13話① 風神竜の約束
私達の物語はもうすぐ終わりです。
ここまで、最後まで見届けてくださった方々、ありがとうございました。
目覚めると、そーちゃんはまたひとりでした。
「あれ……ノア~?」
今まではひとりで目覚めようが別段気にしなかったそーちゃんですが、ここ最近はずっとノア君と一緒でしたから、きょろきょろと首をめぐらせて彼を探します。てっきり、もう最後までノア君と道を共にすると思っていましたし。実際ノア君だってそのつもりでしたでしょうし。
彼がいるのは相変わらず、影の世界、空の中の一本道。ここから下の町々へ下りる階段はノア君にしか出せないので、下へ遊びにでも行ったのかなと、柵に手を着いて覗き込もうとしたところでした。
まっすぐ、前に、宙に微動だにせず漂う人の姿。私と似た、真っ青に染まった旅装に短い金髪の男性です。
何者だろうと思いつつ何度かまばたきするとその姿は消えてしまいます。消えただけなのか、知らぬ間に移動したのか。
「こっちだよ」
親切にも……いえ、ただそーちゃんを惑わす時間も無駄だろうという心境で、彼の背後に現れた人は呼びかけます。
「誰?」
「オレ達の名は有隣……風神竜ユーリーン」
「オレ達?」
「オレと、君だよ。知ってるだろ。神竜は魂と肉体のふたりでひとり。オレが魂で、君はその器だ」
「……?」
弟のノア君が赤い髪なら、共に生まれた自分は神竜の体に成る。二十歳を迎えたら。
でも、そーちゃんはそのことをすっかり忘れていました。
「そんな大事なこと忘れるとか……」
ユーリは本気で呆れていますが、他ならぬ私だからこそ弁解したいところです。
そーちゃんが自分の体で外の世界で生きていたのは四歳まで。その当時、私達は弟のあおちゃんの運命についてお話ししましたが、そのあおちゃんと一緒に生まれたそーちゃんが神竜様の体に成る……ということまでは突き詰めてお話しはしませんでした。
ということは、コウ君とフウ君といった、同じ境遇で生まれた双子達の条件から「もしかして自分もそうなのでは」と考えるきっかけがあれば気付いたかもしれない……その程度なんです。誰も、「そーちゃん本人の運命」についてきちんと話さなかったのですから……
「無理もないか。数百年も借り物の人生で、自分のことなんかろくに考えてこなかったんだから」
反論したくてもその余地がなく、そーちゃんは口を噤んでしまいます。
ユーリには、夢幻竜様の力を借りている私みたいにこうやって俯瞰で情報を得ることは出来ません。良かったら名前聞かせてもらえる? と問いかけて、そーちゃんは「ソウ」と答えました。
これからユーリを自身の体に入れるのかという話し合いが行われるのでしょうに、そーちゃんの彼に対する第一印象は最悪です。
「さっき、浮かんでただろ。オレの弟がどこか行ったみたいなんだけど見なかった?」
「もうこの世界に用はないだろうから、先に外へ出してあげたよ」
「何してんだよ勝手に」
「この道をまっすぐ行ったら終着に……コウのいるところへ辿り着くって思ってるんだろ? そうはならないよ。世界は球の形してるから、この道を歩き続けても終わりも始まりもなく繋がってるだけで、どこにも辿り着かない」
「ノアはこの道の先でコウに会うって言ってたんだけど……勘違い?」
「勘違いなのか、コウに騙されたのか。どっちだとしてもオレは知らない。さっきも言ったけどオレにはそんな便利な能力ないから、自分で見えてわかった範囲のことしか知らないんだよ」
まぁ、それがごくごく普通の人の視点ではあるんですけどね。つくづく私は人の能力におんぶにだっこ、楽させていただいているなぁって申し訳なく思います。
「オレももうだらだらと長話する気はないから結論から言うけど、コウのところへ行けるのはオレ達……風神竜だけ。弟がここにいたままでも連れてってやれない」
「理由があるのはわかったけど、オレに黙ってそうするって容赦なさすぎやしないか。一言、話もさせてくれないとか」
「へぇ、わかってるんだ? 自分の末路を。最後の挨拶くらいさせてくれてもいいのにって意味だよな」
答えに困って、またもそーちゃんは口を噤みます。そーちゃんが知っている範囲の情報では、ノア君に二度と会えないなんて根拠はないはず。
それでも……そーちゃんは直感していました。虫の報せ程度の曖昧さながら、自分はもう、コウ君ともノア君ともお別れな気がすると……。
「ソウの体はまだ成体じゃないからオレ達は完全体になれないけど、この世界でこうして合流すれば風神竜の能力は使える。コウだってそうだったろ?」
コウ君がこの世界に入った時はまだ八歳でしたが、この世界の中では夢幻竜様の能力を使いこなしていました。しかし成体になるまでは外の世界ではそれが使えず、だからこそフウ君を太陽竜様との戦いから守り抜けなかったのでしょうね……私はその瞬間を見ていませんから想像ですが。
「この体……前からそうなのかなって思ってはいたんだけど……」
「影の世界の中でソウの弟の体を見つけたコウが、双子なんだから同じような見た目だろうって想像して、それが形になっただけ。本当のソウの体は四歳のまま時が止まってるよ」
「やっぱりかぁ」
そーちゃんは影の世界の青空へ向かって、自らの手のひらをかざしました。成人の男性の手ですが、そーちゃんにとってはよく見慣れたコウ君のごつごつした男性らしい手よりも、ほっそりして骨ばっているように感じます。女性的とまでは言いませんが、ちょっぴり中性的なのかもしれません。
この世界では水や鏡に何も映りません。この世界そのものが影であるゆえにそうなるみたいですが、そのせいでそーちゃんは、この世界での自分の顔を見たことがないのです。そういえばそうだったよな、と、今この時になってようやく気が付いたのです。
「じゃあ、心の準備が整ったら教えて」
「何のための準備だよ」
「決まってるだろ。後は終わりに向かって一直線なんだから。惜しいなら最後の時間を満喫しなよ」
「惜しいって言っても、ここにいたって変わり映えのしない道を歩くだけだろうし」
ノア君が一緒の時間は、今までの空白を埋めるようにお話しのし通しでした。ほとんどはノア君が気のすむまでお喋りして、そーちゃんは相槌を打って。たまにノア君から外の世界の話を聞かせてよとせがまれて、そーちゃんも何らかお話しする……とても、楽しそうな時間でした。
「ここでやり残したことは、ない。ノアにも会えたし。イリサはここにいない気がするし」
「あっそ。だったら後はよろしく」
どうでもよさそうな態度で、左手を差し出します。手のひらを空に向けて。
「あんたは一緒に行かないのか」
「一緒には行けない仕様だし、行けたとしても行かない。どんな顔してコウに会ったらいいかわからない」
「なんだそりゃ」
「まぁ……すぐにわかる」
この場で口に出して説明するよりもよっぽどわかりやすいとユーリに急かされて、そーちゃんは彼の手に右手をのせました。
……ああ、なるほどなぁ。
ユーリと触れたことで、そーちゃんにとっては長年の……それこそ数百年単位の疑問が一気に氷解します。
……どうしてコウは、オレに体を貸すだとか、影の世界を作る為に閉じこもるとか。全然自分を大事にしないんだろうって思ってたけど。あんたのせいだったんだな……
……オレがコウとフウの本当の兄だったら、こんな惨いこと考えられなかったかもな。偽物の兄なんて所詮、こんなもんだよ……
ユーリは、フウ君が助からない運命と知っていましたから。せめてコウ君だけでも確実に生き延びて欲しくて、その前提で行動していました。
影の世界に入ったコウ君は、ユーリの本心を知ってしまい……あんなに大切に、自分達を守ってくれていたと信じていた兄が、とっくにフウ君の命を諦めていたことを知ってしまったのです。
……クーとリルがこの世に残した命を。彼らが生きた証を。せめてひとつだけでも未来に残したかった……
コウ君に生き延びて欲しいというその願いさえ、コウ君のためではありません。
ユーリにとって、自分を救ってくれたコウ君達のご両親はそれだけ大切な存在だったということなのですが、それでもコウ君にとっては残酷すぎる事実でした。
夢を見ました。そーちゃんが生まれた日の記憶を、夢という形で思い起こして。
生まれたばかりの赤ちゃんが何かを記憶することは出来ません。自然に思い出すことは不可能ですが、そーちゃんは魂の奥底にその記憶を残し続けていたのです。
「他の誰に忘れられても構わないけれど、どうか、君にだけは覚えていて欲しい。僕は終わりなんて望まない。彼女が笑って、幸せに生きていけるこの世界を残したい。続けていきたい……それが僕の望みなんだよ」
生まれたばかりの小さな小さなそーちゃんを腕に抱きながら、理解できるはずのない願いを伝えます。それが無駄にならないことを、わずかな可能性を信じて。
そーちゃんの目は開いていてソウジュ様を見上げていますが、赤ちゃんの目はまだ、そのお顔を識別出来ていないでしょうね……
コウ君がいるのは、私とそーちゃんとコウが消えたあの丘を複製した場所でした。かつては草の色はあの日と同じ、ごく自然な緑色だったのですが、私がこの世界に来てからはここの草も青い色に染まっていました。
頼りない一本の細い枯れ木の根元に、脱力したような形でコウ君は座り込んでいます。誰の目も気にしないで済むこの世界では、コウ君はいつでもこんな感じでした。自分以外のあらゆる人の感情の渦巻く脳を処理するのに精いっぱいで、身動き一つとれません。
そこへ、音もなく現れます。コウ君はまばたきすらせず視線も一定で、そもそも目を開いていても何を見ようともしていません。位置によってはお互いに永遠に気付かずにただ時間だけが過ぎていったかもしれませんね。それはそれで、終わりを迎えずに済むという意味では僥倖だったかもですが。
「ソウ……?」
外見はそうですが、明らかに様子がそーちゃんらしくないので、コウ君も疑問符混じりです。案の定、返事もありません。
先ほどのユーリがそうしていたように、そーちゃんも宙に浮かんでいました。目はぼんやり開いています。ぼんやりがちな目は普段のそーちゃんだってそうでしたが、感情がうかがえません。これはちっともそーちゃんらしくありません。
「我が名は有隣……無神竜……無を司る神竜……」
ぼそぼそと覇気のない声で、聞き逃してもおかしくない声量です。ここが外の世界のように風が吹き、草が鳴り、周囲に人の姿があればそうだったでしょう。けれどここにはそれが何ひとつありませんので、コウ君にも聞こえました。
急速に警戒心を強め、コウ君は億劫な体にどうにか力を込めて立ち上がりますが、刹那。そーちゃんは姿を消して、次の瞬間にはコウ君の目前に現れます。
「ここには誰も来られない……通じてる道なんかないはずなのに、どうやって」
「無とは誰にも、いかなる時も常に隣り合うものだから。どこにだって居る」
行く、とか来る、とか。その概念そのものが誤りであると主張します。淡々と。
疲労と、想定外の状況に対する動揺で失念していましたが、コウ君はその気になればわざわざ訊かずとも相手のことがわかります。感情の色を失ったそーちゃんをまっすぐ直視して、その中にそーちゃんはいるのかを確認しようとします。
無神竜様とて夢幻竜様の能力は既知なのか、その視線を異論なく受け止めて、相手の理解を待とうとしている様子でした。
無神竜、または風神竜と呼ばれた神竜様が太陽竜様に与えられた役目は、世界をかつての何もなかった、無の状態に戻すこと。
この世の始まり。凍てつく雪の世界に生まれた白銀竜様がその寒さと孤独に耐えかねて、太陽竜様に救いを求めました。その求めに応えた結果、太陽竜様の恵みが地上に届くようになり雪は溶け、呼び集められた神竜族のきょうだい達により生命や自然が生まれ活気づくようになりました。
しかし、地上が豊かに賑やかになった代償に、意思ある者同士の軋轢や欲望に蹂躙されるようになり、白銀竜様を苦しめることになりました。
「白銀竜は無が安らぎであることを忘れてしまったが、苦しみから逃れ無に戻したいと願うならいつでも戻せるよう、太陽竜は我を配置した。だが、白銀竜はおろか太陽竜もすでに消えた。ならば夢幻竜。君が選べばいい」
「俺が?」
「断罪竜は完成しないし、月光竜は神竜といえ格落ち。この世で神竜の成体は夢幻竜しかいない。君が望むなら、世界を、無に……」
無表情に淡々と語り続けていた無神竜様でしたが、突然、眉間にしわを寄せて。
「違う……白銀竜……あの人は、望んでた……世界が在り続けることを!」
渾身の力でコウ君を突き飛ばします。その行動は完全に不意打ちでしたし、足元を踏ん張る時間もなく、コウ君は草の上に倒れ込みました。そこは丘の、ほんの少し傾斜がかった場所です。
草が生い茂っているのが多少は緩衝してくれたのか、思いっきり倒れ込んでも別に痛くも苦しくもなかったですが、衝撃で反射的に目をつぶります。
その間も……そーちゃんは動いていて、コウ君に飛びかかって。コウ君の両手首をそれぞれ掴んで、彼の耳のあたり、地面に押しつけます。
いつの間にか自分の意識の主導権を何者かに支配されていた恐怖でそーちゃんは呆然自失してしまい、しばらくそのまま動きませんでした。
「今は、ソウ……だよな」
コウ君の方も、訊かずとも覗けばわかるのになんとなく怖くて、本人に答えて欲しくてそう投げかけますが。答えは返ってきませんでした。
「全部、知った。ユウに会って」
「……ああ、そう」
コウ君がそれを知ったのはもう七百年も前ですし、とっくに折り合いをつけて行動してきた結果が現在です。それでも古傷を抉られるような心地にはなりました。
「ユウ兄はフウが死ぬのは避けられないって諦めてたし、この世のどこにも、俺自身に生きてて欲しいって願ってる人はいなかった」
「だから平気だっていうのか? 自分を、都合のいい夢幻を維持するためだけの、生贄みたいにして」
「平気だよ。どうせ誰にも求められてないんならせめて、生贄だろうが世界の土台でもやってた方が有意義だろ」
「間違ってるよ」
「はぁ? どこが」
「生きてる人間じゃなくたって……コウの両親も、フウだって。コウに生きてて欲しいと思ってたに決まってる。死んだ人間の想いだったら無視していいっていうのか? そんなわけないじゃないか。オレだって……オレがこの世からいなくなっても、これからも……コウにもノアにも生きてて欲しい。そのためにここへ来たんだ」
たどり着いたら終わってしまうことがわかっていても、ここへ来た。望みを果たすために。
どうせコウ君はろくに抵抗しないだろうと、そーちゃんは捕まえていた手首を放しました。コウ君の腰のあたりで馬乗りになってはいますが、別に極端に体重をかけているでもなし、ちょっとでも動けば脱出は容易いのに。予想通り動く気配もありません。
そーちゃんは自分の胸の高さで、両手のひらの端同士をくっつけて見つめます。それはかつて、私と約束した動作です。手のひらの上に、私は母神竜の神器を現しました。海水で作る刃も装着済みで。
切り結ぶわけでもないですし、剣のような長さは必要ないと思うので、ナイフ程度の小ぶりな形にしてみました。その柄をしっかり握りしめ、そーちゃんは刃先をコウ君の心臓の上に差し向けます。
「母神竜の神器で斬れば、コウと……あの人の魂を切り分けられる。そうしたらコウは解放されるだろ? 悲しい思い出から」
コウ君の深層心理、行動に深く影響を与えていたのは、コウが感じた最期の、無念の記憶。そーちゃんを救えなくて、彼の腕の中で弱り、やがて死んでいくであろう無情な現実に涙した……。
自分自身の経験ではないのに、深く深く悲しみに蝕まれた魂と繋がってしまったために、わけもわからずに幼い頃のコウ君は泣き続けていたのです。成長して人前で憚らず泣くことはなくなっただけで、悲しみから逃れられたわけではありませんでした。




