表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/46

1話① 白銀竜の秘願

 私の名前は桜隣(おうりん)といいます。

 誰がいつ、この名前をつけたのかは知りません。いつの間にかそう呼ばれていました。

 でも、きっとそれでいいんです。

 私は二十回目の誕生日を迎えたら消えてしまう体ですので、家族がいたら悲しませてしまったでしょうから。





「おはようございます、ツバサ様! ……あら。ヒナもご一緒だったんですね」

 昨夜はお楽しみでしたか? と訊ねたら、彼女は無言でベッドから立ち上がり。つかつかと歩み寄ってきて私のおでこを指でぴんっと弾きました。手加減なしの全力なので痛いです。


「この格好を見なさいよ。部屋の掃除に来ただけってわかるでしょ?」

 言われてみれば、ヒナの出で立ちは今私が着ているものと同じ。我々、使用人がお給仕する際のありふれた白い着物でしかありません。あの晩に彼女の纏っていた美しい、半透明の寝巻とは全然違いましたね。なんてことを考えていたら、「いちいち思い出すんじゃないっ」と、赤面したヒナに叱られてしまいました。どうして私の考えがわかるんでしょう? 不思議です。



 そんな私達のやり取りを、ツバサ様は寝台の上から眺めていました。何か笑いのつぼを突いてしまったのか、お腹を抱えて笑いをかみ殺そうとされているご様子。


「おはようサクラ」

 と言っても、実はもうお昼時です。私がツバサ様にお会いするのは昼食のお世話からであることが多いのですが、慣例としてどの時間にお会いしても「おはようございます」とご挨拶する決まりです。私がこのお城でお勤めすることが決まってから、給仕長からそう言いつけられました。

 私の名は桜隣ですが、親しい人達からはサクラと呼ばれています。これもいつから、どなたからそうなったのか覚えがないんですよねぇ。


 私が食事の盆を持っているのを見て、ツバサ様はベッドの縁へと居住まいを正されます。じゃり、という、鎖のこすれる音が響きます。いつも通りの日常風景ではあるのですが、この音を聞くと今でもやはり心が痛むのを止められません。


 見ると、私の両手が盆で塞がっているのを見たヒナはツバサ様のための折り畳み式の食卓を準備してくれているところでした。

「ありがとうございます、ツバサ様、ヒナ」

 盆を卓へ置きます。中身を隠す蠅帳は私の自作です。市場で布を探して縫いました。ツバサ様のお好みの布を探そうと思ったのですが、私の好みの布を使ってよいとツバサ様がおっしゃるのでお言葉に甘えさせていただきました。白を基調とした布地に、黄色い小花がうるさすぎない範囲に散らばっています。もっと派手な布も好きなのですが、あくまでお料理の添え物ですので無難なものを選ばせていただきました。


「今日はどんなものを持ってきてくれたのか楽しみだな」

 私の毎日の楽しみは、ツバサ様の昼食に毎日変わったものをお出しするため、朝市で珍しいものを探すことです。


 ツバサ様はこの一室に捕らわれの身です。左足の足枷から鎖が伸びており、鉄製の寝台に頑丈な鎖で繋がれています。偉い人達に悟られぬよう様々な道具で鎖を断とうと試みたこともあるのですが、どんな道具を用いても鎖を切ることは叶いませんでした。


 砂漠の真ん中に立つ都、クラシニア。その中枢にある城の最上階。眺望には優れていますが、それは地獄の底から見上げるひとつ星程度の救いでしかありません。地下での幽閉より遥かに配慮されている、そうだとしても閉じ込められている事実に変わりないのですから。


 なので、少しでも日々の変化を感じられたらいいなぁと思いまして。城の調理場で正式に用意されている料理とは別にもう一品、私が市場で見つけたものをおまけで添えさせていただいているのです。偉い人からの許可を取り付けるのは大変でした。毒見は必ず、私自らが行いますと誓ってようやく許可をいただけたのです。



「今日は自信がありますよ!」

 じゃじゃーん、と満を持して蠅帳を持ち上げます。小鉢には透明なお刺身が……あら? 時間経過のせいなのか少し茶色に変色してしまいましたね。調理場で捌いた時にはもっと透明度が高かったのに。


「ちょっと……何よこれ?」

「これは都の外れのオアシスで捕まえた、オアシスクラゲというものです。食用として試みられたことはなかったのですが、異常繁殖して困ったので試しに食べてみようかということになったそうで」

 商人さんが市場でたくさん売っていましたが、遠巻きにする人が多かったようです。私はとりあえず味見をさせていただいて、面白い食感なのでは? と思い仕入れました。


「珍しかったらなんでもいいってもんじゃないでしょうに。ツバサ様に変なもの食べさせていいの?」

「害はないと思いますよ? 朝方、市でも味見をしましたが何ともありませんもの」

「あなたの体の頑丈さは尋常じゃないから当てにならないわよ……」

「とりあえず、色が変わってしまったのでもう一度味を見させていただきますね」

 ツバサ様に失礼しますと断って、私は身に着けた道具入れから自分の箸を取り出し、クラゲを一切れいただきました。問題なさそうです。変な味も匂いもなく、調理場で毒見した時からの変化もなし。


「危ないものはもちろん出しませんし、試し買いしても美味しく作れなかったらお出ししていませんよ?」

「不味くないなら何でも出してくれていいって言ってあるから大丈夫だよ」

「……ツバサ様がそうおっしゃるなら、いいんですけど」

「せっかく同席したんだし、君も食べてみる?」

「はい!?」


 ヒナはツバサ様の側室のひとりです。側室といっても本妻様がおられるわけではありません。

 私よりは認められた立場であるとはいえ、ツバサ様のお食事に手を付けるなど畏れ多いと、ヒナは絶句してしまいました。


「毎日毎日、楽しむために用意してくれてるんだからさ。なんだっていいんだよ」

「そうですよ! ツバサ様がせっかくおっしゃってくださるんですから」

「本当にそれでよろしいのでしたら……」


 もちろん、ツバサ様はご自分の手でお食事も出来るのですが、私の用意したおまけに関しては私が箸で口に運ぶことを許してくださっています。はい、あーんとお声かけをしたら目を閉じてくださいます。

 口から舌を出したりはされず、私は口内の舌の上にそっとくらげをのせました。目を閉じたまま噛んで味をみておられます。

 ツバサ様のものではない、先ほど使った自分の箸を使って同じようにヒナにも食べさせました。


「う~ん……こりこりして、面白い食感だけど」

「味がしないんじゃない……?」

「はい! まだ発展途上の珍味ですから。調味料を工夫してどうやって美味しく食べようか、これから考えようと思いまして」

「あなたねぇ……」

 でも、それをツバサ様がよしとされているのよね? とヒナから疑問を投げられます。そうだよー、そうですよー、と、私とツバサ様の答えが重なりました。


「こうやって試行錯誤してる彼女を見るのも、なんだかんだで俺の毎日の楽しみなんだよね」

「……そうですね。この城には彼女みたいな能天気、そんなにいませんから」

「えぇー?」

「安心して。褒め言葉だからね」

 この城、街に限らず、このグラス大陸は戦時中です。あちらこちらで武力衝突が起こっていて、この城の人達もピリピリしている方々が多いのです。


 何気ないものでも、一日一日、ちょっとずつの変化。ツバサ様には必要なことだと思うんですよ。




 遠征部隊の凱旋に、城下の町がざわめき始めました。

「それではツバサ様、私はいったん失礼いたしますね」

「別に気にしないから、サクラもここで待てばいいのに」

「そういうわけにはまいりません! せっかくツバサ様とソウジュ様がお話しされるのに、邪魔をしたくありませんので」


 この部屋から出られないツバサ様のために、ソウジュ様が外の世界で見た景色をお土産としてお話しされていることを私は知っています。そのお話しがなが~い時もあれば短い時もありますが、どちらにせよお側で一緒に聞いていたら、私も思わず横槍を入れてしまいそうになります。


「ソウ兄との付き合いは君の方が長いんだから、俺に遠慮することないじゃないか」


 ツバサ様はソウジュ様の弟君ですが、幼少のみぎりよりこの城に捕らわれておいででした。ソウジュ様は外の世界で過ごされていて、幸運にも私はソウジュ様と共に育てられました。



 幼少の頃、私は親も知らず、他の大人の助けも知らず世界をさ迷い歩いていました。そんな状態では食べることもままならず、どのように生きていたかといえば。

 なんのことはありません。私は二十回目の誕生日には死ぬ体ですが、逆にその日を迎えるまでは決して死なない体なのです。何ひとつ口にせずとも死なずにさ迷い歩いていただけなのです。


 ゆえに、物を食べるという行為さえそもそも知りませんでした。そんな私を見つけてくださったのがソウジュ様と私の養父にあたる男性です。


 私が生まれて初めて口にしたのはバナナでした。ソウジュ様は片手にリンゴを、もう片手にバナナを持ち、どちらにしようかな? と思案されていました。最初から固い物を食べるのは難しいかもしれないとおっしゃって、バナナの皮をむいて、さらには匙で小さくして口まで運んでくださいました。


 その時食べたバナナの味は一生忘れられません。あんまりにも美味しくて。口の中いっぱいに広がる甘さに、感動の余り卒倒してしまいました。ソウジュ様は生まれて初めて体内に入れた栄養なのに過多だったのでは、と本気で心配されて涙目になってしまい、私も申し訳なく思いました。赤子に与える離乳食のようなものの方が良かったのではとおっしゃいましたが、私としては大切な思い出の味になりましたので心から感謝しています。



 このようにソウジュ様は心根の優しい穏やかな方で、本当は争いも、武器を振るうことも好きではありません。ですが、養父はソウジュ様に厳しく戦いの術を指導してきました。


 私とソウジュ様はいつかクラシニアの城に入り、ツバサ様をお守りしなければならない。養父は私達に何度もそう言い聞かせ、そのために必要な全てを指導してきたのでした。


「ソウジュ。おまえはツバサ様を弟と思って彼をお守りしなさい。ツバサ様は太陽竜様で、おまえは白銀竜様なのだから」

 養父がこのように言うということは、ソウジュ様とツバサ様は本当の血縁のご兄弟ではないのかもしれません。


 ツバサ様が捕らわれの身であるのにソウジュ様がご無事であったのは、クラシニア王家が太陽竜様の神器を所持していたからです。クラシニア王家は自らの手の及ぶ範囲で生まれた全ての赤子に、神器を触れさせました。その中でただひとり、ツバサ様だけが神器に反応し、親元から引き離され城に隔離されてしまったのだそうです。ツバサ様がクラシニアの領内で生まれなければこんなことにはならなかったのかもしれないと思うと、つくづく運命とは酷薄なものです。


 今にして振り返れば養父は不思議な方で、ソウジュ様も私も彼の名前すら知りません。彼はなぜか白銀竜様の神器を所持しており、それをソウジュ様に授けました。


 また、私にも。おまえが母神竜様であることは決してクラシニアの者には知られてはならないと言い聞かせました。母神竜の神器はこの大陸に存在しないので、ツバサ様のような成り行きで誰かに知られることはないのだからと。



 私達が城でのお勤めを果たせるであろう年頃まで育ててくれた後、彼は私達をクラシニアに置き去りにしていずこかへ去りました。それ以来、一度も顔を見たことはありません。今頃どこで、何をされているのでしょう。この時代にはせいぜい手紙くらいしか伝える術がないので、一度離れてしまった人と繋がるのは奇跡に等しい可能性でしか起こりえませんでした。



 私がいかな時も不安を感じずにいられたのは、養父と離れた後でもソウジュ様がお側にいてくださったからです。今はソウジュ様は遠征に出されて離れることもありますが、その時は私にもツバサ様をお守りする務めがあります。


 理由はわかりませんが女中仲間の多くは私を嫌っているそうで相手にしてくれませんが、ヒナだけは気安くお話ししてくれる友達のような関係ですし。調理場やそれ以外の務めの男性の使用人の皆様とはごく普通に仕事仲間として交流しております。


 ツバサ様のお立場や、ソウジュ様の遠征での心労を思うと手放しで受け入れられる環境ともし難くはあるのですが。私は愛する人達のお側にいられて幸せでした。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ