4話② 源泉竜の執着
リリアンスとシーちゃん達の紛争を始め、それからの二百年ほどは世界の激動の時代でした。三大陸はそれぞれルカ、ピノール、グランティスの王家が一応の覇権を握り、それぞれの大陸の名称となりました。
とはいえ、私にとっていかに世界情勢が動こうとも大した関心事ではありません。私達にとって意味のある動きがあったのは、新暦三〇三年になってのことでした。
「まさかあなたが実体を持って存在したなんてね……風神竜ユーリーン……!」
彼は私同様、出自のわからないお子様で、どこかの孤児院で暮らしていたようです。それを諜報活動を行っていた精霊が偶然に見つけ、G大陸のリリアンスの元へ連れ帰りました。「同胞を連れ帰ったら彼女が喜ぶだろうなぁ」程度の気持ちでしかなかったのですが、リリアンスの歓喜は想像以上のものでした。
「わたしはリリアンス。あなたはきょうだいなのだから遠慮なく『リリア』って呼んでね。わたしも『ユーリ』って呼ばせてもらうから」
きょうだいと言われても、彼……ユーリにはその記憶はありません。私も他の神竜達も、生まれて二十年経ち成体となるまではその自覚はないのです。
可哀想なことに、物心つく前にここへ拉致されてきたユーリには孤児院での記憶もありません。最初の記憶がこうしてリリアに迫られている場面であり、彼はただただ彼女に恐怖しか抱いていませんでした。
「わたし……いいえ、源泉竜はねぇ。太陽竜をも超える『無限に湧く魔力』を持っていたから、怖れるものも未知のものも何ひとつなかったのよ。ただひとり、風神竜……あなた以外はね!」
風神竜様は名前と存在こそ周知されていましたが、実体の見えない神竜でした。まぁ、「風」を象徴とするのだから目に見えなくとも不思議ではありません。魂だけでさまよっておられたのか? 何を司る神竜であるのか? その真相は今も昔も謎のままです。
「だからあなたの魂を見つけたらそこに閉じ込めておくためだけの空っぽの竜の子……『器竜』まで用意して待っていたのよ? その子はこの大陸にいないからどっちにしろ使えなかったでしょうけど……ともかく。わたしがどれほどあなたに会いたかったかわかってくれた? ねぇ、ユーリ」
リリアは元より女性としては大柄ですし、まだ四歳? 前後のユーリに圧し掛かりそうに迫り、大きな手のひらで両頬を挟むように頭を固定する。そんな行動に幼い体を震わせていました。恐ろしすぎて涙も泣き声も絞り出せない様子でした。
……そうして幼くして精霊の森に捕らわれたユーリに、私はどこかツバサ様を思い出して胸が苦しくなります。ツバサ様と違って足を固定されたり個室に幽閉されてはいないのですが、常に精霊の誰かの監視の目があり、森を抜けだすことが出来ません。
ユーリが十歳くらいになった頃でしたか、ひとりの人間の青年が精霊の森を訪れました。
リリアの率いる精霊族は「統一軍」を名乗り、人間からも兵士を募っていました。統一軍の理念は精霊族の支配で三大陸を統一すること。どこからそれだけの資金を調達しているのか不透明ですが、他の軍の提示するよりも破格な報酬で知られていました。
得体のしれない精霊の下に就くことに抵抗のあるのが一般的な感性の人の判断でしょうが、とにかくすぐに大金が欲しい人、他に勤められないわけありの人など志願者も少なからずいました。
「ん? ずいぶんちっこいのもいるんだな。おまえも兵士か……そんなはずないだろって? だよなー」
彼は典型的な「とにかく今すぐ大金が欲しい人」で、軽い気持ちで統一軍を訪れて期間限定で雇われた傭兵でした。
「俺はクウ・ハセザワ! 親の残してくれた家と体の弱い奥さんとその腹ん中の子供以外にゃなーんも持ち合わせてない果報者だぜ」
ユーリに説明した通りの事情で、彼はとりあえずの出産費用が欲しいがために統一軍に参加したのです。教育を受けた経験もなく貧しいけれど、幸せ者ではあると自負している。その独特な自己紹介で、ユーリの印象に強く刻まれました。
統一軍にいる兵士は精霊、人間問わず、リリアの不興を買うことを怖れユーリに必要以上に接触する者は少なかったです。そんな中で彼は空気を読まず、気安く親しげにユーリに話しかけ笑いかけるのです。
半年にも満たないわずかなお勤めを経て統一軍との契約を終えた彼は、妻の待つP大陸へ帰ります。その挨拶のため、最後にユーリの顔を見ようと彼を訪ねました。
その時……ユーリは思わず手を出し、クウの服の裾を掴んでしまいました。
「クー……オレ、もう、ここにいたくないんだ……」
この森へ捕らわれて一度も、誰にも助けを求めず……いいえ。意図的に我慢してそうしていたのではなく、心を許し打ち明けられる相手が誰もいなかっただけなのでしょう。初めて助けを求めた相手がクウ・ハセザワでした。
「だったら俺と一緒に行くか。ユーって兵役じゃないんだろ? 給料貰えてないんならいつ出て行ったってかんけーないじゃん」
彼はリリアがいかにユーリに執着しているのか。勝手に連れ出すことがどんな結果を招くかなど何も考えていませんでした。統一軍からの報奨金とごく一部の手荷物を入れただけの小さなカバンを左手に、右手に小さな手を繋いで森を抜けました。
私達の旅でもそうだったように、G大陸の港町へ向かうためにクウは遊牧民の馬車を雇って草原を移動していました。その馬車の中で。
「おまえの名前はこれから『ユウ・ハセザワ』な」
「ユウ……?」
「俺、でーっかいもんが好きなんだ。生まれてくる子供の名前もみーんなそれで揃えてっからさ」
おまえは俺の生まれてくる子供の兄貴になるんだよ。楽しそうだろ? 子供が生まれるような大人だというのに、そう語る彼の方がまるで子供みたいに屈託なく笑うのです。
この時点ではユーリはまだ、それを素直に楽しみだと。嬉しいと思える心境でいられました。
港町について、P大陸へと出港する間近の船の乗車券を二人分購入出来たという段階になってのこと。
「ユウ。こいつを持って船に乗って、先に俺の故郷へ行っててくれ」
P大陸アルディア村に住むリル・ハセザワ。それが彼の妻の名前であると聞かされ、統一軍で得た報奨金のほぼ全てが入ったカバンを、彼はユーリへ押しつけました。
「次の船で俺もこの大陸を出る。子供が大金持ってるんだし、また悪い奴らに捕まらないよう気を付けろよな」
クウ・ハセザワは何といいますか……ある意味では私と通じるところもある楽天的な思考の方でした。とりあえず努力さえすれば最悪の事態は回避されるだろうと考えがちというか。
統一軍からの追っ手に気付いた彼は、相手の本気度など知らなかったのもあって、簡単に追い払えるだろうと侮っていたのです。だからこそ軽い気持ちで港に残り、追っ手を待ち構えていました。
彼は最後まで、統一軍が何ゆえにひとりの子供にこれほど執着するのか理解出来ないまま、人知れずその生涯を終えてしまいました。
ユーリですら、彼の死を知る術はありません。それでもユーリは胸騒ぎを覚え……自分が助けを求めたばかりに、何の関係もない親しい者の人生を害してしまった可能性を思い。
「ごめん……クー……ごめん、なさい……ッ」
船室の隅っこで膝を抱えて、ひとりぼっちで泣いていました。
第二大陸はピノール王家に統治されていて、対立勢力もないために三大陸で最も治安が良く、住民の性質も穏やかであると知られています。
アルディア村というのは王都からもやや離れた森の中にある集落で、P大陸の中でも最も平和な村、などと呼ばれていました。
必要最小限、道一本分だけ木を伐採して大通りを設け、左右に民家を隙間なく並べています。森の恵みと共に暮らすため、質素な暮らしを良しとしています。田畑を作ろうとすると大量の木を伐採しなければならないのでそれは出来ず、少しずつ木を切りつつ切った分だけの植樹に励み、森で採れる肉と限られた土地での畜産で食いつないでいました。
もうひとつ、アルディア村を語る上で欠かせない産業がありました。それは保養地としての側面です。
少しでも収入を得るため、アルディア村では毎月一度、大規模な催事を行います。お祭りを楽しむために訪れる人々を徹底してもてなし、日々の疲れを癒していただく。当初こそ苦肉の策で始めたことですが、収入が増えたばかりか住民の働き口にもなり、仕事を求めて移住する人もありと試みは大成功だったようです。
P大陸に辿り着いたユーリは、特に危険もなくアルディア村に辿り着くことが出来ました。さしもの精霊族も大陸を離れられてしまえばそう容易く追いかけることが出来ないようです。
リル・ハセザワを見つけたユーリは、自分がここに来た事情と、クウ・ハセザワとG大陸で別れてしまったことを話しました。いよいよ出産を控えた時期になっても彼が戻らなかったので、
「オレを助けるために、あなたから夫を……生まれる子供達から父親を奪ってしまったのかもしれない」
そう、悔恨しました。しかし、彼女の反応はユーリの想像とは違いました。
「私はあなたを責められないのよ。クーはいつでもそういう人で、私だってあなたとおんなじような流れで彼に助けられたんだもの」
彼女もまた身寄りがなく、おまけに体も弱く。王都の路上で朽ち果てるのを待つ覚悟でした。出稼ぎに訪れていた彼はそんな彼女を目に留めたのです。
「俺が安心してどこででも稼げるように、アルディア村で俺の家を守る仕事に就くってーのはどうだ?」
親が残してくれた、たったひとつの持ち物だから空けっ放しにしておくのが忍びない。そう言ってくれてクーは私をここへ連れてきてくれたの。ほら、あなたも私もおんなじでしょう?
「あなたは何にも悪くないよ。もう気にしないで、これからここで幸せに暮らしましょう。私と、弟達と一緒にね」
大きなお腹を潰してしまいそうに力強く、彼女はユーリを抱き寄せて頭を撫でました。
私と一緒に、と言いながら、彼女は出産と引き換えに命を落としました。元より体が弱かったので想定の範囲内だったのですが、子供達は双子だったのです。ヒナの時も産後の予後が心配されたものの無事でしたが、こうなるのもやはり珍しくないのですね。
子供が双子だと聞いて、ユーリも覚悟はしていたのでしょう。やはり、双子の片方……弟のフウ・ハセザワは赤い髪で生まれました。
父親も母親もいなくなった家でたったひとり、双子の寝顔を見ていたユーリは誰にも打ち明けず密やかに誓っていました。
「クーとリルの残した子供……必ず生き延びさせてみせる。その為に何を犠牲にしたとしても」
弟として思ってくれと言われていましたが、あくまで一線を引いていました。「自分を救ってくれたふたりの忘れ形見」として想うことで。
ユーリは心労の滲む顔で、双子のお兄ちゃんの方を抱き上げました。
その子の名前はコウ・ハセザワ……。
この時点ではまだ誰も知りませんが、私たちにとって最も近く、大切な存在になっていく人だったのです。
その時、ただただお腹が空いたという理由だけで彼は泣き声を上げはじめました。ユーリは手慣れた動作でフウ君をおんぶ紐に背負い、コウ君を抱っこしたまま、いつもお乳を分けてくれるお宅へ向かいます。
さすがに赤ちゃんの頃だけは、彼は本能以外の理由で泣く必要はなかったのです……。




