり前のように人々を救う姿を見て、深い尊敬を寄せてくれるようになっていた。
彼女の存在は、地下牢で孤独に過ごしてきた私の心を、少しずつ温めてくれた。
「大したことはしていませんよ。彼らの動きがあまりにも遅いだけです」
私は微笑みながら、錆び刀についた僅かな灰を払い落とした。
私にとっては、これが日常だった。
家を追われ、無能と罵られた少年が、外の世界では神の如き一撃必殺の体現者として、ひっそりと、しかし確実に世直しを続けている。
そんな私たちの旅が、ある大きな転機を迎えたのは、旅を始めて数ヶ月が経った頃。 かつて私を追放した緋ノ神家の領地に近い、大規模な鉱山街に立ち寄った時のことだった。
街に入った瞬間、異常な雰囲気が漂っていることに気づいた。 住民たちは皆、家の中に閉じこもり、ガタガタと震えている。
空には、不吉な血の色の暗雲が立ち込め、街の中心にある巨大な採掘坑の方角から、大地を揺るがすような咆哮が響いていた。
「焔様……この匂い、危険すぎます。今まで出会ったどの鬼よりも、禍々しくて、冷たい匂いがします……っ」こよみが私の袖をギュッと掴み、恐怖で角を小刻みに震わせている。
確かに、これまでにない密度の妖気だ。
通常の鬼とは次元が違う。
おそらくは、数百年に一度現れるかどうかの歴史的災害級――『特級妖鬼』。
「大丈夫ですよ、こよみ。私の後ろにいてください」 私は彼女の頭を優しく撫で、採掘坑へと向かって歩き出した。
採掘坑の前の広場に到着した時、そこに広がっていたのは、まさに地獄絵図だった。
「がはっ……! 馬鹿な、俺の『焔の呼吸・参ノ型』が、傷一つつけられないなんて……!」 血塗れになって地面に転がっていたのは、私の兄、天馬だった。
彼の自慢の変色刀は半ばからボキリと折れ、純白の隊服は自身の血で真っ赤に染まっている。
その傍らには、緋ノ神家の現当主であり、私の実の父親である厳馬が、片腕を失い、壁に寄りかかって荒い息を吐いていた。
「おのれ……おのれぇ……! 我が一族の精鋭が、全滅だと……!? この緋ノ神家が、このような化け物に……!」
厳馬の周囲には、何十人もの緋ノ神家の高位剣士たちが、ピクリとも動かずに倒伏していた。
彼らを蹂躙したのは、広場の中央に鎮座する、全身が硬質な黒い外骨格に覆われた、巨大な百足のような姿をした鬼だった。
人間の顔がいくつも繋ぎ合わさったような不気味な頭部を持ち、そこから放たれる凄絶なプレッシャーは、周囲の空間を歪ませるほどだ。
「ヒヒヒッ! 名門、緋ノ神家ぇ? 聞いて呆れる弱さだなァ! 貴様らの温い炎など、俺の万年を生きる外殻には火傷の跡一つつけられんわ!」
特級妖鬼が嘲笑しながら、巨大な尾を振り回す。
それだけで近くの民家が何軒も木っ端微塵に吹き飛んだ。
「ち、父上……もう、ダメです……。俺たちは、ここで死ぬんだ……」
天馬が絶望に瞳を濁らせ、涙と血を流しながら這いつくばる。次期当主としてのプライドなど、圧倒的な暴力を前に完全に粉砕されていた。
厳馬もまた、残された一本の手で地面を叩き、悔しさに歯噛みする。
「クソッ……! もし、もし我が一族の失伝した『真なる呼吸』の使い手が一人でもいれば、こんな化け物など……! なぜだ、なぜ我が一族には、本物の天才が生まれんのだ……!」
その絶望の叫びが響く広場に、コツ、コツ、と静かな足音が足を踏み入れた。
あまりにも緊張感のない、場違いな足音。
厳馬と天馬が、血に染まった顔を辛うじて上げ、その足音の主を見た。
「な……お前、は……?」 天馬の目が、驚愕に見開かれる。
「焔……!? なぜ、お前がここにいる……! 逃げろ、この馬鹿者が! お前のような呼吸もできん無能が来ても、一瞬で肉片にされるだけだ!」 厳馬が怒鳴る。
彼の中では、私は今でも「地下牢の無能な次男」のままなのだ。
しかし、私は二人の前を通り過ぎ、特級妖鬼の正面へと歩みを進めた。私の腰には、あの時天馬から投げつけられた、刃毀れした錆び刀が静かに収まっている。
「おい、焔! 聞こえないのか! そのナマクラで何をする気だ!」 天馬が叫ぶ。
「邪魔ですから、少し黙っていてください」 私は振り返りもせず、冷淡に言い放った。
その声のあまりの冷徹さに、天馬は言葉を失った。
特級妖鬼が、新しく現れた私に気づき、無数の人間の顔を持つ頭部をギチギチと回転させた。「あァ? なんだお前は。小蠅がまた一匹増えたか。その腰の刀……ハハッ! 錆び付いてボロボロじゃねえか!
そんなゴミで、この俺を斬るつもりかァ!?」
「斬るつもりはありませんよ」 私は静かに答えた。
「あ?」「消す、と言ったんです」 私は深く、深く、世界の根源を肺に満たすように、息を吸い込んだ。
その瞬間、広場全体の空気が一変した。厳馬と天馬の肌が、総毛立った。
彼らは、今まで体感したことのない、暴風雨の前の静けさのような、圧倒的な「圧」を私の全身から感じ取っていた。
「な……なんだ、この気配は……!? 焔の体から……いや、奴は息をしていないはず……なのに、なぜ空間が震えている……!?」 厳馬が驚愕の声を漏らす。
彼らには見えていない。私の肺が、神の領域の速度で動き、体内の全細胞が超新星爆発のようなエネルギーを生み出していることを。
『神殺しの呼吸・終ノ型』 私はゆっくりと、錆び刀の柄に手を当てた。
鬼が、その本能的な恐怖にようやく気づき、顔を引きつらせた。
「な、なんだお前は……! ただの人間ではない……!お前、その呼吸、まさか、数百年前の……っ!?」「遅いです」
『――神葬・灰燼』 抜刀。
閃光すら、そこにはなかった。 音が消えた。光が消えた。
世界が一瞬だけ、完全に漆黒に染まったかのように錯覚されるほどの、絶対的な一閃。 私はすでに、刀を鞘に収め、特級妖鬼の後ろへと歩き出していた。
一秒。 二秒。 ズゥン……と、巨大な地響きが鳴り響いた。
特級妖鬼の、あの万年を生きると豪語した巨大な黒い外殻が、頭部から尾の先まで、文字通り「ミクロの単位」で完璧に等分され、崩壊を始めた。
「ぎ、あ……あが、が……!? ば、馬鹿な……俺の肉体が……再生、でき……な……」
鬼は悲鳴を上げる暇すら与えられなかった。
私の刃が刻んだのは、単なる肉体の切断ではない。『神殺しの気』が、鬼の細胞の、その組成そのものを完全に「無」へと還す。
特級妖鬼の巨大な巨体は、肉片の一つも残さず、一瞬にして完全な灰、いや、ただの虚無へと消え去った。
さっきまで地獄のようだった広場に、再びどんよりとした曇天の光が差し込む。
しかし、そこにはもう、街を恐怖に陥れていた化け物の姿はどこにもなかった。
ただ、私が歩いた地面に、微かな熱気が残っているだけだった。
「……は?」 天馬の口から、間抜けな声が漏れた。
厳馬は、信じられないものを見たというように、目玉が飛び出さんばかりに私を凝視していた。
緋ノ神家の精鋭が全滅しかけ、当主である厳馬すら片腕を失った絶望の化け物を。
「無能」として追放したはずの、自分たちの息子が。
錆びた鉄くずを一回振るっただけで、跡形もなく消滅させたのだ。
「あ……あ、あり得ん……。今のは……今の呼吸は、まさか……『始祖の呼吸』……!?」
厳馬がガタガタと震えながら、血の混じった唾を吐き出して叫んだ。
「焔! お前、それほどの力を隠していながら、なぜ今まで言わなかった……! お前がそれほどの天才だったのなら、我が一族は……!」
私は、ゆっくりと実の父親の方へ振り返った。
その瞳には、一抹の感情も、怒りすらも宿っていない。
ただの、路傍の石を見るかのような、完全な無関心。
「隠してなどいませんよ。私はいつも、目の前でこの呼吸をしていました。気づかなかったのは、あなたたちの呼吸が、あまりにも浅く、未熟だったからでしょう」
「な……っ!」「焔……! 頼む、戻ってきてくれ!」
今度は、天馬が血を吐きながら、地面を這って私の足元に縋り付こうとしてきた。
「俺が悪かった! お前を無能と呼んだことも、地下牢に閉じ込めたことも、全部謝る!
お前が緋ノ神家に戻ってくれば、当主の座だってお前に譲る!だから、俺たちを助けてくれ! 一族を建て直してくれ!」
次期当主としてのプライドを完全に捨て去り、必死に命乞いと懇願を繰り返す兄。
その姿は、あまりにも醜く、哀れだった。 私は、彼の伸ばした手を、一歩下がって静かに避けた。
「お断りします」「なぜだ……!? お前だって、緋ノ神の血を引いているだろう!」 厳馬が声を荒げる。「私はもう、緋ノ神の姓を捨てろと言われました。今の私は、ただの焔です。それに……」
私は、広場の陰から恐る恐る私を見つめている、角の少女――こよみへと視線を向けた。
こよみは私と目が合うと、ホッとしたように小さな笑みを浮かべた。
「私には、もう大切な連れがいます。あなたたちの薄っぺらな権力や、血の繋がりに縛られるよりも、私は私の呼吸で、私の生きたいように世界を歩む方が、遥かに心地いい」「焔……っ!」「お前たちの呼吸、ちょっと浅いんじゃないか?」 最後にそう一言だけ残し、私は二度と彼らを振り返ることはなかった。
背後から厳馬の絶望に満ちた叫びや、天馬が泣き崩れる声が聞こえてきたが、それすらも私の耳にはもう届かない。
「お待たせしました、こよみ。行きましょう」「はい、焔様! どこまでもついていきます!」 こよみが私の隣に並び、嬉しそうに歩き出す。
私の腰には、特級妖鬼を屠ってもなお、刃毀れ一つ増えていない錆び刀。
私たちは、晴れ渡り始めた青空の下、次の街へと向かって、静かに、そして深く息を吸いながら、歩みを進めていった。
――だが、私たちが去った採掘坑の最奥。特級妖鬼すら前座に過ぎない、さらなる凶悪な気配が胎動を始めていた。
面白かったですか?
この作品で総合ポイントが100ポイントを超えたら連載版を作るので、読みたいなと思ったらブクマと★5をお願いします。




