qt.002.『二杯目』
閑話
さて、少年が見た願いの欠片の話だったな。
今回は『殴殺王』と呼ばれた男の話にしよう。
それじゃあ、
「オリジナルブレンド一つ」
※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
――なぜ、妹がこんな目に合わなければならない。
特定危険指定暴力団『新夷組』――いわゆるヤクザ。その組長の息子として俺は生を受けた。
ゴミみたいな環境で唯一人としての生を実感できたのは、年の離れた妹の相手をしている時だけだった。
これが酷ぇ環境だった。
大して大きくもない組は、何とか影響力を誇示しようと過激な暴動ばかりを起こしていた。
自棄を起こすのはいつものことだが、腐った思考に蛆が湧いたと思ったのは、ある日の定例会の時だった。
「あいつらは俺たちを舐めすぎた。あの心願會のクソ共は」
昔っから幅を利かせてたヤクザもんの大親分。
ここのゴミ共は極道の天辺に喧嘩を売るらしい。
――俺は死んでもいい。けどよぉ……。
心中なんざに碌なもんはない。何とかして妹を逃がせないかと、ありもしない頭を悩ませている兄を他所に、
「にいにぃは、あそぶの……いいの?」
これだ。まったくなんて純粋な眼差しを向けやがる。
この目の前の無垢な命は、ことさら溝みたいな組の心中に巻き込まれるとも知らずに、このあと兄が遊んでくれるのかなんて気の抜けるような心配をしている。
「小百合がいい子にしてたらな」
親父が酔った勢いで孕ませた女の子供。腹違いの妹だ。
小百合の母は無理やり種植え付けられた挙句、逃げれないように健を切られ、監禁された。
全く同情する話だ。こっちの母親と違ってまともな人だったってのは、小百合の純粋さを見ればわかる。だってのに、産んだ後は生かしておくリスクが大きいからと殺された。
「うん!」
母の顔も知らない妹は馬鹿みたいに無邪気な笑顔で、誰も興味を示さない小汚いオフィスの物置に走っていく。
「はしっちゃだめ!」
思い出したように口を押えた妹は、パタパタ足音を鳴らしていてはうるさいと、抜き足差し足で狭い部屋の中へと入っていった。
そんな妹に愛おしさを感じると同時に、
「ガキが走ることも許されねぇのか……この世界はよ」
真っ暗で狭い物置が妹に用意された未来のようで、心底嫌気がさした。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
――心願會への奇襲前日。
「なぁ小百合、兄ニィと毎日遊びてぇか?」
「うん!!」
「シッーーー!!!」
とびきりの返答に嬉しさ半分冷汗をかきながら、慌てて妹を諫める。
「あっ、あっ、しっー」
慌てて口を押さえてから、小さな声で兄のマネをする妹。
「そう。静かにしてろな」
相変わらず無邪気な妹を連れ、組のバイクを盗んで逃げ出した。
ヤクザの裏切りには死よりも恐ろしい罰が待っている。敵前逃亡ならなおさらだ。
それなのに逃げても問題ないのか?
当たり前だが問題は山ほどある。
唯一の可能性は、出たとこ勝負の取引のみだ。
ぶっちゃけ、取引が上手くいかなかったにせよだ。玉砕気取りの心中を行動に移した時点で、新夷組の命運は尽きる。そうなれば、報復も見せしめもありはしない。
強いて言うなら、迷惑をかけた心願會から報復される可能性だが、その心配もいらない。なぜなら、件の取引相手がその心願會だからだ。
「全部伝えた通りだ。明日組の奴らがくる」
「そうかい。ほれ、儂の方で色つけてやったからに」
「騙されなくてホッとしたぜ……」
「仁も義もねぇ脇道通るってんなら、そいつはただの外道よ……さっさと行きねい」
結果として賭けに勝ち、俺と妹は自由を手にした。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
「親なし、身分証も連絡先もなしかい……」
わかっちゃいたが、ようやく手に入れた自由ってやつも、中々に厳しいものだった。
真っ当に稼いだ事もなければ金を使ったこともない。
訳アリ無職が部屋を借りられるわけもなく、公的機関を頼るように流される日々。
それでも諦める訳にはいかない。
公的機関に頼れば最悪俺は捕まり、妹は施設に送られるだろう。
世間様から見たらそれが正しいのはわかる。けど、兄との未来を楽しみについてきた妹の想いを裏切ることはできない。そうでなければ何のために組を裏切ったというのか。
せめて、妹が別れに折り合いをつけられる年になるまでは許してほしい。その後は死でも牢でも何でも受け入れる。
俺は藁にもすがりつく思いで、生きられる場所を探した。
「前払い。倍の家賃を払うってんならいいよ」
ようやく見つけた藁は、俺と同じ碌でもねえ臭いがした。
そんなんでも今はこれしかないと、一つ返事で承諾する。
まともな知識のない俺からしても眉を顰めるようなボロ屋だったが、それでもないよりはましだった。何よりこれでようやく妹を休ませることができる。
妹が休んでいる間も、俺は必死に次を探した。
分かっている。新しい家主が見つかるにせよ何にせよ、都合が悪くなれば俺らは追い出される。それだけならまだ良い方だ。運が悪けりゃ警察や他のヤクザに売られるなんて可能性もある。そうなる前に新しい場所と金が必要だった。
「悪いけど、うちじゃ雇えないな」
学のないクソガキを雇ってくれる場所なんてのは簡単に見つかるもんじゃない。
生活の厳しさは相も変わらず、それを思い知らせるかのように不都合は続いた。
「知ってる? あの子たち、暴力団の子供らしいわよ」
「うそ!? 子供たちだって近くで遊んでるのに……通報する?」
「まだ怪しいとは言えないのに通報はねぇ……まぁ、何日も見るようなら通報した方がいいかもね」
どうも過去ってのは俺たちを逃がしちゃくれねえらしい。
どっから聞きつけたのか、こんな遠いとこまで来ても生まれという呪いが泥のようにへばりついてきやがる。
噂が流れてから少しして分かったことだが、噂はただの噂で、訳アリな親なし兄妹と兄の凶悪な相貌からそれっぽいことを言われていただけだったらしい。
「くだらねぇ」
タダの噂ならどうという事はない。悪化する前に別の町へと行くだけだ。
「また引っ越すの?」
「悪ぃな……」
噂が出るたびに引っ越して、引っ越して、引っ越して、逃げて逃げて逃げて逃げた。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
「ハグレもんだったって? 子にまで責任があるもんか」
逃げ続けた先で理解者に出会ったのは妹が六つになる頃のことだった。
帰ってすぐ、妹にこの嬉しい知らせを聞かせてやる。逃亡生活みたいな毎日の中で、初めてまともな嬉しい報告だ。
「やっと拾ってくれる人がいた。神様も俺達のことをまだ、見捨てちゃいなかった……!」
「よくがんばりました」
そういってヘタクソながらも、優しさに溢れた手つきで兄の頭を撫でる妹。
兄として情けない姿は見せられないってのに、足の力が抜けて、何かが込み上げてくる。
「ったく……まいったな」
でも違う。ここは踏み留まらなければならない場面だ。
ようやく報われただとか、俺も頑張ったんだとか偉そうなことを思のはおかしな話だ。
なぜなら、頑張ったのは妹だから。ここまで耐えて耐えての日々だった。遊びたかっただろう、欲しいものだってあっただろう、行きたいところも食べたい物も沢山あったはずだ。
クソみたいな場所に生まれてしまったがために理不尽のど真ん中に立たされた妹は、そのすべてを飲み込んで、押し殺して、それでも馬鹿な兄貴を気遣ってくれる。
だというのに俺はどうだ?
ゴミの掃き溜めみたいな場所から連れ出すなんて息まいておきながら、結局アイツらと同じようなゴミみたいな人生しか見せてやれない。
情けなくて、頼りなくて、不安にさせるような背中しか見せられない兄貴でごめん。そう言葉にできたら性根の腐った兄の心は少しは軽くなったのだろう。
「うっし!」
でもだ、誰よりも頑張っている妹の前でこれ以上無様な姿は晒せない。
気合を入れる振りをしながら自分の脚を思い切りにぶん殴って、気を抜いてしまいそうな弱い己を奮い立たせた。
「大丈夫?」
「ありがとな。もう大丈夫だ」
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
住む場所と仕事をくれたおっちゃんの口添えもあって、妹は学校に通えることになった。
本当はランドセルの一つでも買ってやりたかったが、生憎妹の飯を買うので精一杯だったので、鞄は二人で必死に手作りした。
そして俺は早くまともな生活ができるよう昼夜問わずに働いた。なに、若いのもあって体力は有り余っている。
「今日は上がって、たまにはコユリちゃんに元気な顔を見してやんなさい。いつも誰もいない家に帰るのは寂しいだろう?」
仕事をくれたおっさんも細かいところで融通を効かせてくれる。クソみたいな人生も少しは軌道に乗ってきたかと思った矢先、
「帰ったか小百――どうした!?」
捨てられた人形みたいな妹が、玄関に立っていた。
髪はボサボサでどこもかしこも汚れている。服も転んだのかというくらい盛大に泥がついていた。
「誰にやられた!?」
しかし、これが誰かにやられたものだというのは、腰の側面についた靴裏の跡と、反対側にだけついた泥を見ればわかる。人は普通に歩いてて転ぶとき側面から倒れることなど殆どないのだから。
「学校の奴等か!?」
蹴り跡の大きさから考えて同年代か少し上、あっても中学生未満だろう。
予想が当たっていたのか、黙っていた妹が口を開いた。
「クラスのみんなに、一緒に帰ろうって言ったらね? 『犯罪者は近寄るなって』って……」
どこから聞きつけたのか、学校で犯罪者と虐められたらしい。
ようやく兆しが見えてきたかと思ったらこれだ。
妹は何もしていないのに。
――いや、だめだな……。
噂は直ぐに広まる。ここも長くはいられない。もっともっと遠くに、誰も知らない遠くに行くしかない。けどここだって随分遠い。本当にそんなところがあるんだろうか。
「引っ越そう」
日本の外なら或いは――けど外国語なんて少しもわからない。たしかハローはアメリカの言葉だったはず、そんな程度だ。
「どこに行ってもおんなじ……こゆりは兄にぃ守ってもらってばっかり」
どうしたらいいんだと無い頭が思考の迷路に入ったとき、妹が呟くように口を開いた。
「あのね? まだ、兄にぃを守れるほど強くなれないけど、だからね? 守られなくてもいいくらい強くならないとって。だから大丈夫。兄にぃはいつも大変。だからいい。私、平気だよ?」
――いいのか?
答えは分かっている。何度も繰り返してきたからこそ、これだけの好条件が揃うことは二度とないと俺も妹もわかっていた。もう、後がないのだ。
「辛くなったら直ぐ言えよ」
本当に情けなくて嫌になる。でも今は妹の強さに頼るしかない。
「じゃあ、お人形が欲しい!」
「人形?」
予想外の一言に面食らうも、思えば妹も年頃で、当たり前の話だった。
周りの連中は親に色んなもん買ってもらってるだろうに、俺は何一つ買ってやれてない。
「お家、一人だと寂しいから……兄にぃはいつもお仕事頑張ってるから」
もじもじとそんなことを言う妹
虐められるよりも兄と一緒にいられない方が辛いなんて、これほど兄冥利に尽きる話もない。そう思う反面、このまま俺のような奴に依存させては不味いとも思う。しかし、どうしたらその状況から救ってやれるか、あちら側に行かせてやれるかわからない。
――なぁ、誰でもいいからよぉ、このどん詰まりから抜け出す方法を教えてくれよ……。
けど、情けない背中は見せないと決めたから。
「任せとけ!」
飛び切りのサムズアップで応えて見せる。
そのことを世話になってるおっさんに相談したら、すぐに良い場所を紹介してくれた。そこなら絶対に妹の気に入る人形が見つかるし、安い値段の人形も沢山あると。そのうえ仕事もずらし社用車まで貸してくれたんだから、本当に、この人には頭が上がらない。
おっちゃんに感謝しながら、翌日、借りた社用車に妹を乗せて人形を選びに行く。
「兄にぃすごい! お人形さんがたくさんキラキラしてるよ!」
よく見る外国風の人形。
着物を着た黒髪の不気味な人形。
ボタンで作られた眼がコミカルな素朴な人形。
「売り物だから気を付けろよー。壊したら兄ニィ仕事増やさないといけないからなー」
たくさんある人形に目を輝かせ、トテトテと店内を走り回る妹に注意を促す。
「大丈夫ですよ。落として壊れれば縁起が悪いですから、落ちないような工夫はもちろん、私が手がけている人形は丈夫に作っておりますので」
「そっすか、迷惑かけてすいません」
「迷惑なんてとんでもない。あの笑顔だけでお一つプレゼントしたくなってしまうくらいです。まぁ、うちにも同じくらいの娘がいるので、お値引きが精一杯なんですけども」
たははと苦笑する店長。
そりゃそうだ。誰にだって生活がある。自分だけ棚に上げて好意をせびろうなんて罰が当たるってもんだ。
「兄にぃ! アレがいい!」
店長と話している間にどうやらお眼鏡に叶うものが見つかったらしい。
「お、どれだぁ?」
妹が持ってきたのは現実の少女をより美しくしたようなフランス人形だった。
流石は女の子、お目が高い。精巧な作りもそうだが今にも動き出しそうなリアルさがあり、着飾られている装飾だけでも馬鹿みたいな値がしそうだ。
値段を見てみれば案の定、とてもじゃないが手の届かないものだった。
「ちがう! え、えーっと……ぅーんと……これっ!」
余程顔に出てしまっていたのか、見かねた妹がそれよりも安そうなものを急いで手に取った。
妹が新しく持ってきたパッチワーク調の人形は、最初の人形とは比較することすらできない。その意見が個人の価値観ではないと証明するように、値札は桁を一つ減らし、おまけに一番でかい数字が半分になっている。まさしく見栄えの差相応といったところだ。
確かにこれくらいの値段ならば買える。しかしアレを見た後では見劣りしてしまう。
我慢に我慢を強いている妹に、人形の一つでも我慢させるのか?
答えは当然"好きなものを買ってやる"なのだが、それでも五万はとてもじゃないが手が出せない。
(臓器でも売るか? でも伝手がねぇ……)
今まで何度も考えては、その度諦めてきた無謀な考え。けれど今以上にこの考えを望んだことはないだろう。
裏家業に手を付けようか本格的に考えだした時だった。店長が徐に電卓を叩き始めた。
「もし、最初の人形がよろしいのであれば、制作費にそちらの人形と同額を乗せた……こちらでお譲りすることは可能ですが」
小さな液晶に映し出されている金額は一万後半。これくらいならば無理をすれば買えるだろう。しかし如何せん、
(時間がねぇ……)
生活のことを考えると、金を用意するまでに最低でも一か月はかかるだろう。これほどの人形であればその間に誰かに買われてしまっても不思議じゃない。だが、これ以上妹に変に期待させて落とすような仕打ちをするわけにはいかない。
「お取り置きしておきますよ」
「ぇあーっと?」
「あなたがもらい受けるまで、他の方にはお譲りしないでおくということです」
余裕のない毎日の中、足りない頭で慣れないことばかりしたせいか、ここ最近で一番頭がパンクしそうになる。しかし、そんなところまでも店長が譲歩してくれた。
「――!? あざっす!!」
ここまでしてくれた店長の為にも、何より苦労ばかりさせてきた妹を少しでも労うためにも、出来るだけ早く頑張りますと決意を込めて頭を下げる。
「少しだけ待っててくれな」
「うん!」
またしても我慢をさせてしまいそうになったり、知恵熱が出そうになったりもしたが初めてだ、今まで足掻いてきた甲斐もあって、世間の言う"普通らしい約束"を妹と交わすことができた。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
それからは仕事を増やしに増やした。休憩時間を使って小遣いを稼ぎ、賄いが出ない日の食費も回して金を集めた。
「ふぅ……流石に疲れてきたな」
寂しがり屋の妹が『帰ってくるまで起きて待ってる』と頑なに譲らなくなるほど、連日連夜の深夜帰りを繰り返した。
そうして金が溜まった日の夜、恐らく睡魔に負けて寝ているだろう妹を起こさないように、そっと玄関の扉を開ける。
「スゥ―スゥ―……」
どうやら布団を持ってきてまで兄の帰りを待っていたらしい。
「ったく……」
一度寝たら中々起きない妹を中に運び入れ、寝室に残されたいた方の布団に寝かせる。
それから玄関にある自分の布団を隣に持って行って体を拭いて仮眠をとる。
今朝は特に早い。だが、その代わりに早めに帰れるし、何より大切な日にもなる。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
――その日の夜
「小百合」
「兄にぃ!」
子犬みたいに飛びついてくる妹を抱き上げ、頭を撫でつけてやってから降ろしてやる。
「ほらよ」
「わぁーーー!!」
パァっと花を広げたように笑顔が一つ。この顔を見るためにここ最近根を詰めてきたわけだが、想像以上に可愛らしく咲いたそれを見て少しだけ報われたような気がした。
「遅くなったな」
「ありがと兄にぃ!」
「大事にな」
妹の手にある人形は高価で、職人が魂を込めて作っただけにその美しさはともすれば目が移りそうなほどだった。だが当然、その隣にある笑顔には敵わない。
「うん! 絶対絶対ぜ~~~ったい大事にする!」
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
「小百合~、今日から暫く早く帰えってこれるからよ」
買うもの買ったし、連日の無理で溜まった疲れを取る意味も含めて仕事は少し減らした。今日も早めに帰って妹との時間を過ごそうと、そう息巻いて帰ってきたのだが――、
「小百合?」
家のどこを探しても妹の姿が見当たらない。
とっくに過ぎた下校時間を見て、何か遅くなる理由でもあったのだろうかと、お迎えがてら通学路を辿りつつ妹を探す。
もう直ぐ通学路の半分にもなるというのに、相変わらず見えない妹の姿に焦りと不安を覚えた頃、道沿いの河川敷から小学生たちの騒がしい声が聞こえてきた。
「おーい、早くは渡せよ」
「盗んだんだろ、警察に行けよ」
「学校にオモチャ持ってくんなよ」
屯している小学生たちは何かを取り囲み、蹴ったりひっぱたりしてはしゃいでいた。
「――……」
嫌な予感に急かされるままに様子を見に行く。
もし勘違いだったなら子供だけで河川敷など危ないと注意の一つでもして、通学路を辿りなおせばいいだけだ。しかし、人だかりの隙間から見えたのは見覚えのある鞄で、見間違えるはずのない手作りの鞄だった。
「小百合!?」
頼むから人違いであってくれ。
もしそうだったとしても無事でいてくれ。
この命を捧げることになってもいい、命だけでも許してくれ。
居もしない神様に祈りながらガキどもの群れへと走る。
丁度こちらを向いていた一人がこちらに気付き、悲鳴をあげながら逃げていく。
それを見た他のガキどもが何事かと一斉にこちらを向いた。そうして空いた足元に、蹲るようにして倒れている小百合の姿がハッキリと見えた。
「何やってんだてめぇらァッ!!」
ガキどもが蜘蛛の子を散らして逃げていく。とっちめる事もできたが今はそんなことをしてる場合じゃない。急いで妹の状態を確認する。
花のように美しかった顔は腫れあがり、体も血と泥と吐瀉物に汚れ、全身ぐちゃぐちゃのドロドロだった。
「うそだろ……なぁ」
ヤクザの息子として数々の暴力を見てきた俺には経験でわかった。生きてる可能性はゼロだって。
もっと早く帰っていれば、
無理してでも引っ越していれば、
クソガキ共に手を出すなと教えられていれば、
後悔に打ちひしがれながら、無惨というほかない妹を抱きかかえる。
すると、ぼそりと何かが聞こえた。
「………お………う」
涙が溢れてくる。まだ息があったことに対する喜びと、そう長くはない奇跡を思って。
「しゃべるんじゃねぇ!! 今病院に連れて行くからな? そしたらこんな痛いの直ぐバイバイだ」
「ぃ……に……」
それでも何かしゃべろうとする妹。
それは死にゆくものの最期の力に見えた。
「クソッ! くそぉッ……!」
クソ共に対する怒りか、
遅れてきた兄への憎しみか、
痛みの訴えかもしれない。
それがなんだったとしても、何が何でもこの言葉だけは聴き届けなければならない。
「おに、ぎょう……だいじ……できたよ……」
ひどい状態でも辛うじて妹の口元がほほ笑んだとわかる。いや、きっとそうした。
言葉を言い終えてすぐ、無傷なままのきれいな人形が地面に落ちそうになる。
力の抜けたその手に代わりに、妹の手を握って人形を支え、
「おう、偉かったな」
理不尽に立ち向かった小さく勇敢な少女を笑顔で見送る。
「お兄ちゃんも、次は帰り……遅くなんねぇようにすっから、向こうでお留守番、しててくれな」
軽くなった妹を抱き上げ、二人の居場所だった場所へと足を動かす。
この世界に彼女の居場所などなかった。このクソったれな世界に彼女を埋める訳には行かない。兄の最後の責務として、この手で弔ってやらなければならない。
例え目を閉じたとしても、妹にこんな顔は見せたくはなかった。
それでも、口元は悔しさに歪み、頬には涙が伝う。
――何だよこれ。
弱者のたった一つ宝物を奪おうとする奴らは生きて、穏やかな日々だけを望んだ少女は苦しみの果てに凄惨な死を迎えた。
「そうかよてめぇら……俺たちに死ねっつうなら、俺らとお前ら、どっちかしか生き残れないってんなら――」
クズは死んでも治らない。治るまで何度も何度も何度だって殺してやらなければならない。そうして治ってからようやくだ。妹が味わった苦しみを理解させて、地獄ってやつを味合わせてやらなきゃならない。
いや、地獄でも生ぬるい。
けど俺じゃあ地獄すらまともに想像できない。
だから神に頼むんだ――このクズ共に、人なんかじゃ想像することすらできない神罰を与えてくれと。
"何をしてでも、願いを叶えたいか?"
頭に聞こえたそれに渇望する。
叶えたいと。叶えなくてはならないと。
男はその顔を狂気に歪め、恨みに燃えた瞳で世界に復讐を誓う。
「死ぬのはてめぇらのほうだ」
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
――憑神になってから数年が経った頃。
「ボス。ウサギが罠にかかったようです」
「おう、少し待ってろ」
肉を殴る音が響く中、事務的な報告が淡々と行われる。
「ゴべ……ナ……イ」
「おう。俺じゃなくてあの世で妹に謝るんだぞ? また生き返らせて何度でも確認してやるからな?」
「モ……ア……シテ」
「死人に謝れるわけねぇだろクズが」
クズを椅子の前に投げ捨て、その首に脚を乗せる。
「また生き返らせてやるから、今は死んでろ」
へし折った復讐対象を足蹴に、復讐者たちの王座へと座る。
奇しくも、妹をリンチしたクソガキの一人を締めた最高に気分のいい夜――遂に獲物がかかった。クズ共を生かし、復讐を悪だと決めつける偽善者が。
――足りねえ。
無実の少女を殴殺した外道、その親族、友人、俺たちを追いやった連中、少しでもそれに関わった可能性があるや奴――まだまだ殺し足りねえ。それを助長する偽善者も同じだ。邪魔する奴はぶち殺す。
狡猾に、完膚なきまでに殺してやらなくてはなならない。
そのためならいくら時間が掛かっても構わない。
なに、今回の偽善者狩りも問題ない。
用意した策は盤石で、油断も抜かりもない――だのに、
――なんだ? このバケモンは……?
視界に蒼が広がる。
体が熱に溶けていく。
こんなとこでは終われない。
――あん……?
だが、何かに掴まれて動けない。
――バキ、パキン。
ゆっくりと、体が拉げていく。
――あぁそうか……届かねぇんだな。
痛みはない。苦しみも感じない。あるのはただ、妹への懺悔だけだった。
――遅くなってごめんな。今、そっち行くからよ……
※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「さて、これが『殴殺王』と呼ばれた男の願いの欠片だ。コーヒー御馳走様」
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Cafe;フェルメ・セ・イユゥ
Phone:(XXX)XXX - XXX
Cashier:987 mikami nazuna
20XX/10/16 11:28:47 PM
Order Number:54186
――オリジナルブレンド 1 500円
――オリジナル(D,I) 1 850円
――ミルク(T) 1 400円
――オリジナル(D,p) 4 800円
Sub-Total: 2550円
Tax: 255円
Total: 2805円
Cash: 2805円
change: 0円
Que vos souhaits soient exaucés
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