5 遺恨
(どうして四条さんはこんなアプリを始めたのだろう)
日中の社内。一日経ったにもかかわらず、俺は彼女のこと以外考えられなくなっていた。
(勝手な想像でしかないけど……、この手の大金持ちって縁談とかそういうのがあったりするものじゃないのか? もし何らかの事情によって破綻していたのだとしても、マッチングアプリには手を出さないだろうし……)
そもそもこのアプリは出会いを求めるために使用するアプリだ。相手を見つけやすい環境にある人間が使用するメリットは皆無と言っていいだろう。
俺のような都合のある一般階級民でないのであれば、わざわざ危険に身を投じるような真似をする必要は一切ない。
(金持ちの親がこんなアプリを提案しているとは考えにくいし、となればメイドが主犯だろうな。その何らかの事情によって、縁談が破棄された令嬢のご機嫌取りに提案してみたら、どっぷりはまってしまったってところかな……?)
仕事中にも関わらず、また眉間のしわが何重にも重なる。周りの社員が若干引いているのを視線で感じるが、今の俺は止められない。
(四条グループか……)
「四条 金持ち」という安直な検索で引っかかったのはとある一つの大企業、「四条グループ」。
IT経営や物流など日本に深く根付いた企業グループで、その企業の社長である四条 正義氏(59)は国内有数の資産家らしい。資産総額を見てみても0が多すぎて目がちかちかするだけだった。
(既婚者で二人の子供がいる……、年齢的にもビンゴっぽいな。……ていうか、うちの会社も大本はここなのか。知らなかった……)
だが、そこが判明したからと言って事が有利に運ぶわけではない。俺のキャパシティーではその何らかの事情が見当も付かないし、その事情が分からない限り下手に手を出してもしっぺ返しに怯えるだけになってしまう。
(この際俺の身分なんてどうでもいい。四条さんが何故マッチングアプリなんかに手を出したのか、そこさえ明らかになれば俺の気持ちはもう決している)
俺の闘志と社内評価が反比例していく中、話の決着は見えてきたのではないだろうかと胸が躍る。
(……そういえば、四条さんは在宅ワークなんだったよな。……もしかして、今連絡入れても返信返ってくるのかな。だったら今日にまた通話する約束でもして、そこで聞いてしまえばいいんじゃないか!?)
仕事もおざなりにそんなことを考えていると、タイミング良く着信が鳴った。
『ピロン』
(……っ! ……四条さんからだっ!!)
『お仕事中に申し訳ございません。昨日のことがあり、居ても立っても居られず連絡させていただきました。
突然の提案にはなってしまうのですが、今夜また通話をさせていただいてもよろしいでしょうか。夜が更けてからでも構いませんので、お返事お待ちしております。』
「……恍惚」
まるで相思相愛かのような文面に夢見心地な乙女の人格が出てきたが、頬をつねり正気を保つ。
(と……、とりあえず、『こちらこそお願いします。』っと。そうか、そういえば昨日お互いに顔出ししていたんだったな……。結構な衝撃のはずなのにすっかり忘れてたぜ……。
……………………じゃあいっそ、こんな提案してみても──────)
・・・・・・・・・──────────────────。
帰宅後、普段ならカットシャツごとスーツを布団の上へと放るのだが、今日は服装そのまま、髪にワックスをつけなおしていた。
約束の時間は20時半、緊張はもうしていない。
(四条さんと俺の気持ちは一緒なんだ。純粋な疑問として投げかければきっと返事をしてくれる。彼女に策は必要なし)
決心新たに身構える。部屋は掃除済みだ。
ほどなくして時刻を迎えた。10秒ほど着信を待っていると、今回は彼女の方から電話が掛かってきた。
プルルル……、カチャっ!
「もしもし、玉山です」
『も……、もしもし。四条です……。よ……、よろ、よろしくお願いしますっ!!』
スマホの画面には彼女の姿が映し出されていた。ビデオ通話である。
俺に反して引きつった笑顔を見せる彼女は、昨日と比べやや妖艶な印象を受ける。
「ははは。まあビデオ通話なんて緊張しますよね。でも、在宅ワークをされていたらリモート会議なんて茶飯事なのでは?」
『ふ、普段の会議でしたらここまで緊張いたしませんっ!!』
「??」
『………………た、……玉山さんとの、……通話だけです……………………』
「……っ」
薄ピンク色の甘い空気が流れるが、お互いに経験が乏しいのか沈黙が続く。
そんな今時むしろ珍しいクッサーな雰囲気を払いのけ、本題に入ろうとする。
「……え、ええと。四条さん。昨日の事もありましたので、今日は少々聞きたいことがあり、通話を受けさせてもらったのですが。よろしいでしょうか」
『……っ!! は、はい!! 私もそのつもりで連絡させていただきました。ビデオ通話のご提案をいただいた際は少し驚きましたが、今はありがたく思っております』
彼女も今回の会話がいつもとは違うということを感じとっていたようだ。両者の顔付きが変わる。
ばれないようにそっと深呼吸をしてから、重い口を開けた。
「その……、不躾な質問で申し訳ないのですが、四条さんはあの四条グループのご令嬢ということで間違いないでしょうか」
『……!! そ……、その通りです……っ!』
(やっぱりか……)
「すみません、勝手に詮索してしまって。昨日の最後に映ったお部屋があまりに一般的ではなくて……。どうしても気になってしまい……」
『い、いえ。謝らないでください……。私自身、上流層であることは隠そうとしておりましたので……』
あれでいて隠そうとしていたのかは頭疑問符だが、言葉を飲み込み質疑を続ける。
「でしたら昨日の通話に他の女性の声が入っていましたが、あれはお手伝いの方とかでしょうか?」
『は、はい。私の専属で付き人をしている者です。よろしければ今、挨拶でもさせましょうか?』
「あぁ、いえ、挨拶は大丈夫ですけど……」
こういう言い回しをされると、住んでいる世界が違うことを実感させられる。
(ん……? そういえば全然意識してなかったけど、すぐに呼べる距離にいるってことは今までのちょい痛めなやり取りも全部筒抜けってことじゃ……?)
心臓をえぐられたかのように肌が煮えた。そんな俺をよそに唐突、質疑応答を遮るように彼女が声を張り上げた。
『…………………………あっ……、あのっ!! 私の方からも少しだけよろしいでしょうかっ!』
「っ!? ……はい、どうしましたか?」
その返事を後に、声を振り絞るように話しを始めた。
『そ……、その、突然のことで勘違いさせてしまったのかもしれないのですが、私の玉山さんに対する気持ちは嘘ではございません。
遊びや冗談まがいに会話をしていたわけではなく、本気で出会いを求め、毎日楽しく玉山さんとお話しをさせていただいてました。信じていただけないかもしれませんが、これだけはお伝えしたくて……』
彼女は覚悟を決めた目で俺の返事を待っていた。が、しかし鈍感も甚だしい。嘘つきが当たり前にいる環境だと思っている俺には、感情の再確認を行った意図が理解できなかったのだ。
「……?? ま、まぁ、昨日にあそこまで言ってもらいましたので……。僕も同じ気持ちですので安心してください……?」
『……へっ?』
「……え?」
話が噛み合わなかった時特有の間が発生した。互いが互いのきょとん顔を晒し合う。
『え……、ええと……。玉山さんは怒っておられないのですか……? 今まで私は、自分を偽った状態で接していましたのに……』
ここでさすがの鈍感でも気付く。
「あっ……、ああぁ。大丈夫です。それぐらいでしたら全然怒ったりはしませんよ」
(嘘をついたことでいちいち怒ってたら、俺は何回四条さんに謝らないといけないんだ)
『……っ』
「??」
『…………そ……、そうですかっ!! そうでしたかっ!!! ……あはは、安心しました』
カメラへと身を乗り出し、左の握りこぶしをぷるぷると画面に近づけたのち、そっと胸を撫で下ろした。言いたいことを吐き切ったからか、屈託の無い笑顔を見せている。
(それで居ても立っても居られずか。そんなことを気にしていたんだな)
……しかし、彼女は満足気な様子だが、俺にはまだ核心的な質問が一つ残っている。これを聞かずして先へは進めまい。
「………………四条さん……。もしかすると答え難い質問なのかもしれないのですが……、最後に一つだけよろしいでしょうか」
声のトーンを落とし、カメラの前に人差し指を立てた。
『……!? ……はっ、はいっ! 何でしょうか』
再度空気が引き締まる。失礼も承知でありのままを問いかけた。
「単刀直入にお聞きしたいのですが、四条さんがこのアプリを始めた意図は何なのでしょうか。その……、勝手な想像になって申し訳ないのですが、四条グループ程の令嬢であれば見合い話なども後を尽きないのではないかと思いまして……」
『……っ!』
「…………」
空気が一変、重たい沈黙が流れる。数秒間が数時間にも感じた。
(し……、しまったか……? でも、これだけは聞き出しておかなければ……)
すると彼女は何も言わずにカメラから目線を逸らし、ぼそぼそと聞こえない声量で話しを始めた。
(……?)
『────────、────っ。────────────────』
(あれ……? この声……)
内容までは聞き取れなかったものの、かすかに昨日耳にした低い女性の声が聞こえた。恐らく例の付き人と帳尻を合わせているのだろう。
数秒後、目線を戻した彼女はおずおずと開口した。
『……申し訳ございません。突然にお時間を取らせてしまって』
「いっ、いえっ! 全然大丈夫です」
緊張の一瞬、心臓からの脈打ちが顔に出ないよう装う。
『あ……、あの、質問を返すことになり恐縮なのですが、本当にそれが最後の質問でよろしいのでしょうか』
(……?)
「え……、ええ。答え難いのでしたら無理にとは言いませんが……」
『いえ、そういう訳ではありません……』
意味ありげな発言ではあるが、話の腰は分からない。
(なんだ? 何を言いたい?)
そしたら彼女は何かに納得した様子で深呼吸をし、声色を改めた。
『……………………玉山さん……、次の日曜日、ご予定などはありますでしょうか』
「えっ……? 特にはありませんが……」
『その日、直接お会いすることはできますでしょうかっ!!』
「……っ!?」
彼女の瞳に再び闘志が宿る。後ろからは小声での糾弾が聞こえるが、臆せず言葉を続けている。
『時間や場所は追って連絡をさせていただきます。そのタイミングで、玉山さんの質問にも答えさせていただきます。…………いかがでしょうか』
「…………」
突然のことで目は丸くなるが、願ってもない話だ。俺もつられて声色を改める。
「わかりました。日曜日ですね。心待ちにしておきます」
『……!! はいっ、はいっ!! よろしくお願いしますっ!』
プツンッ
俺の返事も早々に、彼女はその日の通話を終了させた。
(何か……、逃げるように話つけてったけど、大丈夫か?)
不安は残るが、それよりもまた出てきた疑問の方が重要である。
(……四条さんにとっては、自分の正体が超富裕層だとバレることよりも、このアプリを始めた理由の方が地雷? それが『何らかの事情』、なのか……?)
思考は巡るが、とはいえ俺にできることはもう一つだけだ。考えていても仕方がない。
「ふぅ……。やっとここまで有り付けたぞ。次の日曜日、その日に大勢が決するんだ。もう何が来ても怖くはない」
四条さんへの思いを馳せ、今日に得た覚悟を胸に、決戦の日を待ち望むのであった。