9話③ 夢幻竜の休息
「あんれぇ~? お兄さん、かわいらしいもん持ち歩いてるのねぇ」
コウ君がくまのそーちゃんを連れ歩くようになってからは初のアルベイユ出版会です。当然、売り子さんは目につくそーちゃんを餌に客引きを仕掛けてきました。
コウ君に声をかけたのはすらりと背の高い、濃い茶色の長髪を三つ編みにして、頭の高い位置で結わえた女性。本を置いた卓に手を着いて立っていて、ちょいちょいとコウ君を手招きしています。招き猫でもあるまいし、といったところですがコウ君は至って素直な性格でして、そういう動作にはついつい釣られて歩み寄ってしまいます。そういうところ、かわいらしくて好きだなぁと私は思います。
「ちょっと待って、へれるちゃん! こちらのお客さん、腕にもなんだか珍しい物つけてるんですけど!」
へれるちゃん、と呼ばれた女性の隣で椅子に座っていた女性が、驚嘆しつつがたりと派手に音を立てて立ち上がります。こちらも茶髪ですがへれるちゃんよりは明るい色で、両側に紐で結んでお下げ髪にしています。彼女は私と同じくらいの目線の高さです。当然、彼女からは私の姿は見えませんが。
「どれどれ……統一軍の、個人識別の十字架? 本物だったら骨董品だけどそこんとこどうなんでしょ」
「本物。先祖の形見で、代々伝わってる家宝なんで」
代々どころか、受け継いでから今日までずっとコウ君が所持しているのでそれは嘘です。家宝同然であるのは本当ですが。
「形見かぁ。だったらおいそれと触らせてくださぁいなんて言えないよ。残念だったね、のるん」
「別に構わないですけど。返してくれるなら」
「マジですかぁ! すすすぐ返すんで、模写もさせてもらっていいです!?」
「はぁ。どうぞ」
コウ君は手に持っていたくまのそーちゃんを卓に置き、右の二の腕に巻き付けた十字架を外してこれも卓に置きます。のるん、と呼ばれた彼女は涎をこぼしそうになりながらそれを慌てて啜り、愛用と思わしき筆記帳に急いで模写を始めます。
「どっちがお客さんかわかんなくなっちゃった。ごめんなさいねー」
「こういうのも旅の思い出だし。それにしても、一瞬見ただけでこれが統一軍のものだってよくわかるもんだ」
「あたし達の専門分野、歴史学なんで。作ってる本もそっち方面なんだよね」
「待ってる間、読ませてもらっていいかな」
「どうぞどうぞー、喜んでー! これ、最新刊」
へれるちゃんから本を受け取って、コウ君がそれを開きます。私はコウ君の後ろに回り込んでご一緒に拝読します。
「これは歴史本じゃなくて、その調査のために各地を旅した時に泊まった宿での体験をまとめた実話か。挿絵もついてて凝ってるな」
「ところがどっこい、歴史要素もちゃーんとあるんですよー。挿絵は見ての通り、のるんが旅先で書いたものですね」
「あ、アルディア村。ここ、オレの故郷なんだ」
「奇遇ですねぇ。あそこの伝統のお祭りも研究のし甲斐がありますよ」
もう百年単位で訪れていない懐かしい故郷の現在の姿に触れられてコウ君は嬉しそうです。本としては真ん中くらいの頁なのですが、そこから読み始めました……。
「村の真ん中くらいの位置にあるお宿に、私達の探し求めているあの手記と思わしきものを発見。今夜はそちらの宿に泊まって熟読する……宿の名前はリークイッド……子供の頃に書いたような文字で最古の手記を発見した可能性も……んん?」
その描写にはちょっと捨て置けないものを感じて、コウ君は首を捻ります。
「あなた達が探してる手記って?」
「作者の名前は書かれてないんですけど、同じ筆跡の何者かが書いたと思わしき手記が、三大陸のあちこちの宿屋に置かれてるんですよ! あたし達も歴史の調査でけっこう色々出かけてまして、最初に見つけた時は『へぇー』って感じだったんですけど。別の宿屋でも見つけた時は背筋がぞっとしちゃいましたね」
「恐怖だったよねー」
「手記の内容自体はその人の単なる日常なんですけど、おそらく数百年に渡って書かれてるっぽくて、その折々の時事に触れられて面白いんですよー」
「子供に継がせてるのか、それとも……あの有名な大賢者ミモリ・クリングルみたいに不老不死になった人が書いたのかな!?」
へれるちゃんとのるんさんは大盛り上がりですが、コウ君はおそらく冷や汗だらだらです。
「筆跡が似てるだけの別人が書いたもので、置いてあるのも単なる宿帳って可能性は? 同じ人だってどう特定してるんだ」
「あれぇ? お兄さん意外と疑り深い?」
へれるちゃんが心外だ、とばかりに口を曲げます。
「その人の手記、最後の頁に毎回同じ文言が書かれてるんですよ」
のるんさんは模写の手を休めないまま、答えます。
「親愛なる我らが父に、私達の生きる景色が届きますように。ってね。なんとなくだけどこの『我らが父』って、最高神の太陽竜様なんじゃないかなーと思うんですよね」
「太陽竜信仰に厚い人なのかもね。今後も各地の宿で手記を探して考察して、ネタがたまったら本にしていこうと計画してまして」
「本業の歴史本のおまけって扱いですけどね」
「そ……ですか。じゃ、せっかくだし一冊……」
「やったぁ、お兄さんがこの本のお客さん第一号ですよ! お買い上げありがとうございマース」
へれるちゃんは満面の笑みでコウ君からお金を受け取り、本を手渡してくれます。
「ちょうどこっちも描き終わりましたよ~。ご協力ありがとうございましたぁ! これ、せっかくなんでお兄さんの分も描いてみました。旅の思い出に良かったらどうぞ!」
のるんさんの描いていたのは統一軍の十字架だけではなく、背景として一緒にくまのそーちゃんを描いてくれていました。自分用とコウ君用の二枚をこんな短時間で仕上げて、色鉛筆とはいえ色まで塗ってくれています。
「ありがとう。連れが喜びそうだ」
「お連れさん?」
「この会場にいるよ。オレは付き合いで来ただけ」
「なーるほどー。そのくまちゃん、お連れさんの方が出版会漁りガチ勢でお兄さんが預かってるんです?」
「それに近いかな」
「こういうとこに付き合ってくれる相方でお連れさん幸せですねー」
「あちこち付き合ってもらってるのはオレも同じだから。お互い様」
「ますます妬けますねぇ。ひゅーひゅー」
へれるちゃん、のるんさんは交互におだてます。本を買ってくれた人へのお礼も込めてこうしてやり取りをするのも楽しみのひとつなのでしょうね。
彼女達はコウ君と連れ……私ですが。幸せな関係だと言ってくれてそれはもちろんではありますけれど……。
お友達同士で同じ興味の対象で、それを調査することが何よりの楽しみで、一緒に本を作るほどに傾倒している。そんな関係もなかなかに得難くて幸せなんじゃないかなぁと個人的には思いました。
次にお会いするまでに数年もの開きがありましたが、のるんさん達の本をお土産にパー様を訪ねてことのあらましをお話ししました。
「他者の創作物に関心を抱いて、それに関する考察をまとめた本ということか? これはまた珍しい物を手に入れたものだ」
ありがたく読ませていただこう、と、普段は仏頂面のパー様がにこにこ顔で受け取ってくれます。ほらほら、この顔が見たくて私はお土産選びが楽しみなんですよ。とコウ君に何度も言っているのですが、そうか? と毎回軽く流されてしまいます。
「それにしても、貴殿の個人的な日記を宿帳に紛らせて保管してくれないかと、持ち歩きの日記帳が埋まる度に各地の宿で交渉してきたなどと……その試みこそ珍妙だな。何のためにやっているのだ、そのようなことを数百年も」
「ソウ兄だって野宿なんかそうそうしないだろうし、どこにいるとしても宿には泊まるなり食事に立ち寄るなりするだろ? オレの書いたもの、どこかで気まぐれにでも目にしてくれないかなーと思って」
「そんな限りなく薄い可能性のために日々日記をしたため、自分の手の及ばない場所に放置して去ると……それを数百年か……」
そう呟きながら聞いた話を頭の中で整理整頓しているらしいパー様の表情が、みるみる恐怖に染まっていき、それが目にも伝染してそのままコウ君に向けられます。
「貴殿はもしや、気が狂っているのかな? 数百年前から」
「最上級の侮辱じゃないか……? シーにもよく言われるけど、そこまでおかしいかなぁ」
「半分は冗談だ。人より長い生涯の余暇を埋めるために、それが貴殿なりの解消法だというなら他者がとやかく言う謂れもないよ」
「パー様の病的な活字中毒だって見る人によっては狂った度合と言えなくもないですもんね?」
「やかましいわ。それはさておき、先ほど薄い可能性とは言ったがな。太陽竜めは確かに、宿で過ごす夜、気まぐれの退屈しのぎに閲覧自由の過去の宿帳に目を通すことがあった。貴殿の置いた日記を目にしたこともないとは言い切れないな」
それは良いことを聞かせていただきました。パー様は五十年もの長きに渡ってソウジュ様と旅をしていましたから、説得力のある情報です。
自分自身の楽しみと呼べそうなものを今やすっかり放棄してしまっていそうなソウジュ様ですから、ひとりの時間をそのように楽しんでいるかもしれない。その可能性を感じられるだけでも私としては少し安心出来ますし。




