1話⑤ 白銀竜の彼岸
どれくらいの時間そうしていたのでしょう。私達は砂漠のただ中に立っていました。クラシニアの町を抜けてひたすらに駆けてきて、辺りには誰もいませんでした。
「一体……どういうことなんですか?」
「……おそらく、俺達の方に追手はかからない。ツバサ様を捕えることが優先だろうからな。だが、万一を想定して足は止めるな」
説明は歩きながらしてくれるとのこと。小唄は私に荷物を任せ、自分はそーちゃんを背負うと言いました。
「……いいえ。万一を考えるのなら、小唄はそのままでいてください」
彼は私の手を引きながら、片手に抜き身の剣を携えていました。結果的にそれを人に振るわずここまで来れましたが、追手と戦う可能性があるのならそーちゃんを負っていては勝ちの目が薄れます。
そーちゃんをおんぶしているから仕方なく手にぶら下げていましたが、袋には背負い紐がついています。小唄はさして重くはないその袋を背負って歩き出しました。
いざ説明しようとすると、何から話したら良いものか判断がつかない。聞きたい順番に訊ねてくれと私に促します。
「では。ツバサ様とヒナとあおちゃんはご無事なのですか? どちらへ向かわれたのですか?」
「無事かはわからないが、ツバサ様が向かうのは大陸の中央……グラス王国だ。俺達と違って馬車を買収してある」
「クラシニアの馬車が買収に応じたと? そのような命知らずがいるのでしょうか……」
「応じるさ。報酬は白銀竜の神器だからな」
小唄が広間に持って入った神器はいつの間にかツバサ様に渡っていて、命をかけて馬車を出す代わり、無事グラス王国に辿り着けばいかように換金しても構わないと契約したのだとか。もし辿り着ければ間違いなく、グラス王家に売却されるでしょう。何代にも渡って一族が繁栄することが約束されるようなもの。……あくまで辿り着ければ、の話ではありますが。
「白銀竜の神器はもう使い道がない。だから誰に、どこに売却されようが関係ない」
「使い道がない? ソウジュ様はご存じなのですか?」
ソウジュ様が使いたくないのは前提として、それでもあれはソウジュ様のためにこの世に在るもの。ご不在の折に勝手に処分するなどして良いのでしょうか。
「全ては……ソウジュ様の御指示だからな……」
さしもの小唄も、歩きながら。平静を保ちながら話せなかったのでしょう。足を止めて私を振り返りました。
その次の言葉を聞くより前に、その痛ましい顔を見て。さぁっと嫌な胸騒ぎが湧いて、私は自らの心臓が動きを止めてしまったのではと錯覚しました。
「ソウジュ様は……自決された」
「ソウジュ様が……亡くなった……?」
それも、自ら命を絶たれた? そんなの信じられません。信じたくありません。
「ソウジュ様は……自分とツバサ様の体が神竜に成れば何が起こるか、察しておられたんだよ」
ツバサ様が太陽竜の神器を使うよう命じられたのと同様、自分も白銀竜の神器を使うよう強制されるだろう。そして神竜に成れば、通常の武器で負った傷はすぐに治り死ぬことすら自由にならない。神竜を殺せるのは太陽竜の神器だけ。
「ソウジュ様は、神器を人の戦に使われることも……ツバサ様に自分を殺させることも望まなかった。だからそうなる前に自決しなければならないと決断されていたんだ。もうずっと以前から」
なおかつ、ツバサ様がクラシニアから逃れる機会がたった一度だけ訪れることも予測していた。ツバサ様が神器を用いて儀式をするため、広間に呼ばれ、足枷も外される。私達以外に知られず体を鍛えるよう、ソウジュ様がツバサ様に求めたのはそのためだったのですね。
「そんなに以前から準備万端だったなんて……どうしてそんな大事なことを、私には話してくださらなかったのですか?」
少なく見積もっても二年もの間、ソウジュ様に何の気遣いも出来なかったなんて。させてもくださらなかったなんて。
「言えるわけがないんだよ……おまえにだけは」
「ソウジュ様には、私の助けは必要なかったのですか?」
「逆だろ……馬鹿か」
単純極まる罵倒を受け。こんな時なのにむっとしました。でも……クラシニアのお城にいた時には、彼はこんな言葉を使いませんでしたから。ちょっとだけ親近感を覚えてしまったり。
「ソウジュ様にとって、おまえのその能天気な笑顔だったりお気楽な発言だったり……そういうものに触れる時だけが唯一心安らげる時間だった。それだけが唯一の救いだった。だから最後の日、別れのひとときまで、ありのままのおまえの姿を見ていたかったんだよ」
ソウジュ様にとってだけでなく、それは妹やツバサ様にとっても同じだった。だから誰も真実をおまえに話さなかった。小唄はそのように話します。
ソウジュ様が死のうとされていることと、妨げられない事情を知ってもなお、私がそれを知ったらきっとソウジュ様を引き留めずにはいられなかったでしょう。確実に、日常の振る舞いにも影響したでしょう。だから、話すことは出来なかったと。
そうだとしても……私は自分が情けないです。ソウジュ様にそのような気遣いをさせてしまったことも、苦悩に気付いて差し上げられなかったことも。
でも……、それを悔いるばかりで私らしさを失えば、きっとソウジュ様は悲しまれます。普段通りの私を必要としてくださったことを誇りましょう。
と、考えていたところ。首がもぞもぞする感触がありました。いつの間にかそーちゃんが起きていて、私の首をまぁるく握ったお手手で掻いていました。
「足を止めるなとはいっても、そろそろそーちゃんにごはんをあげないと……」
「わかってる。ひとまず休息をとる」
幸い、乳離れは済んでいて離乳食の時期なので、ヒナと離れてもなんとかなるのですが。赤子同然のこの子が砂漠の長旅に耐えられるのか、食料はどれほどあるのかなどわからないことだらけです……。
「悪いがこの袋の中にある食料は全てその子のためのものだ。俺達の用意は何もない」
必要最低限の荷物をまとめるため、余計なものは入れられなかった。致し方ないと思います。
「私はそれで構いませんが……飲まず食わずでも死なない体ですので」
成り行きからして、ソウジュ様から話されて私の体がそういうものであるとすでに知っているのでしょうが、念のため伝えます。私はそれで良くても、小唄はどうするつもりなのでしょう。
「安心しろ。俺もおまえと同じ体だ」
「はい?」
「俺は夢幻竜だ」
「なんと……」
そんな大事なことをあっけなく。こんなに身近にお仲間がいて、しかもそれを知らなかったなんてびっくりです。
「今はそれが利点でも、問題もある。俺達がふたりとも二十歳になり消えるまでに、この子が安全に暮らせる場所を見つけなければならない。ツバサ様達と合流出来るのが最善だが、そうでなければ信頼出来る相手か施設を見つけて託さなければ……」
「えーと、私は自分の誕生日を知らないのですが。小唄は?」
私と違ってちゃんとした出自のお家の生まれですから、ご存じとは思いますが。
「三年後の九月十五日がその期限になる」
自分の誕生日だというのに、その表現はなんとも悲しいです。
とりあえず、砂の上に腰を落ち着けてからそーちゃんをおんぶ紐から下して抱っこしました。自他ともに体力には定評のある私ですが、さすがに一歳児をおんぶしてこれだけの距離を全力疾走したのでは全身が固まりそうな疲労感に襲われます。
「今は火を起こしている余裕も時間もない。こんなものしか出せなくてすまないが……」
本当に申し訳なさそうな顔で言いながら、小唄が袋から取り出したのはバナナでした。
「何をおっしゃいますか。バナナは味も栄養も歯ごたえも、幼児には万能の食べ物じゃないですか。私も生まれて初めて口にしたのはこれで、……ソウジュさまが、食べさせて、くださって」
話していたら、ソウジュ様の様々な表情が、思い出が次から次へと浮かんできて。いつの間にか涙が止まらなくなってしまいました。
「ごめんなさい……一度だけ……今だけで、いいんです。ソウジュさまのために……泣いてもいいですか……?」
そーちゃんが腕を伸ばして、小さな手でごしごしと、私の涙を拭ってくれました。
ソウジュ様……ありのままの私を必要としてくださって、ありがとうございました。
あなたの側で生きられて、私もこの上なく幸せでした。
イリサ「最初のお話はここで終了になります。読んでくださりありがとうございました!
明日からは砂漠の旅です。お楽しみに~」




