8 俺たちの青春は……
ひとまず注文は終え、これでとうとう邪魔が入らなくなってしまう。
店員が去ったのを確認すると、彼女はぽつりぽつりと話を始めた。
「丁度10年ほど前、私には4つ年の離れた兄がいました。兄はかなりマイペースな人で、突然『自分で会社を建てる』と、父の事業を継ぐ事を拒みました」
(10年前、いました……、か……)
暗い話にはさせまいと彼女は口角を上げて語るのだが、声は少し引きずっている。
「父は自主性を重んじる方なのでその件は滞りなかったのですが、だったら後任はどうするのかという問題に直面しまして。そこで白羽の矢が私に立ったのです。
自分で言うのもなんなのですが当時は文武両道、品行方正ともてはやされていまして。中学生ながら『お兄さんよりも優秀』だなんて言われたものですから、少し、鼻が高くなっていたり……」
前日にでも話をまとめていたのか、少し早口ぎみだが淀みなく喋る。
「勉学のカリキュラムも変え、四条グループの後継者として研鑽を積んでいきました。レールの上を歩いているだけではあったのですが、それでも誇らしかったです。
…………ただ、順調に事が進んでいった反面、それをあまりよく思わない人もいました」
「お兄さん、ですか……?」
「はい……。兄は起業がうまくいかなかったらしく、私のことを妬ましく思っていたみたいでして、幾度となく嫌がらせを……。
子供の嫌がらせ程度のことでしたので支障はあまりなかったのですが、……でもやっぱり、敵意を向けられているというのはすごくストレスでしたね」
「酷い話ですね。自分から断っておいて」
「まぁ、兄も当時17歳ですので多感な時期のそれと思えば可愛いものなのですが……」
(……? ……しかし、17で起業か……。この時点で学生の域は超えてるよなぁ)
「そんなことが1か月ほど続いたのですが、ほとぼりが冷めて以降は兄もくだらないと思ったのか、だんだんとおとなしくなっていきました。
……ただ、おとなしいというよりは無気力のような……、嫌がらせの頻度も少なくはなりましたが、それもなんだか不気味でした」
「不気味……、ですか……?」
「はい。兄は普段から自尊心に溢れていましたので。それが急にしおらしくなったものですから、私や両親、屋敷にいた者も困惑していました」
(…………)
そこで彼女は深く呼吸をした。ここからが話の本題なのであろう。
「それからというもの、兄はやたらと夜間に外出をするようになりました。朝に帰宅することも増えたのですが、両親は『遅めの反抗期だろう』とあまり関心を示さなくて…………」
そこから少し黙り込む中、彼女の顔色が青ざめていく。落ち着かせていた呼吸も荒いものへと切り替わっていた。
「……ですが私は、お節介だと言われても、今、誰かが、兄の傍にいてあげないとダメだと思って、しまって、その、無神経にも、私の立場から、説教を、して、しまって……」
「よ、四条さん? 大丈夫ですか……?」
一度顔を見合わせたが、彼女はそのまま震えるように言葉を並べる。
「『息抜きなのだとしても周りに迷惑をかけては元も子もない。それなら前みたいに私に嫌がらせをすればいい。誰にもばらさないから』……と」
「……!! そ……、それは……」
一見、自己犠牲のもと相手を慮る発言にとれるかもしれないその言葉は、数多の利己を前にした俺にならどこが怒りを買うのかよくわかる。
自分が下だと思っている人間から施しを受けることへの劣等感。自身の行動が浅はかだと気付いた瞬間の虚脱感。
つまるところ、この手の人間はマウントをひっくり返されることへのコンプレックスがすさまじいのだ。
「その瞬間、兄の堪忍袋の緒が切れたのだと思います。ただ兄は感情に身を任せはせず、殴り合いの喧嘩だなんてことにはなりませんでした。
その日、私に向けられた光の入らない瞳は、虎視眈々と、どう復讐するかだけを考えて」
生唾を飲み込む。今まで普遍極まりない生き方をしてきた俺に挟める口はなかった。
「翌日以降から、兄は人が変わったかのように明るく接してくるようになりました。どういう風の吹き回しかは見当もつかなかったのですが、家族の輪の中に溶け込んでいって。
私は、自分の一言が兄を変えることができたとその時は本気で思っていました」
彼女はなお無理くりに笑顔を貫くが、正直それを見ているだけでも心が苛まれていく。
「その日はちょうど私の誕生日でした。父は仕事で居合わせなかったのですが、母と、兄と、屋敷の者全員に祝ってもらえて、とても、幸せな気持ちでした……。
ですが、兄はこの日を……、父を除いた、屋敷の人間が全員同じ場所に集まるこの日を狙って、屋敷のいたるところに放火をしたのです」
(……!!?)
「兄は、私への復讐に火事による無理心中を選んだのです。夜の街で知り合った友人に協力を仰ぎ、用意周到に退路を塞いで、誰も逃げられないようにしました。
そして兄自身は、私たちの目の前で、首にナイフを突き立て自殺を……」
彼女は顔をくしゃくしゃにしながらも、それでも話を続ける。
「母も使用人たちも、なんとか助かるようにと最善を尽くして……。……ですが、それでも……。
黒煙が立ち込める中、天井が崩れ落ち、肉が焼けていく臭いが鼻を突き抜け、最上階にいた私たちはまだ炎の及ばない場所で、ただ助けを、ずっと、待つことしか……、できなくて……」
(………………)
「目が覚めると病院の一室にいました。体を動かそうとしてもなにもない、空気を掴んでいるような感覚でした。
おぼろげな記憶の中にあったのは、倒壊していく屋敷と、私以外誰も助からなかった事実……」
(…………っ)
そう全貌を語り終えると、彼女はこちらを伺うように微笑んだ。
「それから父は私のことを一層大切にしてくださるようになりました。二人だけになってしまいましたが、屋敷も立て直し、専属の付き人……、彼女もこの頃から一緒ですね。
……胃が損傷したからと、ゼリーのような栄養補給食しか食べれないようにしたり。外に出たら危ないだろうと、ずっと寝たきりにさせたり……。本当、過保護すぎるぐらいに……」
(……それで、『食い意地バカ』……か)
「父はこの事件を隠蔽しようと働きました。兄の奇行によってこのようなことになったのですから、企業の社長としてブランドを守ろうとしたのです。
世間ではこのことはただのぼや騒ぎになっています。母も、兄も、使用人たちも生きていることになって。それで私は、滅多なことがない限り家の外に出ることができなくなってしまいました」
「そ、それは……」
(大切にされているというより……)
「わかっています。ですが私自身、父には迷惑を掛けたくない……。甘んじて受け入れるしかありません」
四条家を調べてもいてもこんな話は出てこなかったということは、この隠蔽自体はうまくいっているのだろう。俺はただただやるせなさが募る。
「私、婚約者がいたんです。トップに立つからには、花婿の選り好みはせざるを得ないだろうと言われていました。ですが、こんなことになってしまった以上、跡取りの話もなくなり婚約も破綻。
無理を言って大学の卒業と就職まではさせてもらえたのですが、情けない話、精神的にはもう限界を迎えていました」
「…………それで……、このアプリを始めたんですか?」
「はい。元々は、私のことを何も知らない方と対等にお話しをしたいと思っていただけなのですが、その時にこのアプリを進められまして……、それで……」
彼女はそこまで話し終えると、俺と向かい合うように深々と頭を下げた。
「四条さん!? なにを…………!?」
「以前私は、玉山さんがもし浅ましい方ならどうしようか不安だった、と言いましたが、あの時私は自分のことを棚に上げ、ものを言いました。
正直に申しますと、このアプリを始めた頃は玉山さんと恋仲になるつもりは一切なく、茶化すような気持ちで知り合っていたのは事実です。……それがだんだんと、本当に惹かれて、いって……」
(………………)
「実際にお会いしたいと言ったことも、過去をお話しさせていただいたことも、本当の私を見て知ってほしかったことも、全て私のわがままなんです。
今までのお付き合いさえも否定しうる真実に、もし、今日が最後になってしまったとしても、これだけはどうしても謝りたかった」
(……………………っ)
それがわがままになるなら俺も共犯だ! なんて安い気休めの言葉はいくらでも出てくるが、それを口に出して言うことはできなかった。
彼女の家柄も、過去も、その身1つでさえも、同情すらおこがましいような手の届かない世界な気がしてしまう。
彼女が相対する狂気を払拭させることなど、俺ごときのボキャブラリーにできるわけがないのだ。
…………だが。
(本当に……、それでいいのか……?)
1つだけ……、俺にしかできない受け止め方が1つだけある。今までの全てをなげうり、全身全霊をもって寄り添える方法が……。
何を言っても水面をなぞるような言葉しか出てこないのであれば、せめて、いっそのこと。
(………………)
「……四条さん、………………………………………………俺の年齢って覚えていますか……」
「…………………………へっ!? 年齢ですか……??」
唐突な話題の転換に、彼女の表情が一瞬にして緩む。
「ええ、プロフィールに書いていたやつ」
「え……、ええと、たしか25歳……、でしたよね……?」
「俺、実年齢27です」
「…………………………………………へ??」
「草サッカーをやってるとも言いましたが大学出てからボール蹴ってもないですし、あと高円寺どころか東京にすら住んでないです」
「えええぇぇっ!!!??」
重苦しい話をした以上それ相応の返答をされると思っていたのか、彼女は気の抜けた反応を見せた。俺はそのまま間髪入れずに話を続ける。
「身長182cmも5cmサバ読んでて本当は180超えてないですし、年収も500中盤位で書いてましたが、実は四条さんより少ないですっ」
「えぇ……、…………た、玉山さんっ!!?」
「これを聞いて……っ!! ……俺のこと、どう思いましたか……!」
「……!!」
「俺はあんたが思っているほど気高い人間じゃない! 人並みに見栄は張るし、嘘つくし……。他人をガワだけで判断するくせに、自分はそれを偽ろうとする。
今までだって散々かっこつけてきたんだ。このまま付き合い続けたら、俺があんたの望んでいない浅ましい人間だったっていつかは気付くでしょうっ!?」
「そ……、そんなこと…………」
「つまり…………!! ……その不安がもし俺に対しての罪悪感なのであれば、今この瞬間に、俺たちは対等になったんじゃないでしょうか……」
「対……?」
「四条さんの過去が俺に計り知れたもんじゃないってのはわかっています。こんなバカみたいな話と一緒にする気はありません。
実際今日初めて会った時、俺は確かに身構えた! でも、その時抱いた俺の感情と、今このホラ話の答え合わせを聞いた四条さんの感情が同じであれば……!! 俺は、嬉しい……」
「……っ」
話はもう滅茶苦茶で気休めにすらなっていない内容だったが、そんなことはどうでもいいのだ。
俺にとってのそれは、この思いとは交わらない平行なもの。そして、彼女にとっても……。
(多分……、きっと……、恐らく……、いやそうであってくれ!! 頼むから!!)
ただ、結論から述べると俺の思惑は虚しいものであった。
「……………………玉山さん……」
「は、はいっ!!」
「玉山さん……、キモイです……!」
「……っっっ!!!!!???!?!??」
(……い、いやそりゃそうっちゃそりゃそうだ……! 俺だってさんざ醜穢まさぐってきただろ!! 因果応報、身から出た錆、ホントに今日が最後だぁ……)
「ですがこの場合、私もキモイってことですよねっ!!」
「…………え」
「都合の悪さを嘘で固め、そんなことをしてもなお好かれていたい……。なかなかいませんよ! 私の家系を知ったうえで対等だなんて言う人は!」
(……)
「あ、あはは……、そう……ですね」
「ふふ、えへへ……」
(………………まあ、なかなかいないよな。そんなことしてもなお自身の優位を誇示するやつしかいない中、相手を慮る一心だけでここまで行動できるやつ。
多分、そういう人だから好きになったんだろうな……。俺のこの感情は、好意であり、尊敬だよ)
地位や名誉は関係なく彼女と対等だなんて思っていないし、拒絶されることがあれば身を引く覚悟が十分にある。
それでも、少しでも求めてくれるなら、俺は彼女の光になれる。こんな尊い人が相手なら、たとえ対等でなくともこんな身一つ、いくらでも捧げてやるよ。
「それで、どうします? この後」
「へ……? この後ですか?」
「話聞く限り、ここまで来るのに結構な大脱走だったんでしょう。どうせ怒られるなら、やりたいことやり切っちゃいましょうよ」
「で、でも……、よろしいのでしょうか? 玉山さんにもご迷惑が……」
「そりゃ……、まあ、俺たちは……その、………………………………………………恋人ですし……」
「恋っ!!? ……………………そうですね!! なら、観覧車っ!! 観覧車に乗りたいです!」
「はぁ……、観覧車……」
「遊園地で! 観覧車に乗って! 夜景をバックに! 一番上で! キッスがしたいです!!!!」
「…………キッス……、ですか……?」
「キッスです……!」
「……………………」
「…………」
「ぷっ! あっはっはっはっ!! 普通そんな予定調和なことしませんよ……!」
「ええ!!? でもっ、急にされたら嫌でしょう!?」
「こういうのはムードってのがあるんですよ。(俺もよくしらんけど)
まあ遊園地なら遠くてもタクシー拾えば数時間で行けるでしょうし、昼食済ませたらすぐにでも行きましょうか」
「は、はい!! あっ、お金は私がいくらでも出しますので安心してください!!」
「いや……、そこは対等でいさせてくださいよ」
これから先、どんなことが起ころうともこの格差が埋まることはないだろうが、一生の内これ以上の関係性が他にはないって言い切ってやる。
それくらい、彼女と出会えて良かった。