2 慧眼テクニック
『四条さんもサッカーしていたんですか。僕は今でも続けていますよ。』
『そうでしたか。でしたら、今はその会社の社会人チームに所属しておられるのですか?』
『そうですね。そのチームのFWです。この前の試合でも、1得点あげたんですよ。』
『わあ、すごいですね。いつか見に行きたいです。』
その日の夜、昼間に連絡を受けたその女性と、無難なやり取りをつつがなく進行していた。
(ま、大学卒業してから俺、ボール蹴ってないけどな)
しかし、その中では多くの戦略的攻防が繰り広げられている。
マッチングアプリで初めて連絡を取り合うと、お互いがお互いに腹の探り合いをするものだ。都合の悪い部分を嘘で固めていくのである。
ここで下手に自分の近況を喋ってしまうと後が怖い(事実、一回特定されたことあるし)が、攻めた会話をせずには相手の心象が知りえない。
その均衡の取れた会話を成し得た方に主導権が渡るのだ。
……とは言いつつ、正直見栄はある。
(しかし、普通に会話はできているな。20前半だとたまに受け答えすら危うい人とかもいたし、その点は割と安心かな?)
猫が喧嘩を前ににじりにじりと間合いを詰め合うあのやり取りを続けている中、先に動いたのは今回の相手、四条 麻海のほうだった。
『ところで、玉山さんは東京のどちらにお住まいなのですか?』
「いきなり住所っっ!!?!?」
プロフィールには東京在住としてしか書いていなかったが、急にもっともパーソナルな部分に触れられ動揺する。
当たり前だが出会い系アプリはインターネットを介したサービスだ。当然ネットリテラシーは高く持たなければいけない。そんな中での個人情報攻撃だった。
(だが、有効な手段ではある! ここでもし、『個人情報だから無理』なんて言えば堅い人だなんて思われ、イメージダウンは避けられない。
かといって本当のことなど言えるわけがない。クソっ……! 早速仕掛けられたか)
この盤面、素人であれば慌てふためくことであろう。しかしこれでも俺は百戦錬磨、対応策は既にある。
(ふっ……、だが相手が悪かったな。この程度は十分乗り切れる)
『杉並区の高円寺です。人情と活気があっていい街ですよ。』
(本当は東京どころか神奈川だけど。でも何度か営業で行ったことはあるし、町並みは大体覚えているぞ)
『高円寺ですか。高円寺といえば、商店街にあるもつ鍋屋さんが美味しいって聞いたことがあります。』
(にしてもこいつ、本当に初心者か? 明らかに手練れの立ち回りだぞ)
『あと、駅前の焼き鳥屋さんも有名ですよね。たれのこくが格別だって聞きました。』
(複垢の可能性もあるな。これは警戒しておかないと、ボロをだしたら一瞬でそこを責められるぞ。嘘をつくときはもう少し慎重に……)
『ラーメンの美味しいお店も商店街にありますよね。』
(…………ん……?)
『クレープのお店も美味しいらしいですよね。一度食べてみたいです。あと高円寺はカレーライスの作り方が独特だと聞きましたが本当ですか?何か特別な食材でも使うのでしょうか?あとそれと杉並区といえばあのお店も────』
(……?????)
そこから数分、連投は鳴りやまなかった。ほどなくして自身の暴走に気付いた彼女はすごく申し訳なさそうにしていたが、気にしていないという旨だけ伝えその日の会話は終了した。
「…………」
相手が手練れである可能性も考慮に入れ、様々な策を立ててはいる。立ててはいるが……。
もしかしたら、すべて取り越し苦労なだけなのかもしれない。
(こいつ、ただの食い意地バカなだけなのかもしれない)
・・・・・・・・・──────────────────。
翌日、俺はまた四条 麻海と連絡を取り合う約束をしていた。
『こんばんは。今、連絡してもよろしいでしょうか。』
『はい、大丈夫です。自分も待っていましたよ。』
一度目の連絡を交わし、彼女について分かったことが2つほどある。
まず一つ目は、断定とは言えないが彼女のプロフィールに嘘偽りは感じないということ。
『AIエンジニアと言葉にすると仰々しいですが、かなり地味な作業が多いです。とは言いましても、在宅ワークができるので今の仕事を選んだのですが。』
これまで出会ってきた奴らのプロフィールは、基本的にはまったくの大嘘つきか付け焼き刃かのどちらかになる。
前者の場合、これは文章からすでにバカがにじみ出る。物事を何でもかんでも大げさに嘯き、とにかく自分を大きく見せたいタイプ。そんな人間はろくに情報を調べようとせず、支離滅裂な内容になりがちなのだ。
(AIエンジニアなんて見たときは身構えたが、毎回内容が謙虚なんだよなぁ。もし大嘘こいてるだけなら『日本にあるAI全部作った』位言うだろう。
それにわざわざ何をしているのかよくわからんAIエンジニアを名乗る意味もない)
そして後者の場合。これはかなり狡猾で、自身の体験談を盛りながら話すタイプになる。何らかの情報に自身の感情を乗せて綴ることができるので、話の信憑性がかなり上がるのだ。
……と、棚に上げているが俺もこのタイプである。(あくまで自衛だけど)
『サッカーですと、〇〇を贔屓していますね。そのチームの試合は大体押さえています。』
『おお、それはすごいですね。そのチームですと僕は────』
だが彼女はそのどちらとも感じない、今までにないタイプなのだ。……一般的にはこれが普通なのだが。
(ただ趣味が合うだけだが、会話が弾むな。以前に会った付け焼き刃だと、知識マウント取りたがる奴ばっかだったし)
ちなみに大嘘つきの方だと、『キャンプはBBQの炎で蒸発するから雨でもできる』とかぬかしている奴もいた。さすがにそれは鼻で笑ったけど。
初めてこのアプリでまともな会話が出来た以上、四条さんを化け狐共と同等とはしたくない。……10連敗の察しに説得力はないが。
(……ていうかこれ、考察が当たってたら俺はただ疑り深いだけの虚言癖野郎になるのか。……なんだこの罪悪感)
これが一つ目の気付きであった。
そして、もう一方なのだが。
(この子の口調……)
『サッカーをしていたのは中学生の頃までですね。ちょうどその時期に怪我をしまして。』
今までだと、相手の年齢が上なら顔文字や絵文字を多用しがちな、じじいばばあの想像する若い世代を演じる傾向にあり、逆に下の世代であれば、俺ですら判別不能な日本語のようなもの送ってきていた。
しかし、彼女は常に丁寧語で敬ってくる。ビジネス程度の丁寧語なのであれば緊張しているだけとも思ったのだが、彼女のはなんというか、包容力というか、俺なんかよりずっと目上の人と話しているときの、あの心の余裕のようなものを感じていた。
……そして極めつけはこれだった。
『父も試合を見に来られることがしばしばあったのですが、相手選手との競り合いで私がこけたりすると、その子の親はどこの企業の娘なんだ。なんておっしゃたりして、大変で。』
「………………もしかしてこの子……、まあまあブルジョワだったり……、する…………?」
ある意味対等ではないマッチングをしてしまったのではないかと不安に駆られる。身の毛が少し震えた。