第十四話
「どうしよう……禁断症状だ!!」
明夫は両手を小刻みに振るわせると、ソファーの前を何度も行ったり来たりとウロウロしていた。
「明夫……まだ五分も経ってないんだぞ」
たかしは落ち着いてマンガでも読めばいいと、今日発売の週刊漫画雑誌を渡したが、明夫は手を払いのけるようにして受け取らなかった。
「誤魔化しは根本的解決にならないの! わかってるだろう」
「わかってるよ。だからオレだって我慢してるだろう」
たかしは手に持ったレシピ本とローテーブルに広げたボールペンとノートを見せつけた。
外は暑いので、家に残っている食材で昼ごはんを作ろうと考えているところだった。
「君はいいね。ライトユーザーで……。僕みたいなヘビーユーザーは、たった三分切れただけでも、身体中を掻きむしられる思いなんだぞ」
「たかだかネットの回線だろう」
現在、全国的なネットワーク回線の不具合により、パソコンからスマホにゲームに至るまで全てネットに繋げなくなっていた。
ネット依存の明夫にとっては、文字通り死活問題だった。
「たかだかネットワーク障害だって? 今ネットワーク障害が、世間にどれだけ混乱を生み出すかわかってるの?」
「そりゃもう――目の前にノートパソコンと結婚しようとしてる人がいるくらいだからね」
たかしはノートパソコンをギュッと抱きしめている明夫を、不憫な人を見るめで見ていた。
「ただのノートパソコンじゃないよ。ゲーミングノートだ。わかる? 僕の分身だよ……。どんな時でも一緒にいたんだ。ほら……覚えてる? たかしもいただろう? あの月、あの波の音。この世のものとは思えなかった……」
「そりゃそうだろう。あれは二つの月、マグマの波。三十メートルはある溶岩グリズリーの襲来。ゲームの話だ。これがこの世の光景だったら、この世界はとっくに終わってる」
「たかし……恥じるな。君だってこのパソコンには世話になってるはずだ。君が初めてVRゲームに触れたのも、このパソコンからだ。家庭用ゲーム機じゃないんだぞ。……これを大人の関係と言わずしてなんという」
「消費者またはユーザーかな」
「君はドライな男だよ……。だからオタクになれないんだ」
「別にオタクを否定するわけじゃないけど、もう少しネットがない世界に生きてみたら?」
「たったの十分程度ネット使わなかっただけで、もう教授気取り?」
「たったの十分程度で情緒不安定になってるんだぞ。講義を受けた方がいいと思うけど」
「たかしはマリ子と付き合ってから少し強引になった?」
「お互いに作用し合う。それが愛。オレも日々成長してるってこと」
「恋愛賢者様はどうアドバイスしてくれるんですかね」
明夫の皮肉った言い方に屈せず、たかしは「外へ出るんだよ」とアドバイスをした。
「君はRPGに出てくる道案内妖精のつもりかい?」
「だったとしたら、明夫を勇者には選ばない」
「それはどうかな。僕ほどアニメやゲームの世界に造詣が深い人はなかなかいない。もしもその異世界へ僕が転生ってことになったら、ちょっとした事件だぞ」
「そりゃそうだ。世紀の大ストーカーが別世界からやってくるんだぞ。こっちの世界で想像して見ろ。エイリアンの大襲来だ」
今度はたかしが嫌味で返したのだが、明夫は真面目な表情のまま、言い返すことなく固まってしまった。
「……エイリアンってのは怖いタイプのだぞ。セクシーにも可愛いにも自由に変身するタイプじゃない」
「それはスライム肌とか、メタルボディとかも入る?」
「当然」
「そんな世界の何が楽しいわけ?」
「それが現実の世界」
「もう一回聞くよ。そんな世界の何が楽しいわけ」
「それを探しに行くんだよ。ほら、行くぞ」
たかしは明夫に財布くらい持てと言うと、無理やり家の外へと連れ出した。
「どうだ! いいもんだろう! 自然っていうのも」
たかしは近所の公園にある小山の頂上で目一杯手を広げた。
「あのね……僕は引きこもりじゃなければ、自然が淘汰された未来の日本からやって来たわけでもないんだ。この程度の自然に感動しろっていうのは無理があるよ」
「夏の匂いを感じるだろう?」
「そうだね。夏が支配してるよ」
「いいこと言うじゃん。そいうことだよ」
「僕が言ってるのは、この公園は日陰が少なすぎて人がいないって言ってるの。今の子供が家で遊ぶ理由がわかるよ。冒険は家の中でするものだ」
「別に公園を走り回る姿を想像してたわけじゃないけど、もう少しなんかあるだろう。子供の頃を思い出すとか。あの頃は一緒に公園で遊んでただろう。走ったり、隠れたり、飛んだり跳ねたり」
「それもネット依存の禁断症状?」
「鬼ごっことかかくれんぼとかしただろうってことだ」
たかしは地元の思い出と重ね合わせながら公園を一周したのだが、明夫から好意的な言葉が出ることはなかった。
一つだけ「思い出したよ」と明夫は声を大きくした。「子供の頃もこうやってダラダラ歩いてた」
「遊んでたんだぞ。そんなわけない。オレを捕まえたことだってあるはずだ」
「遊んでたよ。走るのは嫌いだし、最初の鬼になるといつまでも誰も捕まえられないから、途中から勝手に鬼になって雰囲気を味わってたよ。キラーが増えるシステムって子供にはいいよね」
「雰囲気を味わうって……子供の遊びだぞ……」
「僕にとって子供の遊びはゲーム。というかゲームだってたくさんしただろう。少なくとも、小学校までの僕はヒーローだった。スポーツが得意な男子は女子にモテるけど、ゲームが得意な男子は男子にモテる」
「小学生はね」
「本当にそう思う? 昨今のストリーマーやバーチャル配信者を見て、それからもその意見なの?」
「いや……それは人気はすごいよ。オレだってチャンネルのメンバー登録してる人いるもん。でも、昨今のストリーマーは明夫の言うニュースクールだろう? オールドスクールのオタクは一線引かれてる」
「そりゃそうだよ。オールドスクールは言わばレジェンドだ。一線は引いて然るべきだ」
「ただ引かれてるんだよ。オタクの世界だって広がっただろう。なんでわざわざ閉鎖的なオタク道を選ぶのさ」
明夫は元からオタクなのだが、わざとオタクっぽく振る舞うこともある。
たかしはそこが引っかかっていた。
「マリ子が平成ギャルに目覚めかけてるのと一緒。僕はあの時代にオタクでいたかったんだ」
「あの時代って?」
「秋葉原に国会議事堂が出来そうだった時期だよ」
「……そんな時代はない」
「あるだろう。オタクが――オタクだけが経済を回してたあの時代のことだ。今はオタクと呼ぶにはあまりに淡い初夏の果実のようなユーザーも、オタクコンテンツを支えてくれてるけど、昔は推すことさえ蔑まれた時代だ。その中で時間とお金をコンテンツに捧げたオタクこそ、今のワールドワイドに広がるオタクコンテンツの土台を築いたんだ。世界にオタクの種植え付ける世界樹の苗は人間が植えたんだぞ」
二人は話しながら近くのコンビニでラムネを買うと、再び人のいない公園のベンチへと戻った。
「そこが不思議なんだよ」たかしが瓶の中のビー玉を押し込むと、空砲のように夏の空へよく響いた。「オレたち二人、子供の頃は同じ景色を見ていたはずだろう?」
「同じアニメ同じマンガを見て育ち、同じゲームをプレイして育った。確かに同じ景色を見てるね」
「なんでそんなに吹っ切れたんだ? 普通少しずつオタク趣味って増えてくもんだろう?」
「たかし……本当に僕と同じ時代を生きてた?」
「残念ながら」
「いいかい? 僕ら同じ戦隊モノを見てただろう」
「覚えてるよ。戦隊ごっこもした。ほら、いつもオレがレッドで、明夫が悪役をやってくれてたんだ」
「そうだね。それでなにか気付かない?」
「なにかって言われてもな……。オレはレッドで変身ポーズをとってるあいだ明夫は……」たかしは目を閉じて昔を思い出していたのだが、ある光景を思い出すと目を見開いた。「セクシーポーズをとってた」
「そうだ! よく思い出せたな! あの頃僕は戦隊ヒーローより、セクシーな女幹部に夢中だったんだ。衝撃だったよ……。重装備のヒーロー達と、あんなに肌が露出した服装で戦う女性。僕は本物の強さを見たね」
「見たのはバカだろう……。今の今まで引きずってるじゃん」
「失礼なことを言うなよ! 墓場まで引きずるに決まってるだろう!! 僕の原点だ。魂と一緒に連れてくに決まってる」
「本当にそうしてくれ。頼むから現世を彷徨うのだけはやめてくれ……心霊現象がややこしいことになりそうだ」
「安心して。僕の魂の行き先は異世界だ」
明夫は少年漫画の主人公のように爽やかに微笑んだつもりだったが、なれない表情と暑さからただのニヤケ面になってしまった。
「その顔で異世界に行ったら退治される側になるぞ」
「それもまたよし。最初は虐げられた僕は森に逃げ込み、そこで同じく虐げられてたエルフに拾われるんだ。舞台は魔法の世界。だけど、異世界からきた僕は魔法が使えない。ある日、エルフを襲いにきた村人達。僕は己の無力に打ちのめされそうになる。でも、この時とある力が目覚める――いや、気付くと言った方が正しいね。そう――異世界から来た僕には魔法が使えないが、魔法が効くこともない。つまり僕は魔法世界で最強の盾になったってわけ。シールドナイトの称号を与えられた僕は――」
「ちょっと待った! 途中から妄想がプロローグに変わってる……。頼むから異世界転生する時は、意識だけじゃなくて体も持っていってくれ。救急車の中で説明するのはオレなんだぞ」
「とにかく僕が言いたいのはね。僕が言いたいのは……。あれ? 魔法少女と変身シーンについて話したっけ? ほら、戦隊モノのヒーロー達は一瞬で変身するのに、魔法少女の変身シーンは合体ロボットの変形並に時間と構図を使うって。あれは芸術だよ……」
「その話はしてないし、今後もする予定はない」
「果てしてそうかな? たかしが結婚して子供が出来た時。頼るは誰だ?」
「明夫以外の誰かだ。でも、どうだ? 気は晴れただろう?」
話はこんがらがってしまったが、当初のネットから離れるという目的は達成したと、たかしはベンチから勢いよく立ち上がった。
「本当にそう思ってる?」
明夫は今までたかしが座っていたベンチを指して言った。
ベンチに残ったお尻の後はラムネをこぼしたわけではない。気温が上がってきたのと、話に興奮して体温が上がったのが合わさり、体からは汗が滝のように流れている。
さながらプール後のような状況は、側から見ても不快指数が高かった。
「帰るか……」
「そうだね。まったく……ネットを使わせたくないなら、家でカードゲームしてるのが一番だよ」
明夫はアニメのキャラクターのように肩をすくめてやれやれと呟いた。
「なんでもっと先に言わないんだよ……」
「僕ら親友だろう? 親友に付き合ったんだよ。最近運動が趣味になって、何かと外に出たがりの君ね」
「それならジムという手もあっただろう……」
「僕にはそんな手はない。だから足を使ってここに来たんだ。ジムまで行ったら、たどり着くだけで死んじゃうよ。最近のオープンワールドはそこまで不親切じゃないよ」
「残念ながら現実は不親切なんだ」
「それでよく一般人をやれてるよ。本当に尊敬しちゃう。僕は親切なネットの世界へカムバック」
明夫はポケットからスマホを取り出して見せた。回線が直ったことにより、溜まっていた通知を一斉に受信し、スマホを震わせたのだった。
汗だくのまま上機嫌にスマホをいじる明夫の姿を見たたかしは、思わず自分もスマホを取り出した。
そこからは迷いもなく早かった。
「オレもネットの世界へ旅行しよう」
たかしは汗で濡れた指先でスマホを操作すると、今日の昼は何も作る気がしないと食事の注文をしたのだった。




