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3話① 母神竜の揺篭

 これまで長々とお話したのは、私達を取り巻く世界のお話でした。私達にとっては大切な記憶でも、興味のない方にとっては煩わしい記録でしかなかったかもしれません。


 私達三人だけの旅のお話は、これからようやく始まります。





 半年ほどのグランティスでの生活である程度のお金が蓄えられたと判断し、私達は次の場所へ旅立つことにしました。




 ツバサ様達の目指したグラス王国へ辿り着くために最も安全な道は、グラス王国から北へ向かって湾曲して流れるホリィ川に沿って進むことです。その川に沿っていくつかの町があるので、お金が足りなくなったら都度、それらに滞在して稼ぐことも出来ます。




 グランティスは背後をクラシニアの砂漠、前方をズープ平原に挟まれています。次の町へ移動するために遊牧民の方にお金を払い、馬車に乗せていただきます。ただそれだけで、これまでに集めたお金の半分ほども失ってしまいます。お世話になるのですから仕方ありませんが。




 遊牧民の方々も、自分の行動範囲から外れた場所まで送り届けていただけるわけではありません。拠点の町バーラルで下されて、そこで宿を取り休息しつつ、今後の道筋を話し合うことになりました。




 大人がふたりと子供がひとりでとれるお部屋で一番安いものを選んだため、寝台は大きなものがひとつだけしかありません。今更遠慮する必要などないでしょうにコウは床で寝ようかななどと言い出します。




「間にそーちゃんもいるんですし、そんなに気にすることないじゃないですか?」


「おまえは気にしなさすぎだ。常識的な線引きくらいはしてくれないと、いちいちそれを諭さなきゃならないこっちの手間も考えてくれ」


 言い返さなければならない心労もあるのだと。なるほど、そう言われてしまうとわからなくもないですが、こちらにだって主張はあります。




「おあいにくですが、私にとって何より大事なのは、そーちゃんを無事にツバサ様とヒナのところへお連れすることです。その為には余計な意地を張って体力の回復を怠るべきじゃありません。きちんとした寝具があるのならそれで体を休めた方が良いはずです!」


 旅をするにしろ、働くにしろ。いつだって万全の体調を整える。実のご両親からお子様を託された私達が、彼らに再会するまでに果たすべき責任の前では、個人の意地の張り合いなど無意味です。




「そのためでしたらコウや私の心労なんて見ない振り知らぬ振りでぜーんぜん構いません!」


「なんだかなぁ……一見従順そうで、自己主張の強い奴だな」


「ん~……それはですね。実はきっかけがありまして」




 ソウジュ様と私を育ててくれた養父はとても厳しい方でした。特にソウジュ様をクラシニアで通用する戦士にするための鍛錬は苛烈でした。


 ソウジュ様は優しい方で、養父に逆らうことは出来ず黙って耐えていました。あんまり辛くて私とふたりだけの時にこっそり涙していたこともあります。


 だから私が代わりに言い返したのです。ソウジュさまをいじめないでください! したくないことばかりさせようとしないで、ソウジュさまがしたいことの出来る時間をもっとくださいって。




「その話だったらソウジュ様から何度か聞いた。あの頃の僕は情けなかったなぁって」


「そんなことありません!」


「最後まで聞け。おまえがそう思うのは勝手だが、ソウジュ様にとってはそうじゃなかった。こう言ってたよ。おまえにばかり代弁させる自分じゃなく、自分の意志を完遂出来る自分になりたい。そう思ったから養父の指導にもクラシニアでの暮らしにも耐えられるようになったし、それに……」




 最後まで聞けと言った癖に、コウは途中で口を止めてしまいました。言われずとも私も察しましたが。


 私に真実を告げず、白銀竜様に成らず人間のまま最後を迎えると決意した。その思いを完遂された。




「私がもっと大人しくて従順で頼りない女の子だったら、ソウジュ様は私を置いていけなかったでしょうか……自決などされず、側に置いてくださったでしょうか」


「……さぁな。そんなたらればの話、本人もいないのに考えたって意味がない。ただ……」


 今までまっすぐこっちを見て話してくれていたのに、コウは急にそっぽを向いてしまいました。




「従順で大人しくて逆らわない。想像してみたけど……そんなおまえを見ていても、ソウジュ様やツバサ様は笑わなかったかもしれない。そう思うよ」




 こうしてコウが根負けしたのも手伝って、寝台は三人仲良く川の字になって使うことになったのでした。








 それからさらに半年ほど旅をつづけ、私達はホリィ川河口の町にいました。後はまっすぐ、この川に沿って上がっていけばいつかグラス王国に辿り着けます。


 とはいえ旅の資金がちょうど尽きてしまったので、しばらくこの町を拠点に働いてお金を稼ぐことになりました。




 ここは炭鉱の町で、女性向けの求人よりも男性向けの方が稼ぎは格段に大きかったです。申し訳なくは思いますが、コウは炭鉱での仕事を請けて私はそーちゃんのお世話に集中することにしました。




 私とそーちゃんふたりだけの時間が長くなり、やはり気になるのはあのことでした。




「やっぱり……もう二歳になるはずなのにここまで喋らないのは無理があるのではないでしょうか?」


「……そうだな……」


 お仕事で疲れて帰ってきたコウに相談しますと、やはり同じ意見でした。なんとなくですが、そーちゃんに関することは私だけの判断ではなくふたりで決めたかったのです。私達はこの子の両親でも夫婦でもないので、本当にただただなんとなく、以上の理由はないのですが。




 コウも日雇いの仕事を休んで町のお医者様や産婆様を探して意見を聞きに行こうかと言ってくれたのですが、それくらいは私だけで探せますと断って、お仕事に集中してもらうことにしました。




 そーちゃんを連れて街を歩き、子供達の遊び場を探します。そこで子供達を遊ばせて井戸端会議中のお母さん達に話しかけ、子供を中心に診ているお医者様を教えていただきました。




 診断の結果、耳は聞こえているし話していることは年齢相応に理解しているようだ。質問を投げれば頷くなり首を振るなり意思表示を返せている。口をきけない病因があるのかもしれないが、一介の町医者にはそこまで断定は出来ない。とのことでした。






「はぁ……困りましたぁ……」


「……おまえが打つ手なしまで困るところは初めて見た気がする」


 自分のことでしたらいくらでも前向きに考えられると自負のある私でも、そーちゃんのこととなると別問題でした。何せ私達は、この子とあと数年しか一緒にいられないのですから。


 私達の体がこの世から消える前に、そーちゃんに安住の地を見つけてあげなければ。もちろんご両親に再会して彼らに預けられたらそれが最善ですが、万が一成し遂げられなかったとして。口をきけないこの子がどうやって生き延びられるでしょう。




 グランティスで仲良くなった巨神竜様のシーちゃんは、もし何の手だても得られなかった場合はそーちゃんを引き受けてくれると約束してくれました。必要最低限の保障は得られたのでそれは安心なのですが、やっぱりこの子の将来が心配でなりませんでした。






 とはいえ、そーちゃんのためなればこそ、いつまでも打つ手なしと項垂れるだけの私ではありませんよ! 後ほどきちんと、なおかつ私達みんなが楽しめる妙案を思いつきましたのでご安心ください。






 私達は旅暮らしで不自由も多いです。身ひとつで移動しなければならないので余分な荷物も持てずにこれまで行動してきました。


 思えばそーちゃんにも、ひとつところにとどまって暮らせるお子様にとってはありふれた遊び道具や経験などを与えられずに、二歳まで過ごさせてしまった気がします。私達なりの愛情は精いっぱい注いできたつもりではいるんですけどね。






「いいですかー? そーちゃん。こちらの男の人は『コウ』で、私は『サクラ』。そーちゃんは『ソウ』という名前なんですよー」


 仕事で疲れて帰ってきたコウが布団に入ろうとするのをとりあえず引き止めます。私は市場でインク、葦の筆、紙を数枚買ってきました。私達にはお金も貴重なので、とりあえず市場で最安値のものを選びました。今それを使うのはそーちゃんではなく私ですから、きちんと綴じられた紙束ではなく用が済んだら捨ててしまえる紙が数枚ずつあれば構いません。




 音で伝えるだけでなく、私は一枚の紙を裂いてみっつに分けて、私達の名前を書きました。




「ところで、今更不安になってきてしまったのですが……そーちゃんは私達の名前を知っていましたか?」


 そーちゃん自身に私達のことをきちんと自己紹介をしたことがなかった気がします。耳は聞こえているとのことですが、私が彼をコウと呼び、彼が私をサクラと呼ぶのを傍から聞いていてそれが名前とわかっていたのかどうか? 特に後者はそもそもめっっっ……たに呼んでくれないので把握していない可能性もあるのでは?




 そーちゃんがこっくり頷いてくれたので、とりあえず不安は杞憂に終わりました。ああ、本当に良かったです。




「文字を教えるのか。まだ二歳で早すぎないか?」


「そーちゃん自身に今すぐ文字の読み書きをして欲しいわけじゃないですよー。ささいなことからでもちょっとずつ、文字や言葉に慣れれば良いかと思いまして。お話しが出来ないのなら、自分の気持ちを伝えるには文字が手っ取り早いじゃないですか」




 言葉のやり取りが出来ないとしても、私はそーちゃんと楽しく「お話し」がしたいのです。そーちゃんがどんなことを考えているのか知りたいです。


 ただただ私が楽しい! 以外の理由もちゃんとあります。




「もしそーちゃんが文字で、日々の出来事や自分の気持ちを書いてくれたら。いつかツバサ様とヒナとあおちゃんに再会した時、一緒にいられなかった時間にそーちゃんが何をしていたか知ることが出来るじゃないですか。素敵だと思いませんか?」


「……それはまぁ、そうだな」


 コウにも否定されず嬉しいです。彼とは意見が合わないことも度々で言い合いになるのも珍しくありませんので。




「とりあえず書きものの道具に慣れるようお絵かきでもさせてあげて、日常よく使う言葉を紙に書いてお話ししながら見せてあげようかな~って思うんです。そのためにいくらかお金を使うことが増えてしまいますが、私のお仕事で得たお給金を使うようにしますので」


「そんな厳密に分けなくたっていい。ソウにとって必要なものだろ」


「いいんですか? ありがとうございますっ」


「だから礼を言うようなことじゃないって」


「私がお仕事に出る日はコウも同じようにしてくれますか?」


「わかった。そうする」




 私からそーちゃんにそうしているほど、コウからそーちゃんに話しかけているところはそんなに見かけません。そーちゃんが喋らないのもあって、何を話したら良いかわからないのでしょう。そもそもコウだって、私から話しかけたり何か用事がなければ必要以上に口を開く人ではありません。口下手……とするのは言いすぎですが、少なくとも話し上手ではないかもしれません。




 それでもそーちゃんは彼にとっては妹様の実の子です。大切に思っているのは普段の所作を見ていてわかります。夜は三人で一緒に寝ていますし、公衆浴場に行く際は男女で別れるのでコウがそーちゃんを連れて入ります。私がお仕事の日は宿でふたりで過ごしているのです。




 なんだかんだで、私はもうすっかり、三人での旅暮らしに馴染んでいました。私達の体のこと、そーちゃんが家族と離ればなれな現状など、手放しに楽しんで良いものでないですが、それでも。コウと日々助け合って、そーちゃんの成長を見守って、いくつもの町を渡り歩く。暮らしは楽ではないけれど、私はそんな毎日に幸せを感じていました。




 とまあ、私はいつでも同じようなことを言っているので説得力がないですか? 幼い頃のソウジュ様との旅暮らし。クラシニアでの使用人としてのお勤め。グランティスでは良き友達が出来ました。共通するのはいつも、好きな人達の側にいられたことです。他の条件がどんなに過酷であっても、それだけで私は幸せを感じられました。






 次の日はコウが仕事、私がそーちゃんと留守番でした。そーちゃんはさっそく、書きもの道具で遊んでいました。




 お絵かきでもするかなぁと思ったのですが、「絵を描く」という行動自体、二歳のお子様に一度も教えなければ自発的にはしないものらしく。




 そーちゃんは前日に私が書いた私達の名前を見ながら、真似して同じように書こうとしていました。




「わぁ……そーちゃんすごいです! 生まれて初めて文字を書きましたよ!」


 小さなお手てに大人も使うサイズの葦の筆ですので、その重みを支えきれず文字は波打っていました。それでもなんとなく、読める形にはなっています。




 そーちゃんが初めて書いた文字が私達の名前なんて。感動の余り思わず涙ぐんでいたところにコウが仕事を終えて帰ってきました。事情を聞いて、そんなことで泣くほど喜ぶか? と呆れ顔でした。




 書き終えて不要になった紙はすぐに捨てようと思っていましたが、こんなに大切なものはそうそう捨てられません。そういえば、もし万が一、そーちゃんがはぐれてしまった時に役立つかもしれません。


 翌日はさっそく市場に出かけて、そーちゃんが背負える小さなカバンを買いました。そこにそーちゃんのための書きもの道具と、私が書いた私達の名前の紙を入れておきました。そーちゃんがお話し出来ないこと、私達と旅していることなど簡単に事情を書いた紙も用意します。




「もし迷子になってしまったら、この紙を見せてくださいね。自分や親の名前を訊かれたら名前の紙を見せてください」


 本当の親ではない私達が幼子を連れまわしていることが知れたら何かと問題がありそうなので、今はそーちゃんにもその事情も曖昧なままにしておきました。もう少し大きくなったら全てお話しするつもりです。




 そーちゃんはいつも通り、まっすぐこちらの目を見ながら話を聞き、最後に黙って頷きます。今教えたことを実践する必要が生じるのは、そーちゃんを迷子にさせてしまった時です。もちろん、迷子になどさせるつもりはないので実践の機会がないのが一番として。そーちゃんは賢いのできっと理解出来たと思います。






 そーちゃんが書いてくれた私達の名前は、私の鞄の奥に大事にしまっておきました。ソウジュ様からいただいたリボンに続いて、私の宝物はこれでふたつになりました。






 ある日、私が仕事から帰りますと、日中にそーちゃんが描いた絵をコウが見せてくれました。二歳児らしい不明瞭な絵ですが、形から察するにお家でしょうか? と言いましたら正解だったようです。




「宿を出て適当な広場までソウを連れて行って、俺が写生しているところを見せた」


 そんなコウを真似て、広場から見える家をそーちゃんも描いたのかもしれません。




「コウって絵が上手なんですね~」


 彼が写生した絵も見せてもらったのですが、黒一色しか使えないというのに見慣れた町の景色の一角を見事に描き出しています。そーちゃんの見本となるための行動なので時間を書けて描き込む必要はなく、さらさらと走り書きしただけなのでしょうにとてもそうは見えません。




「ヒナマル家に生まれた男は、従軍画家になれるよう絵を習うんだ。結果的にはソウジュ様に直々に仕えることになってその役には就かなかったが」


 クラシニアで少しでも良い身分に着くための様々な計略を弄してきたヒナマル家の方針のひとつなのだそうです。この時代の画家は世界の記録を遺すため重用されますので。




「そーちゃんにもヒナマル家の血が流れておりますので、遺伝して絵が上手になるかもしれませんね!」


「女……妹はそういう教育は受けていない」


 ヒナマル家の女は子供を産むための存在。嫌なことを思い出させてしまいました。コウの表情も、本人は隠しているつもりでしょうがほんのり曇っています。




「ヒナ自身はそうだとしても、ヒナのお父君の血がそーちゃんに四分の一流れていますよ!」


 わざと気付いていない振りで誤魔化しました。確かに彼らの家の方針は苦い物かもしれません。けれど、その方針があったからこそ、私は大好きなそーちゃんに会えましたし一緒にいられますので……。全てを否定するならそれはそーちゃんを否定することにもなってしまう気がしたのです。

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