壁でもいい
「レオだよ」
「うえっ」びっくりしすぎて変な声が出た。
「ぜ、全然わからなかった・・」
「隠してたもん」
「なんで?」
「友達でしょ。友達として大事な人だし、振られて関係壊したくなかったんだよね。でも、もうすぐ卒業だから、変わろうと思って」
「それは好きという気持ちを前面に押し出す・・ってこと?」
「そう頑張ろうとしてるんだけどさ・・これがなかなか難しくて」はあーと大きくため息をついて、手で顔を覆ってしまった。
なにか私がアシストできることがあればするからとソフィアの肩を叩いてランチを終えた。
□ □
研究室へ向かっていると、ノアがまた女子生徒たちに囲まれていた。(やっぱ人気あるなあ)と感心しながら通り過ぎる。ノアがモテていようと、私がノアを好きだと思う気持ちは変わらない。ノアが私以外とデートするなんてことになったらどうしようなんて考えれば、感情が揺れてしまうけれど、起きてもいないことを心配することはない。
どんなことでも、起きたら対処するだけだ。不安にかられたり、心配することに頭と時間を使うのは無駄。心配とは薬草のフリをした毒だと思う。
ノアを好きだという気持ちを大切にするだけ。
うん、楽しい。ノアが大好き。そんなことを考えながら歩いていると、廊下の先にレオを見つけた。好きな子がいるのか尋ねてみようかなと思ったけれど、好きな子がいたとしてその名前を教えてくれるかもわからないし、廊下で出会っていきなり「好きな子いる?」なんて不自然すぎると思い、やめておく。その代わり、ソフィアとレオと私の三人でどこかへ遊びに行くのは良いかもしれないと思いつく。二人が良い感じならすーっと消えればいいんだし。急に三人で遊びに行っても不自然じゃない場所ってどこだろう・・。
・・・。
びっくりするぐらいどこも浮かばず、根本的に無理なのかもしれないと諦めた。慣れないことしなくていいか。そもそもあの二人なら大丈夫。柄にもなく何かしてあげたいなんて、結構気持ち悪い思考だったかもと苦笑する。
研究室に入り、準備を進めてから本でも読もうと思っていたら、すぐにノアもやってきた。
「ミシェル」私を見つけて近寄ってくる。
ああ・・ノアが好きだなあ・・。髪も瞳も、背が高いのも、大きな手も、口下手なところも、何もかもが好きだなあ、なんてうっとり見ていると、ガシッといきなり腕の中に閉じ込められた。
「うぐっ」
「なんて顔をしてる」
「え?」
わけがわからないままギュウギュウと抱きしめられ、ノアの香りに包まれる。なんだかよくわからないけど、離してもらえそうにないからノアの香りに集中していると、なんだかだんだん私の緊張も緩んできた。ノアの抱きしめ方も少し緩み(ノアの腕の中って、あたたかくてノアの香りがして、心地良いからずっとこうしていたい)と思い始めた頃、すっと体を離して顔を覗き込まれた。
「・・なんか変な顔してましたか?」
「どうしようもないくらい可愛くて、なんとなく焦った」
「かっ、かか・・」まっすぐに可愛いと言われて、顔からボンッと火を吹きそうになる。頬を押さえて熱を下げようとしても、いまだにノアの腕の中にいるから熱の逃げ場がない。
「あ、あの!恥ずかしくて顔が熱くてどうしようもないので、少し外の空気に当たってきていいですか?」と身をよじると、
「ダメ」
「ダメってなんですか!?」まさかダメなんて言われると思わず、ノアの顔を必死に見つめる。
「離したくない」
もうだめだ。顔が熱い上に、心臓がすごいはやさで胸を叩いてる。じっとしていられないのに、腕から出してもらえず、じわじわと斜め後ろにある壁に近づく。そろりそろりと動いていき、ノアに囚われたまま壁に頬をくっつけた。
なんでもいい、冷やさせて。
「くっ」ノアが困ったように眉を下げた。
ひんやりした壁で熱を冷ましているけれど、反対側の頬は熱いまま。こっちも冷やしたいなあ・・と思っていたら、ノアが向きを変えてくれた。右の頬もひんやりして気持ちいいけれど、離してくれなきゃドキドキは治まらず、
「あの・・顔は冷えましたけど、心臓が落ち着かないのでそろそろ離してもらえると・・」
「ダメ」
お、おう・・。まだダメなのか。
心臓を落ち着かせるか、離してもらうかの二択だったけど、離してもらえないなら自力で落ち着くしかないわけで。
でもノアの腕の中だとそれが難しいわけで。
いやもう諦めるか。うん。
いつものように思考を手放した。
ノアが好き。大事なのはそれだけ。そう思ってノアを見上げると、ノアの頬が私の頬にくっついた。
「壁で冷えたね」
この人はどうしてこうスキンシップがナチュラルなんだ。せっかく冷えた頬がまた熱くなる。
「ノア」思っていたより低い声が出た。
ノアが少し首を傾げる。
「せっかく冷やしたのにまた熱い!」
「・・・くっ」
ふりだしに戻る。
どれぐらい経ったのかわからないけれど、やっと抱擁から開放され、へなへなと椅子に座ると、ノアも隣に座って私の頭を優しく撫でている。
ちらっとノアの顔を見ると、とてつもなく甘い顔をしていた。
愛しさが溢れてる。勘違いじゃないといいな。
□ □ □
ミシェル、俺は思い出したんだ。
この魂は何度も何度も泉の近くに生まれ、泉に降り注ぐ光を光の女神として意識して、触れたい、話したいと願い、いつか人間同士として寄り添って生きていきたいと願ったことを。
気が付きたくはなかった。俺は女神じゃなくて、ミシェルを好きになったんだから。女神だから好きになったんだと思いたくなかったから。
思い出してから考えたんだ。なぜこの魂はそんなにも泉の光に固執したのか、と。光が手に入らなくても幸せだった。そばにいられるだけで良かった。だけど、生を手放すときはいつも「もっと」と願いが強くなっていった。
光の君と生きていくためには、『僕』も光になりたいと思った。人間は重い。色んな想いが絡み合って、どんどん体も心も重くなっていくんだ。
だけど今、人間同士として同じ世界に生まれ、ミシェルに恋をした。
ミシェルに触れることができる喜び、ミシェルが楽しそうに笑ってくれる喜び、とまどって少し不安そうにしている顔も愛しくて、会うたびに愛しさが抑えきれなくなって、抱きしめて離せなくなった。俺は君と生きていきたい。光だった君は俺と一緒に生きたいと思ってくれるんだろうか。
君が光ではなく人間として生まれてきたのは、どうして?少しは『僕』に会いたいと思ってくれたのかな。そう考えるだけで震えるほどに喜びが溢れる。
もっと触れたい。君を強く抱きしめていたい。
だけど思うんだ。君が俺を選んでくれなくても、君が幸せならそれでも良いと。君と一緒にいられないと考えただけで心が止まってしまうけれど。また君と会える人生を何度も何度も探してしまうんだろうけれど。
これは重い執着なんだろうか。『僕』が光を女神として縛り付けてしまったんだろうか。そう考えてしまうと、動けなくなってしまうんだ。