4話① 源泉竜の執着
私の名前はイリサと申します。
何年も前から彼とそーちゃんと私の三人で、楽しく旅をしてきました。
……あら? もしかしてご存じなのですか? 私達のこれまでの旅を……。
「まったくもう……いい加減目を覚ましてくださらないこと?」
「わ……?」
誰かが私の肩を揺すっています。聞き覚えのない声と共に、私を永い眠りから覚まそうとしています。
元来、私は寝起きは悪くなかったはずです。朝目覚めたら即座に、それはもうしゃきしゃきとお勤め出来ると評判でした! はずなのですが……。どうしてなのか今は、この目を開けようという気持ちになかなかなれません。「寝起きが悪い」というのはこういう感覚なのでしょうか。
「もしかして、目の開け方を忘れてしまったのではなくて? 仕様のない方ですわねぇ」
手伝ってさしあげますわ、と告げた誰かが、私の瞼に指先を押し当てて、無理やりに持ち上げました。青いリボンを鉢巻状に巻いておでこを出した、短髪の女の子。私も生前身にまとっていた、ごくごくありふれた旅装のローブをまとっています……青い色のローブ、はあまり一般的ではないかも。少なくとも私は見たことがありませんねぇ。
濃い橙色の髪にわずかに赤い色も混じって、陽の光を跳ねて時折輝いて見えます……。
「初めまして。私はイリサです」
「それはもう何度も耳にしましたわ。寝言で定期的におっしゃってましてよ?」
「寝言? 定期的?」
「わたくしがこの地に着いてからもうしばらくになりますけど。このお寝ぼけさんはいつになったら起きるのかしらと観察してましたの」
さすがに三年も待ったら飽き飽きしてきて、無理にでも起こすことにしたというわけです。ちょっと恨みがましい目で、彼女は私を見下ろします。
「それは申し訳ないことをしてしまいました」
「ま、わたくし自身の失策ですもの。謝る必要はございませんわ」
「それで、あなたはどなた様ですか?」
「わたくしの名はエルトロン。天空竜ですわ。ちょうど人間として生きていた頃の名は『エル』でしたので、今後もそう呼んでいただいて構わなくてよ」
呼ばれ慣れているかつての名前と、現在の名前が偶然に一致したとのこと。そういうことでしたら遠慮なくそう呼ばせていただきましょう。
「これからよろしくお願いしますね、エル!」
「こちらこそ。それよりやっと起きてくれたのだから、言いたいことがたくさんありましてよ?」
「はい? なんでしょうか?」
「……おとぼけになっている、というわけでもなさそうですわねぇ」
どこか納得がいかないような顔で、エルはう~ん? と呻いています。
「あなた達のおかげで地上はこの百年、大変な騒乱でしたのよ?」
「地上?」
「そこからお話ししないとわかりませんの? でしたら話に聞くより、直接見た方が早いですわね」
エルは私に両手を差し出します。私より小さな手のひらでした。
「……こう見えて、わたくしも人として二十年生きましたのよ?」
どうやら、幼く見える外見や、それを指摘されることに辟易しているご様子。心苦しいですが私も、幼げでかわいらしいお嬢さんだなぁというのが第一印象でした。
私は一本の細い枯れ木を背もたれのようにして、長らく眠っていたみたいです。
差し出してくれた手を取ります。エルはきっとこうなることを予期していたのでしょう。彼女の言う通りなら百年? この場で眠り呆けていた私は、すっかり動き方を忘れていて、立ち上がることさえ難儀しました。自分より体格のある者を手を引いて立ち上がらせるのに、エルは苦心しています。
「ほんっっ……とうに手のかかる方ですわねっ。先が思いやられますわー!」
「面目なーいっ!」
私が至らないばかりに、出会ってすぐの相手に見放されてしまいそうです。さすがにそれは悲しすぎます。何しろ私達はこの世にたった十一人だけの仲間なのですから、仲違いなどしたくありません!
なーんちゃって、冗談ですわ。私が無事に立ち上がると、エルはぺろりと舌を出してそう言いました。冗談というより、解決したら即座に水に流してくれる性格みたいです。さっぱりしています。
こちらへいらっしゃいな、と、今度は片手を繋いでゆっくり歩き出します。立ち上がるのと同様、私の足取りがおぼつかないのを察してくれて、一歩ずつ急がず進んでくれます。
周囲は全ての草が真っ青に染まった草原でした……私が眠りにつく前、最後に……ソウジュ様の腕に抱かれながら、薄れゆく意識の中で見た景色とそう変わらないような気がします。
ただ、風が、あの時より強いです。そして遠くに小さく見えていたグラス王国の王宮が影も形も見えません。そうした疑問を呟いてみますと、エルが答えてくれました。
「グラス王国なんてとっくの昔に滅びましてよ。そうしてこの地殻変動の際に、最も大きな影響を受けたのもまたグラス王国でしたわ。何しろ割れていく地面の真上にあったのですものね」
「地殻変動……ですか?」
だから見た方が早いと言ったのですわよ、と、どうやら私は彼女の杞憂していた通りの反応を返しているみたいです。ちょっとだけお口を噤んで黙って歩いてくださいまし、と釘を刺されてしまいました。
「もうすぐ崖っぷちですから気を付けて」
「はい……。……わぁ~……」
「驚きまして?」
「それはもちろん……驚きますよ」
私達は空の上にいました。小島ほどの大きさの地面がそのまま浮上して、空高くにあるみたいです。
私達の生まれ暮らした世界は、ひとつの大きな大陸でした。それが今、眼下に見下ろすのは、それぞれ形の異なる三つの陸地。大陸の中央にあったこの草原が百年前のあの日、浮上し、地上に残った陸地はひび割れ、徐々に分かたれてこのような立地になったのだと聞かされます。
「今日は雲一つない好天ですから高さがわかりにくいでしょうが、それなりの高さですのよ」
「そうみたいですねぇ……どうしてこのようになってしまったのでしょうか」
「それはこちらが聞きたいのですけど……埒があきませんから、わたくしの知っていることからお話ししてさしあげましょうか」
「わーい、お願いしまーす」
「緊張感のないこと……」
エルはその場……浮島の縁に座り、宙に足をぶらぶらと投げ出します。この高さでその行動はけっこう怖くないですか? 落ちそうで。
「怖くなどありませんわ。それよりももっと恐ろしいことがありますもの」
私の疑問に答えようというのか、エルはなんとその場から飛び降りました。
「わーっ!? ちょっと、エルー!?」
慌てて地面に伏して、崖っぷちに片手をかけてもう片手をエルに向かって差し出します。当然、間に合うはずもなく、そもそも間に合ったところで彼女は私の手を取らない予感がします。
「はぁーい、ごめんあそばせ」
下に向かって落ちたはずのエルが、すとんと軽やかな音を響かせて着地しました。まるで空から落ちてきたみたいです。
「エルの……天空竜様のお力ですか?」
「確証はないけれど、おそらくそうではありませんわ。あなたにも試していただけたら確信できましてよ?」
「えぇー……ちょっと怖いですけど」
みんなで落ちれば怖くない、じゃないですけど、エルが無事だったのを見て試してみるのも良いかと思ってしまいました。これってなんだか騙されやすい人みたいじゃないですか?
などと思案しつつも、思い切って飛び降ります。ほんの一瞬だけ浮遊感を感じましたが、気付けばエルの横に着地しています。あ、せっかくだから目を開けたまま飛び降りれば良かったかも。
「おわかりになって? わたくし達、単身ではこのグラスブルーを出ることは叶いませんのよ」
「グラスブルー?」
「この、天上に浮かぶ青い草原のことを、下界の人々はそう呼びますの」
「グラス王国の魔力だまりが青く染まったからついた名前でしょうか」
「的外れでしてよ。この青い色は魔力だまりでなく、あなた……イリサの、母神竜の魔力の色ですわ。自分のことなのにお忘れですの?」
エルは自分の纏うローブの裾をつまみあげます。このローブも頭に巻いたリボンも、本来は白い色だったのが、グラスブルーにやって来た時に青く染まったのだそうです。
それを聞いて私も自分のローブを改めて見てみますと、数か月着たきりでさ迷い、白から薄汚れた灰色に成り果てていたはずのローブは真っ青に染まっています。清潔感すらあります。
恐る恐る、髪を飾っていたサクラ色のリボンを外して確かめてみますと、これも青い色に染まっていました。ああ、ソウジュ様からいただいた、私の宝物が……。今の自分が置かれた境遇より何より、その事実が悲しいです。
「私達がここから出るにはどうしたら良いのでしょうか」
「それはもちろん、神竜の体の持ち主がこちらへ辿り着き、その体に入れてもらうほかにありませんわ」
巨神竜様の体のシーちゃん、巨神竜様の魂のヒー君がひとりになったのと同じに、私達にはこの魂を受け入れてくれる体の持ち主がいるはずです。その方の来訪を当てもなく待ち続けなければならないということですか。う~ん、先行きは暗い気がします。
「そういった成り行きでしたら……コウは?」
「コウ? 誰ですの?」
「夢幻竜様です。私より数か月ほど先に体を失いました。エルの言う通りでしたらここに来ているはずではないですか?」
「夢幻竜でしたら名前は『クエス』ですわね。あくまでわたくしの推測ですけど、会いたいのでしたら、もう一度お眠りになってみては?」
「夢の中でなら、会えるのでしょうか?」
「可能性の検証ですわ。せっかくですからわたくしも試してみようかしら」
私はエルと共に枯れ木の根元まで戻り、今度は地面に直に横になって空を仰ぎ見ます。先ほど目覚めたばかりだというのに、また目を閉じました。
早く、彼に会いたかったです。お別れのあの時、ひどく悲しみ、涙に暮れていた姿が忘れられません。今はどのような気持ちでいるのかが知りたくて……もしあの頃のままの気持ちでいるのなら、少しでも気持ちが楽になるよう、慰めてあげなくては……そう思っていました。
私が眠りにつき、夢に見たのは実際の地上の風景でした。
「ふわぁ~……ごちそうさまでしたぁっ」
薄い土の色と白色が混生する、腰まで覆う長髪。髪質はふわふわとして触ると柔らかそうです。女性体としてはかなり背の高い、そんな彼女は今世の源泉竜様のようです。
かなり以前から源泉竜様の魂を確保し、二十歳になるまで今か今かと待ち構えていました。待ち焦がれたその時を迎えると、魂を宿していた体は最期、一本の巨大な大樹になりました。
その木の根元で、別に膨らんでいるわけではないお腹を満足そうに撫でています。魂をその体に収めたことで、満腹感を覚えている様子。たぶん錯覚だと思うのですが……。
こうして源泉竜様……名前は「リリアンス」……彼女は完全体の神竜と成りました。これにて彼女の特徴である「無限に湧き続ける魔力」と「生命の創造」がどちらも行使出来るようになったはず。
「あれぇ? この大地にはわたしのか~わいい魔物達がいないじゃない。人間だけなの? そんなのつまんなぁ~い」
神話時代に源泉竜様が人間に相対する存在として創造した魔物達は、現在もかつての領地で与えられた役目を全うしています。ゆえに、その領地から海を隔て遥か彼方に位置するこの大地には、魔物は存在しませんでした。
「神器も羽もない今のわたしにはたくさんの魔物を当時の質のまま作るのは無理だけど……今のわたしに出来る精いっぱいの、新しい生き物を作ろっかな」
こうして彼女は新しく、魔力を糧に生きる「精霊」という種族を作り出しました。
「いーい? わたしのかわいい精霊達よ。人間が大勢するこの大地を、あなた達の支配で塗り替えなさい。それがあなた達がこの世に生まれた意味なのよ!」
彼女は人間しかいない大地で、人間だけが支配する世界に退屈を覚えたのです。「彼女自身が」支配したいという感情は一切なく、「精霊という新種族に脅かされる人間の世界」を眺めて愉しみたいがために、精霊を世に放ったのです。
悪気もなければ悪意もなく、ただ自分の楽しみのために行動する。創造した生き物達の争いで世の中を乱す。……そういう性質の方であるらしいというのはいつかどこかで聞き及んだ気がしますが、評判通りの方なんですねぇ。
「やぁっと現れたわね、源泉竜め。待ちくたびれたわ」
お次に見えたのはグランティス王家、巨神竜様のシーちゃんです。わぁ、なんとも懐かしい。お元気そうな姿が見られて嬉しいです。
「とはいえ……新生精霊族ぅ? そういうのは別にお呼びじゃないっつーの! めんどくさぁっ!」
巨神竜様たる彼女はただ、神話時代にお預けのまま終わった源泉竜様との対決、再戦による決着を望んでいただけです。新しい精霊族が生み出され人間社会と対立し始めたことにより、自分だけの戦いに注力するのが難しくなりました。
リリアンスが生まれたのは第三大陸北部の大森林。グランティスは第三大陸を代表する大国ですので、精霊族がこれ以上勢力拡大しないよう、最前線となって足止めしなければならない立ち位置となってしまったのです。
こうして長きに渡る、第三大陸の内乱は幕を開けました。
私が目覚めますと、少し先に起きていたらしいエルは少し離れた場所で片足だけ地に着けてくるくると回転していました。
「何をそんなに回っているのですか?」
「退屈で退屈でたまりませんのよ。それで、イリサはどんな夢をみていらしたの?」
「夢というと、本来は私の脳内の記憶をもとに見るものだと思うのですが……私の知るはずのない、現在進行形の景色が見えたんです。エルはどうでしたか?」
「わたくしはそういった夢は見ませんでしたわ。予想通りですけど」
「予想出来たのですか?」
「ええ。あなたのその髪の色を見て、そういうことなのかしらと」
言われるまで、自分の髪の色などまったく……目覚めてから一度たりと、確認すらしていないことに思い至りませんでした。
当然、生前と変わらぬ黒い髪を頭に浮かべつつ、背中側に伸びている長髪に手を伸ばしたのですが。
「金色の髪に変わっていますね」
「それは夢幻竜の魔力の色。あなたはクエスの魔力と直に繋がっている……その証なのではないかしら」
夢幻竜様は、この世に在る全ての生き物の影と繋がっていて、その影の持ち主の視点と感情を知覚することが出来るのです。
その夢幻竜様……クエスと、私は繋がってしまったと。なにゆえそのようなことに……疑問が口をついて出そうになりましたが、はたと。エルに訊ねるより私自身の方がよほど、心当たりがありました。
「私達は、もう何年も……嬉しいことはふたりで喜び合いましたし、悲しいことはふたりで乗り越えてきたんです」
そーちゃんも含めた三人での旅暮らしでしたが、そーちゃんは私達にとって見守る対象でした。そーちゃんの成長を見て喜ぶのも、彼を取り巻く境遇を心配したり憂いたりするのも。そしてこの子がいてくれて良かったと幸せを感じるのも。
大人同士だからこそ対等に分かち合える感情というものが私達の間にはあったのです。おまけに私と彼は全く同じ条件の体で、先の短い生涯であることさえ慰め合うことが出来たのです。
「あなたとクエス、どちらが望んだのか、あるいはどちらもか……これからも寄り添い続けたいと願ってこうなったと?」
「そうかもしれません……」
「お熱いですわねぇ。焼かれてしまいそうですわ」
妬けて、ではありませんので誤解のなきように。などと、エルはよくわからないことを言います。
「けれど、必ずしも良かったとは言い難いですわね。夢幻竜の役割を思いますと」
夢幻竜様は「安息」を司る神竜。その役目とは、この世に存在するあらゆる負の感情をたったひとりで引き受け、浄化しなければならないのです。
エルの意見もわかりますが……彼ひとりだけにそんなものを背負わせずに済むのなら、これで良かったんですよ。私自身はそう思えます、心から。
「そうとわかりましたら、さっそくまた眠りませんと!」
お互いの姿は見えなくとも、眠っている間はいつもそばにいられるとわかったのですから。
いつか何かの拍子に、クエスの心のありかを見つけることが出来るかもしれないじゃないですか。その為に何度でも夢を見たいと思うのです。
「わたくしとしましては、せっかく話し相手に出会えたというのに眠ってしまわれるのは残念ですが……事情が事情だけに致し方ありませんわね」
「お力になれなくてごめんなさい……」
「あなたが気に病むことありませんわ。……いつか立場が逆転しそうですし」
「はて?」
いずれその時がくればわかりますわ。エルはそう言ってはぐらかし、その意味を教えてはくれませんでした。