ep018.『厄介事』
シュン、とした少女が一人呟く。
「ねぇ、出てよ……」
呪いが落ち着いた美雪は宗との約束通り探偵社の裏手に来ていた。
諸々の準備と移動を含めて、あれから二時間半が経過している。
狐には二時間くらいと伝えているので、呪いを考慮すれば許容範囲のはずだ。しかしながら、先ほどから何度試してみても念話が繋がらない。
――あの時とやり方は同じだし……ちゃんとできてるんだよね?
狐は、やり方や人の違いで出来なくなるようなものではないと言っていたので、念話は繋がっているはずだ。あの男の性格からして、こちら側の問題で繋がらないなんていう事態が発生し得るなら事前に説明しているだろう。とは言え一度しかやっていないのだ、こうも繋がらないと不安にもなるというもの。
美雪は普段、初めて行く場所や行うことは、事前情報や予備知識を徹底的に確認するタイプだ。それに文武に関わらないセンスと頭脳が合わさり、大抵のことは一度聴いたら覚えるし、初めてでも一発でこなすことができる。
その分というか、性格というか、美雪は想定外のことや分からないことに極端に弱い。
「やっぱりスマホの方がいいよぉ……」
コール音も鳴るし、履歴も残る。繋がらなくてもアナウンスがその理由の概要を教えてくれる機能なんて、念話なんかよりずっと分かりやすい。
まぁ、目的が隠密なのでしょうがないと自分を納得させる。そうして納得したところで、再びどうしたら良いかわからない現実に直面する。
「なんで繋がらなのよぉ」
機械音痴が機械と向き合い泣きそうになっている。そんな様相を呈しながら人気のないビルの裏で待ち人を探してキョロキョロとする。
――もしかして、遅かった?
ふと、念話が繋がらない理由に思い当たる。
あの狐野郎のことだ、二時間ピッタリに連絡しなかったから予定を変えたとか言ってきそうな気がする。だがそれは流石に理不尽というものだろう。
美雪からすればこれでもかなり急いだ方だ。
髪だって乾かしきっていない、化粧だって雑にリップを塗っただけ。女の子としての色々をかなぐり捨てて超特急で待ち合わせ場所に来たのである。
これで遅いといわれても、呪いという不確定要素もあるのだし許してほしい。というかそれは相手も織り込み済みで然るべきではないだろうか。
――まさか昨日の腹いせ!?
だがあの時は色々信用できない要素が重なりすぎていたし、そもそもまだ協力関係ですらなかったのだから今回とは状況が違う。
それこそ今日ようやく正式な協力関係となったのだから、心機一転とは言わないまでも多少なりとも過去のことは大目に見てほしいと思う。
それにもちろん、美雪だって待たせたことは悪かったと思っている。今朝だって謝ろうと考えていた。
だというのに、あの狐野郎ときたら遅れてきたことを悪びれもせずに、さもこちらが悪いように言うではないか。
カフェでの初対面とは思えない罵倒の嵐といい、歩み寄ろうとした手を手痛く振り払われたことといい、今回のことといい、つい食い下がってしまったのである。
それでも、先ずは謝るべきだったと思ったからテストの時はリスクを多分に取って狐が楽できるように努めた。他にできることがあるならそれで埋め合わせることも考えていた。それなのに、
――やり返すことないでしょ……。
そうと決まったわけではない。もしかしたら話していた不都合とやらの対処に時間を取られているだけかもしれない。だが、
繋がらない念話。
終わりの見えない待ち合わせ。
不安な状況がしたくもない考えを冗長する。
例えば、時間が遅くなったせいで話が流れてしまった可能性はないか?
もし話が流れたなら協力関係はどうなるのか?
協力関係がなくなれば花は、|"願い"《弟》はどうなってしまうのか?
「――……」
理不尽と思う気持ちと、こっちに落ち度があるとしてもちょっとくらい助けてくれてもいいでしょという不満が少女の中で熱を持ち始める。
このままでは狐に会ったとき、また同じような突っかかってしまう。
だから、持て余した不安の矛先を先んじて不満に向ける事で熱を冷ますことにした。
「なんであんたからは連絡寄こさないのよ!」
両手で握りしめたそれを睨みつけながら一人不満をゴチる美雪。
手に握っているものがスマホであれば、百歩譲って彼氏から連絡がこないことを不満に思っているメンヘラ彼女で終わったかもしれない。しかしながらその手に収まっている物は狐毛のストラップだ。
控え目に言ってヤバいやつである。
ビルの裏口に用があった少女の顔見知りから避けられるくらいには。
その後、何度か念話を試してみては予定していた時間になっても連絡一つ寄こさない狐野郎に悶々とさせられ、待ち時間が一時間を越えた辺りで、ようやく待ちわびた連絡の二文字が訪れた。
――そっちじゃない。
鳴り出した着信音に反射的にツッコむ。
たしかに連絡を待っていたがそれは狐からの念話だ。
「はぁ……」
あげて落とされたような感覚を味わいながらポケットからスマホを取り出す。
連絡先を知っている人は限られる。
花はあり得ないので、後は探偵社の人間か住んでいるマンションの関係、もしくは弟が入院している病院だ。
美雪がこの中で一番望ましくないのは病院からの連絡だった。
病気が進行した。
別の病院に移さないか?
自宅に引き取って欲しい。
大体がこんな内容の電話だ。酷いときには遠回しに延命停止を促してくる。
それでも手続き上、電話に出ないわけには行かない。それに、
"回復傾向にある"
もしかしたらそんな吉報が届くかもしれない。
今までその期待が報われたことはないのだが、この淡い期待を捨ててしまえば電話に出ることすらできなくなってしまう。
まぁ、狐から『異形』の話を聞いた今ではその理由付けも形無しとなってしまったのだが。
――病院からじゃありませんように……ん?
半分祈るような気持ちでスマホの画面を確認する。
「綾香さん?」
妙にタイミングがいい。
憑神ゲームにかかわること以外なら全て調べられると言えるほどの『探偵』であれば、周辺情報から美雪の状況を割り出すことができるかもしれないが、それにしたってだ。
――もしかして、
ここはちょうど室長室の裏側にある。であればと首をグイっと上げて最上階を見てみれば、透明感のある金髪の女性が開け放った窓から身を乗り出し、こちらに向かって手を振っていた。
「何してるんですか!?」
『渡り』の制約の関係で最初から憑代を身に着けていたのが功を奏した。
黒髪が白に染まり、手を振る女性の行動を咎めるかのように目が赤に染まる。
――トンッ!
恩恵の力を借り最上階まで一足に飛び上がる。
周囲を警戒しながら窓の縁を掴み、金髪の女性が開けた窓から入って直ぐさま閉める。
「危ないじゃないですか! 何考えてるんですか!?」
その性質上、あらゆる分野の人から狙われる『探偵』が、今みたいに窓際に現れるなど自殺行為でしかない。
「ごめんなさい雪ちゃん。でも、颯くんの力を借りてたから、恩恵は止めても大丈夫よ?」
この程度であれば呪いも大したことはない。だが、短期間に何度も恩恵を使用すると爆発的に呪いが強まるので、正直なところ今ここで恩恵を停止することは躊躇われる。
「片桐さんにまで迷惑かけてるんですか?」
恩恵は解除しないまま話を進め「このままで大丈夫です」と言外に伝える。
「自分の呪いが大したことないのは知ってるだろ。それより綾香さんの話を聞いてやってほしい」
話とは何か。
危険を冒してまで話の場を取り付けた事を考慮すると恐らくは厄介事。
「手短になら」
「ごめんなさい颯くん、二人だけにしてくれる?」
「待合室で待ってます」
「ありがと。終わったら声をかけるから」
男が室長室から出ていき、ラビットフットと探偵《綾香》だけがこの場に残る。
「先ずはおかえりなさい雪ちゃん。無事でよかったわ」
「偶然ですけどね。こんな資格はないと思ってますけど、ただいま、綾香さん」
目の前の女性が少し寂しそうな顔をするが、こればかりはけじめを付けなければならない。
相手がどう思うかも大事だが、美雪自身が探偵社に剣を向けたその覚悟と責任は嘘であってはならないのだから。
「ごめんなさいね急に。彼氏さんと待ち合わせしてたんでしょ?」
哀愁が漂い始めた空気を入れ替えるためか、これまた触れないでほしいネタを取り出してきた。
「彼氏じゃないです」
事実無根の言いがかりなので即時に切って捨てる。
「でもその格好は彼氏さんの趣味なんじゃ……?」
確かに、今の美雪は外を出歩くような恰好ではない。それは物は少なくという『渡り』の制約があるからだ。とはいっても、ブラウスの上から憑代も着ているので目を凝らしても精々おへそが透けて見えるくらいだ。
「だから違うんです!」
「もしかして、雪ちゃんの――」
わざと楽しんでいる。
憑神ゲームに参加していて彼氏がどうのこうのなどあるはずがない。そんなことにあの探偵が気付かないはずがないのだから。
早々に答えにたどり着いた美雪は、これ以上厄介化したお姉さんのおもちゃにされる前に実力行使で黙らせる。
「――冗談! 冗談よ雪ちゃん! だからその足を降ろしてほしいな!」
「はぁ……」
美雪がため息をつきながら目を閉じると、和紙に墨を垂らしたように髪が黒く染まった。
「もう、恩恵使っちゃったじゃないですか」
彼女の青い目を見て冗談が通じたことに安堵した綾香は再度謝罪する。
「ごめんね雪ちゃん」
「もういいですから……それより話って何なんですか?」
「そうね、どこから話したものかしら……先ずは確認なんだけど、雪ちゃんがルバンシュを壊滅させたのよね?」
含みのある言い方というよりはどこか信じていない様子。
それは美雪がルバンシュを倒し損ねたり、虚偽の情報をばら撒いているだろうという疑いではない。
ラビットフットの呪いの詳細を知る数少ない人物である探偵は、美雪が一人でルバンシュを壊滅させたとして、どうやってその場から離脱したのか。そこを気にしていた。
――そういうことね。
あの彼氏弄りはただの厄介お姉さんのダル絡みではなく、協力者がいるのかを確認するためのものだったらしい。
彼氏じゃないと言った時点で、特別な関係でもないのに直接会う間柄ということはバレてしまったわけだ。
柔和な見た目に騙されるが、彼女はあの『探偵』なのだ。
計算高く抜け目がない。だからこそ強い呪いを抱えてるにも拘らずここまで生き残っているのだから。
――それなら、いっその事話しちゃって信用を得た方が良い?
彼は『異形』に関する本を探偵社で調べてみろと言っていたのだから、美雪と探偵社に繋がりがあるのは当然知っている。それなら、協力関係が露呈するのも織り込み済みとは考えられないだろうか。
――違う。
それは都合のいい方に考え過ぎと言うものだ。
直接言われたわけじゃないが、狐は隠密を重視している節がある。
それは花や念話のことを見ても明らかだ。
第一、メリットが天秤を傾けているなら狐の方から提案があるはずだ。それがないということは普段の行動理念の方が優先度が高いということだ。
下手に情報を漏らせば協力関係に罅が入る可能性はもちろん、最悪の場合、口封じが行われることも考えられる。
そう結論付けた美雪は、嘘にならないギリギリの事実でお茶を濁すことにした。
「――結果的には」
「含みがあるのは……詮索しないほうがよさそうね」
――このまま話を続けるのは良くない。
”そんな予感がする”
勘が働くのも納得だ。目の前の女性と情報戦をするのはあまりにも部が悪い。
このまま会話を続ければどんなことからボロが出るか分かったものではない。
”黒狐が敵に回る”
それだけは何としても避けなければならない。
もし、あの黒狐が敵に回ったなら今いる探偵社のメンバーでは逆立ちしたって勝てっこない。それは美雪が探偵社の側についたとしてもだ。
少なくとも、黒狐の弱点《呪い》がわかるまでリスクは避けるべきだ。
――対抗できるとしたら『神童』だけ。
厄介な恩恵を持っている探偵――延いては探偵社が存続できている理由の九割が、『神童』という探偵社最強の憑神の存在のおかげだ。
生憎、今は別の用でビルを離れてしまっていて、助けを乞うことも相談することもできないのだが。
だが、たとえ神童がいたとしても黒狐の恩恵を直接見た美雪には、アレを敵に回して生き残れるなんて想像はできない。正直、協力関係になった理由の半分はそれだといえる。
だから美雪は、ボロの出そうな話し合いは早々に止めて、互いの要望だけを述べることにした。
「要点だけお願いします。お互いのために」
「ごめんなさい、詮索するつもりはなかったの。そうね……ルバンシュの壊滅に伴って、彼らから身を潜めていた憑神たちが『落憑』狩りを始めたわ」
『落憑』――それは一時の感情で憑神ゲームに参加してしまった哀れな落伍者たちの総称。ある種このゲームの被害者とも呼べる者たちである彼らは、総じて恩恵が弱く呪いが強い傾向にある。
魂を集めようにも恩恵が弱く戦えない落憑は、そうでない憑神からすればカモでしかない。使うか狩られるかだ。
そんな、呪いを抱えながら逃げ隠れするしかない彼らを保護したり細やかながら援助している一派の一つが探偵社というわけだ。
「そうですか」
美雪としては、殺し合いの意味すら分からないような幼児でもない限り、何をしてでも願いを叶えようと思った時点でそれは自業自得だと思う。
それに、一線を超えておいて保護してもらおうなど余りに身勝手で都合がよすぎる話だ。
「それと解魂衆も動いてるみたい」
「ハイエナが動くのはいつものことじゃないですか?」
解魂衆は表向きには特殊事件捜査課という名目で警察組織の一部として動いているが、その実、対憑神の独立した国家機関であり、その目的は司法による裁きではなく、魂の解放を謡って憑神を殺してまわるイカレた集団だ。
対憑神といっても、いわゆる普通の憑神に勝てるほどの力はなく、もっぱら落憑狩か漁夫を基本としてこそこそと立ち回っている。なので、その陰湿な立ち回りを揶揄した憑神たちからは、ハイエナの蔑称で呼ばれているのだ。
「そうなんだけど、今回は代行者が動いてるみたいなの」
「私も代行者は相手にしたくないですよ」
解魂衆の中でも代行者だけは別だ。
美雪も一度だけ戦ったことがあるが、偶然鉢合わせただけだったその時は即撤退した。それでも二度と関わりたくないと思うほどだ。
「わかってるわ。だから、あなたの協力者にも力を貸してもらえないかな? その人は雪ちゃんよりも強い、多分だけどもの凄く。私はそう予想しているんだけど、あってるかな?」
流石だ。わずかな情報で知りえる範囲の答えに瞬時にたどり着く。
美雪もその思考プロセスを模倣しようとしているのだが、なかなか上手くいかないのが現実だ。
「探偵社の要望はわかりました。私からも二ついいですか」
「何かな」
「一つは、今件の諾否に関わらず、とある歴史書についての事実関係を調べてもらいたいです。歴史書は後日持ってきます」
「いいわ」
「それじゃあ、協力相手に話してみます……多分無理だと思いますけど」
――パン
「――ありがと雪ちゃん!」
手を合わせて喜ぶ目の前の女性は「多分無理」という言葉を聞いていたのだろうか。
「それで、二つ目つは何かな?」
「協力相手からの連絡がくるまで、その、ここで待ってていいですか……?」
「勿論! 好きなだけ居てちょうだい!」
――よかった……。
正直、こんな格好で外に立つのは色々不本意だった。
これで少なくとも探偵社の人以外には見られないで済む。そうホッとしたのもつかの間、
「颯くんも呼んで、雪ちゃんが彼氏くんのことどう思っているか、根掘り葉掘り聞かなくちゃ!」
「ありがとうござ――え?」
今度こそ厄介お姉さんと化した色恋探偵の質問攻めを悟った美雪は、いつまでも連絡がつかない男に対し叫ばずにはいられなかった。
(――念話に出ろよ狐馬鹿野郎ぉぉぉおおお!!!!!――)