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2.1チャンネルスピーカーズ  作者: ふん
シーズン4
91/131

第十六話

『いったか!? いくか? いったか? 入った! 入りました!!』

 スピーカーから大音量で実況が響くと、マリ子が何事かと二階から降りてきた。

「うるさい!」という怒号に、明夫は満面の笑みで返した。

「マリ子も祝いに来たの? 『りりこちゃん』の通算五百本塁打を」

 明夫はホームランの文字がデカデカと表示されているテレビを指した。

「童貞捨てる瞬間でも実況中継してるのかと思った」

「もっと言う事ないの? コレは二世代も前のゲーム機から続いてる歴史あるペナントレースだぞ。僕の好きなアニメキャラだけで構築されたドリームチームだ。僕が唯一やるスポーツだと言っても過言ではない」

「過言過ぎる……。あれを見て言うことは?」

 マリ子は明夫の隣に座っているたかしに目をやった。

「聞いてただろう。二世代前のゲーム機から続いてるって。あの頃のオレの思いも残ってる」

 たかしも明夫と同じように画面を指した。

 今対戦しているのは、現実に存在しないプロ野球チームの名前。

 明夫とたかしが作ったチームが対戦しているところだった。

「じゃあこの『四天王春』っていうのもたかしが考えたわけ? やっぱオタクって伝染するのね……」

「二世代前って小学生だよ。そういう言葉がカッコいい時期なの」

「その分じゃ魔王もいそうね」

「なに言ってるのさ。魔王はオレ。監督の称号」

「魔王様。まさかあなたもそれがスポーツだなんて言わないでしょうね」

 マリ子は約束を忘れたのかと、軽犯罪者を問い詰めるようなきつい視線を浴びせた。

「大丈夫だって。その証拠に五百本塁打を素直に喜べる。ああはならない」

 たかしの呆れの視線はソファーに座ったまま

「あーもう! 振り回すなよ!」と三振したばかりのバッターに本気の文句を言っていた。

「パパそっくり……。ゲームでも現実でも、男が野球に対する反応って一緒なのね。どうせチアリーダとかも好きなんでしょう」

 マリ子がじゃれるようにして脇腹を肘でついてくるので。思わず顔をニヤけさせたたかしだったが、緩んだ口元から本音がこぼれる前に正気へ戻った。

「そりゃ――危うく引っかかるところだった……」

「その答え方の時点でアウトよ。でも、チアの制服が可愛いのはわかる。だって私も着たいもん」

「マリ子さんのチア姿か……。それならいい試合が出来そう……」

「本当に? コールドゲームで試合時間短縮じゃないの?」

 マリ子の悪戯な笑みに、たかしは苦笑いで返した。

「マリ子さんって野球に詳しいんだね」

「バットは人を殴るもんじゃないって教えるのに、パパが野球をよく見せてきたのよ。それで学んだ。バットは人に投げるもんじゃない。人に投げるなら硬球が正しいって」

「マリ子さん……」

「冗談よ。ボールは投げるより、しっかり握ってたほうが脅しになる」

 マリ子は最後に勝ち誇った笑みを浮かべると「お先に」と家を出ていった。

「それじゃあ、オレも行くよ」

「行くってどこへさ。世紀の対決を見届けないの?」

「ボスとジムへ行く約束をしてるんだよ。デート前に一ミリでもお腹の脂肪を落としたいんだって」

「ボスってマリ子のこと?」

「今のは聞かなかったことにしとく」

 たかしが家を出ると、明夫はすぐさまカードショップへと向かった。



「信じられる? ボスがジム通いだなんて」

「信じられる。僕が店番を押し付けられてるのがいい証拠」

 ボスがジムに行っているので、店員は悟一人。

 大きいカードショップではないので、ワンオペでも十分回る。

 店にいるのはカードゲームをやりに来ている客がほとんどだからだ。

「僕は由々しき事態だと思ってる」

「周りに恋人が出来て取り残された感じ?」

「違う」

 悟は棒読みで「違ったかー」と落胆した。「まだ人間の感情があることに賭けてみたんだけど……」

「見てごらんよ。ボスがいないから子どものたまり場になってるだろう」

「夏休みだからだと思うよ」

「ボスがいないから注意する人物がいない」

「注意する必要がない。彼らは子供だけど、しっかりプレイスペースの料金を払ってる。君はお金も払わず立ち話をしにきたようだけど」

「僕はお金を使うタイプのオタクだぞ。ネットに漂う他人の知識と感想だけで意見するオタクとは違う。僕は自分の価値観を大事にするオタクだ。ボスの店で働いてるなら、この意味わかるだろう?」

「この店ではカードパックのサーチは禁止されてる」

 悟は明夫が手に持ったままのカードパックを指して言った。

「わかったよ。買うよ、買えば良いんだろう。言っておくけど、重さによるカードのサーチなんて九割は失敗するんだからね」



 明夫がスマホを取り出して料金を払おうとしてる頃。

 別の場所では、マリ子が同じような会話をしていた。

「ねぇ、テンチョー見てこれ。絶対似合うって。買った良いよ」

 マリ子は自分が着るような肌面積の薄いインナーを朱美店長に見せた。

「マリ子ちゃん……。今朝のニュース見た? 密林の消えゆく熱帯雨林の話よ」

「ネットで買う前に、まず実物見ないと。まさか熱帯雨林のバカでかい葉っぱでも着るつもり? 絶対オススメしない……エルフだ。妖精だって変に熱が上がるに決まってるんだから」

「布の面積が少ないって意味よ。マリ子ちゃん……。本気で私に似合うと思って勧めてる?」

「わかった……。サマーワンピで探す……。一回着てみるくらいいいのに。京も着てくれないのよね。なりたい自分の枠からはみ出すことも大事なのに」

 マリ子は口をとがらせると、今一度朱美店長の姿を見てどんな服が似合うのか考え始めた。

「自分の枠からはみ出すってことは、周りに笑われるってことなのよ」

「そんなことないって、枠からはみ出して気まずくなるのはVラインだけど、笑ったらぶっ飛ばす」

「マリ子ちゃんはいいわね。いつでも自信満々で」

「それはそうでしょう。女なんだから。男だったらまんまんじゃなくてちん――わかった言わない……」

 朱美店長に憐憫の視線を向けられたマリ子は、公共の場でするジョークじゃなかったと反省した。

「でも……そういうところも自信の現れなのかも知れないわね。少し羨ましい」

「私から言わせれば。テンチョーはまだカードパックすら開けてない状態よ。開けなきゃ。そしてデッキを確認する。そして必要なものを入れ替える。時代に合わせて常に自分のデッキを更新していかなきゃ。一年前の写真と今の自分を比べてみて。もしも同じ服を着てたら、それは年を取った証拠。テンチョーなんかまだお姉さんでしょう。谷間の一つくらい見せたって、誰もとやかく言わないわよ」

「言うわよ」

「それはテンチョーが言うタイプだからでしょう。ほら、自分をアップデート。考え方が変わるのって悪くないでしょう。それが成長なんだから」

「マリ子ちゃんって思ってたよりも、大人な考え方をするのね」

「小学校。中学校。高校で、毎年ブラを買い直してた私は悟ったのよ。女の肉体の成長に、高級ブランドはついてこれらない。みんながブラだけ買い直したって言ってたけど、私はパンツまで買い直した。思ったんだけど、これって国が支給すべきじゃない?」

「そうかも知れないわね。でも、体系が変わらない子もいるのよ」

「なら脱毛割引とかヘアケア値引きでもすればいいのよ。各々に合った支給。それが平等。待った……。前言撤回。やっぱり全部セットにしてほしいわ」

 マリ子の考え方に感銘を受けかけていた朱美店長は、今日は振り回される日だと諦めて、マリ子とのお出かけを楽しむことにした。



「お出かけに来たんじゃないんだぞ……ボス」

 たかしは床にへばりつくボスを見てため息を付いた。

 所変わって、ここはたかしがたまに芳樹の付き合いで来るジムだ。

「わ……わかってる。たかしよ……おまえさんからは寝てるだけに見えるかも知れないが……これは腹筋をしてるんだ」

「その体勢を腹筋トレーニングと言い張るなら、世界中のアザラシは毎時間腹筋をしてることになる。ボスだぞ。トレーニングしようって誘ってきたのは」

「たかしが言ったんだろう」

「トレーニングしようって? 言ってないよ」

「違う……アニメは参考にならないって。だから洋画を見て勉強したんだ。知ってるか? 奴らはデート前にジムに通う」

「自分がその俳優と同じ肉体をしてるとでも思った?」

「その気になるのはオタクの得意技だ。その気になっただけで、ドラゴンでも魔王でも倒せる。異世界転生ものは履修しとけって言っただろう。いいか? 大学生にはツーパターンある。異世界転生したやつと、異世界転生しなかったやつだ」

「異世界転生ものを読んだか読んでないかだろう。もう時間稼ぎはいい?」

「もう少し……」

 ボスは思いっきり空気を吸い込むと、倍以上の長さを使って息を吐ききった。

「運動前のストレッチでこれだから恐れ入るよ」

「言っておくけどな。運動が大嫌いなオレでも、あれが普通のストレッチじゃないことくらいわかる……。あれはオレの肉体を内側から壊しに来た悪魔だ……」

「普通じゃないのは認める。でも……断れなくて……」

 ボスのストレッチの面倒を見たのはたかしではない。

 マリ子の昔の恋人の昌也という男だ。

 既に諸々の事情はふたりとも知っているので確執はない。

 それどころか、たかしがトレーニングを日常に取り入れるようになってからは、たまに一緒に運動する仲になっていた。

 今日もジムであったので、ボスを交えてダブルデートすることを話したら、短期間でも効果のあるストレッチと運動を教えてもらったのだ。

 脂肪を落とすというよりも、体中のむくみを取るものだ。

 なので、数年ぶりに全身を動かしたボスは動けなくなっているのだった。

「断ってくれ。今のオレを見てくれ……まるで可動式のフィギュアだ。誰かにポーズを取らされるまで動くことは出来ない」

「昌也さんでも呼ぶ? まだいると思うよ」

「奴はここに住んでるのか!?」

 ボスはまた指示されたらたまったものじゃないと飛び起きた。

「住んでるわけないだろう」

「なんだ……びっくりさせるなよ」

「ただ朝から夕方までいるだけ」

「ここで働いてもないのにか?」

「生息地はここだけじゃないのを知ったらもっと驚くぞ」

「四六時中にジムにいる男だぞ。稼ぎ方のを方知りたいってなもんだ……」

「配信業だって。それだけじゃないんだろうけど」

「納得……最近多いもんなボディメイクの配信者。作るなら粘土みたくこねくり回して、造形そのものを変えてほしいもんだ」

 ボスがおじいさんみたくどっこいしょと立ち上がると、遠くから昌也が手を振って歩いてきた。

「よう! 体は温まったか?」

「顔を見た瞬間肝が冷えた……」

 ボスが嫌な奴が来たと顔をしかめるが、昌也はそんなこと気にも留めなかった。

「それはいかんな。内蔵を冷やすのはよくないぞう。……なんてな。あっはっは!」

「もうストレッチは勘弁だ……。あれはストレッチという名の拷問だ」

「おいおい……よくわかってるじゃないか! 次のストレッチはトレーニングを終えてからだ。せっかく体を温めて可動域が増えたんだ。なんなら動画に出るか? 一ヶ月でどれだけボディメイクが出来るか……興味があるだろう? ん? ん? どうだ?」

 昌也が執拗に動画出演の交渉をしてくるので、ボスは助けてくれと視線を送った。

 しかし、たかしはお手上げと肩をすくめた。

「よくも振り回してくれたな!」というボスの叫びは、昌也の声にかき消された。

「振り回すのはまだ早い。スイングロープはある程度体幹を鍛えてからじゃないとな。ようし! オレに任せとけ! ロープでもチェーンでも振り回せる体にしてやる。いいか! 太るのも一つの才能だ! 贅肉を筋肉に変えろ!」

 昌也の声が大きくなった時は誰にも止められない。

 そのことを知っているたかしは、ボスを見捨てて先に帰ることにした。



 たかしが家に帰ると、既に明夫が帰宅済みで、野球ゲームの続きをしていた。

「あれ? 進んでないじゃん」

「僕が一日中家にでもいると思った?」

「いたほうが良かったな」

 たかしは明夫が開封したカードパックの残骸を見て、お目当てのカードが手に入らず無駄金を使ったことを悟った。

「これもそれも全部君たちのせいだ。ダブルデートなんてしようとするからだ」

「拗ねるなよ。コーラでも入れてきてやるから」

 たかしが冷蔵庫の扉を開けると、明夫の「あーもう! 振り回すなよ!」という声が響いた。

「……今のってオレに言った?」

「いいや、このあきこちゃんに言った。三振グセがついてるからすぐに振り回すんだ」

「そう……なんでだろう。自分に言われた気がしたよ」

「自意識過剰なんじゃない? 自意識過剰ってうつるの? だとしたらマリ子と別れたほうがいい」


 それから数十分後。

 朱美店長との買い物を終えたマリ子が帰ってきた。

 ついでに買ってきたアイスを冷凍庫へ入れていると、「また振り回した!」という明夫の落胆の声が響いた。

「今のって私に言った?」

「本当に自意識過剰ってうつるんじゃないの? 勝手にゲームの世界に入ってこないで。……入るなら僕も入れて」

「なんか自分に言われた気がしたのよね……まあいいわ。今日はビックサイズのアイスを食べるから、夕食のカロリーは控えめにしてよね」

 マリ子はそれだけ言うとたかしを誘って自分部屋へと戻っていった。

「もうなんなんだよ!!」

 今日は全くゲームに集中できないと明夫が声を荒らげると、スピーカーからゲームの実況が流れた。

『いったか!? いくか? いったか? 入ったか? いやキレた。キレました!』

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