10話④ 名前のない少女
私も、もうすっかり、思い残したことはなくなった気がして立ち上がります。コウ君も少し間を開けて同じように、しかし私と違ってお尻や衣服についた砂が気になって、ぱたぱたと叩いて払う音が聴こえます。
「お誕生日おめでとうございます」
「……誕生日なんて、まだ半年も先じゃないか」
これまた奇妙すぎる一致なのですが、コウ・ハセザワという人の誕生日も九月十五日だったのです。彼と同じ……。
「あなたの本当の誕生日は三月十四日なんですよ」
彼は私にくまのそーちゃんをプレゼントしてくれましたが、私は何もあげられませんでした。本当の誕生日を教えてあげる……私が彼に贈ってあげられるものなんて、これが精いっぱい。なんとも情けないです。
コウ君の顔にはまるで「何を言われているかわからない」とそのまま言葉で書かれているようで、胸が痛みます。そーちゃん、と呼んでみるか、私の生前の名前を告げてみるか。考えてみましたが、どちらも諦めます。この場においては。
「ナナの誕生日は六月二日だそうで、次の誕生日で十九歳になります。彼女の目標はクラシニアを変革して、今よりさらに住みやすい素敵な国にすることで……生前、この国で様々感じながら暮らした私にとっても願ってもないことです。それでも私には、彼女の中に還って大義を目指すよりもっと、したいことがあるんです」
そのために、彼女が二十歳になるより前に、グラスブルーへ帰ると決めました。あと一年以上猶予はありますが、心変わりするより先に旅立ちたかった。最後に、そーちゃんの誕生日だけお祝いして。
「もう一度、私を迎えに来てくれませんか? あの時みたいに」
私をグラスブルーから連れ出してくれたあの日。彼は私の為にそこに来た、いた、わけじゃないですけど。私にとっては同じことです。
「そうしたら今度は、今日までにしたたくさんの思い出話より、もっともっと懐かしいお話しをしましょうね。ソウ君」
「……わかった。オレもいつか、もう一度あそこへ行く。イリサに会うために」
一世一代の勇気を出して言ってみたんですが、響きが似ているから「コウ君」と聞き間違えたんだろうくらいの自己修正が働いたのでしょうか。無反応でした。残念です。
最後のひとときまで顔を見ていたかったから、私は隣り合っていた立ち位置から彼の正面に移動します。
「これを持っていてくれませんか?」
自分の胸の高さで両手を揃えて差し出すと、私の手のひらから青い石がせり上がってきます。透明で、小さな石柱めいた形で、中が空洞になっています。
「母神竜様の神器です。他の神竜様達の神器と違って私以外の者でも使えるようになっていますし、あなたが使いたいと思った時にはいつでも動くよう、私が見守っています」
あの日、わざわざ私に会いに来た月光竜様の目的のひとつはこれを渡すことでした。養父からこの大陸には存在しないと言われていた母神竜様の神器をどうしてお持ちなのか。これも予知の力で、これを持っていた何者かに接触して受け取ったんだとか。つくづく便利な能力です。
「使い道は?」
「私が現した刃で斬りつけると、その人の魂と肉体を切り離せます。神竜様を相手に振るうなら、果たさねばならない使命から、その方を解放して差し上げられます」
母神竜様がどういう気持ちでこのような神器の能力を選ばれたのかわかりませんが、心から感謝します。私にとってこれ以上の機能はないでしょう。
彼は感触を確かめるためか、利き手で石をぐっと握りしめました。石は固定なようでいて実は握った人の手の形に応じて変形します。私も試しに刃を現してみました。海水で形作られた刃、だと思います。夜の闇の中で、月の光を受けてきらきらと輝いていました。
これで本当に、地上での私の役目は終わりですね。
最後に彼の目を正面から見つめました。もちろん向こうの方が少し背が高くて、見上げる形。涙など流せない私ですのに、どうしてでしょう。その顔はほんのり、ぼやけて見えます。
「今日まで一緒にいてくれてありがとう。あなたと共に生きられて、幸せでした……私はイリサ・グラスブルーになります。クエス……あなたの側に行かせてください」
グラスブルーに帰ってからの私の在り方は、今までとさして変わりませんでした。暗闇……影の中で、地上の世界を眺めているだけ。
今までとの違いは、単身で行動出来ないということ。私は影の世界の海になりましたから。
自分の体がどうなっているのか視認は出来ませんが、潮騒の音が常に聴こえてきています。優しい響きで心が落ち着きます。
コウ君は私とお別れをした後もクラシニアにいました。ナナと妹さんが二十歳になるまで待機して、ソウジュ様が現れるのを待つ。その予定通りに。
しかし、私はその目的が徒労に終わったことを知ってしまいました。影の世界から、見ていましたから。
ソウジュ様は次の目的地がクラシニアにあることを知ってからも、その中に入る踏ん切りがつかず、しばらくは当てもなく砂漠をさまよっておられました。正式に神竜様と成ってからは敵なしの強さを誇りますが、生前に受けた心の傷はそれだけ深いのです。
その夜もさしたる意味もなく砂漠のいずこかで野営をしていました。
そこへ静かに歩いてくる人影に、ソウジュ様が気付かないほど鈍感ではありません。傭兵として経験が豊富ですし、砂漠には野盗も出没しますから。ですが、接近すればするほどその人影に敵意のないのを感じて警戒を緩めます。足取りに緊張感がないのです。
「太陽竜様ですか?」
腰よりも長い赤い髪が、砂混じりの夜風に吹かれています。微弱な風ゆえ振り乱れるというほどではありませんが、うっとおしいので結ぼうかなと白いリボンで結わえ始めました。出てくる前にしておけば良かった、なんてぼやきながら。
「君は……?」
目標の人物が。それもいずれこの手にかけなければならない相手が、自ら自分の前にやって来た。千年もの間、修羅の如き過酷の中で生きてきたソウジュ様からしてもこのような経験は過去になく、ただただ戸惑っておられます。
「私はルナ・クラシニア。今夜、ここへ来れば太陽竜様とお会いできると月光竜様から教わって出てきたの」
そう名乗ります。ナナの妹さんだということは、その顔を見れば一目でわかります。とても、よく似ていますから。顔立ちだけでなく佇まいも、ふとした動作の癖も。同じ場所で育たなかったというのに、やはり双子というものは不思議な存在ですね。
「僕に会いに来るということが何を意味するのかは、月光竜から聞かされていないのか」
「教えてくれましたよ。だからこうして来たんじゃない」
「ならば……死にたいのか?」
「まさか。死なずに済むのなら死にたくない。でも、その運命は避けられないんでしょ?」
それも月光竜様からの入れ知恵とのこと。月光竜様の未来予知は、「努力すれば叶うかもしれない」という可能性そのものを打ち砕きます。いつだって。
私が自分の選ぶ道を決定づけたのも月光竜様との邂逅が決め手でしたし、ルナも同じような成り行きだったのでしょうね。
「私は今夜、十九歳になったわ。共に生まれた姉は私が二十歳になるまであがいて、私を助ける道を探してくれると言った。でもそれは叶わぬ夢だそうで。だったらせめて、残りの一年間、私はクラシニアの外で生きたい。そう、決めたの」
その決意は、まさにソウジュ様だからこそ深く心に突き刺さりました。生前の自分の境遇を思い起こしたでしょう。
今夜、ナナはクラシニアの王宮に入りました。ルナと入れ替わりに。彼女の目指した目標は果たせないまま。このままでしたら彼女は今後、王宮から出る自由のない女王となる。
それでも、十九年は外の世界で自由に生きた。たった一年しかそれが出来ない私からしたら十分楽しめたはずでしょう。その事実をナナに突き付けると、彼女はとても、ルナの望みを跳ね除けることなど出来ませんでした。
ルナの自由を願って、彼女の環境を少しでも改善したくて。そのために努力し続けてきたナナの思いはどうやら一方通行で、ルナ自身の願いとは必ずしも同じではなかったみたいです。
……フウ君のためにコウ君が必死の思いで作りあげた世界が、フウ君の望む世界とは違ったのを思い出します。
「あなたが私を殺めるのは一年後。それまでは私を庇護して、出来るだけ多くの場所へ連れて行って。この世界の少しでも多くを味わわせて。あなたの本当の目的を考慮したら、私はこれくらい望んだって罰は当たらないでしょう?」
いつか神罰を受ける私が「罰は当たらない」なんて、まったく可笑しい表現だけど。ルナは自嘲気味に笑います。
「……そうだな。君の言う通りだ」
神罰を受けてしまう体を、神器によって介錯する。そんなの建前の、手前勝手な理由でしかない。こうして手を汚し続けてきた本当の目的……これまで殺めた赤い髪の傀儡竜達からしたら、一方的な惨殺に過ぎない。
ソウジュ様の胸の内も、自虐、自罰でいっぱいでした。
生まれ育った環境も、内面も似通ったふたり。いずれ殺し、殺される関係だというのに、相性が良さそうです。あまりにも残酷な関係ではありませんか?
生まれ故郷のクラシニアに背を向けて、ふたりは歩き出しました。夜の砂漠を。この時点では親愛も情愛もまるでなく、しかし同じ終着を目指し、同じ道を歩いていく。
最初こそそうでしたが、ふたりはなんだかんだ、孤独ではないふたり旅を一年間全うして。その旅路は割合、幸せそうな風景だったように私の目には映りました。
クラシニアに置き去りのコウ君は、ナナとの公的な面会によって訪れたヒー君によって事情を知らされました。
そしてコウ君はクラシニアから出立しました。それは生まれて初めての、ひとりぼっちの旅路。残り数十年後に迫る、約束の千年目を目指して歩き出したのでした。




