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3話③ 母神竜の揺篭

  ツバサ様達がお戻りにならないまま、九月を迎えてしまいました。コウの体がこの世にあるのは、残りあと十五日になってしまいました。

 さすがに私も後ろ向きな思考が拭いきれなくなり、ふたりの知らぬところでこっそり重い溜息をつきます。気を取り直して今後の目途をコウと話し合いましょう。そう思いながら彼らのいる部屋へ入ります。


 コウはまだ寝台で眠っていましたが、そーちゃんが着替えをしていました。そのそーちゃんが自分の腕とお腹をしげしげと見下ろしています。




「どうしたんでしょうか、そーちゃん……その、痣のようなものは」


 本人に訊ねてもわかるはずもなく、首を傾けます。右腕とお腹に赤茶色の染みのようなものが浮いています。あせも……? いえ、もっと皮膚の根深くから滲みだしたような禍々しい色です。




 急いでコウを起こし、ふたりでそーちゃんを小児医院へ連れていきました。病院は人でごった返しています。先生にお会いできるより先に、同じく子供を連れてきていたご婦人から、グラス王国で急性に流行した疫病で大変なことになっていると教わりました。




 診察はほんの数分で終わってしまい、そーちゃんだけでなく私達も保菌疑い対象者ということで、すぐに王宮へ向かうよう指示されました。取り急ぎ、王宮にある広い公会堂を隔離施設にしているのだそうです。まさかこんな形でグラス王国の王宮に立ち入ることになろうとは夢にも思いませんでした。




 三人一緒にいられることだけは不幸中の幸いでしたが……それからの十五日間には、それ以外の幸いなど一切与えられませんでした。私だけはほんの少しマシだったのでしょうか……最後の十五日間をこんな風に過ごすしかなかったコウとそーちゃんが本当に、本当に、かわいそうで……。




 この時点ではその感染症に名前はありませんでしたが、後世の人々によって「国死病」と呼ばれるようになりました。この頃、大陸の中央、最も大きな魔力溜まりを占拠し最大の国力を有していた「グラス王国」は、その病によって滅びたからです。




 最初は体の一部に赤黒い痣が浮かび、それが徐々に全身に広がっていく。とても幸いなどと思いたくありませんが、感染しても肉体的苦痛はほとんどありません。ただ、ゆっくりと体の自由が利かなくなり、意識を失ったらもう目覚めることが出来ない。感染力は非常に強く、あっという間に国全体に広がってしまいました。




 そーちゃんの感染を知ってから、コウは私にそーちゃんを触れさせてはくれませんでした。どうせ私も先は長くないでしょうから、せめてそーちゃんに触れていたい。そう懇願しても断固として拒絶しました。




 九月十四日。私達は覚悟を決めて、王宮を離れました。コウの体がどのような最期を迎えるのかわかりませんが、人目に付く場所でヒー君の時のような変化が起これば騒ぎになってしまうかもしれません。




 王宮の真後ろは何もない寂しい草原で、私達はあてもなくそこを歩いていました。コウにも感染の兆しが現れ始めていて、頬には赤黒い染みが浮かんでいます。




 どれくらい歩いたでしょうか……草原の中に、ほんの少しだけ小高い丘になっている場所があり、そこに一本の細い枯れ木が佇んでいました。ちょうど体力も限界で、私達はその根元に膝をつきました。振り返ると王宮は遠くに、小さく見えます。




「そーちゃん……」


 返事をしてください、と言いそうになって、そもそもそーちゃんは健康な時でさえ返事など出来なかったことを思い出します。まだ目は開いていますが、全身のいたるところが赤黒く、もう何日も前から体を動かしません。




「どうして……、どうしてこんなことになってしまうんですか? そーちゃんが何をしたっていうんですか?」


 思えば、そーちゃんだけではありません。一緒に生まれた弟のあおちゃんの体だって、本人に何の責もない神罰を受けているのです。




 そうしている間にも、無情にも空は刻々と色を変えていきます。遂に辺りは真っ黒になり、頭上には煌々と月が輝いていました。




「俺達は、無理でも……せめて、ソウだけは……長く、……幸せに生きて欲しかったのに……たったそれだけすら、叶わないっていうのかよ……」




 コウはそーちゃんの体をぎゅっと抱きしめます。力を込めすぎて自身の体は小刻みに震えていますし、なんとなく、そーちゃんの体を潰してしまいそうな不安に駆られます。けれど、それを止めようとはとても思えません。




「どうして、こんなにも……何もかも、失い続けなきゃならないんだよ……。こんな思いをしなきゃならないなら、……俺達は、何のために、生まれてきたんだよ……」




 コウ自身は知らないでしょうが、その言葉は……彼の妹のヒナも、同じようなことを言っていました。彼らきょうだいは生まれた頃から酷薄な環境の中で、唯一得られた幸いがソウジュ様やツバサ様にお仕え出来たことで。ツバサ様との間に授かった命を守ることが、残された寿命を支える心の柱だったのでしょう。少なくともコウにとっては、きっと、そうだったのです。




 もはやコウは言葉もなく、ただただ泣いていました。まるで幼子に戻ってしまったかのように。




「コウ……」


 今すぐにも終わってしまいそうな命だというのに、こんな最期は悲しすぎます。せめて涙を拭ってあげたい。そう思って手を伸ばした時でした。




 私の伸ばした指先、コウの頬が少しずつ、黒く染まっていきました。感染症の染みとはまた違う、真っ黒な色で。むしろ頬にあった赤黒い痣も覆い尽くしていきます。




 それはほんの数分で全身に広がっていき、彼と体を接しているそーちゃんも黒い色に飲み込まれていきます。そんな異常な光景をただ眺めながら、私は動けずにいました。せめてそーちゃんを引きはがすべきでは。あまりの衝撃に、そんな判断さえ出来ないまま硬直していました。




 やがてふたりは黒いひとつの塊のようになってしまい、少しずつ地面に沈んでいき……そして、消えてしまいました。




 私は草原にひとりぼっち、呆然と……しばらくは喪失感さえ知覚出来ないまま、ただただ時ばかりが流れていきました。






 コウとそーちゃんが私の目の前から消滅してしまってから、どれほどいたずらに時を過ごしたでしょう。ふと正気に返った私は、グラス王国へ引き返しました。やらなければならないことと、そうしたいなと感じたことがありましたので。




 ひとっこひとりいない草原を黙々と、風に吹かれながらただただ歩く。私の体にはまだ命が残っていますが、まるで死後の世界のようだなぁと思ってしまいました。草の一本ずつにだって命は宿るのですから失礼な話ではありますが。




 半数以上の国民が感染して混乱状態のグラス王国をくまなく歩き、どうやらツバサ様達がここには戻られていないことを確認します。ここで落ち合うという約束であったとはいえ、もしこんな情勢でお戻りになったらと心配でした。神竜の体というのは感染症に罹ったりするものでしょうか? ツバサ様自身に害がなくとも、ヒナとあおちゃんにとっては危険極まりないです。




 ずっとずっとツバサ様達にお会いしたいと願い続けて旅をしてきたというのに、今は必ずしもそうは思えませんでした。再会したら、コウもそーちゃんも何の救いもなくこの世から消えてなくなったことをお話ししなければなりませんから。




 そーちゃん、コウと感染して、彼らと密接に関わり合っていた私は未だ感染しないまま。感染者で溢れるグラス王国に戻り、私も感染してどうぞ。などと、不本意にもお亡くなりになった方々からしたら失礼極まりない願望を抱きながらさ迷っています。私だけが無事であるという現実が腹立たしくてなりませんでした。




 今の私達には知る由もなく、後世の研究で明らかになったことですが、感染しても発症に至らない体質の人もいるそうで。おそらく私もそうだったのでしょうね。




 グラス王国の感染、発症しなかった人々が幸せだったかというとそうでもありません。無事だからと他国へ逃れようとも、グラス王国を襲った感染症はすでに国外へ知られていました。国境を超えることは許されず、見つかり次第射殺されたそうです。国に残ったところで一気に人口の大半を失っては国を維持出来ず、グラス王国は滅びへ向かいました。




 私はもはやなんの希望もなくグラス王国の路上で座り込んでいました。日に日に周りに遺体が溢れていきますが、誰も片付ける余裕などありません。




 空からちらちらと雪が降り始めて、季節の移り変わりを知りました。時が流れていく感覚などとうに忘れていましたから……ついでのように、私にも終わりが迫りくることを思い出します。




 私の体がどのような最期を迎えるのか知りませんが、せめて、コウとそーちゃんがいなくなったあの場所まで戻りたい。そう思って私は歩き出しました。




 雪も降るような天候ですし、太陽は高い位置にありそうな時間ですが空は雲で覆われて真っ白でした。目印である細い枯れ木をようやく視界にとらえた時でした。不意に私の体は力を失い、前に倒れ込んでいました。




 投げ出した手のひらへ目をやると、指先の方が肌色を失って透けていました。指先から消えていく、というわけではなさそうな気がして、身を起こし両手を目で確認します。




「……水……?」


 人差し指の先をぺろりと舐めてみます。汗の味よりももっと強い、塩の味がしました。……母神竜ですから、この体は最期に海に変わるということなんでしょうか。


 すでに自由が利かなくなりつつある体をどうにか動かして、足先を確認してみます。靴は脱げていませんが、足首まですでに水に変わりつつあるようです。




「はぁ……」


 この足ではもう歩けないでしょうね。思わずため息が出てしまいます。


 せめて、あの木の根元まで行きたかったなぁ……いえいえ、まだ諦めるのは早いのでは? 例えばまだ手のひらは無事なので、手のひらと膝で這いずるようにして前進出来ないでしょうか。




 思い立ったらすぐに、手のひらを草の生えた地面に着けました。すると、手のひらの下の草が青く染まります。……なんでしょうね、これ。そう考えた刹那、体はまだ水に変わりきっていないというのに、一気に全身が脱力して倒れ込みました。体のどこにも、力が入りません……。




「……わ……う、……うぅ~~」


 他の何もかもを諦めて、ほんの小さな希望を目指し縋っても、それすら叶わない。コウが最期に嘆いた悲しみが今の自分にも重なって、私は身も世もなく泣きました。泣いたところで誰一人いない場所なのだから、堪える必要なんかないでしょう?




 倒れ込んでも目線だけはどうにか、あの枯れ木のある方向へ向けていました。涙で滲んだ視界で、細い木の影から誰かが出てくるのが見えました。そのままこちらへ歩みを進めてくるのは……。






「……ツバサ、様……?」


 私の目の前まで来てくれたのは、最後に見た姿から変わらないツバサ様……いいえ、髪の色だけは赤ではなく、まるでソウジュ様のような白髪に変わっていて……背中には白銀竜様の神器である長巻を、腰には太陽竜様の神器である剣を提げています。






「……僕は……ソウジュだ」




 はて……そんなことは、と思いましたが、良く考えたらありえないとも言い切れません。以前、人づてに……コウがグランティスの皆様に話したことを、ヒー君から……聞かせてもらった内容を、思い出しました。






 太陽竜様の能力のひとつに、生き物の魂の操作があり。ゆえにクラニシア王は太陽竜様の体に己の魂を入れれば、太陽竜様に成り変われるなどと野心を抱いたのです。


 ツバサ様は……ソウジュ様だけをひとりで死なせることに、心を痛めたのでしょう。だからせめて魂だけでもと、……神器を用いて。千里眼で遠い場所にいるソウジュ様を視て……その魂を自分の体に入れたのかもしれません。






「……あなたが、本当にソウジュ様ならば……お伝えしても、よろしいですか……?」


 あらかじめそう断って、彼が頷いたのを見て、私は声を振り絞りました。






「ソウジュ、様……愛して、います」


 いつも優しくて、繊細で、それでも懸命に努力される御姿。そんなあなたのお側で生きられて、私は幸せでした。




 いつかお伝えしたいと思っていた私の本心。呑気な私はその時機も、ソウジュ様自身も失ってしまい、お伝えできなかったことが無念で堪りませんでした。






「……ソウジュも、君を愛していたよ……だからこそ」


 何事か悔恨しようとして、彼は言葉を止めてしまいました。私を見下ろす目は私へなのか、……他の誰かなのかわからない憐憫に揺れていましたが。不意に力強く、何かを決意したような目に変わりました。




 跨ぐのではなく足の方から避けるように移動して、ソウジュ様は私の背中側に立ちました。




 白銀竜様の神器を背中から下ろし、時間をかけて長い鞘を抜き、地面に放ります。




 二歩、三歩、私から離れ歩みを進めたところで、その長い刀身を地面に突き立てました。背中側での行動で私は身動きがとれないため、音で判断するしかありません。




 ソウジュ様は私の元へ戻り、背中とひざ裏に腕を差し入れ、私の体を持ち上げて立ち上がりました。そのまま後ろを振り返らず、あの枯れ木を目指して歩き出します。




「これから君の眠るこの聖地を、人の手には触れさせない。誰にも穢させない」




 ソウジュ様に抱き上げられ移動する間、私はただただそのお顔を見上げていましたから……枯れ木に辿り着き、ソウジュ様が私を抱いたまま木の根元に腰を下ろすまで、周囲の変化に気が付きませんでした。


 私が倒れていたらしき場所から、周囲の草原が青い色に染まっていました。私の体はもう大部分が……顔から上のような、鏡もなしに自分で見えない箇所まではわかりませんが、おそらく……人の体ではなく水に変わっている気がします。




「大丈夫だよ。君が見えなくなるまで、僕はここにいるから……」


 先ほど再会してから初めて、ソウジュ様は優しく、穏やかに微笑みました。ツバサ様のお顔ですが、その笑い方はソウジュ様そのものでした。




 そんな場合じゃないのに、思わず。えへへ……なんて呑気な笑いがこぼれてしまいました。嬉しかったから。今の私にはもう言葉が出せそうになくて、それが精いっぱいでした。




 受け止めきれない大きな悲しみ、理不尽に見舞われて見失いかけていました。




 私の、生まれてから最初の意味のある記憶は、ソウジュ様との出会いから始まりました。それから出会った人々……ツバサ様や、ヒナや、コウや、そーちゃんや、あおちゃん……たとえ最後には失われてしまったとしても、彼らと過ごせた日々は確かに幸せで、たった二十年しかなかった私の生涯は決して不幸ではありませんでした。




 最後にソウジュ様が側にいてくれて、それを思い出すことが出来て、嬉しかった……。




 それが、私が人間だった……愛する人達から「サクラ」と呼ばれた、桜隣という名のひとりの女だった私の覚えている、最後の記憶でした。

イリサ「以上が生前の私の人生でした。……はぁ(溜息)。


明日からは私が物語を引き継がせていただきます……」

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