はじまり
それは、ただそこにあった。
誰からも名付けられず、そこにあるものだと認識もされず、ただ或る。
何年も、何百年も、何千年も。時間の概念などない世界にただ或る。
いつの間にか、その世界には感情をもつ生物が増えて生活を営むようになった。
澄んだ空気の森の奥、静かに湧き続ける泉。木々の合間から光が差し込み、キラキラと輝く水面、森に住む動物たちが水を飲みに来る。小鳥がさえずり、優しい風が木々の葉を揺らし、寒い季節は泉も凍る。
春が来て氷も溶けたある年のある日、一人の若者が泉のそばにやってきた。
「なんて綺麗な場所なんだ」目を輝かせてあたりをじっくり見回す。しばらく目を閉じて深く息を吸い込み、ゆっくり吐き出す。それだけで体が軽くなったような気がする。しばらくそこに佇み、来るときより足取り軽く来た道を戻っていく。
季節が移り変わっても、若者は森の奥の泉へとやってくる。
だんだんと彼の心の中で、美しい場所としてのイメージが作られていく。
彼が美しいと思うものへと、それは認識されていく。
何度も何度も泉へとやって来て、また今日も泉へ。
穏やかな春の陽射しが木々の間や空から泉を照らす。
ふと、若者の目に何色か織り成したような光が見えた。
『まるで人のかたちみたいだ』そう認識した。
キラキラと水面に注ぐ光が一人の女性のように見えた。
始まりはその程度。
その日から若者は毎日、女性に見える光を探すようになった。
目の錯覚だとわかっていても、心地よい場所で見た光が女性のような存在であればと期待してしまうのだ。ただ或るだけだったものが、認識され始める。人が存在を創造するのである。
何年か経ったある日、雨上がりの森の中、久しぶりに虹のような光が降り注ぐ。前に見た形に近い。そうであって欲しいと願いをこめて見つめる若者。もう一度見てみたいという想いが、触れてみたいという願いへと変わる。
通い続けて数年、何度か出会えたその光の中に手のひらを入れてみた。キラキラと光って暖かくて嬉しかった。
触れてみたいという願いが、話してみたいという渇望へと変わる。
その頃には若者の目に光は女神のような存在に見え始めていた。
来る日も来る日も若者は泉にむかって話しかける。大切な存在へ愛を伝えるように。
また何年も過ぎた頃、若者の語りかけに光の女神は微笑むようになった。
若者は答えてほしくて毎日問いかける。
『あなたは女神ですか?』
『また明日、会いに来てもいいですか?』
光の女神は少し頷くように微笑む。
若者はずっと一緒にいたいと願うようになった。
毎日毎日通って50年が経った。若者は年を重ね、おじいさんになった。
『私はそろそろ寿命を全うしそうです。あなたという光に出会えて幸せな人生でした』
女神だと思い込んだだけかもしれない。それでも嬉しかった。その光に出会えた人生は自分にとって宝物だと思った。人として生まれてきて良かったと微笑みながら死を迎える。
それからまた何百年か経った。
森の奥の泉は変わらずある。森の周りの世界は大きく変わった。
いつの間にか人間が所有する土地になっていた。
所有者の男性は森へ通う。
なぜか泉に大切なものがある気がしてしょうがないのだ。
男性が40歳になる頃、それは現れた。
光の女神。
光の女神だと認識されたそれは、男性の魂がこの泉に通い続けた若者の魂と同じだと知っている。
だから、話しかけてみたのだ。
『おかえり』と。
40歳の所有者にはわからない。だけど大切なものはこれだったのかと、魂が震えるような歓喜を感じる。それから毎日話をした。
『あなたは随分前にもここへ通ってきてたのよ』
「僕が?」
『そう。人間としての見た目は違うけれど、魂は同じ。いつか私と話してみたいと望んでくれたから』
魂の話はよくわからなくても、ストンと胸に落ちるものがあった。
それから10年、通えるだけ通った。ある夏の日、森の所有者の男性は死を迎える。光の女神にさよならを告げず。
それからも幾度か光は男性の魂に触れる。姿は少年、女性、男性と様々だった。
初めて会ったときから二千年以上経ち、みんな死を迎えた。
ただ在るだけの存在だった光が、人間として生きてみたいと思った。繰り返し自分の元へと生まれてきてくれるこの魂に人間として寄り添ってみたい、と。
人間として生まれるには、光の力をかなり低く変換しないと無理なので、まずは光を千ぐらいに分けてみた。
力は低くなり、いくつかは人間として生まれることができた。光にとっては時間の概念などない。分けた分身がそれぞれ別の時代に生まれたとしても、すべての体験を同時に受け取ることができる。
だけど、どの分身もあの魂には出会えなかった。
それならと今度は百個に分けてみた。同時にそれぞれの経験が届く。ある分身は子供の頃に売られ娼婦に。ある分身は戦争に巻き込まれて死に、ある分身は親に殺されて死んだ。
人間としての経験が自分のものとして集まって積み重なり、どんどん光が弱くなる。
何度かこれを繰り返すうちに、もう光と呼べないほど淡いものになっていく。
次が最後のチャンスかもしれないと思い、光を分けずまるごと一人の人間として生まれることにする。
分ける力を使わないので、会いたい魂に会える確率は上がった。淡くなった光は光としての記憶を失くす。
それでも、あの魂に寄り添ってみたいと願う。
□ □ □
ここは地球と似た世界。私の名前はミシェル・ラクレア、18歳。
毎日学校に通い、恋愛に憧れる普通の女子。少し変わっているのは前世の記憶をいくつか持っていること。地球で生活していた記憶がある。どれもぼんやりしたものばかりだけど。
この世界は地球より愛に溢れている。誰もが豊かで誰もが自分らしく生きられる。自分の個性を活かすために学校があり、授業は全て選択できる。生きていくために必要な言語、生活に必要な算術など基本的なことは必修科目だけど、それ以外は自分がやりたいこと、得意なことを中心に授業を受けられる。
移動手段は地球でいう車に近い。自然がそのまま残っていて、道路は自然に還る素材で舗装され、車の動力は人間のエネルギー。操縦桿に手を置いて、体温で動く。バルーンで包んだような車は、人にぶつかってもお互いに傷つけることはない。そんな車が走る街は、近未来的な光景から最も遠く、牧歌的でのどか。春夏秋冬穏やかでどの季節も過ごしやすい。
地球と同じように、人間はご飯も食べるしトイレだって必要だけど、むやみやたらに美味しいものを追求して貪ることはない。誰もが満たされ、誰もが自分らしく生きられる世界なのだ。
だからなのか、ほとんどの人間が眉目秀麗で色とりどり様々な外見。
私は金色に銀色が混ざったような髪色に、瞳はエメラルドグリーン。普通の女の子とはいえ、この見た目で地球に生まれてたら色々と無敵だったんじゃないだろうかと思う。好みか好みじゃないかぐらいの違いで、みんな綺麗なので、自分が特別だという意識はない。
恋愛に憧れているのに、いいなと思ってる男子から告白されても、なぜか付き合う気にならない。どうしようもない不安に襲われるのだ。何かが違う、この人でいいのかな?と。
結婚も憧れているのに、誰かと結婚するのかと思うと怖くてしょうがない。まだまだ恋に恋するおこちゃまなのかもしれない。
この世界では結婚しようがしまいが自由なのだ。私は結婚がしたい。愛する旦那さまとのラブラブな毎日と、可愛い子供を育ててみたいという欲求は強い。
先週デートに誘ってくれた同級生の男子も素敵だったんだけどな。現状を変えるためにも、もし次に誘ってくれる誰かがいたら応じてみようかな、なんて思いながら自宅近くの作業室で葉を千切る。
学校に通う前から、植物の力を活かしてお茶や香料を作るのが得意だった。この世界に溢れてる光の効果を込めるのが1番得意。ポワポワと遊びにくる光にお茶の葉をくぐらせる。それだけで光の性質がほんのりお茶に入る。美味しさと、香りには自信がある。
それなら仕事にしちゃえと、製品を作る作業室を家の一角に作ったのである。新しい建物を建てたわけじゃないから、大した費用はかかっていない。親に出してもらった分は収益から返済済みで、自分のペースでお茶を作って楽しんでいる。つくったお茶は街の紅茶屋さんで販売してもらっていて、出すたびにすぐ売り切れるので好評なのだと思う。
「さてと、今日の分のお茶はできた!そろそろ何か季節の新しいお茶を考えてみようっと」
散らかった作業室を片付けて、自宅へ戻ろうとして、ふと気分が変わったので森の奥の泉へ向かう。
まだ夕方には少し早い時間、1時間ぐらい森で新しいお茶のアイデアを考えても暗くなる前には帰れる。幼い頃からここはお気に入りの場所。こんなに素敵な場所なのに、なぜか誰とも出会わない。
森を抜けて、小道から少しそれて奥へ進むと泉があり、そのそばにある大きな白い石に座ってお茶のアイデアをノートに書き込んでいく。
突然
『キーン』
と高い音で耳鳴りがして、周りの音が消える。葉が擦れ合う音も、小鳥のさえずりも全て消えた。何が起きているのかわからないまま、森の入口あたりを見つめる。ゆっくりと泉に向かってくる男性が1人。背が高く、髪は黒い。艶々と光る癖のない髪に凛々しい眉、涼し気な黒い瞳。整いすぎて冷たさすら感じる顔。初めて目にする人なのにどこか懐かしさがこみ上げる。
『『やっと会えた』』
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初めての作品、初めての投稿です。
地球とは違って、愛しかない世界。そんな世界を選んで生まれてきた二人の恋愛の進め方を、重い要素一切なく軽く描く予定。