1 残り物でも副はない
「これだから、(クチャクチャ)政治家は嫌いなのよ。(ズルズル)もっと私たちみたいな、(ペチャヌチャ)年代にも視野を広げて……」
と、ナポリタンを口に含みながら中身のない話を続けるこの恰幅のいい女は、アンティーク調のオシャレなカフェテラスにはまったく似つかわしくない声量で虚空へと講釈を垂れている。
「第一、今の若い子がしゃんとしてないから私たちも苦労が絶えないのよ。(クチャクチャ)分かるっ!?」
「はぁ、あはは……、はは……」
この、猛獣と表記されていても違和感がなさそうな人間の女に付き合っている虚空こそが俺、会社員、玉山 悟(27)である。
「ほんっっと! 私たちの老後のこと、ちょっとでも考えたことあるのかしらっ!! (ズルズル)」
「…………あっ……、あの……」
「これだから若い子は──────、て、なによっ! 今私が喋ってるとこでしょっ!!」
俺は恐る恐ると口を開ける。
「……ほっ、他のお客さんの……、迷惑になるから……、少し、声量を……」
「はああぁぁ~~??」
この女の敵意が一瞬にして俺に向いたことを察した。全身の産毛が逆立つ。
「あなたっ! プロフィールに25歳って書いてたわよねぇっっ!!! 私より20も年下のくせにふんぞり返ってんじゃないわよおぉぉぉっっ!!! あんたみたいなのがいるから社会がこんな※*※$@※※*+※」
「…………」
まるで子供の駄々のような、聞くに堪えない(というか意味も分からない)言葉を並べたのち、女は叩きつけるように席から立ち上がった。
「もうあったまきたっ!! 帰るわよっ! 私っっ!!」
「えっ……、あの、勘定は……」
「男なんだからあなたが払うに決まってるでしょおぉぉっ!!」
そう捨て台詞を吐き残すと、ズンズンズンと聞こえてきそうな立ち振る舞いで女は店を去っていった。俺の手元にはぐちゃぐちゃに食い散らかされたナポリタンだけが残った。
これが俺のマッチングアプリ、10連敗目を記録した瞬間である。
・・・・・・・・・──────────────────。
『先日わ本当ごめんなさいぃ(-_-;)m(__)m仕事が上手くいかなくてぇイライラしててぇ(`ヘ´)(`ヘ´)良ければまたご飯連れて行ってくれたらうれしいですぅ(o^―^o)☆彡』
「連れてくわけねえだろっっっ!!!! こんなもんブロックじゃぁぁっ!! ブロッッックっっっっ!!!!!」
あれから数日、俺は日中スマホのアンインストール画面とにらめっこをしていた。勿論議題はこのマッチングアプリ、「shinder」についてである。
自分で言うのもなんだが、俺はかなり高スペックな方の人間だ。
23の時、会社のでかいプロジェクトの山を当て、それ以降業績は右肩上がり。現在大手企業にて年収は500手前、容姿もそこそこ、所謂かなりの上澄みというやつである。このままいけば更なる躍進も時間の問題だろう。
しかし、そんな仕事第一の俺に待ったを掛けたのは母親であった。
「あなた、25にもなって浮いた話の一つもないじゃないのぉ。一回お見合いでもしてみたらどぉお?」
と言いながら、地元での見合い話を切り出してきたのだ。
正直、わざわざ都会にまで来て仕事を当てることができた俺に、田舎に帰るという選択肢はまったくなかった。ので、その時とっさに……。
「いやっ! 向こうで彼女出来たから! 俺っ! 大丈夫だから!」
と、情けない噓をついてしまった。
その嘘をごまかすために始めたのがこのマッチングアプリ、「shinder」である。
──────だが。
「そろそろ……、潮時か……?」
このアプリ、というか世にあるマッチングアプリ全てに言えることなのだが、これに登録している人間の大半は所詮売れ残りにしかすぎず、まあマイルドに言うと個性的な人材が多数集っているのである。
ちなみに、俺が今まで出会った女性の一部を紹介すると、
「開口一番重たい身の上話をしてきたヒステリック被害妄想女」
「受け答えすらまともにできない中卒引きこもりすっぴん女」
「住所特定、職場特定をまったくインモラルだと思っていないメンヘラ地雷系女」
「明らかなぼったくりバーにやたらと連れて行こうとする妙に美人な業者女」(←これはさすがに途中で逃げた)等々。
付け足すと、これら全員が先日のナポリタン女のようなアクの強い性格。一癖二癖というには余りある魑魅魍魎が跋扈している界隈こそ、この「shinder」なのである。
また、誤解のないように言っておくと、女性目線だとしても同様の怪異には遭遇するのでここに男女の隔たりは一切ない。多様性である。
真にハイスペックな人間というのはこんなアプリを使わなくても相手がいるものだ。上澄みレベルの人間がこのアプリをやっていること自体が希少。下に行けば下に行くほど貪欲かつ意地汚く出会いを求められる。
実際、1年と少しという短期間で10人もマッチングできている。それがやめるにやめられない。
「…………いいや、俺は今決心したぞ。こんな思いを続けるくらいなら親にどやされていたほうがマシだ。アンインストー──────」
『ピロン』
決意を固め画面に指を近づけた瞬間、着信が鳴った。タイミングとしては最悪。
「は? またマッチングしたのか?」
ここで無視しておけばいいものを、下心を抑えられない俺はまたあのアプリを開いていた。
『|四条 麻海(23) 東京都 趣味:スポーツ観戦 職業:AIエンジニア 年収:約520万
こういったアプリを使うのは初めてですので、至らぬ点があるかと思いますが、趣味の合う方とお話しできたら嬉しいです。』
「…………」
プロフィールなんていくらでも創作できるので、さほど重要ではない。俺が目を奪われたのは写真の方である。
クリっとした目にふわふわの髪、あどけなさの残る多少の童顔。アイドルや女優でもやっていそうな典型的な美少女……。
言わずもがな、写真も大概である。適当に加工した写真を起用されているというのが相場だ。
事実、先日会った化物は『31歳(自称)大企業OL(自称)趣味はキャンプ(自称)』なうえ、写真も31にしては若作りしすぎている微ギャル風だった。
余談だが、本人曰く「妹が自分の写真を勝手に登録した」とのことらしい。それが本当なら遺伝子異常である。
そのような経験をしている者であれば、この容姿の時点でいち早く危険の察知ができるだろう。
しかし、俺は10連敗。ここで言う10連敗は「経験が豊富」という意味ではなく、「10連敗もしたことがある男」という意味になる。
「……………………ま……、まぁ、嫌なら会わなきゃいいだけだし……、ちょっと……、話しするくらいなら……、全然……」
数分前に固めた決意は跡形もなくなっていた。頭の中から11連敗目という言葉もなくなっていた。