@5 — 追跡者の影(1)—
— 追跡者の影(1)—
夜が明ける頃、セリスとライルは森の中を抜け、東へと歩を進めていた。
「次の街は?」
セリスが問いかけると、ライルは地図を広げながら答える。
「ここから北東に二日ほど進んだ場所に《ルーヴェン》という町がある。交易が盛んな町で、情報が集まりやすい」
「……そこで手がかりを探すの?」
「そうだな。まずはお前の“記憶”に関わる情報があるかどうか調べるのが先決だ」
セリスは小さく頷いた。
——エルセリア王国の滅亡の真実。
——王族に受け継がれる記憶の力。
それらを知るための手がかりを求め、彼女たちは旅を続ける。
だが、その背後には確実に追跡者の影が迫っていた。
***
帝国軍拠点・指令室
「……逃げられた、だと?」
低く冷たい声が響く。
ヴァルガルド帝国軍の指令室。
そこには、漆黒の軍服をまとった男が立っていた。
「申し訳ありません、ヴァルドリッヒ将軍……」
報告に来た兵士は額に汗を浮かべながら頭を下げる。
ヴァルドリッヒ・カインツ。
帝国最強の将軍と称される男。
「傭兵風の男に邪魔され、捕縛に失敗しました。しかし、相手はおそらく……」
「ライル・フェンリス……か」
ヴァルドリッヒは小さく呟いた。
「ゼルヴァニアの“狼”……なるほど、厄介な相手だ」
その名を知っているのかと、兵士は驚いたように顔を上げる。
ヴァルドリッヒは椅子に座り、指を組みながら静かに続けた。
「だが、今はそれよりも重要なのは……“あの娘”だ」
エルセリア王国の生き残り。
王族に受け継がれる“記憶の力”を持つ少女。
「……ガルヴァン閣下が動く前に、我々が片をつける。追跡部隊を増やせ」
ヴァルドリッヒは指を組みながら、わずかに口元を歪めた。
「所詮、黒鴉は先遣隊に過ぎん。……本命の狩人を送るとしよう」
兵士は戦慄しながら、深く頭を下げる。
「……はっ!」
ヴァルドリッヒの命令を受け、兵士たちはすぐに動き出す。
帝国の追跡の手が、セリスへと迫ろうとしていた。
***
旅の途中
「……ライル、誰かが追ってきてる」
セリスは背後に漂う気配を感じ、警戒の色を浮かべた。
ライルは無言で剣の柄に手をかけ、低く囁く。
「どれくらいの距離だ?」
「そんなに遠くない。三人……いや、四人?」
セリスの記憶の力が微かに作用し、追跡者の数を直感的に感じ取る。
「動きが早いな……」
ライルは一瞬考え込み、セリスに視線を向けた。
「お前、戦えるか?」
セリスは戸惑った。
今まで護身のために剣を握ったことはあるが、実戦経験はない。
それでも——
「……やるしかないよね」
彼女は覚悟を決め、腰に差した剣を握りしめた。
「いい返事だ」
ライルは微かに笑い、剣を抜く。
「見つけたぞ、エルセリアの生き残り……!」
黒い衣を纏った男たちが森の影から現れる。
帝国の追っ手が、ついに彼らの前に立ちはだかった。
四人——全員が武器を手にしており、明らかに戦闘の準備ができている。
「……帝国の追っ手か」
ライルは低く呟くと、剣を抜いた。
それを合図に、敵は一斉に襲いかかる。
「セリス、下がれ!」
そう叫ぶと同時に、ライルの剣が鋭く閃く。
一人目の兵士が突き出した槍を払い、ライルは一歩踏み込んで敵の肩口を斬った。
鮮血が飛び散り、男は呻き声を上げて後退する。
「くっ……こいつ、強い!」
「囲め! 獲物を逃がすな!」
三人は迷いなく動いた。隊列を組むように立ち位置を調整し、一人が囮となってライルの視線を引きつける。その間に、もう一人が死角から短剣を投げ放つ——
「チッ!」
ライルは反射的に身を逸らし、短剣を避けるも、僅かに頬をかすめた。
(……なるほど、ただの兵士じゃないな)
連携と隙のない動き。これが、帝国の暗殺部隊“黒鴉”か。
だが、その瞬間——
「……!」
セリスは、頭の奥で何かが弾けるような感覚を覚えた。
視界が一瞬、白く染まる。
(……これ、は……)
——それは“記憶”だった。
彼女の中で、過去の誰かの戦いの記憶が流れ込む。
剣を構える仕草、敵の動きの読み方——
全てが、まるで自分の経験のように理解できる。
「セリス!」
ライルの声に意識を引き戻される。
目の前には、剣を構えた敵兵。
(……できる!)
セリスは迷いを振り払うように剣を抜き、敵の攻撃を受け流した。
そして、無意識のうちに体が動く——
剣閃が走り、敵の刃を弾く。
「なっ……!」
敵兵は驚愕の表情を浮かべた。
彼女の剣の軌道は、まるで熟練の剣士のようだった。だが、本人はその動きに戸惑っていた。
(……これ、私が動かしているの?)
誰かに操られているような、不思議な感覚。それでも、敵の刃を弾き返す動作は、身体が覚えているかのように流れるようだった。
ライルも、その動きを目の端で捉えていた。
(まさか……今のが“記憶の継承”の力か?)
戦いの最中にもかかわらず、彼は驚きを隠せなかった。
セリスの動きは、今まで見てきた彼女の剣さばきとは明らかに違っていた。
だが、敵も黙ってはいない。
「ちっ……やるな!」
負傷した兵士が後退し、もう一人がセリスに襲いかかる。
セリスはその攻撃を受け流そうとしたが——
(……っ!)
身体が急に重くなる。まるで、体の中に“別の誰か”が入り込んでいるような感覚——
視界が滲み、耳鳴りがする。
(このままじゃ……意識が……)
敵の剣が迫る。しかし、頭の中が混乱し、反応が遅れる。
その隙を突かれ、敵兵の剣がセリスの肩を掠める。
「くっ……!」
鋭い痛みが走るが、致命傷ではない。
だが、次の一撃が来れば危ない——
「セリス、伏せろ!」
ライルの声が響いた。
彼の剣が鋭く振り下ろされ、セリスに迫る敵の刃を弾き飛ばす。
「……よく戦った。だが、まだ無茶はするな」
ライルが微かに笑う。
セリスは息を整えながら、小さく頷いた。
***
最後の敵兵が剣を落とし、地面に膝をつく。
「……お前たち、何者だ?」
ライルが剣先を向けながら問いかける。
男は苦しげに息を整えながら、低く笑った。
「……俺たちは帝国軍特殊部隊、“黒鴉”の一員だ」
「黒鴉……!」
ライルの表情が険しくなる。
黒鴉——それは、帝国が誇る暗殺と追跡の専門部隊。
標的を執拗に追い詰め、必ず仕留めると噂される精鋭たち。
「……逃げられると思うなよ。お前たちはすでに帝国の監視下にある……いずれ、必ず……」
男はそこで言葉を途切れさせ、意識を失った。
ライルは剣を収め、深いため息をついた。
「……厄介な連中が動き出したな」
セリスは肩の傷を押さえながら、ライルを見上げる。
「黒鴉……このままだと、また襲われる?」
「ああ……おそらく、これからが本当の戦いになる」
帝国の追跡の手は、確実に迫っている。
だが、それと同時に——
セリスの“記憶の継承”の力も、確かに覚醒し始めていた。