研究室の三松さん
前作『兄貴の彼氏と俺の話』を別アングルから見たお話になっています。BL要素は前作よりちょっと薄めですが、ベースにはなっていますし、本作だけでもお読み頂けます。
卒業を控えたK大4年生の三松春奈は同級生や後輩に頼りにされる、みんなのお姉さん的存在。ある日所属する白川研究室に珍しく2年生の広瀬篤紀が飛び込んできた。来年この研究室入りを希望しているという。3年生の後輩明石実央君とは知り合いのようだが、彼の目的は別のところにあるようで?晴奈は広瀬君を「元気なワンコ」みたいだと、可愛く思うが…。
(今回腐女子要素はちょっと隠れているという感じです)
元気なワンコ
「国際経済学科2年の広瀬篤紀です。来年白川教授の研究室を希望しているので、失礼を承知でお邪魔しました」
ある日の午後、私が所属するK大経済学部国際経済学科・白川研究室に元気な声が響いた。ノックの直後にそう挨拶して入ってきたのは、元気な男子学生だった。私、三松晴奈はこの研究室に所属する現在4年生。白川教授と数人の3,4年生で午後のお茶を楽しんでいるところである。お茶とはいってもオシャレに紅茶を頂いているわけではなく、それぞれ持ち寄った飲み物やお菓子でおしゃべりしているだけなのだが。
(2年生が来るなんて珍しいな)
みんな少し驚いたように彼に注目している。1,2年が入ってはいけないなんてルールはないが所属は3年生からなので、資料や本を借りたいとか余程の用件がないと下級生は研究室に来ない。というか見知らぬ上級生がいるところには来づらいのだ。
「篤紀君」
一緒にいた3年生の明石君が驚いたように声を掛けた。知り合いなのかな。
「元気な子だねえ」
白川教授は怒ることなく彼の入室を促した。教授はとても温厚な方である。
「とんだ闖入者だね」
私と同じ4年生の加賀君がちょっとイジワルな感じで言う。彼も広瀬君のことを知っているようだった。
「なに、明石君の知り合いなの?」
わたしが聞くと
「卒業した兄が実央く…明石さんと同じ入浴研究会で仲が良かったんです」
と広瀬君が答えた。
「温泉研究会だよ」
明石君が訂正する。「入浴研究会」はなんかヘンだよねえ(※実在したらすみません)
「へえ、お兄さんも経済学部?」
私はちょっと興味がわいて聞いてみた。
「いえ、理工学部です」
「うちで一番偏差値高いとこじゃない、頭いいんだね。どこに就職したの?」
私が思わず突っ込むと
「三松さん、そこまで聞くのは失礼だよ」
加賀君に注意されてしまった。いけないいけない、初対面の相手にもいきなり距離を詰めてしまうのは、私の悪いクセだ。でも広瀬君は気にしなかったようで
「いいですよ、大室精密です」
と、やや得意げに教えてくれた。
「えー、大手じゃない、君のお兄さんてことはイケメンでしょう?うわー、もっと早く知りたかったわ」
私はお世辞ではなく、そう言った。「大室精密」といえば毎年理系の学生の人気就職先上位に入る大企業、広瀬君が得意げなのも頷ける。広瀬君は元気なワンコというイメージだが、見た目もなかなかイケメンで、彼のお兄さんもさぞ男前だろう。
うちの大学はキャンパスが広く学部ごとに大体エリアが決まっており、使う棟や施設も別れている。だから他の学部の人と会うことは案外少ないのだ。会ってみたかったなあ、広瀬君のお兄さん。それにしてもお兄さんが褒められて広瀬君が誇らしげなのはわかるけど、明石君もやけにニコニコして嬉しそうだ。そんなに親しかったのかしら。
ふと加賀君を見るとなんだか不機嫌そうだから、
「加賀君も今日はスーツで決まってるね」
と話を振ってみた。なんでも午前中内定の出ている会社にインターンとして行っていたのだそう。加賀君は卒研もすでに終えていて、語学も堪能。うちの研究室いや学部の中でもトップクラスに優秀な学生である。
「このネクタイね、実央君に選んでもらったんだ」
加賀君が自慢げに言った。実央君とは明石君のことだ。加賀君は後輩の明石君のことを何故か下の名前で呼んでいる。明石君を可愛がっていることは誰の目にも明らかで、弟みたいな感じなのかなと私は思っていた。
「え、明石君が選んだの?」
私が聞くと
「ああ、彼はセンスがいいからね。身だしなみの印象も大事だろう?」
と言う加賀君。
「ネクタイ選びは…ちょっと自信があるかも…」
と明石君も言う。すかさず広瀬君が
「そうだよねえ、うちの兄貴…兄もみ…明石さんが就職祝いに贈ってくれたネクタイ、そりゃあ気に入って使ってますよ」
と話に入ってきた。なんだか加賀君に向かって言っているようだ。え、何これ、なにか張り合ってるの?
その時白川教授が
「ああ、そういえば加賀君、例の件は大丈夫そうかね」
と、加賀君に話しかけた。
「ええ、もちろん大丈夫ですよ」
「明石君も頼んだよ」
明石君にも確認する。
「はい」
明石君はにっこり微笑んで返事をした。その笑顔に一同なんだか癒される。明石君はカワイイ系の男子だ。決してナヨナヨしているとか、女の子っぽいとかいうわけではない(まあ可愛さでいうと女の子にも負けていないとは思うが)。「加賀さんは明石君のこと狙ってるんじゃないですかね」なんて冗談を言う学生もいるくらいだった。
長い夏休みが終わって大学は後期に入っていたが、秋の学際が近いこともあってキャンパスはなんとなくざわついている。私は一応内定をもらっているのであとは卒研を仕上げればいいだけなのだが、秋の終わりには研究室の研修が控えている。先日白川教授が加賀君と明石君に確認していたのはこの件なのだ。経済学部は研究室によって様々な研修があるが、希望者のみで強制参加ではない。参加しなかったからと言って即単位を落とすようなことはないが、成績や就活には有利なポイントにになる。
今年白川研究室ではインバウンドに重点を置き、2泊3日で箱根に研修旅行に出かけることになっていた。いま日本は外国人旅行者に人気があって、箱根もご多分に漏れず賑わっているらしい。費用は自己負担だが、宿泊予定のホテルのオーナーと教授が知り合いということで、かなり安くしてもらっているらしい(私もこれに向けてバイトを頑張った!)。なんでも昔ホテルの経営が危うかった時に、教授がアドバイスして救ったとかいう話を聞いている。恩を感じたオーナーが学生のために便宜を図ってくれているというわけである。
箱根ではホテルの他に観光地や商業施設を巡り、外国人旅行者や働いている人に話を聞いたりするので、その下調べと打ち合わせに加賀君たちが1泊で箱根に行く予定なのである。この費用に関しては教授が一部負担して下さるし、ホテルのご厚意でほとんどかからないとのことだ。
「明石君大丈夫ですかねー、加賀さんに食べられちゃったりして…」
研究室で資料整理をしていた時に、3年生の里保ちゃんが話しかけてきた。
「コラコラ里保ちゃん、そんなこと言うと加賀君に怒られるよ」
「冗談ですって。でも加賀さんてモテる割には彼女を作らないし、明石君ばかり可愛がってるから」
「弟みたいなんでしょ、私も弟がいるからなんとなくわかるわ」
「そういう三松先輩はどうなんですか。それこそ加賀さんとかいいじゃないですか。おうちはお金持ちらしいですよ。成績も優秀だし、教授に頼まれて二人で一緒に仕事すること多いじゃないですか」
「加賀君かー…素敵な人だとは思うけれど…私ね、弟が二人いるのよ、それに従弟妹の中でも一番年上で子供の頃からお姉ちゃんポジなの。だから昔から年上の男性に憧れがあって。同い年以下の男性は弟みたいに思えて対象外というか…」
エラそうなことを言っているが、彼氏いない歴=年齢である。
「あー、なんかわかります、私も妹がいるんで。第一子長女って一番ワリ食うっていいますもんね(※例外もあります)。先輩はここでも頼りにされて、まさしくみんなの”お姉さん”ポジ。なんたって『研究室の三松さん』ですから」
里保ちゃんが笑って言う。そうなのだ、研究室に入り浸っている私はそんな呼ばれ方をされているらしい。うれしいようなうれしくないような…。
「あれ、これ図書館の本よね」
「あー、そうですね、教授また自分の本と混ぜちゃって…」
「私返してくるわ。もし教授が来たら伝えておいてね」
「わかりました。お願いします」
私は教授が借りたままの本を持って研究室を出た。1階に降りると自販機横の椅子に広瀬君と女子学生が座っていたので、声を掛けてみた。
「あら、広瀬君…だっけ?」
「あ、この間はどうもお邪魔しました」
「いいのよ、彼女さん?」
「そうです、同じ学部です」
彼女の方が頭を下げる。ポニテの可愛い女の子だ。
「いいわねぇ、若者は」
「いや、2コしか違わないじゃないですか、ええと…箱根の研修楽しみですね」
唐突な話題にちょっと戸惑ったが
「まあねー、まだひと月以上先だけど。私英語はあんまりだから気が重いわ。加賀君は留学経験があってペラペラでね」
と答えておいた。
「そういえば実…明石さんは箱根に下調べに行くんでしたっけ。いつ頃行くのかなあ」
え、そんなこと気になるの?本人に聞けばいいのに…。
「いつだったっけ、学際のちょっと後だったかな」
そう言った後
「加賀君、明石君と一緒に行けて喜んでるんじゃないかなあ」
なんて余計なことを付け加えてしまった。
「加賀君てさあ、明石君が可愛いみたいなのよね。ホラ”実央君”呼びしてたでしょ?ネクタイまで選ばせちゃって。箱根で食べられちゃったりしてねーとかみんなで言ってるの」
さっき里保ちゃんが言っていたことを、ちょっと盛って話してしまった。広瀬君は複雑な顔をして返答に困っている。
「あ、冗談よ、冗談だからね。ヘンな心配しなくて平気よ」
私は慌ててごまかして
「じゃあね、また研究室に遊びに来てよ、教授喜んでたよ、来年来てくれそうな学生がいるって。良かったら彼女さんも一緒に」
そう言って図書館に向かったのだった。
代役です1
「もー、この間整理したばかりなのに教授はまたこんなに本をため込んで―」
里保ちゃんが文句を言う。今日は学際の初日だが、研究室は開いているので学生が数人集まっていた。
「あー、そこの二山、図書館に返してきてほしいって教授がおっしゃってましたよ」
別の学生が言う。
「私行ってきますよ、この間は三松先輩に行ってもらったし」
里保ちゃんがそう言ったが、
「僕と実央君で行ってくるよ、女子には重いだろうし。いいよね実央君」
と加賀君が申し出た。
「はい」
明石君も返事をする。
「ちょっと待ってて、量が多いからカートを持って来る。手で運ぶのは危ないわよ」
私は二人を止めてカートを取りに行こうとした。
「大丈夫だよこれくらい、実央君行こう」
そう言うと加賀君たちは本を抱えて研究室を出てしまった。すると間もなくバサーっと本が落ちる音がして「実央君!!」という加賀君の大きな声が聞こえてきた。みんなで顔を見合わせる。何かあったと思い、
「里保ちゃんたちはここにいて、部屋を空にできないから。私が行く」
そう言って私は音と声の聞こえた方へと急いだ。見ると近くの階段では本が散らばり明石君と、なぜか広瀬君が倒れている。多分本を抱えた明石君が階段の横でバランスを崩して、転げ落ちてしまったのだろう。
「大丈夫!? 落ちたの?もう、だから言ったじゃない加賀君!無理しないでカートを使いなさいって。面倒がるから…」
私はちょっときつい口調で言ってしまったが、加賀君はそれには答えず明石君を医務室に連れて行こうとした。どうやら足首を捻ったらしい。明石君は顔を歪めて立てずにいる。
「俺が運びます」
広瀬君はそう言うと明石君に自分の背中に負ぶさるよう促す。明石君はよろよろと広瀬君の背中にもたれかかった。
「加賀さん、三松さん、本の片付けお願いします。あ、そこのスマホ、俺の尻ポケットに入れてもらえますか」
私は床に落ちていた広瀬君のスマホを拾って、言われた通りデニムのポケットに押し込んだ。
「あとそこのバッグ、すみませんけど研究室で預かっといて下さい、後で取りに行きますから」
広瀬君は明石君をおんぶしてゆっくり立ち上がった。
「わかったわ、頼むわね」
「僕も後ですぐに行くから」
私と加賀君が続けて言うと、
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
明石君は頭を下げる。二人はそのまま医務室に向かって行った。加賀君はと見ると心配そうでもあり、なんだか悔しそう?な表情もしていた。
「加賀君、今カートを持って来るから二人で本を運びましょう。とりあえず落ちた本をまとめておいて」
そう言って、私はカートを取りにった。
「うーん、破損した本がありますね」
図書館の司書さんが難しい顔をしている。
「すみません」
加賀君が謝る。私たちは本を取りまとめてカートに乗せて図書館に運んできたのだが、明石君が階段から落ちた時投げ出されて傷がついた本があったのだ。ついでに言うと、明石君が落ちた時加賀君もとっさに明石君を助けようとして自分の持っていた本を放り出してしまっていた。だからどちらの持っていた本が破損したのか私にはわからない。
「数が多い時はカート類を使って下さいね。今回は不可抗力ということで修理費用の請求はありませんが、こちらの用紙に日時と破損した本、理由を記入して提出して下さい」
「わかりました」
加賀君は先ほどから落ち着かない様子だ。医務室へ行った明石君が気になるのだろう。明石君のスマホは研究室のバッグの中だろうから、連絡が取れないのだ。
「私がやっておくから、医務室に行ってくれば?」
そう私が促しても
「いやいい、自分でちゃんと後始末していく」
加賀君はそう言ってきかなかった。自分が明石君に本を運ばせた責任を感じているのだろう。図書館での手続きが終わると
「悪い、教授には自分が後で報告するから」
そう言い残して加賀君は一目散に医務室のあるA棟に向かって行った。
明石君は学際の間の約一週間は大学をお休みすることになった。やはり捻挫だったそうで、かなり痛むらしい。私のところにもラ〇ンで連絡が来ていた。早く治るといいけれど…。
「三松先輩、これっ、これ!見ましたか?」
教授に呼ばれて研究室で待っていた私に里保ちゃんが駆け寄ってきた。
「なーに慌てて、里保ちゃんも教授に呼ばれたんじゃないの?」
「いや、そうなんですけど、それよりこれです!」
里保ちゃんは興奮気味にスマホの写真を見せてきた。
「一体何をそんなに…」
え、これ明石君だよね…明石君が背の高い男性にお姫様抱っこされてる!?
「明石君を抱っこしている人、すごくイケメンじゃないですか!」
確かに…かなりのイケメンだ。
「里保ちゃん、これって…」
「ホラここに小さく写ってる学生、いつかうちの研究室にいきなり来た広瀬君ですよね?」
よく見ると確かにバッグを持った広瀬君が後方に写っている。
「これ広瀬君のお兄さんなんですって、あの時話してたじゃないですか、理工学部の卒業生で大室精密に勤めてるって」
「里保ちゃん、なんでそんなことまで…」
「明石君に聞いたんですよ、もちろん」
もちろんて…。明石君がけがをした後医務室から直接病院に行ったらしいことは加賀君から聞いていたが、詳細は知らなかった。この写真を見ると、広瀬君のお兄さんが病院へ連れて行ったということなのだろうか。加賀君はそこまでは説明してくれなかった。直接会ってないのかな?
それにしてもこの写真…明石君は少し恥ずかしそうに見えるが、それでも両腕を広瀬君のお兄さんの首に回してしっかり体を預けて安心しているような…信頼しているような、そんな感じ。サークルの先輩・後輩だっけ?サークルの人間関係ってそんなに親密なの?私は空いた時間はバイトに当てていてサークルとかの活動はしていないから、今一つその辺がよくわからない。男女なら交際に発展するっていうこともありそうだけど。
「明石君の話だと、当日広瀬お兄さんがサークルに顔出しするためにこちらに向かっていたんですって。それで明石君のケガを知って、急遽病院へ連れて行ったみたいですけど」
里保ちゃん、そんなことまで聞き出していたの…その時、
「やあ、お待たせしたね」
白川教授が部屋に入ってきた。
「ちょっと二人にお願いがあって」
「お願いですか?」
私が聞くと
「うん、今度の研修の下調べと打ち合わせに加賀君と明石君が行く予定だっただろう」
教授は説明し始める。
「だけど知っていると思うが、明石君が捻挫をしてしまって行くのが難しくなってしまった。それで代わりの男子学生をと思ったんだが、加賀君の方も都合が悪くなってしまったらしい」
「そうなんですか?」
「そこで急な話で申し訳ないんだが、三松さんと戸倉さん、君たちにピンチヒッターを頼めないかと思ってね」
戸倉さんとは里保ちゃんのことである。
「私たちですか?私は大丈夫だと思いますが…里保ちゃんはどう?」
「えーと、一日目の1コマ目に講義がありますので、その後でもよければ」
「うん、それでいいよ、時間的には十分だ。すまないが引き受けてくれるかな」
「わかりました」
私たちは代役を引き受けることにした。バイトはお休みすることになるが、これもいい経験だろう。
(それにしても加賀君まで行けなくなるなんて…)
代役です2
私と里保ちゃんは急な代役で箱根研修の事前準備に出かけることになった。今11月で研修は今月の終わり頃、まだ紅葉が楽しめるかなというシーズンだ。遊びに行くわけではないのだが、ちょっとウキウキする気持ちもある。加賀君からは「急に変わってもらってすまない」とだけ謝罪があった。なんだか無表情だったが、加賀君のおうちはお金持ちだそうだから箱根旅行くらい今更って感じなのかもしれない。
当日ホテルに着くと担当の人の時間が空くのを待って、早速打ち合わせになった。ここは結構古い観光ホテルだが、建物も大きく落ち着いた感じのステキな宿である。
「早速ですが」
ホテル側の担当の柏木さんという女性がやってきて、挨拶が済むと概要の書かれたコピーを渡してくれた。
「初日は外国人観光客の方への取材でしたね、すでに2,3組の宿泊予定者の方にお願いしてOKを頂いています」
柏木さんははきはきした感じの女性で、手際よく話を進める。
「学生の方が5人ずつ3グループで3組のお客様への取材と伺っていますが、お客様のご都合で9組お願いできるかどうかは未定です。そこはご了承下さい」
「はい」
里保ちゃんは渡された用紙を必死に目で追っている。
「欧米の方だけでなくアジアや他の国の方もいらっしゃいますが、英語の話せる方にお願いするつもりです」
それはそうだ。他国の言語にすべて対応するのは難しい。
「御一人英会話が堪能な方がいらっしゃると伺っていますが、他には?」
加賀君のことだ。私は英会話の勉強をしてはいるものの、実践経験がないので全く自信がない。
「あとは…ちょっと心許ないかもしれません。スマホの翻訳機を使おうかと…」
正直それで十分にお話が聞けるかどうかは不安な所だが…
「それではホテルのスタッフで英会話のできるものを2名アサインしますね。一人は多分私になると思いますが、それでよろしいですか?」
「は、はい、よろしくお願いします。助かります」
「あと事前にお願いした通り、取材は一組30分以内でお願いします。旅行中の貴重なお時間を頂いておりますから。中にはお話し好きな方もいらっしゃるので、その時は無理に終わらせる必要もございませんが…」
柏木さんはちょっと笑ってそう言ったが、すぐに真顔になって
「万一お話の途中でご不快になられたりお怒りになられたりしたお客様がおられた場合は、すぐに通訳の者か他のスタッフに知らせて下さい。お国によって考え方や習慣は様々ですから」
そう注意した。なんか緊張してきた。
「あ、あの、ご協力いただいたお客様に何かお礼をしたいのですが…」
私が聞くと
「それはこちらでご用意します。食べ物だと国によってはNGになるものもありますし、それ以外でも習慣的に合わない場合もありますから。その辺は任せてほしいとオーナーからも申し付かっております」
と、柏木さんは即答した。
「はい、ありがとうございます。お任せします」
「ここまでで何かご質問はございますか」
「い、いえ」
「2日目は外の観光地や施設での研修や取材ですね。当日は手配したマイクロバスをご利用頂けます。3日目のホテルスタッフへの取材ですが…こちらは当日のチェックアウト後ということになります。チェックアウトの時間はどうしても混雑しておりますので…業務内容によっては、仕事をしながらお話をする形になるかと思いますが」
「はい、構いません。お忙しいのに申し訳ありません、よろしくお願いいたします」
白川教授の縁故があるとはいえ、ホテル側にとっては本来の業務とは関わりのない面倒なお願い事だ。なるべく負担を掛けないようにしないといけない。
「皆様にお手数をおかけしますが、何卒よろしくお願いいたします」
私は立ち上がって柏木さんに深々と頭を下げた。里保ちゃんも私に倣う。
柏木さんはにっこり微笑んで
「かしこまりました。皆さんが将来社会人になられて様々な形で観光業界の力になって頂けたら、私どもにも喜ばしいことですから」
そう言ってくれた。大人の女性という感じである。
「お部屋の確認ですが男性は白川様と学生3名様で1部屋、残りの5名様で1部屋。女子学生様は7名様で大きな1部屋をご利用なさるということでお間違いないですか」
「はい、それでお願いします」
教授で1部屋という話もあったのだが、それはもったいないからと辞退なさったらしい。
「あと研修当日のお食事ですが、アレルギーをお持ちの方がいらっしゃったらお早めにお知らせ下さい。お飲み物代はアルコールも含めてホテルの方でサービスさせて頂きます」
「そんな、申し訳ないです」
「いえいえ、オーナーがそう申しておりましたから、お気兼ねなく。それと私の業務用の連絡先をお二人にお伝えしておきますね。すぐにお返事はできないかもしれませんが、ご不明な点等ございましたらいつでもご連絡下さい」
「はい、何から何までありがとうございます」
「この後は外でのお打合せでしたでしょうか?」
「はい」
「ではあとは他のお客様と同じようになさって頂いて結構ですよ。こちらがお部屋のキーになっております。オートロックになっておりますから。今ご案内の仲居を…」
柏木さんが言いかけたところで、
「いえ、大丈夫です。荷物も少ないですし自分たちだけで平気です」
私は丁重にお断りした。
「そうですか?それではお願い致します.お部屋は3階になります。あちらのエレベーターをお使い下さい」
そう言うと柏木さんは一礼してフロントへ戻っていった。柏木さんに挨拶してからここまで、15分経ったかどうかという早さだった。
「はーっ、なんかすごかったですねえ、柏木さんて」
部屋に入って荷物を置くなり、里保ちゃんが言った。
「うん、すごかった」
「ああいう人をシゴデキっていうんですかねー。かっこいいなー。憧れるなー」
それは私も同感だ。見た目もキリッとしていて美しく、洗練されている。私も来年社会人になるけれど、あんなに素敵な女性になれるだろうか、顔は別として…。その晩お風呂に入っておいしいお食事を頂いたが、まだ興奮状態が続いているようでなかなか寝付けなかった。
(遊びではないけれど、みんな楽しんでくれるといいな…明石君の足は研修までに治るだろうか…松葉杖を使って大変そうだったけれど…)
私は大学でのことを思い出していた。登下校はできるだけ広瀬君がサポートしているようだったが、それでも2年生と3年生では受ける講義も違うし、完全にとはいかない。広瀬君がサポートしきれないところは加賀君が助けているようだった。責任を感じているのかもしれないが、ほぼ明石君に合わせて動いているように見えた。明石君は恐縮していたが、卒研も就活も終わっているから平気だと加賀君は話していた。私や他の学生もできるだけの手助けはしているが、それにしてもあそこまで甲斐甲斐しく面倒を見れるのはすごいなと思う。
(加賀君はホントに明石君が可愛いんだなあ…)
そんなことを考えているうちに、いつのまにか私は眠りについていた。
箱根 1日目
研修の打ち合わせから帰ってしばらくして、私は大学で広瀬君と会うことがあった。
「こんにちは」
「あら広瀬君、こんにちは」
「あの…実央君どんな様子ですが?」
広瀬君は初めのうちは「明石さん」と言っていたが、彼がけがをしたあの日から「実央君」呼びになっている。多分こちらがデフォなんだろう。
「うん、今のところ大丈夫そうだよ。松葉杖はやめちゃったんだってね。私たちもできるところはサポートしているけれど、なにせ加賀君が明石君のスケジュールに合わせてバッチリ動いてるみたいだから」
「加賀さんが…そうっすか…」
広瀬君は安心したというより困惑したような表情になっている。あれ、私また何かおかしなこと言っちゃった?
「と、とにかく安心していいよ。困ったら広瀬君に連絡行くと思うし」
「はい…」
元気がないので、ちょっと話題を変えてみた。と言ってもまた明石君ネタなのだが。
「そうそう、見たよ、お兄さんの写真」
「え」
「お姫様抱っこのあれ」
「ああ…」
「お兄さん、ほんとにカッコいいねえ、モデルさんみたいじゃない」
「はは…そうっすね」
あら、まだテンション低いわね。弟として兄の容姿が褒められてもあまり嬉しくないのかしら。その日は「明石君が研修行けるといいね」と言って、広瀬君とは別れたのだった。
さらにその数日後、いつものように研究室に足を運ぶと教授が電話で話しているところだった。
(あら、珍しい、教授がスマホ使ってる)
白川教授もスマホくらいはお持ちだが、使っているところを滅多に見たことがない。大体は部屋の電話を使っている。
(あれ?あれって明石君のスマホじゃあ…キレイなグレイッシュブルーのやつ…)
「はいはい、それじゃあ当日はよろしくね。それじゃあ」
教授はスマホを切ると、横にいた明石君に返している。やっぱり明石君のスマホだ。私が不思議そうな顔でもしてたのか
「篤紀君のお兄さんと話して頂いたんです」
明石君がそう私に説明した。
「篤紀君…て広瀬君のことだよね、え、あのお兄さんと…」
失礼にも「あの」などと言ってしまった。
「研修当日は新宿集合でロ〇ンスカーを使う予定ですけど、足のことを考えて僕だけ車の送迎になることを教授に許可して頂いたんです」
「車の送迎って…誰の運転で?」
私はとぼけた質問をしてしまった。家族の運転なら当然ご両親から電話が来るだろう。
「暁人さん…あ、篤紀君のお兄さんです。前に話したサークルの先輩の…」
照れたように明石君が話す。あのお姫様抱っこのお兄様が…
「でも社会人だよね?平日は会社があるんじゃないの?」
私はまたうっかり踏み込んだ質問をしてしまった。
「お休みを取ってくれるって…」
明石君はさらに照れたように答える。
「まあまあいいじゃないか、明石君とは親しい間柄のようだし現地で合流できれば問題ないよ」
教授が笑顔で言う。それでも私はついつい聞いてしまった。
「いや問題はないけど、2泊3日だよ?」
「同じホテルに宿泊するらしいです」
「……」
後輩のためにそこまでする!?私たちはかなり安くしてもらったけれど、高いよ、あのホテル。入社して半年は経ってても、新入社員が有休取るのってけっこう勇気がいりそうじゃない?…色々考えた私だったが、とにかく明石君が参加できそうなことには安心した。
研修当日はいい天気だった。明石君を除いて全員新宿に集合。3年生たちは講義をお休みして参加しているから、事前に申請して公欠扱いになっている。
「私ロ〇ンスカー2度目ですね」
里保ちゃんが楽しそうに言う。
「それでは皆さん出発しましょう。終点の箱根湯本に着くまでは食べるも寝るも自由ですが、大騒ぎし過ぎないようにね、他のお客さんたちに迷惑だから」
白川教授の言葉を合図に、みんなホームに到着しているロ〇ンスカーに乗り込んだ。
「なんか加賀さん機嫌悪くないですか」
私の隣に座った里保ちゃんが言う。
「そう?」
「やっぱり明石君がいないからかな」
「いや、現地で合流するんだよ?」
「そうなんですけど…」
どうも里保ちゃんの視点はよくわからない時がある。
私たちは定刻通り箱根湯本の駅に着いた。ホテルからは迎えの車が来てくれて、みんなそれに分乗して宿に向かう。ホテルに入るとロビーのソファに明石君の姿が見えた。
(よかった、もう着いてたんだ…)
明石君と一緒に…あれ、広瀬君もいる。え、大学は?それともう一人、背の高い男性がこちらを見つけるとすっと立ち上がって挨拶をした。
「初めまして、理工学部の卒業生で広瀬暁人と申します。明石実央君の付き添いとして同行いたしました。今回はこちらの勝手な申し出を御了承頂き、ありがとうございます」
教授に向かって深々と頭を下げる。
「こんにちは。お久しぶりです」
と、隣の広瀬君も頭を下げた。
広瀬暁人さんのスマートな挨拶は、いつかの柏木さんを思わせる。新社会人だというのに、ずいぶん大人の雰囲気を醸し出していた。周囲の女子たちがざわついている。私は広瀬君のお兄さんだとすぐにわかったが、みんなは明石君送迎の詳しい経緯はわかっていない。
「ホラ、あの写真の…」という声が聞こえる。
「ねえねえ」
私は広瀬君に声を掛けた。
「お兄さん、超イケメンじゃない、”例の写真”私も見たけれど、実物ハンパない」
「ははは…」
私はチェックインの手続きをしようと加賀君の方を見た。加賀君と私が一行のまとめ役を任されている。
(あれ?)
今度は加賀君が広瀬君に声を掛けている。あの二人なんだか仲良さそうでもなかったのに、私の勘違いだった?私の視線に気が付いた加賀君がこちらに来た。
「何話してたの?」
「別に、さあチェックインを済ませよう」
広瀬暁人さんが明石君の肩を軽く叩くのが見えた。女子たちが「キャー」と声を上げている。広瀬君たちもこれからチェックインのようだ。明石君は女子たちに取り囲まれている。一体何を聞かれているのやら。
私たちは一度部屋に入って荷物を置き、外国人観光客へのインタビューに備えていた。すると
「先輩、私たち明石君は現地集合としか聞いてなかったんですけど、広瀬君たちが明石君の家まで迎えに行ったらしいですよ。」
と、里保ちゃんが話しかけてきた。そういえば私は他の人に明石君の事情を詳しくは話していなかった。まあ車での送迎なんだから、当然家まで行くよね。
「付き添いで同じホテルに泊まるって、すごくないですか」
「そうねえ…」
私は軽く荷ほどきしながら相槌を打つ。
「素敵な人ですよねー、広瀬君のお兄さん、あんな人が大学にいたら目立ちそうなのに」
「理工学部と経済学部はちょっと離れているからねえ」
「でもね、見かけたことがあるっていう子が何人かいましたよ。明石君のこと迎えに来てたみたいだって。あの写真だけでは確信持てなかったけれど、実物をナマで見て間違いないって」
明石君を迎えに…?そういえば私もそんな人を見た記憶があるな。遠目だったからよくわからなかったけれど、あれ、暁人さんだったのかな。
「私は広瀬弟君の方は同じ学部だから、明石君と一緒のところを何度か見かけてましたけど」
そうなんだ。私も見ていたのかもしれないけれど、気が付かなかったな。
「うーん、私も遭遇したかったな、広瀬お兄さんと明石君が二人のところに」
里保ちゃんは残念そうに言う。え、そんなに?私も暁人さんにはお目にかかって見たかったなあとは思う。まあお目にかかったところで、私なんか箸にも棒にもってやつでしょうけれど。
そうこうしているうちにフロントから連絡が入った。少し早いがロビーで準備をしてほしいという。さあ、いよいよだ。みんなでロビーに降りていくと、すでにそれらしい外国人が何人かソファに座っていた。他のお客様の迷惑にならないよう、ホテルの人が別にスペースを作ってくれてある。教授は少し離れたところで様子を見ていた。
「じゃあ決められたグループに分かれて」
加賀君が指揮を執る。グループ分けは加賀君が担当したのだ。加賀君のグループには明石君も入っている。
私のグループには柏木さんが付いてくれた。チェックインの時には姿がなかったので、
「お久しぶりです、この間はお世話になりました」
と、私は頭を下げた。
「お疲れ様です、頑張って下さいね。ではご案内します」
柏木さんに導かれて着いた席にはアメリカ人の若いカップルが笑顔で待っていてくれた。
「な、Nice to meet you」
私のたどたどしい挨拶で研修は始まった。
「あぁ~、緊張したー、疲れたー」
部屋に戻るなり私は畳の上に大の字になってしまった。部屋は大きな和室である。
「緊張しましたねー」
里保ちゃんも座り込む。他の子たちもみんな疲れた様子だった。初日からこんな状態で3日間もつのかしら。
「食事は7時だそうですから、先にお風呂に入りますか」
「そうだね、お茶を頂いて一服してから行こうか。ルームキーは2枚あるから時間ずらしたい人はそうしてね」
私たちは大浴場で温泉を満喫した後、大広間で夕食を頂いた。
「うおー、酒飲むぞー」
男子学生たちが盛り上がる。
「ちょっと、みんな飲み過ぎには注意してよね」
私はまたついつい「お姉さんポジ」に立ってしまう。食事を終えて部屋に戻るとすでに床が述べられていた。
「うーん、キモチいいなー」
里保ちゃんは布団にダイブする。
「飲み過ぎだよ、里保ちゃん。まだ初日なんだから」
そう言いつつも旅と研修の疲れに満腹感も加わって、私も横になってしまった。しばらくして
「先輩、ホテルの売店行ってみませんか」
と、他の子が声を掛けてきた。
「そうだね、行ってみようか、里保ちゃんは?」
「あたしはまだいいれふー」
「佐々木さんは?」
同じ4年生の佐々木さんに声を掛けた。
「私もいいや、明日もあるし」
「そう?じゃあキーを1枚預けておくね」
私たちは4人で売店に向かった。
売店に行くと、すでに男子学生数人が来ているようだった。
「あ、三松さん、お疲れ様です」
明石君がこちらを見て言った。横には加賀君もいる。
「お疲れ、みんな大丈夫そう?」
「酔っぱらって寝ちゃっている人もいますけどね」
そこに
「実央君」
と声を掛けてきた男子がいた。広瀬君だ。お兄さんも一緒にいる。丹前を羽織った浴衣姿がなんとも麗しい。一緒に来た女子たちがそわそわしている。
「篤紀君たちも買い物?」
明石君が彼らの方へ行ったので、私たちも一旦その場を離れた。暁人さんは何やら加賀君とも話している様子だ。うん?やっぱり面識があったのかな。なんとなく気になってチラチラ様子を窺っていると、広瀬君が明石君をアイスケースのところに連れて行くのが見えた。一緒にアイスを食べようと誘ったのに、お財布を持っていなくてお兄さんにねだっている…なんか、カワイイな…ほんとにワンコみたい。
そのうち二人が最中アイスらしきものを食べ始めた。結構おいしそうだな…と眺めていると、明石君が暁人さんにアイスを手渡そうとした。「一口どうぞ」だな…と思ったら、暁人さんは明石君の手をグイッと引き寄せてアイスをかじり、自分の口をペロッと舐めたのだ。その瞬間周囲の時間が止まった?ような気がした。売店の女性まで口を開けて見つめている。女子の誰かが小声で「色っぽい…」と呟いた。
私は無意識に広瀬君の横に立ち、
「広瀬君、私ヘンな扉が開きそうだよ…」
そう囁いてしまった。
「いや、三松さん、その扉開けない方がいいっす、多分」
と広瀬君は言う。
「そう?」
明石君、顔赤くして俯いちゃったよ。
部屋に戻ると、売店に行った子たちが部屋に残っていた子たちに先程の光景を話し始めた。眠っていたと思っていた里保ちゃんはガバッと跳ね起き、
「しまったー、私も行くんだった!」
と、なぜか歯噛みして悔しがっていた。
箱根 2日目
研修2日目もいいお天気に恵まれた。お願いしていたマイクロバスをロビーで待っていると、広瀬君兄弟がフロントにキーを預けに来た。今日はどこかへ出かけるのかな。明石君と話しているようだ。表にそれらしいバスが見えたので集合して出発しようとした時、白川教授がいきなり
「君も来るかね」
広瀬君にそう声を掛けた。広瀬君はびっくりしている。私も敢えて確認しなかったけれど、彼大学サボって来てるよね。
「教授、それは…」
加賀君が異を唱えるように口を挟んだ。広瀬君に参加してほしくないのかな。
「今日は全部団体行動だし、バスにも余裕はあるだろう。別に追加料金が発生する訳ではないし。あ、昼食は自己負担だけどね」
教授は笑って広瀬君に言う。
「2年生が一人だけ参加するのは皆さんのご迷惑になるんじゃ…」
私は広瀬君が遠慮するのを聞いて、(いや、キミいきなり研究室に来て堂々と挨拶したじゃない、そんなキャラじゃないでしょう)と心の中で突っ込んでしまった。
「そんなことないよ、明石君も加賀君も私も知ってるし、あの時研究室にいた人はキミのことわかってるし」
私は教授の勧めを後押しした。定員15名のところ2年生が参加できるのはラッキーだよ。後でやっかむ人は出るかもしれないけれど。
「大学の授業の代わりになるよ」
教授から決定打が出た。平日なのに広瀬君がここにいるのは、当然大学をサボっているという事だとみんなわかっている。その時暁人さんが広瀬君に何か耳打ちしたように見えた。
「喜んで参加させて頂きます。飛び入りですがご迷惑が掛からないようにしますので、よろしくお願いします」
観念したように?広瀬君はそう言って、頭を下げた。私たちは拍手をする。かくして研修は2年生の飛び入り参加というイレギュラーで続けられることになった。私は(なんだか楽しくなりそう)とワクワクしたが、加賀君は不機嫌そうな顔のままだった。
2日目は観光地で旅行者の話を聞いたり、商業施設や美術館などの方にお話を伺う予定になっていた。平日だというのに大涌谷は国内外問わず観光客で賑わっていた。ここを訪れるのは小学生以来かな。硫黄のにおいが懐かしいような気がする。
(どなたかお話を伺えそうな人は…)
私は辺りを見まわす。日本人でもいいのだが、一応テーマがインバウンドということなので国外から訪れている人がいいだろう。すると
「ガクセイサンデスカ?」
と、一人の金髪女性が私に話しかけてきた。向こうから声を掛けてくれるとは…しかも日本語!なんてラッキー!どうやら彼女は私たちがグループで動いていると気が付いたらしい。
「オベンキョウデスカ?」
「は、はい、私たちは日本の大学生です」
「ワタシモダイガクセイデス。ニュージーランドカラキマシタ」
「日本語お上手なんですね」
「アリガトウ、デモマダスコシデス。ニホンノアニメガスキデベンキョウシテマス」
どうやら日本語を勉強中で話してみたかったらしく、同じ年頃の私に声を掛けてきたらしい。
「私たち経済学部の学生で、研修で来ています」
そう説明したが、わからない単語があったらしい。そこはスマホの翻訳に頼ってしまった。
「I see, ワタシハアメリカノブンガクヲマナンデイマス」
彼女の名前はリリーさん。私はしばらく彼女と話していたが、
「カレラハカップルデスカ?」
とふいに、聞いてきた。リリーさんの目線の先には明石君と広瀬君がいた。広瀬君は明石君の足を気遣って、手助けしているようだった。その様子が恋人に見えたのかもしれない。その辺は日本より海外の方が寛容なのだろうか?確かに今日広瀬君はほとんど明石君の近くにいる。いきなり3,4年生の中に放り込まれたから、知り合いの明石君の近くにいたいのはなんとなくわかるけど。
「いいえ、彼らは仲のいい友達です」
私はざっくりと答えておいた。「友達」というのも違うのかもしれないが、リリーさんに詳しく説明する必要はないだろう。正直私もよくわかっていないところがある。
(明石君は広瀬君のお兄さんの後輩。でもサークルつながりでお兄さんは学部が違う…)
親しいのはわかるのだが、なんというか違和感?というか距離感に不思議な感じがしたのだ。親戚とかならそう説明してくれるよね。そこへ
「Lily!」
若い外国人男性がリリーさんに声を掛けてきた。リリーさんは
「ワタシノボーイフレンドノマイケルデス。イッショニニホンニキマシタ。シャシンガスキデイロイロトッテイマシタ」
そう言って私をマイケルさんに紹介した。マイケルさんには私のことを話しているようだが、正直早すぎて聞き取れない。「はるな」は言いにくいのか、「ハウナ」に聞こえる。いやボーイフレンドと海外旅行しちゃうんだ。
「良い旅を」
リリーさんたちとはそこで別れた。私も英会話勉強中なんだから、少しは英語を使わせてもらえばよかったと後で悔やんだ。
昼食の時刻になった。あらかじめ決められた食堂でみんな同じメニューを頂くことになっている。
「足りない人は自腹ですよ」
教授が言うとみんなが笑う。広瀬君がじっとメニューのサンプルを見ているので、
「何?ステーキ御膳食べちゃうの?やっぱり若者は肉系か」
私は声を掛けた。広瀬君は急に参加することになったから自腹である。
「んー、うまそうだなと思って。兄に小遣いもらったから。皆さんは?」
「私たちはもう決まってるよ。まあ普通の定食メニューじゃないかな。焼き魚とか生姜焼きとか」
「そうっすか…」
そう言って結局広瀬君は生姜焼き定食を選んでいた。別に気を遣わなくてもいいのに、と私はまた広瀬君を可愛く思ってしまった。午後の日程も順調に消化しマイクロバスで宿に戻る一行は、さすがに疲れが出たのか居眠りしている人が多かった。教授も口を開けて眠っていらっしゃる。私は一応まとめ役なので、体調不良の人がいないか立ち上がって座席を見回した。
(あ)
隣り合って座る明石君と広瀬君が、お互いもたれ合って眠っている姿が目に映った。
(カ、カワイイ~!)
その愛らしさに思わずスマホを取り出し、写真を撮ってしまった。
「三松さん、勝手に写真を撮るのは…」
加賀君が私を見咎める。
「ゴメンゴメン、後で本人にも見せて謝るから」
私はみんなを起こさないよう小声で言って、加賀君を宥めたのだった。
理解しました
研修の日程も半分以上をクリアし、その安堵感からか2日目の夕食は1日目以上に盛り上がった。それにあえて黙っていたのだが、飲み物代がホテル側のサービスだとばれてしまったらしい。みんな気が大きくなって次々にビールを頼む。
「里保ちゃん、喋ったわね。ホテルのご負担になるからサービスだって言わないようにしてたのに…」
里保ちゃんはそれには答えず、すでに赤くなった顔で
「先輩―、柏木さんて実はオーナーさんの娘さんなんれすってー」
そんなことを話してきた。
「え、そうだったの?」
「そうなんれす、シゴデキなのも納得れすよねぇ」
「どうしてわかったの、そんなこと」
「他の従業員さんとお話ししたんれす。ワタシー、もう就活に入ってますけどー、このホテルもいいなーってちょっと思っててー。コネ作っとくと色々有利になるかと思ってー。柏木さんと仲良くなっておこうかなってー、将来のオーナーさんかもれしょー」
里保ちゃんは酔って呂律が回っていない。
「あんまり飲み過ぎないようにね、まだ明日の予定が残っているんだから」
私は里保ちゃんにそう注意して席を移ることにした。みんな酔っぱらって各々席を移動している。加賀君は明石君の隣をずっとキープしていたが、反対側の席が空いていた。私はそこに移って
「明石君、足の具合は大丈夫?」
と、声を掛けた。
「はい、ありがとうございます、内風呂の温泉頂いたんですけれど効いたみたいで」
「そう、よかったね。帰りも広瀬君のお兄さんに送ってもらうんだよね」
「はい」
加賀君が自分のグラスをゴトッと音を立てて置いた。
「他の子に聞いたんだけれど、卒業前広瀬君のお兄さんが明石君と待ち合わせしているところを見かけたって。ずっと仲がいいんだね」
軽い感じで明石君に聞いてみた。
「はい、暁人さんとよく一緒に帰ってました。学部同士が離れているので、待ち合わせ場所はその日に決めて。僕が理工学部の方に行くこともあったし、外で待ち合わせることもあったし」
お酒が入って少し酔っているのか、明石君は素直に答えてくれた。
「温泉研究会で一緒なんだっけ、先輩後輩なのに”先輩”じゃなくて名前で呼んでるんだね」
ちょっと突っ込んだことを聞いてみた。私は明石君が「暁人さん」と呼んでいるのを、何度か聞いている。まあ明石君は、私のことも加賀君のことも滅多に「先輩」とは呼ばないけどね。
「あ、ええと…」
明石君は照れたように俯いている。
「三松さん、なんでそんなこと…」
加賀君が怒ったように私を睨んだ。
「あ、ゴメン、ヘンなこと聞いちゃった?酔ってるのかなあ」
私はそれ程お酒を飲まないのだが、酔ったふりをしてごまかした。
「ずっと”先輩”って呼んでたんですけれど…暁人さんに名前で呼んでほしいって言われて…」
明石君は恥ずかしそうに答えたが、嫌そうではなかった。加賀君の機嫌が悪いので、もうそれ以上は何も聞かなかった。
その晩、女子は酔いと疲れでみんな早く寝ついてしまった。多分男子も同じだろう。いつもならまだ起きている時間だが、ホテルの夕食は早めなので就寝も早めになってしまう。研修も残りわずかだ。そして私がK大生でいられるのもあと少しだけ…「研究室の三松さん」も、もうすぐお終いだな…ちょっと感傷的になってしまった。そのまま眠ろうと思ったのだが、喉の渇きが気になってきた。
(お漬物がおいしくて食べ過ぎたかも)
私はみんなを起こさないように、そっと部屋を出た。ホテルの自販機は高めだが部屋の冷蔵庫よりは安いので、それを利用しようと思ったのだ。
(ええと、たしかこっちだったかな)
私が自販機に近づこうとした時話し声が聞こえてきた。
(ん?何か言い争っている?)
私は少し離れたところで様子を窺った。
「あんたそんなんだから兄貴に勝てないんだよ」
(?広瀬君の声みたいだけれど…一体誰と…)
「兄貴が実央君に一目惚れ…かどうかは知らないけれど、本気で好きになって告白して実央君に受け入れられたんだ。あんた自分がゲイだって自慢してきたけど、ゲイじゃない兄貴が同性の実央君に告白するのにどれだけの勇気と覚悟が必要だったと思ってんだ。ゲイであることを恥じていないんだったら堂々と告白すればいいし、兄貴と付き合ってたって奪うくらいの度胸見せればよかったんじゃないっすか。それを卒業したらとかなんとかグダグダ言って逃げて、そんなのただの根性ナシの言い訳だ!」
(!!?えっ!?)
「実央君に受け入れられたって…本当にそうなのかな。君のお兄さんに対して実央君はよそよそしいじゃないか。敬語を使ったりして…」
「それは…先輩後輩の間柄だったからなかなかその雰囲気が抜けないだけだし、人前では気を遣ってんですよ。二人だけの時はそりゃあもうイチャイチャラブラブですよ!それにね、うちと実央君のところはすでに家族ぐるみの付き合いなんです。実央君のお母さんとうちの姉貴なんかもー仲良しさんで、しょっちゅう二人でどこかに出かけてますよ。父親同士も飲み友達で、父さんがアメリカから帰って来た時は必ず二人で飲み歩いてんすよ」
(相手は加賀君!?ええと…ゲイがどうとか…加賀君が!?)
その時近くの部屋から「うるさい」というクレームが入ったようで、加賀君は引き上げてしまったらしい。
(あ、広瀬君がこっちに来る)
私の目の前がエレベーターだったのでそれを使うのだろう。私は慌てて近くの柱の陰に隠れた。広瀬君がエレベーターに乗り込んだので、なんとなく停止階を見てみると
(8階?その辺はかなりお高い部屋じゃないの?)
なんだか混乱していて頭の整理が追い付かない。
(そうだ、飲み物買うんだった…)
かろうじて思い出した私は自販機で麦茶を買って、自分の部屋に戻った。
「先輩、出掛けてたんですか?」
「あ、ごめん里保ちゃん、起こしちゃった?」
「イエ、ちょうど目が覚めたので…あ、飲み物買って来たんですね、私も行って来よう」
「そう?気を付けてね、はいカードキー」
私は里保ちゃんにキーを渡すと買ってきた麦茶をごくりと飲んだ。まだドキドキしてる…あの時近くにいたのが里保ちゃんではなく、私でよかった…。
落ち着いて先程の二人の会話を整理してみる。明石君は暁人さんと付き合っている。おそらく在学中から。双方のご家族もそれを認めている(※厳密には一人を除いてです)。加賀君はゲイで明石君のことが好きである。だけど明石君に告白できずに片想い…。
今まで感じていた違和感の正体がわかって、パズルのピースが嵌ったような気がした。
(加賀君の明石君への態度…加賀君と広瀬君の間の微妙な空気…明石君と暁人さんの距離の近さ・親密さ…)
そういうことだったんだ。加賀君が今日不機嫌だったのは広瀬君がずっと明石君にくっついていたから…いや広瀬君は加賀君が明石君に近寄らないようにしてた?そもそも広瀬君がいきなり研究室に突撃してきたのは加賀君を警戒してのこと?お兄さんのためにやっていたことなの?加賀君が下調べに行かなかったのは、明石君が捻挫で行けなくなったから?多分私が明石君と広瀬君のツーショを撮ったり、夕食時に暁人さんの話をしたことも加賀君のカンに触ったのだろう。
その後もあれやこれや考えてしまって、里保ちゃんが戻ってきた後も私はなかなか眠れなかった。
翌日ホテル内で様々なスタッフさんたちにお話を伺って、私たちの研修は終了した。
「ご希望の方はホテルの車で湯本駅までお送りします。大きい車がいま出てしまっていて分乗になりますが」
柏木さんがそう言って車を手配してくれた。
「お疲れ様でした。日程はすべて終了です。ここで解散しますが、希望者は駅までホテルの車で送って下さるそうです。寄り道しながら帰る人は自由にして下さい」
私の締めの言葉で研修は終了した。
「三松さんは教授と先に出ていいよ、僕は後でいい。帰りのロ〇ンスカーは後日精算で予約はしていないから、都合のいい時間に乗ってくれ」
加賀君が私にそう言った。
「うん、ありがとう。そうさせてもらうね」
私は教授を促し、
「お世話になりました」
と、柏木さんや他のスタッフの方々にお礼を述べてホテルの玄関を出た。余談だが学生たちがあまりに大酒呑みだったので、申し訳ないからとサービスの酒代の約半分を教授が払ってくれたらしい。
ホテルの車に乗り込むときに、暁人さんの車が玄関近くに停まったのが見えた。広瀬君が二人分の荷物を持って運んでいる。暁人さんは車から降りて、明石君を後部座席に座らせる。加賀君・明石君・広瀬君兄弟みんなが昨日までとは全く違って見えてしまった。どう違うのかと言われてもうまく説明できないが、それぞれの心情を知ってしまうとこんなにも風景が変わるのか。
寝不足の私は帰りのロ〇ンスカーで、やっと暫しの眠りにつくことができた。
意外なトキメキ
白川研究室の研修が終わるとすぐ12月、今年も残り半月という頃に私はまた研究室に来ていた。卒業が見えてくると名残惜しくて、ついつい足を運んでしまうのだ。
(今日は静かだな…)
教授は大学外の仕事で外出中。研究室には私一人しかいない。ありがたいことに就職は内定をもらえているし、卒研の方も研修後に仕上げることができた。卒研が通らなければ卒業できないが、そんな学生は滅多にいない。ただ4年生でも単位を落としていれば講義と試験が残っているし、内定が出ていない学生はまだ大変な思いをしているだろう。
(ここにいられるのもあと約3か月か…)
そんなことを考えているとノックの音がして
「失礼します」
という声が聞こえた。
「あら、広瀬君、久しぶりだね」
「こんにちは、箱根ではお世話になりました」
そう言って広瀬君は頭を下げる。彼と会うのは研修以来だ。手に大きな紙袋を持っている。
「あの…白川教授は…」
「あー、今日は外出してて戻らないと思うよ。ごめんね、私一人で」
「そうですか…いや、三松さんがいてくれてよかったです。あの、これ」
「?」
「教授に母からです」
「え、お母様から?なんで?」
「研修でお世話になったからって…。オセイボ?」
「いや、お世話って程じゃ…飛び入り参加で費用も掛かってないし…」
「母は兄と俺が実央君の送迎をしたことを知らないんです。急な欠員で俺が参加したと思ってて、費用も教授のご厚意ってことになってます」
ん?どーゆーこと?明石君と暁人さんのことはお互いの家族が認めてるような話をしていなかったっけ?それなのにお母様は広瀬兄弟の送迎を知らないの?
「えーと、時間ある?よかったらお茶でも飲んでかない?そこにあるお菓子食べていいよ」
「はい」
広瀬君は素直に腰かけた。
「今日は彼女さんは?」
「唯ちゃんは講義があるんで」
私は広瀬君にお茶…といってもペットボトルのお茶だが、それを差し出した。
「あざす」
「あの…気を悪くしないでほしいんだけど、箱根の2日目の夜広瀬君と加賀君が言い合ってるの、私聞いちゃったんだ」
「!」
私は思い切って切り出してみた。意図的ではないにしろ個人の秘密を知ってしまったので、黙っているのも気が引けたのだ。広瀬君はさすがに言葉を失っている。
「偶然だったの、飲み物を買いに行ったら声が聞こえて…途中からだったけれど、内容は大体わかったかな。あ、誰にも言ってないから安心してね」
「そうすか…俺なんて言ってました?」
「え?」
「酔っててあまり覚えてなくて…加賀さんに失礼なこと言ってましたよね」
うん、「あんた」呼ばわりはしてたかな。
「お兄さんと明石君の話はしてたよ。お兄さんは覚悟と勇気をもって明石君に告白して付き合ってるって。加賀君がゲイだってこともその時知った。彼は明石君が好きだったのね(思い当たる節はたくさんあったけど)。あと家族ぐるみのお付き合いだってことも言ってたけれど、それなのに箱根のことをお母様はご存じないの?」
「母だけは二人のこと猛反対してるんです」
そうだったのか…お母様の気持ちもわからなくはない。前途有望な長男が同性の恋人を連れてきたら、そりゃあショックだろう。
「じゃあいつかいきなり研究室に飛び込んできたのも、明石君のため?」
「教授には失礼なことしましたよね。加賀さんが実央君のこと狙ってるって知ったら、他に手立てがなくて…でも俺来年はここにお世話になりたいと思ってます。三松さんがいないのは残念ですけど」
お世辞とはわかっていてもきゅんとしてしまった。
「上手だね、広瀬君は。もうお菓子は出ないよ」
「いや、本心ですよ。実央君も言ってました。『研究室の三松さん』て呼ばれてて、みんなのお姉さんみたいだって。今日ここにいてくれたのが三松さんで本当に良かったと思ってます」
まあ加賀君がいたら、それはそれで大変なことになっていたかもだけど…
「お姉さんかあ、私ね実際弟がいるのよ、二人」
「へえ、そうなんですね」
「下はまだ高校生だけど、上の方は今専門学校に行ってるの。もうやりたいことが決まってるんだって」
「なんかすげえな…俺なんか新年度から就活が始まるのに、まだ何にも考えてなくて…」
「いや、それが普通だよ。私だって内定もらったところから選んで…お祈りメールだっていくつかもらっちゃったよ」
「でも複数内定もらえたって、すごいっすよ」
「ふふ、ありがと。私ね、実は奨学金をもらってるんだ」
これはあまり人に話したことがない。
「うちは貧乏ってわけじゃないけれど、かといって裕福って程でもないし。弟が二人いるから本当は高校で就職した方が親は楽だったと思う…私大を選んじゃったしね。国公立でも行けばまだよかったんだけど、どうしても白川教授がいるK大に入りたくて、奨学金もらうからって進学させてもらったの。もちろん会社は自分の行きたいところを選んだけれど、バリバリ働いて奨学金を返さなくちゃなんだ」
「奨学金か…なんかすごいです、三松さんも弟さんも…俺、なんか自分が情けなくなってきた。何も決めてないし、高校も大学も私立に行かせてもらって、なんだかんだ姉貴にも兄貴にも小遣いもらってるし…K大受けたのだって兄貴がいるからって。まあ誰も受かると思ってなかったみたいだけど」
「情けなくなんかないよ、恵まれてるってことをちゃんとわかってて、ご両親に感謝できれば十分だと思うよ」
広瀬君がしゅんとしてしまったので、私は慰めた。
「お兄さんと同じ大学に合格したんだから、すごいじゃない」
「…兄貴はホントは国公立を勧められてたんですよ、高校の先生にも予備校の先生にも。でも三松さんと同じで、ここの理工学部でやりたいことがあるって選んだんです。つまりは実央君と結ばれる運命だったってことですかね」
広瀬君はやっと笑った。
「そうだね」
「三松さんは…もし弟さんが同性の恋人を連れてきたらどうします?」
いきなり聞かれてちょっと戸惑った。
「それは…やっぱり驚くとは思うし…すぐには対応も決められないかもしれないけど…結局応援するんじゃないかなと思う」
私は正直に答えた。
「広瀬君のところはお姉さんと明石君のお母さんが仲いいんだっけ?」
「え、俺そんなこと喋ってました!?」
「うん、お父さん同士もよく飲みに行っているとか言ってたよ」
「うわー、俺加賀さんにそんなことまで話してたのかー、加賀さん引いただろうなー」
「うん、引いたかもね」
私は笑って応じた。
「でもすごいとおもうよ、家族がそこまで応援するなんて。どちらもいいご家庭なんだね」
「まあ正直温度差はありますけどね。実央君のお母さんとうちの姉貴はなんか最初っから意気投合して熱量がすごくて。俺は姉貴の指令で色々やらされてるんですよ。逆らうともー怖くて」
“姉・兄”がいつのまにか”姉貴・兄貴”になっている。親近感がわいてなんだか嬉しくなった。男性と勉強や大学のこと以外でこんなに話すのは、初めてかもしれない。
「姉貴より三松さんの方がよっぽど”お姉さん”て感じですよ。優しいし頼りになるし」
広瀬君にまで「お姉さんポジ」で見られるのはちょっと複雑な気分だった。あれ、なんでだろう?
「あぁー、来年も三松さんが研究室にいてくれたらよかったのにー」
広瀬君はさっきと同じことをまた言った。
「何よ、落第させる気?」
「落第しませんか」
広瀬君は身を乗り出して言った。
「お断りします。でも後期の試験対策ぐらいはちょと手助けできるかも」
「そうだー、それがあったか。忘れてたのにー。クリスマス・正月の後に試験だもんなー」
広瀬君は大げさに天を仰ぐ。
「でもクリスマスは彼女さん…唯ちゃんて言ってた?と、デートなんでしょ?」
「そうなんですよ、まだお店の予約とか取ってないからヤバイっすよね。プレゼントもこれからだし」
「楽しみだね」
言っていて私はなんだか、胸が痛んだ。どうしてだろう。
「あっ、そういえば」
広瀬君は急に何かを思い出して座り直した。
「三松さん、写真!」
「写真?」
「箱根のバスのやつですよ」
「ああ、あれ。明石君に広瀬君にもあげてって頼んだの。カワイイでしょ。黙って撮っちゃってゴメンね」
「”あれ”じゃないですよ。あれを見た兄貴が不機嫌になっちゃって…」
「そうなの?お兄さん、やきもち焼きなんだね」
「でもそのままスマホの待ち受けにしてるみたいっす」
「なんだ、お兄さんは広瀬君のこともカワイイんじゃない」
「そうなのかなー」
「そうだよ、ワンコみたいでカワイイよ」
「俺ってやっぱりワンコなのかー」
「?(やっぱりとは?)」(※『兄貴の彼氏と俺の話』をご参照下さい)
他の人にも「ワンコ」って言われているのかな(※正確には「年下ワンコ攻め」です)。
「お母様からの贈り物は預かっておくよ。教授にも上手に言っておくから安心して。お母様には『教授がくれぐれもよろしくお伝え下さいと言っていました』って話していいよ。多分そうおっしゃると思うから」
「あざす。ホントに三松さん神!よろしくお願いします。それじゃあ俺はこれで。唯ちゃん講義がそろそろ終わると思うんで。失礼します…あ。ちょっと早いけど、ヨイオトシヲオムカエクダサイ」
最後の一言は言い慣れていないのか、カタコトみたいにぎこちない感じで付け加え、広瀬君は一礼して部屋を出て行った。
私はドキドキするような切ないような、不思議な感覚にとらわれていた。
正解か不正解か
「セ・ン・パ・イ、なにボンヤリしてるんですか。珍しいですね」
私は里保ちゃんに声を掛けられてハッとした。
「いや、別になんでもないよ、考え事してただけで…」
「恋の悩みですかー?」
「こ、恋!? そんなはずないでしょ、知り合って間もないしそれ程話したわけでも…」
言ってからしまった、と思った。これでは誰かのことを考えていたみたいに聞こえてしまう。
「へー、冗談だったのに図星なんだ。何言ってんですか、一目惚れだってあるんですよ。恋に会った時間や回数なんて関係ないです。好きになるときは好きになるんです」
里保ちゃんはさらっとそんなことを言う。年が明けて今4年生以外は試験期間だ(単位を落としている人は別として)。里保ちゃんは今日で試験が終わったということで、研究室に来ている。
(広瀬君は2年生だから里保ちゃんよりは科目数も多いし、まだ試験中かな…また研究室に遊びに来てくれたらいいのに…)
そう考えてまたハッとする。どうしてこう広瀬君のことを思い浮かべてしまうんだろう。里保ちゃんの言うように「恋」?…いやいや、同い年以下は対象外だったはず。弟と歳の近い男子にあり得ない。しかも広瀬君には彼女が…そこまで考えて胸がズキッとした。
「はぁ…」
「あら、今度はため息ですか。これは重症ですね」
「そんなんじゃないわよ、里保ちゃん就活進んでるの?」
私は違う方に話を振った。
「うへぇ、今それ言います?試験終わったばかりなんですから勘弁して下さいよ」
白川教授の本を棚に戻し終わった里保ちゃんは、椅子に腰かけた。
「いいですよね、三松先輩は、複数内定もらえて。私に1コ残しておいて下さいよ」
「お祈りメールも、もらったってば」
「結局どこにしたんでしたっけ、出版社でしたか」
「うんそう、ちょっと畑違いかなと思ったんだけれどね」
「いやすごいですよ、出版業界は狭き門だって聞きますよ。大手でしたよね」
「うん、私自分がここに来たきっかけを思い出したのよ。昔は経済なんて全く関心なかったし、政治家とか役人とか社長さんとか、そんな人たちが関わるものだと思ってたの。でも高校の時たまたま白川教授のご著書を読んで、経済は自分の身近にもあって深く関わっているものだって教えられた。それこそ外国との関係だってね。為替なんか自分には関係ない話だって思ってたもの」
「あー、わかります。円安だのドル高だの高校の時も理解できなかったですもん。なんで円の方が金額が上がってるのに円安なのよーって」
「だよねえ。私も親に説明されてナルホドって思ったけど。でも教授の本にはそういうことも含めてわかりやすく経済のことが書かれていて、私もそんな本を作ってみたいなって思ったのよ。若い人でも経済のことに触れられる本を。まあ最初から希望の部署に配属されるとは思ってないけど」
「立派な志があるじゃないですか…たまにはここへ遊びに来て下さいね、私先輩がいなくなると思うと寂しくて…」
里保ちゃんが涙ぐむので、びっくりした。
「やだ、卒業式は3月だよ、気が早いよ里保ちゃん。バイトのない日はまだ来るからね」
そう言って私は里保ちゃんの肩をさすった。さすりながら
(試験が終わったら春休み…もう広瀬君に会うこともないか…)
そんなことを考えた。
春休みに入ると教授も大学に来ない日が増えて、研究室が閉まる日も多い。それでも時折研究室が開くことはあって、学生にはラ〇ンや事前のプリントで日程が知らされている。今日は4月に向けて教授たちの会議があるとかで研究室は開いている。私は入社式まではできるだけバイトを入れていたが、研究室の開く日は用がなくても来ようと決めていた。里保ちゃんは卒業後も遊びに来て下さいと言ってくれたが、なかなかそれも難しいだろう。
2月とはいえ今日はちょっと暖かくて春めいている。私は午前中だけ本屋のバイトに入り、午後から研究室に来ることにしていた。ノックしようとすると、ドアが少しだけ空いたままになっていた。
(あれ、誰か来てるのかな)
ちょっと隙間から様子を窺うと、明石君の姿が見えた。研究室には来客用に3人くらいが座れるソファが置いてある。明石君はそれに腰かけて居眠りをしているようだった。手には雑誌を持っていて、読んでいるうちに眠くなってしまったのだろう。
(かーわいい、また写真撮って広瀬君に送っちゃおうかな)(※隠し撮りはいけません)
そう思ったとき明石君の隣に人影が見えた。加賀君だ。私はとっさにドアノブにかけた手をはずす。
(え…加賀君何を…)
加賀君は思いつめたような表情で明石君を見つめると、明石君の顔に自分の顔を少しずつ近づけていく。
(まさか…キスしようとしているの!!?)
私は焦った。これ、どうするのが正解なの!? どうしたらいい?やっぱり止めるべき?でも加賀君は叶わぬ恋の最後の思い出を作ろうとしているのかもしれない。見逃してあげるべきなのか!? キスくらい大目に見てあげる!? いや、キスくらいって、自分だって経験ないくせにーっ!
この間僅か数秒、加賀君の唇はもう明石君に触れそうだ…と思った時、廊下の向こうから里保ちゃんがスマホを片手に歩いてくるのが見えた。
「里保ちゃーん、こっちこっち! 待たせちゃってごめんねーっ!」
私は大声を出して、里保ちゃんに向かい大げさに手を振った。目の端にびくっとして明石君から顔を離す加賀君が…見えたような気がする。正直未遂だったかどうかは確信が持てない。
里保ちゃんはいきなり私に大声で呼ばれたので、びっくりして駆け寄ってきた。
「先輩、待たせたって…?何か約束してましたっけ?」
「そうそう、渡したいものがあってー」
私は大きめの声でそう言って、里保ちゃんと研究室に入った。
「あれ、加賀君たちも来てたんだ」
わざとらしく話しかける。
「あ…僕寝ちゃってた?」
目をこすりながら、まだぼんやりした様子で明石君が言った。キミ、今暁人さん以外の男性に唇を奪われるところだったんだよ?いや、ひょっとして奪われちゃったのかも…?
「三松先輩、渡したい物って…」
里保ちゃんが聞いてくる。そんなものはないのだが、それを聞いた明石君が
「僕も加賀さんから卒研に使えそうな資料を譲るからって連絡頂いて、今日研究室で待ち合わせたんです」
と、言ったので
「あ、ああそう、私もそんな感じかな」
彼に乗っかってごまかした。もしかすると加賀君は明石君に告白するつもりだったのでは?という考えも頭をよぎった。明石君が居眠りしたのは予想外だろうけれど、思わぬラッキーについ魔が差して…いゃ、魔が差しては失礼か。
「明石君、これ約束の資料」
加賀君が明石君に紙袋を渡す。
「ありがとうございます、大切に使います」
「僕はもう帰るけれど、明石君はどうする、一緒に帰るかい?」
「いえ、教授に伺いたいことがあるので、もう少し待ってみます」
「そう…それじゃお先に。三松さんと戸倉さんも」
「うん、お疲れ様。またね」
またね、とは言ったが次は卒業式かもしれない。加賀君は切なそうな表情で研究室を後にした。私はちょっと胸が痛んだ。自分の行動が正しかったのかどうかは判断できない。何も知らない明石君はまた雑誌を読み始めている。
「先輩、それで資料って…」
「あーうん、あれ?忘れちゃったかなー」
忘れたも何も、初めからそんなものは持って来ていない。
「なんです、それ」
里保ちゃんは笑った。
「ごめんごめん、代わりと言ってはなんだけど…これ、いる?」
私は里保ちゃんにスマホの写真を見せた。
「いりますっ!欲しいっ!」
それは箱根で撮ったあの二人の写真だ。里保ちゃんの声の大きさに明石君が驚いてこちらを見る。
「あー、明石君、あの箱根の写真、里保ちゃんにあげてもいい?」
一応被写体本人にお伺いをたてた。
「ああ、あれですか?別にいいですけれど…」
「広瀬君にも了解もらっといてね。あ、里保ちゃん、SNSとかに上げたらダメだからね」
「わかってます、ありがとうございます先輩♡」
理由はよくわからないが、里保ちゃんはこの手の写真に食いつきがいいような気がしたのだ。正解だったみたい。
「先輩、私お昼まだなのでちょっと外に出てきていいですか?私もできれば教授にお会いしたいので」
「いいよ、私まだここにいるし教授が戻ったら連絡するね、”イチ’S House”に行くの?慌てなくていいからね」
”イチ’S House”は学生がよく利用する飲食店だ。
「はい、そのつもりです。お願いします」
里保ちゃんがスマホの写真を見ながら部屋を出て行くと、入れ違いに入ってきた男子学生がいた。
(広瀬君!?)
私は胸が高鳴ってしまった。もう会えないかもと思っていたのに。
「あれ、篤紀君、大学に来てたの?」
明石君が声を掛けた。
「あーうん、ちょっと図書館に用事があって…三、三松さんいるかなーって」
「私!?」
「あの、去年の暮れにはお世話になりました」
暮れって…ああ、「お母様のお礼」の件ね。広瀬君の来訪は嬉しかったが、これはウソだとすぐにわかった。明石君がまた雑誌を読み始めたのを確認して、私は広瀬君を窓際の方に手招きした。小声で
「明石君の様子を見に来たんでしょ」
と聞いてみる。
「ハイ…実は姉貴からの指令で…もっと早く来るつもりだったんですけど、朝飯の後うっかり寝ちゃって…」
もし時間通りに来ていたら加賀君と明石君二人の場面に遭遇したかもしれなくて…それを避けられたのはよかったのかな?それにしてもお姉さんの指令って…この前もそんな話してたよね、お姉さんが明石君たちの交際を熱心に応援してるようなことを…。お姉さんは明石君の登校日を把握しているの?(※してます)
「お姉さんて…OLさん?お兄さんよりも上?」
「一番上です。だから兄貴も頭が上がらないみたいで」
「ご結婚は?」
私はまた距離を詰めてプライベートな事を聞いてしまったが、広瀬君はいつものように気にしてない様子だった。
「してないです、全然です。見た目は悪くないと思いますけど、色気がないっていうかガサツっていうか…あ、部屋とかはすごくきれいにしてますけど、女らしさが感じられないというか…」
確かに広瀬兄弟のお姉さんならキレイな方だろうと想像はできる。それにしてもずい分な言われようだなー。
「でもお小遣いとかくれるって言ってたじゃない?」
「ああ、小遣いっていうかバイト代っていうか…」(※『兄貴の彼氏と俺の話』参照)
バイト代?まあこれ以上深掘りするのも失礼か。
「あれは結婚できないっすよ、多分。美人でも俺ならパスします」
「広瀬君は?」
「俺ですか?」
「彼女さんと結婚とか考えてるの?」
聞いた自分がドキドキしてしまった。
「えー、唯ちゃんはカワイくて好きだけど、正直今はそこまで考えられないかなー。まだ学生だし」
「でも大学で知り合って、卒業後に結婚する人ってチラホラいるよ」
「そうなんだ、でも唯ちゃんて地元こっちじゃないんですよ。今は女子学生専用のアパートに住んでるんです。どこで就職するつもりかは聞いてないけど、遠距離になるとキツイかもなあ」
広瀬君はけっこうドライなんだね。
「俺は自宅が隣の神奈川なんですけれど都内に通学するのは苦じゃないし、就職も都内でてきたらなって思ってます。具体的なことは何も考えてないっすけどね。三松さんはもう決まってたんですよね、どんな会社ですか?」
「ああ、出版社なの」
「うわー、なんかカッケーですね、入るの難しそうなのに。この研究室の人って優秀な人多そうで、俺やっていけるかな。なんだかんだ加賀さんもスペック高いですもんね」
“なんだかんだ”って…。ていうかほんとにこの研究室に来てくれるんだ。
「加賀君は卒業しちゃうから、広瀬君も新年度はここに来やすいでしょ」
そう言って私はハッとした。こんなことを明石君に聞かれたら不審に思われてしまう。思わず明石君の方を見ると
「あら、また居眠りしてる」
明石君は雑誌を広げたまま、ちょっと斜めになってすやすやと眠っていた。
「あ、ホントだ。”また”って?」
「さっきもね、居眠りしてたの、寝不足かな」
それでお兄さん以外の人にキスされそうになっていた、とはさすがに言わなかった。
「あー、寝不足っつーか…」
広瀬君は意味ありげに微笑んで
「昨日兄貴とデートだったみたいだから」
「そんなに夜遅くまで出掛けてたの?」
「うーん、そういう事じゃなくて、ですね、まあ疲れているのかと。男同士のアレやコレやで」
「男同士の…?」
「あ、気にしないで下さい」
「うん、よくわからないけれど…そういうの里保ちゃんが詳しそうな気がする。なんとなくだけど」
「里保ちゃんて…ああ、さっき部屋の外ですれ違った…戸倉さんでしたっけ。戸倉さんて腐女子なんですか?」
「フジョシ?なんか聞いたことはあるような気がするけれど…なんだったかしら」
「BL漫画とかが好きな女子ですよ。三松さんはBLとかは読みそうにないですもんね」
「BL…あ、ボーイズラブね。漫画は友達から借りて読むことが多かったけれど、男女の恋愛ものやスポーツものとかで、そういうのは読んだことなかったな。広瀬君は読んだりするの?」
「えっ、俺は…男だし…」
「そうだね、読んでたら”フダンシ”ってことになるのかな?」
私はおかしくなって、笑ってしまった。
「………そのー、姉貴も俺も兄貴と実央君のことがあって、勉強のために少し読んだっていうか…」(※ちょっと違います)
「本当に広瀬君のところは家族思いだよね。私も見習わなくちゃ」
「…そうですかね…そうだといいんですけれど…」
広瀬君はまた複雑な笑みを浮かべていたが、私は思いがけず広瀬君に会えてご機嫌だった。
卒業式です
3月吉日、ついに卒業式の日がやって来た。4年間お世話になったK大とも白川研究室とも、そして「研究室の三松さん」とも本当にサヨナラだ。お天気も良くて晴れやかな気分だった。卒業式は家族が参列する学生もいるが、来ない人も結構多い。式が終わった後は大講堂からばらばらに外に出たが、なんとなく研究室のメンバーでかたまってしまった。中には泣いている子もいる。
「終わったねぇ、まあ新しい始まりでもあるけれど」
私は隣にいた加賀君に、なんとなく話しかけた。
「そうだね…長かったような、早かったような…」
加賀君は遠くを見てそう言った。続けて
「あの時はありがとう」
と、私にお礼を言う。
「何の話?」
「あの時、止めてくれてありがとう。見てたんだよね僕と…明石君のこと」
ドキッとした。2月の研究室でのことだ。
「え、なんのことかわからないけど…私、何かしたかしら」
私はとぼけることにした。
「いいんだ、お礼を言いたかっただけだから」
加賀君は苦笑する。「止めた」ってことは、未遂だったということか。正直あの後もあれでよかったのかどうか、私なりに悩んだのだ。黙ってキスするのはよくないとは思うけれど加賀君にとっては最後のチャンスだったわけで、それを奪ってしまったことに申し訳なさも湧いたし、あれでよかったんだと思い直したりもした。
「僕もせめて”バイ”だったら、『研究室の三松さん』みたいな素敵な女性を好きになれたのかもしれないな」
加賀君の言葉に私はびっくりした。私を信用してくれているからだろうが、彼は今すごく大切な事を告白したのだ。
「そっかー、それはザンネン。玉の輿に乗りそびれっちゃたわね」
「なんだい、それ」
お互い笑顔だった。その時向こうから里保ちゃんや明石君たち、研究室の3年生が走って来るのが見えた。
「先輩方―っ、ご卒業おめでとうございます!!」
みんな手に手に小さなブーケと小さな手提げを持って、それを一人一人卒業生に手渡してくれる。
「これ、研究室の3年生全員からです。ささやかですがお祝いとお礼の気持ちです」
里保ちゃんが代表して言い、私に贈り物を手渡してくれた。
「ありがとう、すごくうれしい」
横を見ると加賀君には明石君が渡していた。
「ご卒業おめでとうございます。加賀さんには特にお世話になりました。これ、男性にはハンカチと靴下なんですけれど加賀さんのは僕が選びました」
「ありがとう、うれしいよ」
加賀君は明石君の手からブーケと贈り物を受け取る。
「あの時はけがをさせてすまなかったね」
“あの時”とは学際初日のことだ。明石君は不思議そうな顔をして
「えっ、別に加賀さんのせいじゃないですよ。僕が勝手にコケただけで…。僕の方こそあの時は色々助けて頂いて、本当にありがとうございました」
明石君は明るく答える。
(明石君、加賀君はきっと君と一緒に本を運んで図書館に行きたかったんだよ。少しでもいいから君と一緒の時間が欲しかっただけなんだよ)
私は口には出さず、心の中でそう呟いた。加賀君は、笑ってはいるがなんだか悲しそうな顔にも見える。
(ハンカチには”別れ”の意味もあるものね、切ないね、加賀君)
その時また一人、元気に走ってくる姿があった。
(!広瀬君だ!)
「ま、間に合った―」
ハアハア言いながら、息を整える。
「篤紀君、君も来たの?」
明石君が近寄っていく。
「なんだい、最後の最後まで邪魔をする気かい」
加賀君が皮肉っぽく笑って言った。
「違いますよ」
広瀬君はちょっと睨んで加賀君に言い返した。
「邪魔?」
意味が分からなかったようで、明石君はキョトンとしている。
「これ、三松さんにと思って…」
「私に?」
私は広瀬君から小さな包みを受け取った。
「三松さんには色々お世話になったから、何かお礼をと思って。って言ってもハンカチなんですけどね。花は被るとジャマになるからやめとけって姉貴に言われて…」
こちらも別れの挨拶か…うん、やっぱり切ないよね加賀君。
「ありがとう、わざわざ来てくれて。嬉しいよ、大切に使わせてもらうね」
広瀬君は照れくさそうにへへっと笑った。
「今日の水色のスーツ、三松さんによく似合っていてステキです」
ほんとにワンコみたいだ。私のためもあっただろうけれど、やっぱりお姉さんに言われて明石君の様子を見に来たんだろうな(※正解)。
「それじゃあ写真撮りまーす、集合写真は最後に撮りますからね。もう少ししたら白川教授もお見えになると思うので」
里保ちゃんが仕切る。研究室の新しいまとめ役は彼女になりそうだな。
「最初にばらばらに撮りますから、適当にお願いします」
3年生がスマホやデジカメを手に取り撮影会になった。
「それじゃあまず加賀さんと明石君、並んで下さい」
里保ちゃんが指示を出した。え、いきなりピンポイントでそこ?
「はい並んで―、もうちょっとくっついて下さいね」
加賀君は明石君の肩をしっかり抱いた。
「いいですよー、撮りまーす」
ふと見ると広瀬君が渋い顔で見ている。私は彼に近寄って
「まあまあ、今日くらいは大目に見てあげてよ。最後なんだし。広瀬君の胸にしまっておいてね」
小声で宥めた。
「まあ、いいんですけど…実央君てちょっと天然ていうか、空気読まないところがあって…あのツーショ兄貴に見せそうでコワイです」
「なるほど…」
私は明石君に声を掛けた。
「明石君、私とも撮ってくれる?」
「もちろんです、お願いします」
明石君が小走りで寄ってくる。
「広瀬君撮ってくれる?」
私のスマホを出そうとしたが
「あ、俺ので撮っておきます。後で二人に送るんで」
私は明石君と二人で写真を撮ってもらった。直後に
「明石君」
少し声色を落として話しかけた。
「ここだけの話なんだけどね、ごくごく一部の人にしか伝わっていないジンクスがあって…」
「は、はい?」
明石君は困惑した表情をしている。
「卒業生とのツーショを人に見せると、就活がうまくいかなくなるって…」
「ほ、ホントですか?初めて聞きました」
うん、私も初めて言った。
「だからくれぐれも気を付けてね。見るときは一人でね」
「は、はい…わかりました…」
信じたかどうかはわからないが、抑止力にはなるだろう。明石君はまた別の人に呼ばれて走って行った。すぐ近くで広瀬君が屈みこんで笑っている。
「なあに」
「だって…くくっ…三松さん面白れぇ、なんすかそのジンクス、聞いたことないっすよ」
笑いをこらえながら広瀬君が言う。
「だからー、知る人ぞ知るジンクスよ。万一お兄さんが写真を見たとしても複数の先輩とのツーショがあれば、そんなにヤキモチ焼かないでしょ。大丈夫よ、あれで明石君人気者だから、他の4年生たちとも写真を撮るわ」
「そうですね、その時は俺がうまく言っておきます。あ、そうだ、三松さん俺とも撮って下さいよ」
「え、私と?私でいいの?」
「当り前ですよ、俺と加賀さんのツーショとかあり得ないでしょ。三松さんなら縁起が良さそうだし、御守りにします」
(まあ、それはそうだが。ていうか私は神様じゃないわよ)
などと思いながらも、満更ではなかった。里保ちゃんに頼んで広瀬君とのツーショットを撮ってもらう。
(私の方が御守りにしよう)
そう思った私に、
「じゃあ連絡先交換して下さい」
と、広瀬君が言ってきた。驚いて
「れ、連絡先?」
と、聞き返してしまった。
「はい、まだお互い知らなかったですよね、写真も送りたいし、就活や卒研のこと色々相談に乗って下さいよ」
「私なんかより、お姉さんお兄さんに聞いた方が…写真は明石君からでも…」
私が遠慮がちに言うと
「就活の状況なんて年々変わるんだから、姉貴なんて古すぎてダメっすよ。兄貴だって学部が違うし。もちろん実央君には聞きますけどね。あ、俺と交換するのイヤですか?」
と広瀬君は真顔になった。
「い、いやじゃないよ、こちらこそお願いします」
「こちらこそって…やっぱり三松さんて面白れぇ」
思いがけず広瀬君と連絡先の交換ができて、舞い上がってしまった。
(もう今日で最後だと思っていたのに)
本当に連絡が来るかどうかはわからないが、繋がりが途切れなかったことは何より嬉しかった。もう私ははっきり自覚している。
(広瀬君のことが好きなんだ…)
年下は守備範囲外だったのに、そんなことはどうでもよくなってしまった。ちょっと自分の気持ちに酔っていると、里保ちゃんが向こうから明石君を引っ張ってくるのが見えた。ん、何事?
「じゃあ明石君と広瀬君、そこに並んで」
二人に指示を出す里保ちゃん。
「いや戸倉さん、俺と実央君は卒業生じゃないんすけど…」
困惑気味に広瀬君が言う。
「いいからいいから、早く並んで、もっとくっついて仲良く!先輩の言うことは聞く!」
「戸倉さんはプロカメラマンですか?あー実央君、この写真は兄貴には見せないでね」
「え、なんで?卒業生とのツーショットじゃないから見せても大丈夫でしょ?」
明石君は先ほど私が言った謎のジンクスを信じているらしい。私は笑いをこらえた。もちろん後で里保ちゃんとのツーショットも私のスマホで撮ってもらったが、その時の里保ちゃんの顔は涙でくしゃくしゃになっていた。
しばらくして白川教授も加わり、研究室一同で集合写真を撮った。
「俺が撮ります」
そう言って広瀬君が撮ってくれたのだが、何枚か撮った集合写真の1枚にはちゃっかり広瀬君の姿も納まっていた。
入社式です
4月1日晴れて入社式の日を迎えた。卒業式もいい天気だったが今日も快晴だ。出版大手の中でも難関と言われる高階出版に幸運にも採用された私は、誇らしい気分で入社式に臨んだ。
式が終わると早速配属先が発表され、案内されて各自その部署に向かう。私が配属されたのは女性誌の編集部だった。経済とはあまり縁がなさそうだが、力になれるだろうか。ここに配属された新入社員は私一人で、少し心細くもあった。
「みんなー、ちょっと手を止めて集まってー」
編集長らしき人が声を掛けると、先輩社員が前の方に集まってくる。編集部は思ったより広かったが、雑然とした雰囲気だった。
「今日からこの編集部に新卒で配属された三松晴奈さんです。よろしく面倒見てやって下さい、ハイ拍手―」
男性編集長は40代後半くらいで、おおらかそうな人だった。パチパチと拍手が起こる。
「じゃ三松さん、自己紹介して」
「は、はい。K大経済学部国際経済学科から参りました三松春奈です。畑違いでご迷惑をお掛けするかもしれませんが、厳しくご指導下さい。どうぞよろしくお願い致します」
緊張で声が上ずってしまった。またパチパチと拍手が起こる。
「えーと、僕は編集長の熊谷です。あそこのハデなシャツ着てるのが副編の竹中ね。まああとはIDカード見ながら追々覚えてよ」
竹中さんらしき人が私の方を見て、手を上げる。
「はい、よろしくお願いします」
「えーと、それじゃあ新庄さん、ちょっと来て。あとはデスクに戻っていいよー」
みんながデスクに戻っていく中、新庄さんと呼ばれた若い女性が私の前に歩み出た。
「彼女は新庄咲さん、去年新卒入社した三松さんの1年先輩」
「新庄咲です。よろしくね」
新庄さんはすらっとした美しい人で、私にすっと手を差し出した。
「三松春奈です、よろしくお願いします」
私は頭を下げて新庄さんと握手した。手汗大丈夫かな。
「社内の細々としたことは、彼女に教わって。それと当分の間仕事の方も彼女に付いて覚えていってね。もちろん僕や副編、他の社員に聞いてもいいよ。でも新庄さんは2年目とは思えないほどデキるから。頼りになると思うよ」
編集長が言う。
「プレッシャーかけないで下さいよ、熊谷編集長」
新庄さんが笑って応じる。周りの人はもう自分の仕事に集中している。私、こんな中でやっていけるのかしら。
「それじゃあ私、三松さんにざっくり社内を案内してきますね。お昼になったらそのまま食堂に行きますから。戻ってきたら事務手続きとかをしてもらいます。実質仕事は明日からでいいですよね」
新庄さんはよどみなく予定を伝えて、熊谷さんに了解を求める。かっこいいなあ、箱根のホテルの柏木さんみたいだ。ショートカットもよく似合っていて、爽やかさを引き立てている。
「うん、それでいいよ」
「三松さん、先にIDカードと社用のスマホを渡しておくわね。使い方は後で説明するわ。デスクは私の隣。社用のPCがあるけれど、もちろん自分のPCやタブレットも使って構わない。ただセキュリティや情報管理の決まりごとはあるから、それも後で教えるわね。じゃあ行きましょうか」
「は、はい」
私は編集長に一礼して新庄さんの後に付いて行く。もうテンパっていて、何がなんだかわからない。私よくここに採用されたな。
「上の階から行きましょうか」
新庄さんと私はエレベーターで最上階に出た。ここは展示やイベントのスペース、ちょっと偉い方の応接スペースなどがある。私の他にも新卒社員が同じように案内されているのを何組か見かけた。全部の階や部署を回ったわけではないが、新庄さんは手際よく案内してくれた。
真ん中くらいの階まで来たときに
「そろそろお昼ね、食堂に行きましょうか。こっちがうちの社食よ」
新庄さんがそう言ったので昼食を取ることにした。でも緊張で食欲がない。
「うちの社食はわりと安くておいしいのよ。もちろんお弁当とかの持ち込みもOKだし、外にもおいしいお店があるから少しずつ教えるわね。まあ校了前は編集部で食べたり、食べる暇もなかったりするけれど。今日は社食にしておきましょう」
「は、はい…」
何か食べないと、新庄さんが心配しそうだ。
「あら、それだけ?」
私は一番あっさりしていて食べられそうなざるうどんを選んだ。
「なんだか胸がいっぱいで…」
私は正直に答えた。
「まあそうよね、私も初日はそうだったわ」
「新庄さんもですか?」
自信満々ていう感じなのに。
「そりゃあそうよ、夕食だって喉を通らなかったわ」
私だけじゃないんだと思ったら、少しほっとした。
「三松さん」
新庄さんはこちらに向き直った。
「はい」
「あなた挨拶の時に『畑違いですが』って言ってたけれど、そんなの全然関係ないのよ」
「す、すみません」
私は変なことを言って怒られたのかと思った。
「責めてるんじゃないの。出版社は様々なジャンルを扱っているでしょう。専門書・雑誌・文芸書・子供向けの図書・参考書・漫画…それぞれの中でさらに細かく分かれている」
「はい」
「自分の学んできたことがどこで役に立つかわからないわ。希望の部署ではなかったかもしれないけれど、編集部に来られたのはラッキーよ」
そうか、出版社に入ったからってみんなが編集部に配属されるわけじゃないんだ。
「私はいつか文芸を担当したいと思ってるの」
「文芸ですか」
「そう私自身作家を目指しているからね」
「すごい…」
「すごくないわよ、今は何でもネタにするつもりで勉強中なの」
「私も…いつか若い人にも手に取ってもらえるような経済の本を作りたいです。私自身1冊の本をきっかけに経済学部に入ったので…」
「経済学部か…どちらの大学って言ってたかしら?」
「K大です」
「K大…」
新庄さんは何かを思い出すような表情になった。
「お知り合いでもいらっしゃいますか?」
「うーん、知り合いっていうほどじゃないんだけれど、ちょっとね、会ったことのある人がいて。その人は理工学部出身だとおっしゃっていたけれど」
「理工学部ですか…」
理工学部と言えば広瀬君のお兄さんがそうだけど、私も直接の知り合いっていうわけじゃないしな。話題にするのは控えておこう。すぐに距離を詰めすぎるのは、私の悪いクセだし。その時ポケットのスマホが揺れた。
「すみません、スマホを確認させてもらっていいですか」
「もちろん、どうぞ」
見ると広瀬君からメールが来ていた。うわー、うれしい。
―お久しぶりです。今日入社式ですよね。新社会人おめでとうございます!お仕事バリバリ頑張って下さい!―
そんな文面とともに、なぜかグーサインを出して「グッジョブ!! 」と言っている猫のスタンプが付いていた。
(いや、「グッジョブ!! 」ってなによ、私まだ何もしてないわよ)
私はおかしくなって笑ってしまった。
「なあに、彼氏から?」
新庄さんがからかうように聞いてきた。
「違います、大学の後輩で…ワンコみたい子なんですよ」
「へえ」
その時横から
「新庄さん、食事中にゴメン、ちょっといい?確認したいことがあって…」
と男性社員が新庄さんに声を掛けてきた。
「はい、いいですよ。三松さん、ちょっと外すわね。食べてていいから」
「はい」
新庄さんは席を立って声を掛けてきた人と何やら話している。仕事の話みたいだ。私はもう一度広瀬君からのメールを見た。スーツのポケットの中のハンカチをぎゅっと握りしめる。広瀬君からもらったハンカチだ。ビタミンカラーのヒマワリの柄、まさしく広瀬君のイメージで元気が出そう。思い出してスマホの中のあの写真も見てみた。卒業式の広瀬君との写真。お互い首を傾けてピースをしている。まあどう見ても「お姉ちゃんと弟」って感じだね。でも…うん、少し食欲出てきたかも。
「やっぱり彼氏じゃないの?そのツーショット」
戻ってきた新庄さんが(多分ニヤニヤしながら)私が眺めていたスマホの写真を見て、そう言った。
「ほんとに違うんです。卒業式の時の記念写真みたいなもので…年下だし、この子には彼女がいるし。ただ弟みたいな感じで元気がもらえるんですよ」
「あら、そうなの?お似合いだと思ったのに」
新庄さんにそう言われ、社交辞令だとはわかっていても私は嬉しくなってドキドキした。
「その水色のスーツ、今日来ているものと同じよね、良く似合っていて素敵だわ」
「あ、これ…私にしてはちょっと冒険しちゃいました。入社式の服装の定番て紺とかグレーだとわかってたんですけれど。悪目立ちしちゃったかな。でもスーツの色で採用取り消しはないだろうと思って」
広瀬君が似合ってるって言ってくれたのもあるんだけどね。
「いいと思うわ。リ〇ルートスーツもそうだけど、なんかみんな判で押したように髪型まで似通ってて、私はつまらないって思ってるの。逆にそれで個性の違いが分かるっていう考え方もあるんでしょうけれど。私も入社式の時は、今日の三松さんみたいに明るい色を選んだわ。編集長の熊谷さんなんかデニムで参列したって伝説になってるわよ。うちは出版社なんだから型にはまらない、自由な考えや発想を持っていたいわよね」
新庄さんはすらすらと自分の考え方を話す(さすがにデニムはムリだけど)。
(やっぱりかっこいいなあ、私も来年はこんな先輩になって後輩を迎えたい)
「あの…新庄先輩って呼んでもいいですか?」
私は遠慮がちに聞いてみた。新庄さんはちょっと目を見開いて
「自由に呼んで。でもちょっと照れくさいわね」
と微笑んだ。今までは「先輩」と呼ばれる立場だったけれど、自分が呼ぶ側になった新鮮さにワクワクした。
「ずっと初心者ドライバーみたいな顔してたから、やっと笑顔が見られてホッとしたわ。そのワンコ君のおかげかしらね。食べ終わったなら案内を再開しましょうか」
新庄さんが空になったトレーを持って立ち上がる。
「はい」
喉に通らなかったざるうどんを、私はいつの間にか平らげていた。なんなら足りないくらいだった。颯爽と歩く新庄さんの後ろを私は付いて行く。その時またスマホが鳴った。さすがに見るのは後回しにしたが、それは里保ちゃんからのメールで卒業式での広瀬君と明石君のツーショットが付いていた。また1枚、大切な御守りが増えました。
終わり
前書きに記したようにBL要素は薄めですが、お楽しみ頂けたら幸いです。前作以外の過去作ともリンクしています。いつか暁人や実央を中心に据えてストーリーを考えてみたいと思っています。三松さんは腐女子ではありませんが、隠れ腐女子(あまり隠れていませんが)を一人配しておきました。




