第二十四話
ギラギラとした切っ先のような陽を放つ、白い夏の太陽に輝く青空。
空よりも深い青色のラケットが鋭く風を切ると、真っ白なシャトルは太陽に吸い込まれるように高く上がった。
「最近おかしいと思わない? マリ子さんの様子」
たかしがシャトルを打ち返すと、明夫は打ち返すことなくラケットを下ろした。
シャトルは公園の地面に衝突し、風に流されてわずかに転がった。
「最近だって? ずっとおかしいよ」
「明夫、オレは真面目に聞いてるんだ」
たかしが心配しているのは、マリ子があまりデートに誘わなくなったことだ。
学生ということもあり、恋だけではなく友情やバイトに学業と忙しい。
四六時中一緒にいられるのは、ルームシェアという特殊な環境があるから。
付き合いたての情熱も一旦落ち着く。ある意味普通のことなのだが、タイミングがボスと店長とのダブルデートを終えたあとだけに、たかしは必要以上に気になっていたのだ。
「僕も真面目に答えてる。そもそも再び付き合い始めてから、マリ子の様子はずっとおかしい。最初に付き合ってた時のほうが二人共楽しそうだったよ」
「それは……」とたかしは言い淀んだ。
自覚があったからだ。
居心地が悪いわけではないが、男女の関係として大切ななにかが欠けている感覚。
だが、それがなんなのかは決してわからない。
常になにか違和感を気にしながらの関係だった。
「恋愛シミュレーションゲームなら分岐点を選ぶイベントが始まるね」
「でも、別に関係がうまくいってないわけじゃないんだ。デートはドキドキするし、毎日顔を見られて幸せだし。なんだかんだ振り回されるのも楽しい。でも、この違和感がいつか幸せにひびを入れそうな気がして怖いんだよ」
「僕らの友情にもね」
明夫はシャトルと拾うと、慣れたフォームでたかしにサーブした。
「わかったよ。バドミントン中は共通の話題以外はなし。そういう決まりだったな」
たかしが打ち返すと、明夫もニヤッと笑って打ち返した。
しばらく二人が公園でバドミントンをしていると、帰りが遅い二人を心配したマリ子が迎えにやってきた。
「なにしてるのよ。私のお菓子を買いにコンビニ行ったんじゃなかったの?」
「バドミントンをするついでに、帰りにコンビニに寄るって話だったと思うけど」
たかしはラケットを下ろすと、駆け寄ってくるマリ子に手を振った。
「恋人が空腹をウエハースチョコで凌いでるのに、呑気にバドミントン?」
「ウエハースを食べたなら、お菓子はいらないんじゃない? でも、ちょうどいいタイミングで来てくれた。トイレ行ってくる」
たかしはバトンタッチとマリ子にラケットを渡して、公園の隅にあるトイレへ向かった。
「バドミントンねぇ……」マリ子はラケットを野球のバッドのように振ると、先を明夫に向けた。「アンタにも出来るスポーツあったのね」
「君は本当に失敬な女だよ……。【シャトルレイン】っていうバドミントン漫画読んでないの? 僕らが小学生の頃に連載してた伝説の漫画だよ」
「知ってるし、納得いったわ。中学の部活で流行ったもののバドミントン。男子が技名叫んでうるさかった」
「つまり僕はこの道のプロってわけ。君がフルスイングしたところで、僕の【炎竜の轟】のカウンターが決まるだけだけどね」
「あら、おもしろい。私とやるっていうの? 中学までテニス部だったのよ」
「これはバドミントン」
「ラケットでどつかれれば痛いのは同じでしょ。さあやるわよ」
マリ子のサーブの音は二人のものよりとてもキレイで、その音を聞くのと同時に明夫の顔面にシャトルがぶつかった。
「いた!」
「ちょっと……得意なんじゃないの?」
「君がゴリラみたいな腕力してるから驚いただけ、なに今のスピード?」
「なにってちょっと本気で振っただけじゃない。こんなんで驚いてたら、高校の運動部の練習見たら心臓がいくらあっても足りないわよ。たかしとやってて驚くようなこと? さすがに私でも普通の男子には勝てないわよ」
「僕は普通じゃない!」
明夫が渾身の力で放ったサーブを、マリ子はあっさりと打ち返した。
「そうね。普通以下ね」
マリ子はたかしがトイレから戻ってくると、ラケットとシャトルを返した。
そして「あなたって優しいのね」と付け足した。
それに鋭く反応したのは明夫だ。
「ちょっとそれどういう意味さ!」
「勝手に手加減してたのはオレで、マリ子さんは関係ないんだから当たるなよ」
たかしの失言にマリ子はあーあと顔を歪めた。
その顔を見て、自分が余計な一言を言ってしまった理解したたかしは、すぐに謝罪したのだが、明夫の機嫌が直ることはなかった。
翌朝。まだ険悪な雰囲気の二人を見たマリ子はため息をついた。
「本当に……たかしって肝心なところでやらかすわよね」
「今回に限っては別に悪いことをしたわけじゃない。オレはコミュニケーションとして、明夫とバドミントンをやってたの。別に負かしたいとか、本気の勝負をしたいわけじゃない。男同士の語り合いだよ」
「私に言い訳してどうするのよ」
「マリ子さんに言い訳をするなら、これ以上明夫と気まずい雰囲気にならずに済む」
「じゃあ、私と気まずくなったら、明夫とセックスするわけ?」
「それは話を飛躍しすぎ」
「わかってる。でも口が止まらなかったの。止まらないついでに言うけど、早く仲直りしたら? 男の喧嘩ほどはたから見てて情けないものないわよ。どの年代も通じて小学生の癇癪の喧嘩の域を出ない」
「わかった……ゲームにでも誘ってみる」
たかしの考えでは、明夫のお気入りのゲームを一緒にやれば会話も弾み、謝罪もしやすくなるはずだった。
実際に明夫をゲームに誘うと二つ返事で了承し、二人仲良く並んでプレイしていた。
会話もいつも通りのもの。
たかしは全てが上手くいっていると思ったが、改めてゲーム画面に集中すると、自分が全く明夫に勝てていないことに気付いた。
二人やっているのは対戦型格闘ゲームで、小学生の頃から続いてる人気シリーズだ。
明夫は格ゲー専門ではないし、たかしもゲーム自体付き合いですることがほとんどだ。
実力は拮抗。大きな差が開いたことは今まで一度もなかった。
しかし、画面に映し出されているのは、明夫の操作するキャラクターが勝利のポーズを決めているところだった。
「待った……いつもは女キャラクターを使ってなかった?」
たかしはいつもとは違う連携コンボに翻弄されていた。
「僕は揺れるおっぱいが見たいだけで選んだんだ。レトロゲーム機の世代から胸を揺らしていた。正しく男の子心を揺さぶるキャラクターだよ」
「それがなんで軍服姿の男になってるんだよ」
「これが僕の本当の持ちキャラだから。たかし相手だと無駄なステップを踏めるから、おっぱいの揺れはニ倍増し。今までの僕は3Dのおっぱいに催眠術をかけられていた状態ってわけ。つまりデバフ状態の僕だ」
「今まで……手加減してたっていうのか?」
「一ヶ月に一度格ゲーに触れるか触れないかのたかしと、僕が同じ実力だとでも思った? でも、安心して。僕のは手加減じゃなくて常識だから。小学生を相手に本気でゲームなんかしないだろう?」
明夫の嫌味を聞いて、たかしはムッとする前に首を傾げた。
ボスの店で、小学生相手に野球ゲームで本気になっているのを何度見ているからだ。
「……世間一般的な話。お望みならいつものキャラを使うけど?」
昨日とは全く逆の立場になり、二人の言い合いは再び熱を持ってしまった。
そんな二人の口論を眺めながら、京は「なんで手加減しなかったの?」とマリ子に問いかけた。
明夫の運動神経が良くないことは周知の事実であり、バドミントンでたかしとラリーが続いているのは、彼らを知っている人間ならば、たかしが手加減しているのに気付くのが普通だ。
「心の声が聞こえたの。顔面を狙えって。でも、我慢した。天使がダメだって囁いたから。その結果シャトルは地面に一直線――のはずだった。でも、天使が訂正したの。あれはやってもいい相手だって」
「そんなこと言ってる場合?」
「どうしろっていうの。まさか喧嘩を止めろって? バドミントンとゲームで喧嘩してるのよ。私はたかしの恋人であって、母親になるつもりはない」
「難しいところね。男は恋人に母親に面影を探すから」
「じゃあ私は母親代わりで、たかしは母親とセックスしてるってこと? 明夫のゲームと一緒じゃん。ますます喧嘩してる意味がわからない」
「私はマリ子の言ってることがわからないわ……」
「B級映画と一緒。あんなつまんない内容で喧嘩してるのよ。お色気で誤魔化さないと、とてもじゃないけど最後まで付き合いきれない。仲直りさせたいなら、京がやってみれば?」
マリ子はこれから自分はバイトだからと、鼻歌交じりに家を出ていった。
残された京は、昔に弟とその友達と留守番を任された時のことを思い出した。
そして導き出された答えは、さっさと仲直りさせるに限る。小学生の余計な意地の張り合いを長引かせても、周りが気を使う時間が増えるだけだと経験しているからだ。
「それで原因はなんなの? まさか本当にバドミントンと格闘ゲームで喧嘩してるの?」
京の低く凛とした声に諭されると、たかしは冷静になって深呼吸した。
「たぶん違う……」
「まさか……」と明夫が驚愕した。「たかしの【マジックソード・ウォー】のデッキから、こっそりドラゴンタイプが不利になるトラップカードを抜いたのバレてた?」
「それで最近まったく勝てないのか……」
「言わせてもらえば、戦う前にデッキの中身を確認すれば気付けたこと。プロ意識が足りないね」
「ゲームだぞ」
「今はゲームにプロが居る時代で、子供はそれを目指す時代だ」
明夫が得意げになったところで、再び京がため息をついた。
「それじゃあ……カードのゲームの不正で喧嘩してるってこと?」
「違う……」とたかしは首を横に振った。「原因はオレ。もっと言えばオレとマリ子さん」
「まさか……また別れるっていうわけじゃないよね。くっついて離れて、くっついて離れては、アニメじゃなくてドラマだよ。うちにドラマを持ち込まないで」
明夫はまた二人に振り回されるのかと思ったが、たかしは先程と同じ動きで首を振った。
「別れないよ。ただ……次のステップへの行き方が複雑になっちゃったんだ」
たかしが正直に白状すると、京はあーと声を出して納得した。
京も以前マリ子に相談されていたからだ。『ニ度も自分を好きになってくれた相手に、どう接していいかわからない』と。
恋多きマリ子だからこそたどり着く悩みだとも言える。
「そうね……。確かにあなた達の関係は言葉以上に複雑だものね」
「恋人だろう」
明夫は全く意味がわからないと眉間にシワを寄せた。
「恋人っていうのはただの総称。アニメみたいなものよ。アニメにも色々なジャンルがあって、同じジャンルでも複雑なものがあるでしょう」
「あるある! 言葉では表せられないほどの名作が――」明夫はいい終えるのと同時にはっと、重大な気付いで目を見開いた。「たかしは今アニメを作っているんだね」
「せめてドラマを演じてるて言ってくれ……。とにかくちょっとだけ他の人が優先になって、なんていうのか……こう……」
「愛が薄れた気がする?」
「そう! それ! もちろんそんなことはないんだけど……。ボスとのダブルデートの時も、二人ほど新鮮さはなくて、なんか家での会話みたいでさ……」
「新しい愛が生まれる場にいて、自分達の関係に不安になってるんじゃない? 関係が深まれば新鮮味は薄れていくものよ」
マリ子に吐露された不安はたかしには伝えず、京は問題ないと優しく諭した。
「こんな情けないことを相談しておいて悪いんだけど……。実は……もう一つ不安なことがある」
「なにかしら」
京の問に答えるのは言葉ではなく視線だった。
たかしの視線は明夫へ、それを追って京の視線も明夫の顔へと向いた。
マリ子はダブルデートの計画を立てるのと同時に、青木が勝手に明夫の名前でやり取りしていた相手とのメッセージでの交流もしているのだ。
「ああ……そうだったわね……。でも、安心して」
「なにかいい考えが?」
「不安なのはたかしくんだけじゃない。……私も含めて二人よ」
京はやたらと明夫の相手へ本気を出しているマリ子を知っているので、どうあっても止められないことを知っていた。
「三人だよ。何その話……初耳なんだけど。急な展開は異世界転移以外やめてもらいたい」
明夫はいつの間にか、二人よりも大きくなった不安を抱えてることになってしまった。
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