4話③ 源泉竜の終着
何百年振りのことでしょう。私は目を覚ましました。
もし、私とクエスが繋がっているのだとしたら、この気持ちが彼に伝わってしまうかもしれなかったから。意図的に目覚めようとしてそれが叶った形です。
「そーちゃん……あおちゃん……」
双子の赤ちゃんを見ていたら懐かしくて、遠い昔を思い出してしまいました。浮かんだのは幸せな思い出ばかりだというのに、どうしてこんなに悲しいんでしょうね……どうしても何も、最終的にはそれが理不尽に失われたからに他なりません。我ながら白々しくって自嘲します。
せっかく起きたのだから久しぶりにエルとお話ししたいなと思って彼女の姿を探します。私の眠る定位置となっている、枯れ木の立つ丘から少し離れた場所で、彼女は仰向けに転がって空を眺めていました。
私に気が付くと彼女は体勢を変えないまま、お久しぶりですわねと挨拶してくれました。せっかくなので私もその隣で同じように横になってみます。
「あれは……なんでしょうか?」
薄紫色に暮れかかった空を、羽の生えた大きな爬虫類めいた生き物がゆったりと飛んでいきます。
私自身、薄々わかっていながら呟いたのですが、エルはなんでもないように「竜でしょうね」と簡素に答えます。
「この周辺に今でも竜などいたのですか?」
「グラスブルーには時の流れがありませんの。今見えているのは神話時代の風景なのかもしれませんわ。ささやかながら退屈しのぎになりましてよ」
「エルがここへ来て二百年ほどになりますよね……」
「体感では二百年とは感じていないみたいですわ。そうでなければ気が触れてしまいそうではなくて?」
この場所に時の流れがないから、私達の精神も時の経過を感じていないのでしょうか。ありがたい作用ではありますが、それでも退屈には違いないのでは。下手につついて現状の不満を述べていない彼女から藪蛇を出してしまう結果になっては良くないので黙っておくことにしました。
コウ君はずっと泣いていました。
赤ちゃんの頃はもちろん、むしろその頃よりも今の方がずっと泣いています。もう六歳になるというのに、一日の大半を泣いて暮らしていました。
「フウ~、遊びに行こうぜ~」
双子の弟のフウ君は今日も、村の同年代の友達に誘われて外へ遊びに出かけました。もう家で泣きながらお留守番するコウ君をちらりとすら見ようとしません。
物心ついて間もなく……四歳くらいの頃にはまだ、フウ君がコウ君を心配する素振りを見せていました。五歳くらいには泣いてばかりの兄に、それを友達にからかわれるのにうんざりとし始め。やがて関心すら示さず見ない振りするようになりました。友達もフウ君自身の態度に、コウ君のことは存在そのものを無視するようになってしまいました。
コウ君はそんな周囲との関係を悲しむことはありませんでした。もっと深い悲しみに蝕まれていたから。その悲しみの正体を周囲の誰も知りませんし、コウ君自身にすらわかりませんでした。この時点では……。
この世界には孤児が多いので、きちんとした戸籍がなくても十歳を過ぎていると判断されれば、就ける仕事はいくらでもあります。ユーリもまた、血の繋がらない双子の弟を育てるため毎日働きに出ていました。
疲れて帰ってきた彼は真っ先に、コウ君の様子を見に行きます。いつも通りにコウ君はぐすぐすと泣いていました。
そんなコウ君の姿を見ても、ユーリはもはや無の感情です。機械的に、兄としての表情を作り、表面的にコウ君を慰めます。
「自分がなんで泣いてるのか、そろそろ理由わかったか?」
この質問も毎日のお決まりで、コウ君の返事もいつも同じでした。「ううん」と答えて、首を横に振る。
ところが。
「ゆめを、みる……だれか、ないて、る」
こんな生活を続けてもう数年になります。コウ君が初めて、意味のわかる何かを答えたのです。すっかり諦めきっていたユーリも久方ぶりに、心を動かしました。驚きによって。
「その人が泣いてる理由って、わかるのかな」
「だいじな、ひとが……いなくなっちゃう、から。どんなにがんばっても、だめ、だったから……おれ、も」
「コウも?」
「ユウにいも……フウ、も。いなくなっちゃう……しんじゃうきが、する」
幼いコウ君には理解不能だと思いますが、その夢はまるで予言めいていました。ユーリは二十歳になれば私達と同じように体を失いますし、フウ君も同じ年で神罰を受けるのでしょう。それはどんなに頑張っても避けられない運命です……。
「……コウ。その夢はたぶん、夢じゃなくて本当になるんだ。少なくとも、オレの方は確実に」
「え……?」
ユーリは真実を伝えるべきか逡巡したようですが、よくよく考えた末に話すことにしたようです。
「オレはもうすぐ、この家に……ふたりの側にもいられなくなる。オレがいなくなったら、フウを助けて欲しい。コウにしか出来ないことなんだ。コウは、フウの兄ちゃんなんだから……」
いたって真剣な眼差しで、コウ君の涙に濡れた幼い目を見つめながら、語り聞かせました。コウ君が全てを理解するのは無理でしたが、幼いなりに精いっぱい考えて。握った手の甲でごしごしと目を拭いました。
コウ君は不安を抱えながらも、その日以来、人前でいたずらに泣くことはなくなりました。それ以外の生活は何ら変わりなかったのですが。友達も作らず、自宅の二階の窓からアルディア村の道を行き交う人々を眺めるだけ。友達と遊ぶフウ君を見ても羨ましいとも感じない、諦観に満ちたうつろな胸の内……。
なんでしょう、悲しみという感情に支配されていた頃よりも、その後の方がよほど気の毒になったように感じてしまうのは……。私の見方が穿ち過ぎなのでしょうか?
ユーリが十九歳になると、彼はいよいよ弟達に別れを告げてアルディア村を離れることにしました。残された一年間、辺境の小村でしかない村での稼ぎよりも、少しでも多くの稼ぎを得るためR大陸の私設軍に入隊することにしたのです。間もなく養ってくれる大人を失ってしまうコウ君達のためにそう決断しました。
そこでは私にとっても懐かしい人に出会いました。ソウジュ様です。
ソウジュ様はどうやら私の最期を見届けてグラスブルーを離れて以来、自身の素性は隠しながら、各大陸に設置された王立軍や私設軍に傭兵として参加していたようなのです。ソウジュ様の体は人間のように老化も成長もしないので、長くても十年ほどの周期で所属する場所を変えていきます。
戦いなど嫌いだったソウジュ様がそうまでして軍属でいるのは何故なのか……ソウジュ様自身ではなく、ツバサ様のご意思のようです。たとえ望まぬ形で獲得した力であったとしても、ソウジュ様が努力によって身に着けた技術を損失したくなかったみたいです。
魂には記憶が、体には感情が宿る。神話時代より変わらない、この世界の理。
ソウジュ様の魂を宿すツバサ様の体はすなわち、「ツバサ様の感情にソウジュ様の記憶が宿っている」ことになります。
それは私が思っている以上に深刻で、危うい均衡をもたらしているのだということを、私はそう遠くない未来に知るのです……コウ君とあの子の出会いによって。
R大陸の私設軍、通称「支配軍」があるのはシェーラザード。農業の盛んな四方を山に囲まれた国です。
ここはなんと、桜の群生する「世界一桜の美しい名所」と呼ばわる場所なのです。私も思いがけず桜を見られそうでわくわくしていたのですが、ユーリは桜の咲く季節より前に二十歳を迎えてしまいました。
ちゃっかりおこぼれにあずかろうとした私がそれを見られなかったのは仕方ないとして。せっかく限られた生涯で桜の名所で暮らす機会に恵まれたというのに、一度もそれを見ずに死ななければならないユーリを思うと些か切ないです。彼自身はそんなものどうでも良さそうなので気にする意味もないんですけど。
私と同じく孤児であったユーリは自分の誕生日を知りません。ただざっくりと、このくらいの時期かなとあたりをつけていたに過ぎません。
明確にその日であると自覚したのは、指先が消えかかっているのを見たからです。夜、寝間着に着替えようとして服を脱ごうとしたところで彼自身が気付きました。
ユーリはソウジュ様にだけは、自分が風神竜であることも、アルディア村に双子の義弟を残してきたことも打ち明けていました。もちろん、支配軍の方々には内密に。
手の甲まで消えてしまわぬ内にと急ぎ足でソウジュ様のお部屋へ向かったユーリは、扉を叩いてソウジュ様を呼びます。
「最期に貴方に頼みたいことがある。付き合ってくれないかな」
ユーリはこのシェーラザードを最期の地にすると見定めた時から、国の中央にある小高い丘に立つ一本の大樹の根元をその場所にすると決めていたのです。誰にも看取られず消えていく……さすがにそれは悲しすぎます。それを頼めるのはこの国でソウジュ様を置いて他にいない、それも計算の上でした。
山の裾を囲うように並列する桜ですが、国の中央に立つのは桜の木ではありません。何やらとても縁起の良い木だそうで、この国の人々は結婚や誕生日のお祝いはこの木の下で、親しい人達で集まり宴をするのです。
幸い、というのもちょっと違うような気もしますが。その夜はお祝い目的でこの丘に集う人影はありませんでした。
「オレの誕生日と同じ日に、この国で良いことあった人いないんだなぁ……オレの生まれたこと自体、この世界にとっちゃあんま意味なかったし。縁起でもない日ってことかもね」
ユーリはなんだか自暴自棄になっているようで、自嘲気味にそう言います。こんな様子を見たのは、二十年近く彼を見てきた私にとっても珍しいです。
「君がいなかったら、故郷の弟達の生活は今以上に困窮したんじゃないのか?」
ソウジュ様はよくよく考えて、言葉を選んでそう問いました。血縁のない弟に半生を捧げたユーリの境遇は、ソウジュ様とツバサ様の関係に通じるものがあったから、彼に共感するところもあったのです。
「逆だよ、逆。オレがいなかったらコウとフウは父親を失わなくて済んだんだから」
母親は双子を生んですぐ亡くなったけれど、自分がいなければ父親を亡くすことはなかった。せっかく統一軍から逃れて自由の身になったというのに、彼はその罪悪感に縛られ続けていました。
ユーリは服の下に、十年間、密かに木製の十字架のネックレスを下げていました。弟達にすら極力、目に触れないようにしていたものです。それを取り外そうとしますが、彼の体はもう腕まで消えかかっていました。もはや自分で外すのは不可能と気付いたユーリは、ソウジュ様に頼んで首から外してもらいます。
「アルディア村のコウ・ハセザワに渡してくれないかな」
「これは?」
「統一軍に入隊すると支給される、個人の識別標。裏に名前が刻まれてる。コウとフウの実の父親の名前がね」
それを聞いてソウジュ様が十字架をひっくり返すと、K.HASEZAWAと彫られています。船で別れる際にクウ・ハセザワに託されたものです。
「あいつらが両親どっちも亡くしたのはオレのせいなんだから、オレが責任もって世話してやんないと……そう思ってやってきたけど……最後の一年間だけでもいいから、自分ひとりになりたいって思ったんだよね……」
それが自分の責任だとわかっていてもなお、彼は疲れ果てていたのです。彼自身も子供であった時分から、幼い弟達の命を預からなければならないこと。自分が統一軍を出たいと願い、親切にしてくれた人に飛びついたばかりにその命が失われた事実を背負って生きること。
本当の本当に心から疲れていたから、少しずつ消えていく自分の体を見ても怖れるどころか、解放感すら覚えていたのです。
「ああ……いいなぁ。何もかも無くなるって。もう二度と、疲れたなぁって思わなくていいんだ……体も、心も……」
ユーリの体は塵のように分解されていくわけではなく、存在そのものが消失していきます。巨神竜様のヒー君の体が土になって残ったことをシーちゃんは喜んでいましたが、ユーリにとってはそうではなかったみたいです。
体が残ってしまえば、コウ君達なりソウジュ様なりにその後始末を頼まなければならないという理由もあったのかもしれませんが……。
こんな風に何の憂いも無く彼は消え、ユウ・ハセザワの生涯は終わりました。
「イリサ、イリサ。起きてくださいまし!」
こうなる予感はあったのですが、私はエルに起こされました。このグラスブルーに久しぶりに新しい仲間が現れたのですから、エルが共に出迎えようと思うのも無理からぬことです。
そんな彼女に予想出来なくて私には出来る判断材料があります。私達の前に歩いてきた風神竜ユーリーンは無の表情で、「お会いできて嬉しいです」とはとても言いそうにない顔でした。無になって消えることを喜んでいた彼にとって、この状況は別段、望んでいなかったのでしょう。
「クエス・グラスブルー。聞こえているか?」
私達への挨拶もなく、虚空を見るように少し目線を上へとやってユーリは呼びかけます。
「オレはユーリーン・グラスブルー。オレもそっちへ行きたい。入れてくれないか」
私にもエルにも、彼の言動はよくわかりません。首を傾げる暇さえないまま、変化が見えました。
彼の足もとにぽっかりと、水たまりのような黒い影が出現しました。魂のみの存在で実体のない私達には影がありません。何もなかった場所に突如、湧いたのです。
その影がユーリの足首から徐々に全身に侵食し、真っ黒になった後で少しずつ影に飲み込まれていきます。それは夢幻竜のクエス……コウが最期に消えた時を思い出させました。
「なんですの~? 愛想のない方でしたわね」
それにはこんな事情があるみたいで、ということは私からエルに話しました。代わり、私にわからなかったことを訊ねるとエルが答えてくれます。
「さっきユーリの言っていた、クエスのところへ行きたいってなんのことでしょう?」
「あなたがその目で見たのではなくて? クエスは最期、影になって飲み込まれて消えたのでしょう。先ほどのユーリーンと同じくね」
「はい。そっくり同じでした」
「夢幻竜とは、この世界そのものの影。グラスブルーは今や世界の中心であり全ての源。すなわちクエスは、グラスブルーの影になったのですわ。この大地に飲み込まれてね」
グラスブルーの地中にあるのは単なる地面だけではなく、影の世界があるというのです。ユーリはそこへ行きたいと。
「行って……それからどうなるのでしょう? それでクエスが少しでも寂しくなくなるなら私としては喜びたいんですけれど」
「そんな能天気な……なんの問題もないならわたくしだってとっくにあちらへ行ってましてよ」
まぁ、薄々何か問題があるんだろうなぁというのは私だって察しておりましたとも! そういえば私が能天気って呼ばれたのも実に数百年ぶりだなぁと意味なくしみじみ思ってしまいました。
「あ~あ~……ユーリったら死んじゃったんだぁ。まぁ~たつまんなくなっちゃったぁ」
精霊の森の奥深くでリリアはひとり嘆き、戯れに軍刀で己の首に刃を押し当てました。首を切り落とすまでは試さず、頸動脈に達した切り傷から鮮血が噴き出すのをひとしきり眺めて、自分が死なないことを確認します。
「やっぱり、ね。わたしを……源泉竜を殺せるのは太陽竜の神器だけかぁ」
そう溢しながら、リリアは何の悪意もなく純粋に笑います。まるでまだ穢れを知らぬ少女のように。
「だったら太陽竜がわたしを殺せる流れになるように、人の世の争いを活発化させないとね。とりあえず統一軍を動かして大陸軍と戦わせよーっ。えいえいおーっ」
私達以外の誰も知らぬことでしたが、新暦三一九年に突如として、G大陸の内乱が激化したのはこんな理由だったのです。人々が知ったらなんとも絶望的な気持ちになるでしょうね。私達の胸の中だけに留めたいと思います、恒久に。
イリサ「初めてのグラスブルー、いかがでしたか?
……はい、私はここから出られません。次に旅立てるのはいつになってしまうのでしょうか~」




