7話② ノア・グラスブルー(前)
そのお部屋には寝台がふたつ並んでいましたが、窓側に置かれたそれは誰も使っていません。ドア側に置かれた寝台で目覚めたフウ君は、朝の身支度をして一階へ下ります。
お隣りのベッドの空白に若干の違和感を覚えて、ちらりと目をやりますが、すぐに気付かなかった振りに努めます。
「おはよう、フウ。ゆうべは良く眠れた?」
温かな朝食を用意してくれたお母さんに生返事をしてから朝の挨拶を返し、食卓に着きます。平皿で湯気をたてるコーンスープを味わいます。
「フウ、父さん今日からまた出稼ぎだから。留守中母さんのことを頼んだぞ、いつも通りによろしくぅ!」
一足先に食事を終えていたらしいお父さんが、どたばたと出かけていきます。お母さんは体が弱いから、体調に気遣ってあげて欲しい。いつものことですので、わかってるよ、いってらっしゃい、とだけ答えます。
フウ君だってもう立派な大人ですから、食事を済ませてお勤めに出かけます。
生まれ育った村の、見知った風景……そのはずなのに、毎日毎日、酷く違和感を覚えてなりません。
アルディア村を行き交う人々の中に、自分の知り合いがいない気がするのです。お年寄りの比率も多すぎて、逆に子供は少なすぎるような。自分の同年代の若者はそれ以上に少ないです。フウ君には友達がたくさんいたはずなのに……覚えのある彼らの姿に出会えません。漠然とした不安に、胸のもやもやは日増しになっていくばかり。
自身の内面をごまかしながらも、それからさらに何日も、フウ君は日常を過ごしました。ある日、ふと気になって、二階の窓から村の通りを覗き見ます。
赤い髪の青年がこちらを見上げていて、一瞬だけ目が合いました。青年は驚いたような顔で気まずそうにそそくさと目を逸らし、足早に去っていきます。なんだったんだ、一体。不審者かな。ほんの少しの苛立ちを覚えながらも、目に焼き付いたのは彼の赤い色の髪でした。
何故だか唐突に自分の髪の色が気になって、洗面所に向かいます。
「……は?」
洗面所の鏡に、自分の姿が映りません。そも、昨日まで普通にここで顔を洗い歯を洗いしてきたというのに、なぜ今日まで気が付かなかったのでしょう。
混乱しながらも他に手段が思いつかず、自分の髪の毛を一本抜きました。よくよく見て……何度見返してもそれが黒いことに混乱します。
「違う……俺の髪はこうじゃなくて……黒い髪だったのは」
父親も母親も髪の色は黒。その息子である自分も黒髪なのは何の不思議もなくむしろ自然なくらいなのに。自分の内面が全力でそれを否定してきます。
「あっ……フウー? 朝ご飯はどうするのー?」
考えれば考えるほど頭がおかしくなりそうで、フウ君は愛する母の声も振り切って外へ飛び出しました。
考えた末に足が向いたのは、森の奥を抜けた岬に作った秘密基地。大人達にも兄弟にも内緒で、友達とだけで作った集合場所。基地といっても別に家のような形にしたわけではなく、村で捨てられる家具を譲り受けて仲間で頑張って運んで、遊び道具を詰めたり並べたりしただけの、漠然とした空間でしかありません。
どうにかそこへ辿り着きましたが……フウ君達の集めた家具はそこになく、それどころか。
「なんだよ、これ……っ」
岬……岸壁になっていて船は着けませんが、そこからは海が眺められます。そのはずでした。
海があるはずの場所には真っ黒な壁が空高くまで積み上がって終わりが見えません。そこで世界が終わっているのです。
「気付いちゃったんだ……」
後ろから聞こえた声に、フウ君はびくりと震えあがります。こんな不気味な、逃げ場のない場所で見知らぬ人とふたりきりなんてぞっとします。
恐る恐る振り返ると、そこにいたのは今朝、二階の窓から見た赤い髪の青年でした。フウ君が怖がっているのに気付いて、申し訳程度に微笑みます。……何故でしょう、フウ君も私も会ったことのない人のはずなのに、慣れ親しんだ人と向き合っているような気持ちになってしまうのは。
「ボクはノア・グラスブルー。この世界の終わりを待ってるんだ」
こんなにもおかしな自己紹介だというのに、今目の前にそびえ立つ黒い壁の存在を思うと霞んでしまい、特に引っかかりもなく受け入れてしまえました。
「でも、どうして気付いたのかなぁ。普通に平和で、大好きなお父さんもお母さんもいて。不満なんかないはずじゃない」
「俺は両親に会ったことなんかない……それに。ここにはコウもユウ兄もいないから」
いくら幸せだって、都合が良くたって。実際にはなかったものを見続けたら猜疑心も生まれます。実際にはあったものがまるでなかったように見過ごされ続けたらなおさらです。
お世辞にも仲の良い兄弟ではなかったとはいえ。赤ちゃんの頃から両親のいない寂しさを共有してきたコウ君の存在は、やはりフウ君にとって切り離せないものだったのですね。
「気付いちゃった以上はここにいても仕方ないし、どう? ボクと一緒に来る? ……まぁ、ついて来たところで目指す場所は終末しかないんだけど」
だったら細かい矛盾に目を瞑って、生まれ故郷のこの村で、大好きな両親と終末を待つだけの日々でも良い気がするよ。ノア君はあっけらかんと言ってのけますが。
「ついてっていいって言うなら……行きたい」
「へぇ? どうして?」
「いくら都合が良くたって、こんな作り物丸出しの故郷なんて逆に気持ち悪いんだよ。違和感しかないし」
「あーらら……ある意味、君のためだけに作った世界みたいなものなのに。報われないねぇ」
ここにはいない誰かに心底同情するような顔で、ノア君は嘆息します。
「そこまで言うならいいよ、一緒に行こう」
ノア君が黒い壁に手を着けると、彼の足もとから白い板が出現して、それが次から次へと黒い空間に飛んでいきます。一定間隔で空に向かって並び、階段になったみたいです。
「ちゃんと気を付けたら大丈夫だとは思うけど、落ちたらまずいし、一応手を繋いでいく?」
「……悪いけど、ちょっと怖いから」
「気にすることないって。初めてなんだからさ」
差し出された手を握って、一歩ずつ慎重に、階段を上がっていきます。真っ暗闇に浮かぶ白い板に立ち、空へ向かって歩いていく。あんまり恐ろしくてフウ君にはちっとも余裕がなく、握った手に力を入れ過ぎてしまいます。
幼い頃。ユーリと手を繋いで歩くのはよくあることでした。このような接触に飢えていたわけではない、それなのに……。
思い出されたのは、コウ君ではないコウ君が初めて差し出してくれた小さな手。それを拒まず受け入れると決めて、ふたりで歩き出したあの日の気持ちでした。
しばらく上がり続けると、突然に黒い空間が天井に当たりました。しかし物理的干渉はなく、黒い天井は何の抵抗もなく頭を突きぬけます。
まるで地面に首から生えたみたいな奇妙な状況になり、フウ君はその状態のままきょろきょろと周りを見回します。
「ちょっとちょっと、まだ階段終わってないよ? 最後まで油断しないで上がりきらないと、足踏み外しちゃうってば」
それはやばいと思い直し、足元を見ようとしますがうまくいきません。慣れているというノア君に合わせるようにしてどうにか上がり切りました。
そこは灰色に舗装された長い長い一本道でした。空のただ中にあります。しかし、先ほどまでフウ君のいたアルディア村から空を見上げても、こんなものは見えなかったはずです。
一体この世界はなんなんだ、と改めてノア君を問い詰めたかったところで、道の先に佇む人影が目に入りました。
「ごめん、説明はひとまず後にして、あの人を紹介させてくれる?」
人影は微動だにせず、ノア君は小走りにそちらへ向かいます。フウ君も付き合って駆け足になります。
間近になってみると、その方は女性でした。丈の短く袖のない黒いワンピース身に着けて、頭には毛糸で編んだような帽子がちょこんと乗っかっています。服は涼しげなのに頭は暑そうな素材でちぐはぐじゃないか? とフウ君は感じました。
髪の毛の色がサクラ色なおかげで、私は思わず親近感を抱いてしまいます。
「この人はヒナ。めったに喋ってくれないんだけど、ボク達の大切な人なんだ。これからずっと一緒だからフウもよろしくね」
「よ……よろしく?」
一応、挨拶だけはしておきましたが、彼女は言葉を発しません。ちらりとフウ君に目をやりますが、すぐにあさっての方向へ目を背けます。
私達とはまた違った三人の長い旅は、このようにして始まりました。
イリサ「明日からはようやく、私自身の旅が始まります。
久しぶりの外の世界を楽しませていただきます~」




