5話② コウ・ハセザワ?
診療所に担ぎ込まれたコウ君は、十日ほど昏睡状態が続きました。頭を強く打ったのもあって無闇に動かせないということで、入院用の個室の寝台に横になっています。頭は包帯でぐるぐる巻きですが、肩の方は脱臼だったようですでに処置が済んでいます。
いくら仲が良くなかったとはいえ、コウ君を失えばこの世で唯一の家族がいなくなり、天涯孤独の身になってしまう。それも自分の手で殺めてしまったことにもなる。フウ君は後悔と恐怖に苛まれながら、病室から出られずに過ごしていました。
「……いやー、意外だなぁ。フウってあんがい、コウを嫌いじゃなかったってことなの?」
村での知り合いが極端に少ないコウ君にはお見舞いもなく、隣家のカイン君だけでした。そのカイン君だって、コウ君の容体よりもフウ君の精神状態を心配しています。
「……ユウにいから聞いてたんだ。コウが泣いたり弱かったりするのはコウのせいじゃなくて、悪い夢に憑りつかれてるからなんだって。だからユウにいがいなくなったら、コウがちょっとでも楽になれるようにおれが助けてあげなきゃいけないんだって」
そんな事情があると知ってもなお、お兄さんなのに情けないとか、周囲の人達からのからかいとか、様々あって。コウ君のことを受け止めきれなかったのですね。
それはきっと幼さゆえで、ふたりがもう少し大きくなったら自然な関係になれたのかもしれません。
先に気付いたのはカイン君でした。寝台の脇で膝を抱えて蹲っているフウ君には、横になっているコウ君の姿は見えませんから。
コウ君が目を開けて、ゆるりと身を起こす姿を見て、カイン君は言葉を詰まらせました。コウ君が言葉を発する前から、異常に気が付いたからです。
「コウ……だよな……?」
カイン君が呆然と発した言葉に、フウ君も立ち上がってコウ君を見ます。あんなに待ち焦がれた目覚めだったというのに、フウ君も素直に喜べません。
コウ君の目は真っ黒……ではなく、「まっくら」でした。どこを見ているともわかりません。
これまでのコウ君はなかなか人と目を合わせなくておどおどした表情が常でしたが、その目は確かに感情を、光を宿していました。
それが、今は。まっすぐフウ君やカイン君のいる方を見ているはずなのに、その目が彼らを映しているように見えないのです。感情が沈んで窺えません。
「コウ……なまえ……コウ・ハセザワ……」
カイン君達には聞こえないよう気を付けつつ、彼は「で、いいんだっけ」と呟きます。声だけ届かないよう配慮したところで、かすかな唇の動きが彼らの猜疑心を刺激します。
フウ君が立ち尽くし動けないのを見て取って、カイン君が急ぎ、診療所の先生を呼んできます。
「自分のことがわかるかい?」
「なまえ……コウ・ハセザワ。かいだんからおちて、けがして……おとうとが、いる」
「そう……弟さんの名前は?」
「おとうとのなまえ……フウ・ハセザワ」
「じゃあ、この子は誰かな?」
先生も異常を感じて、フウ君を自分の前へ呼び、両肩を押さえて彼の目線の先へ立たせます。
「……だれ……?」
先生がフウ君の体を押さえていたのは、ショックを受けて脱力するのを防ごうとする意図もあったのでしょう。フウ君は力が抜けて、先生の体に寄りかかりました。
「この子は君の弟の、フウ君だよ」
「フウ……そっか」
このこがそうなんだ、と、今度は口に出さず頭の中だけで考えました。
「おれはここでやらなきゃならないことがあるから、おれの体はしばらくソウが使ってていいよ」
「……そういうのって、していいものなの?」
いくら幼いそーちゃんでも、無意識に良心が咎めたのでしょう。
「おれは、おれにしか出来ないことをする。そのためにここにいないといけないんだ。その間誰もあの体を使わないでほったらかしにするんなら、必要な人が使った方がいいじゃないか。ソウだってもう一度、外で生きてみたいだろ」
「う~ん……」
想像してみました。外の世界に行ったところで、あの頃会いたかった人達……私やコウや、家族はそこにいません。……それでも。
「そと……でてみたい」
結論はやっぱり、そういうことでした。たった四年しか外で生きられなかったそーちゃんが、もう一度生きてみたいと思う心まで、誰にも咎められません。コウ君自身がそうしていいというならなおさら。
「じゃあ決まり。守って欲しいのはひとつだけ。フウの兄ちゃんは続けて欲しい……」
と、言いかけたところで。推定四歳前後のそーちゃんに、八歳のフウ君のお兄さんになってもらうのは無理があるのでは? とコウ君は考えました。
「あえたことないけど、ソウもおとうといるみたいだから。おとうとってこんなかんじかなっておもいながらやってみる」
「それでなんとか……試してみるか」
まぁ、なんとかならなかったら諦めればいいか。ユウにいとの約束だからフウにはコウ・ハセザワという兄が必要だと思うだけで、フウにとってのおれはそこまで重要じゃなさそうだし。
そんな風にコウ君は自己完結してしまいました。今現在、コウ君を失ったフウ君が。戻ってきたと思った兄の中身が「コウ君ではないらしい誰か」になっていることにどれほど傷つき、混乱しているか。その様子を一目見てくれさえすれば、自分の認識が間違っているとわかるはずなのに。
そして、体を失ってしまった第三者に「コウ・ハセザワとしてその体で生きて欲しい」と頼むこと自体が……一見親切なようで実はとても残酷なお願いをしているのだということに、幼いふたりはまだ気が付かないのでした。
しばらくは毎日診療所に通って診てもらうという取り決めで、コウ君は目覚めてすぐに退院しました。
アルディア村は曲がり角ひとつない一本道の両側に家の立ち並ぶ構造上、住み慣れた者が道に迷うなどほぼ不可能。にも拘わらず、病院を出たコウ君は自分の帰る場所がわからず、一歩も動けません。コウ君の体の中にいるのはそーちゃんなのですから、コウ君の家の場所など知らなくて当たり前です。
「なぁ、コウ? おれが誰だかわかる?」
いつまでも動き出す気配のないコウ君にしびれを切らせて、カイン君がそう訊ねます。
「えーと……あたまをぶつけて、きおくがとびました」
わからないことがあったらそう言ってごまかそう。コウ君とそーちゃんが相談して決めた言葉をそのまま口にしました。
「うーん……ここまで稚拙だといっそすがすがしくすらあるわなぁ」
八歳のお子様だというのに、カイン君は難しい言葉を知っていますね。お家が客商売だからでしょうか。
「まあいいよ。フウにとっちゃーいち大事なんだろうけど、ぶっちゃけておれは違和感覚えるほど話したことないし。いつまでも突っ立っててもしょうがないからいったん帰ろうぜ」
「……おなかすいた……」
十日ほど、お薬により必要最低限の栄養しか摂取していないコウ君は当然ながらお腹がぺこぺこでした。
「フウ、金持ってきてる? ……わきゃないよな。今日はうちの店でおごってやるよ」
「……そんなの、カインの姉さんに話通さないで、勝手に決めていいの?」
「こんな事態もあるかと思ってあらかじめ相談してあるんだよーだ」
これまた八歳とは思えない行動力です。いつコウ君が目覚めてもいいように……さすがに目覚めるのがコウ君本人でないとは予想出来るはずもないので、その点は除外するとして。フウ君がお金を持っている場合とそうでない場合のどちらも想定して根回ししてくれていたみたいです。
「つっても毎日めんどうみてやるわけにゃーいかないし、明日の朝からは自分達だけでなんとかしろよな!」
この場面に限らず、カイン君という第三者目線があったことは、コウ君にとってもフウ君にとっても大きな助けになってくれました。
「むー……ねれない……」
十日間眠りっぱなしだったコウ君の体は、夜になってもちっとも眠りを求めませんでした。
かつてのコウ君がそうしていたように、窓に肘をついてアルディア村の通りを眺めています。あの頃と違うのは時間帯が深夜で、人通りがほぼほぼないこと。
フウ君は隣の寝台で、コウ君のいる方からあえて背中を向けて、呼吸を妨げない最低限だけを残して布団に全身を隠すようにして眠っています。
部屋のどこかから、ぐすぐすと小さく鼻をすする音が聞こえてきて、コウ君はその音の出どころを探すことにしました。
まぁ、他に考え難いですが、その音はフウ君が出しているものでした。眠りながら、寝言と共にぐすぐすと泣いていました。
「ごめん……コウ……ユウにい……。会いたい、よぉ……」
コウ君はフウ君の顔がよく見えるよう、すぐ横に膝をつき。先ほど窓辺でそうしていたのと同じ体勢になります。
……こういうとき、おとうとがいたらどんなことしてあげるかな。フウ君にはそういう気持ちで接すると、コウ君と約束したから。
「……ねんねこ~、……ねんねこ~……」
赤ちゃんの頃に歌ってあげた、子守唄。何せ赤ちゃんでしたから、うろ覚えだったのでしょう。それでも覚えている範囲で精いっぱいに歌います。フウ君の頭を撫でながら。
その日は眠れないんじゃないかと思っていましたが、フウ君のために動いたことで結果的に体が少し疲れたのか、その体勢のまま寝落ちしていました。
翌朝目覚めたフウ君は、目を開けたらそこにコウ君の寝顔があることに、布団を跳ね飛ばす勢いで驚きます。自分が寝ながら泣いていたことも知らないですし、彼にとって今のコウ君は得体のしれない存在になってしまっています。カイン君のようにすぐ割り切れるはずもなく。
「ちょ……っと、頭ケガしてるのに……そんな不安定な寝方したらダメじゃ」
恐る恐る、極めて弱い力でコウ君の右肩をつついて起こします。眠りが浅かったらしいコウ君はすんなりと目覚めて、
「……おはよー」
寝ぼけ眼で、一言。なんてことのない、朝の挨拶。でも、今までのコウ君とフウ君はそんな挨拶すら交わさず一緒に暮らしてきましたから。
「お……おは、よう」
「あさごはん、かいにいく?」
「うん……」
「じゃ、いこ」
コウ君はすっと立ち上がり、まだ寝台の上のフウ君に手を差し出します。
「なに、これ」
「……? ごはんかいにいくときは、てをつないで、いっしょにえらぶ……ちがう?」
思い出している風景は……きっと、私や彼との旅暮らしの朝の支度ですね……。どこまで鮮明に覚えているかはともかく、忘れないでいてくれている事実が純粋に嬉しいです。
「ちがわない、けど……そんなの、したこと」
父親は、自分達が生まれるより前に。母親は生まれた時に、それぞれ亡くし。ユーリは弟達に不便を感じさせたくなくて、基本的になんでもやってあげていました。かつてのコウ君も、フウ君を頼ろうとしませんでした……。
「……どうして、ないてるの?」
フウ君の心中は複雑でした。目の前にいるのは明らかに、自分の兄ではない誰かなのに。容易く受け入れて良い存在ではないはずなのに。
お互いに素直になれなくて仲良く出来なかった兄よりも、純粋な行動で接してくる……。そんなの、拒絶したいわけがないじゃないですか。
「……ひとりでいって、かってくる」
幼いとはいえ、男の子です。泣いているところを見られるのはフウ君にとって居心地が良くないかなと理解して、気を使ったつもりでした。
「まっ、て。い、いっしょに、いく」
とっさに、フウ君は身をひるがえそうとしたコウ君の服の裾を掴みます。このままひとりでコウ君が買いに出たら、あの頃のような距離感を繰り返してしまうような気がしたのです。
「……その前に、コウ。寝間着のまま出かける気?」
「あ。わすれてた」
その事実に気が付くと、急に頭が冷静になって、フウ君の涙も引っ込みました。




