@20 王の書庫の扉
ライルの剣が振り下ろされ、一人の帝国兵が衝撃で吹き飛ぶ。ミアは素早く魔法を詠唱し、霧のような幻影を発生させて視界を攪乱する。カイはその隙を突いて、敵の背後に回り込んで鋭い一撃を放った。
だが、指揮官は動じず、鋭い視線をセリスに向けたまま、ゆっくりと剣を抜く。
「王家の末裔……お前を生かしておくわけにはいかない」
冷たい声とともに、一瞬で間合いを詰めてくる。その剣速は尋常ではなかった。
「――!」
セリスはとっさに身を翻すが、切っ先がかすめ、頬に一筋の傷が走る。
「セリス!」
ライルが割って入ろうとするが、別の兵士に足止めされる。
指揮官が鋭く剣を振るい、次の一撃を放とうとしたその時――
「……させない!」
セリスの中で何かが弾けた。
胸の奥から湧き上がるのは、記憶と共に呼び覚まされた力。王族に受け継がれる魔法の片鱗。
彼女は無意識のうちに手を掲げ、魔力を解き放った。
「――!」
黄金の光が弾け、指揮官の動きが一瞬止まる。
その隙を逃さず、ライルが全力で剣を振るい、指揮官を後退させた。
「……今のは?」
カイが驚いたように呟く。
セリス自身も理解できていなかった。ただ、確かなことが一つある。
――私は、王家の使命を果たす。何があろうとも。
強く握りしめた書物の感触が、その決意を確かなものにしていた。
「下がれ、全員!」
指揮官が鋭く叫ぶと、帝国兵たちは即座に後退した。
ライルは剣を構えたまま、その動きを警戒する。カイも素早く距離を取り、ミアは新たな魔法の詠唱を始めていた。
しかし、指揮官はすぐに次の攻撃を仕掛けようとはせず、セリスをじっと見つめていた。
「……やはり、お前は王の血を引く者か」
低く抑えた声だったが、その奥には明確な敵意と警戒が滲んでいた。
セリスは胸の奥にまだ残る魔力の余韻を感じながら、書物を抱え直す。
「だったら何? あなたたちはどうせ、私を殺そうとしているんでしょう?」
指揮官は微かに目を細め、わずかに息を吐いた。
「いや……今すぐお前を討つつもりはない」
「……何?」
意外な言葉に、セリスは一瞬、警戒しつつも困惑する。
「その書物――王の書庫に眠っていた記録。それを持っている限り、お前はいずれ帝国にとって最も危険な存在になる」
彼は剣を収め、ゆっくりと後退しながら続けた。
「だが、今はまだ……その時ではない」
セリスは眉をひそめた。敵意を剥き出しにしながらも、なぜかすぐには襲ってこない。その意図が読めなかった。
「逃がしてくれるとでも?」ライルが低い声で問いかける。
「勘違いするな。我々はすぐにでも追う。……だが、今はこの場で決着をつけるのが最善とは限らない」
それだけ言い残し、指揮官は手を上げると、帝国兵たちは一斉に撤退を始めた。
セリスたちは警戒しつつも、深追いはせず、その場に留まる。
「……どういうこと?」ミアが訝しげに呟く。
「奴らがあえて退いた理由は分からないが……長居は無用だ。今のうちにここを離れるぞ」ライルが言う。
「そうね。どうせあいつらはまた追ってくる。なら、今はこっちが先に動くべきだわ」
カイが軽く肩をすくめながら言うと、セリスは書物を抱え直し、強く頷いた。
「……行きましょう。まだ、やるべきことがある」
彼女の瞳には、確かな決意が宿っていた。
ライルは周囲を警戒しながら、セリスの隣に歩み寄った。
「……お前の記憶が戻ったのはいいことだが、今はそれよりも状況を確認しないといけないな」
彼の視線は、王の書庫の扉へと向けられていた。戦いの余韻が残る静寂の中で、セリスは胸の奥に残る父王の言葉を反芻する。王家の使命——それを果たすために、次に何をすべきか。
「まずは、ここをどう脱するか考えないとね」
カイが苦笑しながら壁に寄りかかる。
「確かに。帝国の追っ手が完全に引いたとは思えないわ」
ミアも慎重に辺りを見渡し、魔力の感知を試みる。
セリスは深く息を吸い、仲間たちの顔を見渡した。
カイが壁際を慎重に調べながら、指先で表面をなぞる。
「……ここだな」
彼が立ち止まり、壁の一部を軽く叩くと、鈍い音が響いた。ほかの部分とは明らかに異なる音色——その下に何かが隠されている証拠だった。
「やっぱりな。こういう場所には、たいてい逃げ道が用意されてるもんだ」
カイは口元に笑みを浮かべ、素早く道具を取り出した。
「隠し扉か?」
ライルが剣を握り直しながら問いかける。
「ああ、間違いない。……ただし、何か仕掛けが施されてるな。普通に開くってわけじゃなさそうだ」
カイが慎重に細工を施しながら言うと、ミアが一歩前に出た。
「封印魔法ね。王族の記録が残されている場所なら、それくらいあって当然……。任せて」
彼女は杖を構え、静かに呪文を詠唱し始める。薄紫の光が杖の先に灯り、やがて壁の一部に広がっていった。すると、淡く光る紋章が浮かび上がる。
「……結構、複雑な封印ね。でも、時間をかければ解けるわ」
「急げよ。帝国の連中がまた戻ってくるかもしれない」
ライルが警戒を強めながら、通路の入り口側に立つ。
セリスは封印の紋章を見つめながら、心の中で父王の声を思い出していた。王の使命——それを果たすために、この場から確実に脱出しなければならない。
ミアの魔法が完全に紋章を覆うと、次第に光が揺らぎ、封印が解け始めた。
「……開くわ!」
ミアがそう告げた瞬間、壁が静かにずれ動き、暗い通路が姿を現した。
「よし、行くぞ!」
カイが先頭に立ち、隠し通路の奥へと進む。セリスたちもそれに続いた。
背後で封印の光が消え、王の書庫の扉が静寂に包まれる。彼らは新たな決意とともに、暗闇の中へと足を踏み入れた——。




