ep021.『狐神来航』
兎との話を終えた後すぐ、宗は今後に向けて夜通し情報収集を行なっていた。
――こんなところか。
まだまだ余裕はあるし手隙になったという訳でもない。ここで切り上げたのは単にこの後、兎と相談する時間を空けておかなければならなかったからだ。
ではその彼女はというと、『兎脚の憑神』と恐れられていても一応は学生なので、今頃は学び舎に籠って学生らしく勉強をしている。そして放課後になれば探偵社と交渉の席を用意してくれる手はずになっている。
幸い、宗も敵情調査や解魂衆の動向確認などやる事が多い。『異形』の対処はどうするか、倒した後はどう動くか、この辺りも随時微調整が必要になってくる。何より"休息"の時間を考えれば、定期的に訪れる学校という時間は都合が良かった。
探偵社のことは兎に任せて、宗は別の可能性に向けて準備を進める。必ずしも探偵社と手を取る形になるわけではないのだ、どっちに転んでもすぐ動けるようにするべきだろう。
取り急ぎ確認すべきは狩りやすそうな憑神の洗い出しと、代行者の動向、時点で組織立った憑神の警戒。
――めぼしい相手は三人。
『オカダ シンタロウ』
憑代は人形の類。女性しか狙わない性質で、穴倉から出てくるまで待つ時間がなかったので後回しにしていた。が、今回は美雪がある。釣るだけである程度の魂を確保できるお手軽な相手だ。
『ハリヤ タクト』
憑代は銃弾のペンダント。特殊な弾丸を生成し指から放つことができる。効果の程は不明だが、正直一人でも問題ない。
美雪に戦わせ、解魂衆を釣り出す餌として活用するのがいいだろう。
『パペッター』
憑代はぬいぐるみ。ぬいぐるみに実態を持たせる恩恵。その人形を飛ばすことができるようになるおまけ付きだ。
例えばナイフを持つ人形であれば切り付けることが出来るようになり、銃を持つ人形なら実際に弾が飛んでくる。極めつけはクマのぬいぐるみだ。空を飛ぶクマのぬいぐるみが、文字通り熊並みの質量とパワーで襲ってくる。
ぬいぐるみが常に本体を守っているせいで手を出しかねていたが、ラビットフットが注意を引いてくれれば倒せないこともないはずだ。
――あとは代行者だな。
代行者とは、名の通った憑神と渡り合えるほどの力を持った、解魂衆きっての武闘派たちだ。彼らだけが突出して強い理由は、それは彼らもまた憑神だからだ。
代行者の中でも突出した強さを持つものは二名――『解放者』と『執行者』。彼らが動いているか否かで今回の落憑保護の難易度が変わってくる。
解放者は基本、廃教会に付きっきりで動くことはない。
何を封じているのかは分からないが、解放者は廃教会の特殊な封印結界を維持している。規模こそ小さいが、強度でいえば『異形』のものよりも強力な結界が張られており、それだけで重大な役割を担っているのは明らかだ。
解放者が動くくらいなら、他の代行者が動くと考える方が合理的だろう。
次に執行者だが、こちらも動くことはないはずだ。
解魂衆は名の通った憑神に対し独自に設けた討伐ランクを設定しており、執行者は高ランク指定の憑神討伐がメインだ。
今は『ロックダウン』と呼ばれる憑神と我慢比べをしている真っ最中のはずで、あれは短期間でどうにかなるものじゃない。
強者はそれぞれ手が離せない状況にある。なので、今回動いている代行者はそれ以外の可能性が高い。が、念のため状況に変わりがないか確認しておくべきだろう。
「行け」
袂から取り出した札に位置情報を指定して廃協会へと飛ばす。
解放者が結界を維持していたなら札は塵になるし、そうでなければ周囲の霊力情報を届けてくれる。
これが宗の作った稚拙な札だったなら、札に込められた霊力や、付着した残留思念からこちらを特定されてしまう恐れがあったが、妹手製の札なので追跡されるようなことはない。次にやるべきは――、
(――今大丈夫?――)
執行者の状況を確認しに行こうとしたタイミングで兎から念話が来た。
(――ちょうど一区切りついたところだ――)
(――そう。今から探偵社にこれそうだったりする?――)
(――左に俺が立つスペースはあるか?――)
(――あるけど? まさか!?――)
「――コン」
※※※ ※※※ ※※※
「それで、協力は得られそうでしたか……?」
室長室――大仰なプレートのかけられたビルの一室。
世界中の要人にとって、致命傷となりえる情報がいくつも集まるその一室で、いつかと同じ様に向き合うラビットフットと探偵。同様に、その周りには探偵社のメンバーが控えている。
あの時との唯一の違いといえば空気感だろうか。殺伐としたものではなく、焦れるようなもどかしさと、緊張感が室長室の空気を重厚なものにしていた。
――どんな答えが返ってくるのか?
このビルのオーナーであり、部屋の主である綾香は気が気じゃない。
何せ場合によっては敵対もあり得る。落憑は狩る対象であって、保護する対象ではない。|憑神ゲームそういうゲーム《これは殺し合い》なのだから。
通常の憑神なら探偵社の――正確には『神童』の名を恐れて迂闊に敵対しないはずだが、ラビットフットを下す彼の憑神の強さは計り知れない。探偵の恩恵を持ってしても、協力者が代行者クラスの陰陽師である可能性が高いということしかわからなかった。
返答次第ではこの場にいる全員――延いては、未来で探偵社に保護されるはずだった一般人や落憑達の未来が閉ざされてしまうかもしれない。目の前の少女も、綾香が緊張した面持ちになってしまうのは致し方なしと察してくれることだろう。
(やりづらい……)
綾香の想像通り、美雪はその心中のほとんどすべてを察している。その懸念は、美雪自身も抱いたものなのだから。
とはいえだ、年上の同性に上目遣いでびくびく怯えられても、内容如何にかかわらず話しづらくなるだけなので止めてほしい限りだが。
「とりあえず、悪い方向には行ってないと思いますので、普通にしてもらえませんか」
「そ、そう! よかったわぁ」
机の上で組んでいた指をほどき、そのままズルズルと滑って机に突っ伏すその姿は、とてもこのゲームのキーマンといわれるような威厳は感じられない。
緊張の糸が目に見えていたならプツンと音がしたに違いない。そんな感想を抱けるくらいには場の空気も和みを取り戻していた。
「なぁよ? 綾香さんがこうなる相手なんてやべぇ奴だろ? 美雪がいるんだから全員で――」
「それ以上はダメよ?」
「わぁったよ」
(またあんたか……ほんとに空気の読めないやつ。あと名前で、しかも呼び捨てで呼ぶな気持ち悪い)
そんな思いを込めて睨みつけてやったのだが、
「そんな見つめて何だよ?」
(見つめてねぇよ)
これだ。これだけ睨んで、探偵社に来てから一度も口を利いていないのにも関わらず、嫌われているということが汲み取れないドブネズミ神経。
これ以上見たら何かの感染症に罹りそうなので、騒いでる外野は無視して交渉の段取りを進める。
「あの、話の続きなんですけど、『探偵』と直接話しがしたいって言ってます」
「それはいつかしら?」
「日程の調整は私に任されてます。直近だとどうですか?」
「みんなも来てるし、直近ならそれこそ今からでも大丈夫だけど……」
それならばと、美雪は宗に確認するべく念話を試みた。
念話は無事繋がった。しかしてこの時、それぞれの認識に小さなすれ違いが生まれるのだった。
美雪からすれば、とりあえず大丈夫か確認するといったニュアンスだった。狐の『渡り』なら、今すぐは無理でも今日中には来れるだろうと。
であれば早めに話を出しておくほうが良いだろうと考えての念話だったのだが、宗はそれを会合の準備が整ったのだと捉えた。その上で探偵社から『今から』と言われたのだから今行くべきだと。
そして綾香も「今から」を誤解していた。今からとはいっても、メンバーのみんなを応接室に移動するくらいの時間はあるだろうと。まさか瞬きしたらそこにいるなどとは欠片も考えていなかった。
かくして室長室の空気に異物が混じる。
「「「――!!」」」
誰も声を出せない。弱者はもちろん、強者たちでさえ。
綾香が声を出せないのは当然のことだった。
なにせ意図していなかったとしても、これから来るという交渉相手に対し、仲間を連れて囲んでいるというのが現状なのだから。
例え誤解を解くための弁明であっても、あらゆる言動が敵対行為と受け取られかねない。今、綾香に許されていることは、状況が動くことをただ静かに待つことだけだった。
(雪ちゃんお願い早く……!)
不思議と強者独特の圧力を感じさせない黒い陰陽装束の人物。それがこの状況では却って不味い。
弱者はあくまで、二人の強者の反応を見て押し黙っているに過ぎない。
現れた人物に対する恐怖や危険性から判断したのではなく、何が起きているかわからない無理解というあやふやなものが彼らを押し留めているのだ。
そしてそれは好奇心という名の時限爆弾に他ならない。理解できない状況を理解したいという焦燥は、この不可解な緊張の中であまりに不安定で、いつ言動という形で爆発してもおかしくない。
だからこそ、唯一の関係者であり協力者である少女の口から、今すぐにでも誤解を解いてもらいたいのだが、何かがおかしい。
彼女は一瞬、協力者に何かを伝えようとしたかに見えた。しかし、突然生えてきた狐の尻尾のようなものを見た途端、顔を青くして固まってしまったのだ。
探偵社最強の物理戦力である少女が、歯の根が合わずにカチカチと怯えている。その気になれば『神童』以外のすべてのメンバーを相手にしても、子供の手を捻るように殺しつくせるあの『兎脚の憑神』が。
美雪の惨状から考えられることは、陰陽装束の彼が恩恵を発動させた可能性。それは良くて最後通告であり、多くの場合は宣戦布告を意味する。
(最悪と決まったわけじゃないわ)
今はただ状況の好転に務めるのだと、綾香が考えを巡らせようとする直前――、
「弁明はあるか?」
真っ黒な狐のお面を付けた禍々しい化物が、最悪な口上で沈黙を破るのだった。