11話③ 太陽竜の贖罪
「それにしても小さい子はかわいいなぁ。なぜだか母が縁談を全て断るから僕にはなかなか相手がいなくって。妬けてしまうねー。なんてね」
照れ隠しなのか、冗談を言うと最後には必ず「なんてね」とつけてしまう癖があるみたいです。
すでに二歳を過ぎていたあおちゃんはなかなかお喋りが達者で、ユウジュ様に抱き上げられるとにこにこ笑顔で、自分の名前を教えてあげていました。
あおちゃんが羊達に興味津々だったのもあって、ツバサ様はヒナとあおちゃんをユウジュ様のもとへ預けて、密かに病院へ向かいました。
「ああ……貴方様は、太陽竜様なのですか? 私の命あるうちにお会いできるなんて」
ユウジュ様のお母君はすでに肌も土気色で、骨に皮がはりついているという表現がふさわしいほどにやつれ果てています。病床からは出られないながらも懸命に身を起こし、細い手指を合わせてツバサ様を拝みます。平伏までしようとなさって、寿命を縮めてしまいそうだからやめなさいとツバサ様にたしなめられます。
ユウジュ様とソウジュ様のご両親は敬虔なる信徒であり、我が子が神竜族に纏わる運命の元に生まれたことを心から喜んでいました。白銀竜様の神器は婚前にお父君が修行した寺院に保管されていたものだったそうです。
いつかソウジュ様は太陽竜様にお仕えする神竜のいずれかになるはず。そう確信していたお父君とお母君は同意の上で、お父君がソウジュ様を、お母君がユウジュ様を見守ることに決めたのです。家族はバラバラになってしまいますが信仰のためなら何とも思わないと。むしろ我が家に特別に与えられた試練なのだと喜んですらいるのです。
ユウジュ様はどうせ二十歳で死んでしまうのだから、何も知らせずただその二十年間を穏やかに暮らさせてあげようと。お父君の現在も、ソウジュ様というきょうだいがいる事実も知らせてもらえなかったのです。縁談を断るのもお相手の女性が遺されるのが気の毒だからとのことでした。
ツバサ様にとっても何より心痛だったのは、ご自身の中にあるソウジュ様の魂から見えるその記憶の中にさえ、ユウジュ様の存在がなかったことです。つまりは物心の着くより以前……ご近所の皆様すら気付かなかったのだからおそらく赤ちゃんの頃、荷物のように背負ってお父君はシェーラザードを旅立ったということなのでしょう。
写真などない時代ですから姿はこの記憶からはうかがえませんが、私を拾ってソウジュ様と共に育ててくださった養父はきっと、このお父君のはずです。
名前のなかった私に「桜隣」と名付けたのは、父としてのなけなしの良心の表れかもしれません。もしソウジュ様や私が「桜を見てみたい」となったら、世界に知られる名所たるシェーラザードを訪ねるのは自然な流れです。
そのシェーラザードにある最も大きな桜のお隣に、ユウジュ様は住んでおられるのですから……。
知ってしまった以上、ユウジュ様の最後を見届けずにシェーラザードを去るわけにもいかなくなったツバサ様は、彼の友人としてしばらくその地に留まることにしました。お母君からの口添えで、羊飼いの仕事をヒナと共にお手伝いして。
お父君は偽りといえ、ソウジュ様に「ツバサ様を弟として思うように」命じたのですから、それほど年齢差があるとは思えません。とはいえ、ユウジュ様がこうして無事にご存命である以上、やはりツバサ様の方が確実に年上であったということになってしまいますね。ソウジュ様が自決出来た時点ですでに明らかではあったのですが、ツバサ様の心情としてはなかなか受け入れ難かったのです。
何も知らないユウジュ様がその日を迎えました。シェーラザードではお誕生日は、国の真ん中にあるアソッカの大樹のもとでお祝いするのが習わしです。例年通りでしたらユウジュ様も当然にそうしていて、彼は顔が広い人ですから多くの人が集まってくださって。しかし今は母が闘病中だから今年だけはお祝い事は控えるつもりだと。周囲の人々とも相談の上、そう決めていたのです……。
何の前触れもなかったのに、突如として自分を蝕む苦痛にユウジュ様は混乱しきりでした。それでもこの苦痛は一日限りかもしれない、数日したら何事もなかったように元の体に戻るかもしれない。そう信じていられた内はどうにか精神を保っておられました。
しかし、しばらくすると涙すら流さず血だけを吐きながら懇願するようになりました。誰か、自分を殺してくれと。かつての穏やかで朗らかだったユウジュ様の人柄は、見る影もありませんでした。
その苦しみから彼を救って差し上げられるのは、この世に太陽竜様の神器だけ……。
ツバサ様は。ソウジュ様と同じお顔のその方を。かつて自分が救えなかった、誰よりも敬愛する人の現身を。せっかく出会えた、ソウジュ様の半身を。自らの手にかけるしかありませんでした。
もし……ソウジュがこの事実を知ったら……俺を恨んだろうなぁ。
俺の存在がなければ、ユウジュとこの国で穏やかに暮らせたはずなのに。
あの性格だから、彼以上に羊飼いの仕事を楽しんだかもしれないな。
そもそも兄ですらないのに、兄としての振る舞いを求められて。したくもない戦いを終生、強いられて。最後は自らの手で命を絶たねばならなかったなんて。
何もかも……俺が招いた災いじゃないか。
俺を救うために、彼らを犠牲にしてしまったんじゃないか。恨まれて当然じゃないか……。
……そんなことないよ。恨んでなんて……。
懐かしい声が聞こえた気がして、ツバサ様は目を開けました。そこは血のにおいの充満する暗闇で、ちょうど魔法陣の光が灯る周期でした。
白い髪に赤い瞳。真っ白な、クラシニアの平服。私は幼い頃、ソウジュ様のことを目の赤い白うさぎさんみたいですね。なんて表現したことがありました。抱っこしてくださると温かくて、優しい瞳でこちらを見守ってくださるので。
「恨んでない? そんなこと……」
ありえるのだろうか。自分に都合の良い幻覚を、ソウジュ様の姿に言わせているだけなのではないだろうか。だとしたらなおさら最悪だ、自分は。ツバサ様はまるで酩酊しているかのようです。
……これは僕達の運命だった。確かに苦しかったけれど、それでも僕達なりに、やれることを精いっぱい全うした。何もかも奪われるだけじゃなく、自分の意志で、愛する人に出会えたから……
僕だって、自分の幸せを、自分の手でつかみ取ったんだよ。そんなに憐れまないでおくれよ。
その言葉は間違いなく、幻覚などではなく、ソウジュ様のお気持ちだと思います。私だってそう感じたのですから、ツバサ様にとってはなおさらでしょう。
全うした……そうだ。あの日誓った全てを、俺はこれでやり終えた。
「もう……いいかなぁ……俺も。貴方の元へ、かえっても……」
ソウジュ様が幻ではないと、彼の言葉を信じられると感じたからこそ、ツバサ様は背中を押されるように決断してしまいます。
こうなるとわかっていて神器を揮ったコウ君でしたが、やはり胸は痛みます。それでもコウ君は最期を見届けました。私も目を逸らすわけにはいきません、どんなに辛くとも。
ツバサ様は神器の刃を、自らの首に押し当て、一瞬の躊躇いもなく押し込みます。ちょうど魔法陣が光を失い、暗闇の中にどさりと後ろへ倒れ込む音だけを残して、何も見えなくなりました。
コウ君も疲労が濃く、戦いで負った傷も深く。裂傷こそないですが衝撃で骨のいくつかを損傷したでしょうし、内臓も負荷がかかっています。体を支えるのが辛くなって、慎重に、その場に身を横たえました。
「日が……暮れていく……?」
影の中の世界。天上を貫く一本道の上から、フウ君は赤く染まりゆく空を驚嘆の思いで見守っていました。何せこの道もお空の上にあるのですから迫力は満点でしょう。遥か彼方に沈みゆく太陽のまあるい形もくっきり浮かび上がっています。
「外の世界で太陽竜様がお亡くなりになったの」
淡々とした調子で、ヒナが告げます。数百年の時を共にしたので、さすがにフウ君もその声を耳にしたのはこれが初めてではありません。それでも数年や十数年に一度とも思える珍しさなので、それだけの一大事が起きているのだと実感させられます。
「……お父さん……」
道の端にある転落防止の白い柵をぎゅっと掴み、身を震わせながら、ノア君は地面に膝を着けました。太陽から目を背けて、灰色の固い地面に目を落とします。ぽたぽたと水の雫が落ちて黒い染みをつけますが、すぐに乾いて消えてしまいます。
「大丈夫か?」
「うん……大丈夫」
鼻をぐすぐす鳴らしてしまうようになる前にきっぱりと涙を断ち切って、ノア君は立ち上がりました。あっけなさすぎて、心配することなかったかな。なんて思ってしまうフウ君です。
「こうやって日が暮れて、夜が来て朝が来て。そうやって繰り返せるようになった。外の世界と同じにね」
「前に言ってたよな。そうなったってことは……」
「もうすぐ終わり。この世界も、ボクも君も、全部ね」
「そっかぁ……」
正直、こんな環境で数百年もダラダラと過ごしてきたせいか、あんまり終わりを惜しむ気持ちがない。麻痺してきてるのかな。でも……。
「世界の終わりに、コウに会えるとも言ってたんだっけ……」
「あれっ、意外。ボクはソウに会えるの楽しみだったけど、フウはそうでもないと思ってた」
「楽しみっていうのとは違うけど、なんでこんな世界作ったんだよってのははっきりさせておきたいからさぁ」
「ボクは理由知ってるけど、それじゃダメなんだよね?」
「当たり前だろ」
「ふふ~ん」
「なんだよ。さっきまで泣いてた癖に現金な奴だな」
「いいことじゃない。そばに誰かいてくれたから、すぐに切り替えられてずっと泣かずに済むんならさ」
別に会いたいわけじゃないって言ってるけど、理由を訊くって言い訳してるだけで本当はただ会いたいんだろうなぁ。ほんと、いつものことながら素直じゃない。そういうフウ相手だから今まで退屈しないで頑張れたんだけどね。ノア君はそう考えていました。
そうだよ……ボクだって今まで頑張った。もうすぐ、やっと終われるんだ。お父さんみたいにね。
悲しいことに、終わりを解放として求め続けていたのは、ツバサ様もノア君も同じでした。




