11話① 太陽竜の贖罪
地上における、神竜様に纏わる最後の戦いが始まろうとしていました……。
「傀儡竜の生まれ変わり……地上で息をしているのはもう、このウイシャで最後ってことね」
シーちゃんは黒曜石の寝台の上に横たわる妹君の胸の手前辺りに腰かけながら、彼女の前髪をどかすようにしながら額を撫でています。いつでも活力、闘気に満ち満ちていた彼女もさすがに今は少し切なげな表情を隠しません。
グランティス王家に生まれた、赤い髪のウイシャ様。二十歳の誕生日を迎える前日に魔法陣によって時を止めて、以来千年を超える歳月をウイシャ様は眠り続けています。
「それで……本気なのね? あんたもここで、太陽竜と戦うって」
「ああ」
「いまいちわかんないのよね。あんたとウイシャになんの義理もないじゃない。あんたにとっちゃ太陽竜の方がよっぽど大事なんじゃないの?」
シーちゃんは、私とコウ君が数百年、ソウジュ様を追い続けて旅をしてきたことをご存じです。一方、私はともかくコウ君は、ウイシャ様の顔を見たのすら今日が初めて。
「イリサ達と違って、俺自身にはあいつに何の思い入れもないからな……反面、イリサ達がエリシアやイルヒラに随分助けられてきたのを俺は知ってる。そのあんた達の大事な家族が殺されようとしてる時に見過ごすほど薄情じゃないんだよ」
ご覧の通り、ここにいるのはそーちゃんではない、本当のコウ君その人です。彼は影の世界からの俯瞰でソウジュ様とシーちゃんの最後の戦いの時が迫っているのを知り、そーちゃんを休ませて自ら体を動かしてグランティスへ馳せ参じたのです。
約束の千年目まであとわずかですし、今更シーちゃんに自分達の素性を隠す必要もないだろう。そう判断して、コウ君は自分とそーちゃんの入れ替わりについてこの場で打ち明けました。
「つまり夢幻竜はあんたで、今まであたし達が話してたコウは……千年前にイリサ達が連れてた赤ん坊ってことか。また随分とややこしいことしてたもんね。あたしにゃとても真似出来ないわ」
「そうか? あんただってやろうと思えばそのままイルヒラの魂を吸収出来ただろうに、自分の体を貸してまで人格を維持してきたんじゃないか」
源泉竜のように容赦なく食い尽くすことだって出来たはずなのに、そうしなかった。コウ君は指摘します。
今まで失念していましたが、言われてみればひとりの人の体をふたりで共有して使って生きているという意味では、コウ君もシーちゃんも似た者同士だったんですね。
それからしばらく、コウ君とシーちゃんは太陽竜様との戦いの分担を話し合っていました。
「あたしはこの上……あたし達の家の外で太陽竜を迎え撃つ。最後まで巨神竜として全身全霊で戦うわ。もちろん、負けるつもりで挑むわけじゃないけど……」
「俺は、エリシアが負けて太陽竜がここへ踏み込んできた場合にウイシャを守って戦う。それでいいか」
「いいけどね。踏み込ませるつもりはさらさらない。それよりあんた、本気で太陽竜に挑んでどうにか出来るつもり?」
夢幻竜様の能力は戦いに向いているとは思えないと、シーちゃんは全力で疑ってかかります。
「この空間を見てみろよ。そこかしこ、暗闇や影でいっぱいだ」
ここはこの周辺で随一の魔力溜まり。その豊潤な魔力を利用して、時間を止めるなどという大規模な魔法を行使しています。魔法陣は一定時間周期で光を放ち、また消えるの繰り返し。地下の空洞であるということも手伝って、濃い影が浮かび上がっては消えています。
「影の強い場所でなら、俺はあいつに負けない。勝てないとしても負けはない」
「何それ。頼れるんだか情けないんだかはっきりしてくれる?」
「どっちにしろ、あんたはただ巨神竜として全力で戦えばいい。ここに妹がいるのも、それを守らなきゃいけないってことも最後くらいは忘れてな」
「……そうね。結果がどうあれ、そうしていいっていうのは普通に助かるわ」
シーちゃんは両手の指を組み、それを頭上より高く伸ばします。その指先を見上げるようにして、ウイシャ様から目を逸らします。この時、彼女はウイシャ様の姉であるという枷から自らを解放しました。巨神竜様の矜持でもって、全てをかけて太陽竜様と戦うために。
天井の穴から垂れる縄梯子を掴み、足をかけます。
「それじゃあ、ここはあんたに任せる」
「ああ」
「健闘を祈るわ。お互いにね」
それは不思議な、別れの言葉でした。シーちゃんが敗北してここに太陽竜様が踏み込まなければ、コウ君は戦う必要はないはずなのに。
「エリシア……今までずっと、イリサ達の良い友達でいてくれて……ありがとう」
「……変なの。それって、あんたが恩を感じるようなこと? 本人達ならわかるけど」
コウ君は、シーちゃんの疑問には答えてあげられませんでした。私はもちろん、そーちゃんにも……もう、シーちゃんに直接、お礼を伝えられないかもしれないから。だから自分が代わって、先んじて伝えることにしただなんて。まるでシーちゃんの勝利を信じていないみたいですから……。
それ以上コウ君が話さないであろうことを察して、答えを貰うのを諦めて、シーちゃんは縄梯子を登っていきました。こことは違って明るい光に満ちた、外の世界へ。太陽は今頃、空のてっぺんに位置しているはずの時間でした。
最初に一度、大きな地響きがありました。その振動によってコウ君は地面の上での開戦を知ります。
コウ君は空洞の中央、ウイシャ様の寝台の前で、彼女に背を向ける形で佇んでいました。一応、彼女を後ろに庇う位置を選んでいます。シーちゃんに語ったのは必ずしも本心ではなく、ウイシャ様を守る気持ちがあるかといえば……かけらほどもないとは言えないものの、コウ君の本心は別のところにあるのですが。
その後も断続的に地面は揺れ、その度に天井からぱらぱらと土埃が降り注ぎます。これほどの衝撃ならこの空洞ごと押し潰されやしないだろうな、と思うコウ君でしたが、即座に自分自身で否定します。グランティスにとって要衝であるこの場所がそんな軟弱に作られているはずがありません。
シーちゃんとヒー君の暮らした家からこの空洞を繋ぐ出入り口の穴は、シーちゃんが外へ出る際にきちんと蓋を閉じていきました。ゆえに、白い煉瓦作りのその家が戦いの衝撃に負けて倒壊しても、コウ君のいる地下には影響がありませんでした。
戦いの結果がどうあれ、誰かが煉瓦をどかして入口を開けてくれなければ、コウ君はこのまま閉じ込められてしまいますね。眠りについたウイシャ様がこちらにいらっしゃる以上、誰かしら確認してくれるとは思いますが……。
やがて、先刻までの騒乱が嘘のような静寂が訪れます。がらがらと無遠慮に石を動かすような音の後、地下空洞にまあるい光がぽっかり差し込みました。入口できちんと固定した縄梯子が落とされて、先端が揺れています。
やっぱりな……縄梯子に掴まって天井近くからコウ君を見下ろすその人が予想通りだったせいで、コウ君は控えめに溜息をつきました。
エリシアが、彼女の宿願の通りに太陽竜様を撃退出来れば、自分が手を汚さずに済む。そうなってくれたら楽だったんだけどな……ちょっと自分勝手ですが、コウ君は心からそう願っていました。しかし、そうはならないんだろうなとあらかじめ予想してもいたのです……。
「……コウか?」
明るくなるのと暗くなるのを交互に繰り返す空間になかなか目が慣れず、ソウジュ様は縄ばしごから降りるのも忘れて目を凝らしていました。
「あんたの知るコウ・ハセザワじゃない。俺とあんたはこれが初対面だよ」
無論、このコウ君自身は影の世界から幾星霜、ソウジュ様のお姿を、御心を盗み見ていたのですが。
「僕の知るコウじゃない……? ならば、君は」
「知らなくていいよ。ただでさえ後悔だらけの一生だったんだから、これ以上増やしたくないだろう?」
今までコウ・ハセザワとして接していたのがソウだったと今更知ったら、ソウジュとしてしか接してこなかったこれまでを後悔するだろう。ツバサとして、あるいはソウの父親として一度も話さなかったことを。だから言わない。それがコウ君の判断でした。
コウ君は手のひらを地面に向ける形で、前方へ右手を差しだします。すると地面に映っていたコウ君の手のひらの影から、黒い何かが飛び出しました。まっすぐ迷いなくコウ君の手にそれがたどり着くと、拳を握りしめます。細身のナイフのようで、三日月めいた曲線を描いた真っ黒な影です。
「なるほど。君こそが夢幻竜の正体で、今までのコウはそうではなかったということなのか」
真実はそれだけではないですが、それも間違いではないのでコウ君は否定しませんでした。そう思い込んだままの方が、ソウジュ様にとっては幸せそうだから……。
「夢幻竜も神器を持っていたか。太陽竜の記憶にすら見えなかったんだが」
「使うつもりがなかったから隠してただけだ。影の深く、底の底までな」
神器を隠していたのは神話時代の夢幻竜様で、コウ君はいつか使う機会があるかもしれないと、影の世界を探りに探って見つけ出しました。よほど厳重に隠されていたのか長い歳月を費やしてようやくたどり着いたのです。
「この神器で斬りつけても物理的に傷をつけることは出来ない。だが……心の一番痛い場所に深く傷をつける。意志の馬鹿強い巨神竜だの源泉竜だの相手なら痛くも痒くもないだろうが、あんたになら覿面に効くんじゃないか?」
「……夢幻竜を相手に虚勢を張っても仕方ない。君の言う通りだろうが、その細く短い刃で僕に届くとでも?」
ソウジュ様はコウ君が右手を出して小さな神器を構える姿勢をあえて真似するように、右手に太陽竜様の神器を構えてコウ君へ向けます。コウ君の刃が遠く届かないのに対し、ソウジュ様の真紅の刃は数歩跳躍すれば彼へ届いてしまいそうです。
コウ君はあえて何も言わず、ソウジュ様へ向かって一気に足を踏み出しました。当然、ソウジュ様は後ろに下がって避けようとしますが。地面に足が縫いとめられたように動かないことにそこで初めて気が付きました。
驚いたのはほんの一瞬で、数多い戦場での経験から冷静に判断します。腕の自由は失われていないため、神器をいったん後ろへ下げて、腰に下げていた小刀を抜いてコウ君の神器を受け止めます。
この世の影は全て、コウ君の味方……のはずですが、逆もまた然り。この世の光は全て、太陽竜様の味方。空洞いっぱいに描かれて周期的に光の明滅を繰り返す魔法陣がその瞬間、光を消す時機に差し掛かりました。
地面に吸い付くようだった足の底が急に解放され、ソウジュ様は後ろに幾度か跳躍してコウ君から距離をとります。コウ君は別段残念そうでもなく深追いもせず、その場に留まりました。
ソウジュ様にもすでに想像の範疇でしたが、魔法陣が光を取り戻すと、ソウジュ様の足元の自由は再び奪われてしまいました。
「僕自身の影を通してのみ、動きを止められるというわけか」
魔法陣の光がなく、空洞全体が闇に包まれるとソウジュ様自身の影がなくなるため、自由を取り戻す。コウ君が先ほど深追いしなかったのも、すぐにまた動きを止められるとわかっていたからです。
足の自由を奪ってからもう一度、コウ君はソウジュ様に接近します。今度は急がず、歩みはゆっくりめで。長時間の戦いになるかもしれないので体力の消耗を抑えようというのでしょう。
自由を奪えるといっても制限付きですし、接近したからといって戦いの経験に歴然の差があります。ソウジュ様は神器と小刀を巧みに操り、特に苦労もなくコウ君の攻撃をさばいていきます。
一進一退の戦いが始まります。
もし、私が今でも地上にいて、彼らのそばにいたならどうしていたでしょう。シーちゃんだって私にとってはかけがえのない友人ですし。大切な人達が殺し合いをしたり、勝ち目の薄い戦いに挑むのを止めずに黙って見ていられたでしょうか……。
しかし、もしかつての状況であったとしてもコウ君の意思ひとつで私は影の世界に戻されてしまう立場です。さらにシーちゃんは実力の差を感じていたとしても戦うことを辞めるはずもありません。結局、今こうして眺めている以上のことはさせてもらえなかったのかもしれません。




