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2.1チャンネルスピーカーズ  作者: ふん
シーズン4
85/131

第十話

「ほら、ここも固くなってるし、引き締まってるわよ」

 マリ子はシャツの上からたかしのお腹を触ると、頑張ってるじゃないとそのまま景気付けに軽く叩いた。

「まだ一ヶ月も経ってないんだよ、運動を始めてから。そんなに変化が起きたら、来月にはボディビルの大会に出られるよ」

「わかってるわよ。でも、一ヶ月の努力を褒めてほしいのもわかってる。だから素直に受け取っておきなさい」

「それって……こっちが使っても有効?」

「有効よ。どこが痩せた? って聞かれてもちゃんと答えられるなら」

「ずるいよ。そっちは触ってきたのに。こっちはお触りなしで仕掛けろっていうの?」

「そう」とマリ子は少し考えると「じゃあ、私の痩せたと思うところを存分に触っていいわよ」と、無防備に両手を広げた。

「……痩せなくてもいいと思う場所に変えない?」

「変えるのは場所じゃなくて時間よ。ほら、買い物すませよ。暑くなる前に行くわよ」

 マリ子はたかしの手を取ると、ご機嫌で玄関を開けて出ていった。

 夏の香りが家に侵入すると、それに鼻を鳴らすオタク三人もまた家にいた。

「聞いた? 僕らも鍛えるべき?」

 赤沼はポロシャツの袖をまくると、細い腕に精一杯力こぶを作ってみせた。

「結論。鍛えるより死ぬほうがいい。僕らの努力が実る確率より、異世界転生する確率のほうが高いんだから」

 青木はゲームの画面から目を離さずに言った。

「青木の言うとおりだ。確かに昔と違い、昨今のオタクは健康的だ。でも、決めただろう。僕らはアンダーグラウンドにいるって。アンダーグラウンドこそ技術の進化の場所だ。トレンドの卵はいつだってアンダーグラウンドで生まれる」

 明夫はコントローラーを置くと、真面目な顔で赤沼に振り返った。

 ゲーム画面には『YOU LOSE』の文字がデカデカと出ていた。

「僕は真面目に聞いてるんだ。ゲームの負けを誤魔化すための話題じゃなくて、真剣に夏を彼女と過ごすためには、僕らは苦手なジャンルへの挑戦をしたほうがいいってこと」

 赤沼の声は明るくポジティブな発言だったが、二人から帰ってきたのはため息だった。

「君も懲りないね……」

 まるで一昔前のアニメの主人公のように、大げさなアクションでやれやれと首をふった明夫は、これまた大げさな動作で赤沼の肩に手を置いた。

「僕は向上心があるだけ。立ち止まってる君達とは違う。普通の恋をして、普通に結婚。普通に子供を育てる夢を持ってる」

 赤沼はバカにするなよと睨んだ。

「僕が言ってるのは、いつもたかしが先に影響され、その次に赤沼――君が影響される」

「一番身近で一番世間に害がない男だぞ。僕らが手本にするには丁度いいんだ」

「でも、たかしは友達も増やしてるし、恋人も出来てる。僕らとは違う」

 青木は妹じゃないからどうでもいいけどねと付け足すと、再マッチボタンを押してゲームを再開させた。

 ゲーム参加者が集まるロビー画面に切り替わると、赤沼も再びコントローラーを手に取ったが、話題が変わることはなかった。

「ほら、見ろ。ゲームにまで僕らのダメなところが現れてる」

 赤沼が指したのはゲーム内でエモートを飛ばし合ってるプレイヤー達だ。

「実に軟弱なオタクだよ。コミュニケーションツールを媚びを売るのに使うとはね。その点僕らはいつも三人で固まってるから、無駄なエモートは一切なしだ」

 明夫は自分が一番正しいプレイヤーだとでもいうような口ぶりだった。

「それがもう……古代のオタクって感じ。見て、周りは華やか。僕らは同じ格好で、同じ三人だ。周りに人が寄ってもきやしない」

 イベント衣装やDL衣装など、様々なスキンでロビーに集まる世界中のプレイヤー。

 その中でもオタク三人組は、同じスキンで三人で円を組むように集まっているので、三人だけの世界が出来上がっていた。

 それに比べて、周りはジャンプでコミュニケーションを取ったり、エモート機能で遊んだり短い時間の交流を楽しんでいる。

 この状況を閉鎖的だと赤沼は危惧していた。

「最高の環境じゃないか。邪魔するものはなにもない。ルールで揉めることもなければ、友達がいるアピールためのオンライン確認フレンドになることもない。なにより気を使わなくていい」

「何回も言うけど、僕は変わりたいんだ」

「それなら、僕は妹がほしい。金髪ツインテールで生意気盛りだけど、友達の間ではお兄ちゃん子って有名な妹だ。つまり時代遅れってこと」

 青木は今更何を言っているんだと呆れた。

「交流を広げるのに、時代遅れってことはないだろう」

「それを言うなら、もうすぐサービス終了じゃないゲームの時に言えばいいだろう」

「……新しいゲームでフレンドを募集したら、相手がオンラインになってるか、それなら逃げるか、一緒に戦うかの人狼ゲームが始まるだろう。ゲーム機を起動するたびに、そんなの確認するなんて……僕耐えらんない」

 すっかりゲームのやる気はなくなってしまっていた赤沼は、コントローラーを持つものの全く気が入らずに早々で負けてしまった。

「ちょっと待った」と明夫がゲームを中断して会話に割って入った。「運動するかどうかの話が、なんで交流を増やすかの話になるわけ?」

「遠回しに彼女がほしいって言ってるんだよ」

「夏の祭典まで待てないの?」

「現実の恋人の話をしてるんだ……。例えば……その祭典へ一緒に行ってくれる相手とか」

 赤沼の甘い考えに、明夫と青木は「図々しい……」と口を揃えた。

「なんだよ! 心の中では恋人をほしいと思ってるくせにさ!」

「妹ならね。でも、妹をオタクの祭典という名の戦場に連れ出すか?」

 青木は全く話にならないと赤沼を一蹴した。

「確かに……」と、赤沼は素直に自分意見が通らないことを認めた。「性癖のダムダム弾が飛び交う場所だ。……破片が体内に残ったまま、気付けばネットを彷徨うゾンビになることもある」

「傷口は見えずとも深いからね 尻フェチコーナーで穴にハマることなんでザラだよ」

 青木はうんうんとわかったように頷いた。

「誰かが掘った塹壕は深いってこと。これどういうことかわかる? オタクだけが二次元的世界大戦を生き残れるってこと」

 明夫達が盛り上がっていると、玄関が開く音がした。

 チャイムが鳴らないということは、鍵を持っている誰かになる。

 普通に考えれば、たかしとマリ子は今出ていったばかりなので違う。京は大学の研究室にいるので、昼のうちに返ってくることはない。

 だが、明夫は家の中にいる。

 推理の時間はない。あっという間に足音は苛立ちを持ってリビングに近付いてきたのだ。

「あーもう!! 暑い! 最悪!」

 汗だくで戻ってきたのはマリ子だった。しかし、隣りにいるのは一緒に出ていったたかしではなく、ユリだった。

「叫ぶと余計に暑くなるわよ。ブラも透けてる」

「これは透けさせてるの。たかしとデートの予定だったから。でも、ユリと会ってよかったわ。普通彼女とのデート中にシフト代わる?」

「代わんない。でも、代わるから付き合ったんでしょう?」

「そうなの。向こうからのアピールじゃなくて、こっちから気付いた男の優しさってやっぱグッとくるじゃん。後輩の高校生が初デートなんだって。だから変わったんだって」

「優しいわね。でも、私はシフトを代わるみたいに恋人を変える男はお断り」

 ユリはオタクが囲むテーブルに、コンビニで買った食玩付きのお菓子を一度置いてアピールすると、それをゆらゆら揺らしてから遠くのソファーに投げた。

 すると、オタク達は餌付けされた動物のように一気にソファーになだれ込んだ。

「さっき戦争に生き残るって言ったのに。戦うつもりか!!」

 まず赤沼が食玩に手を伸ばすが、すぐさま明夫が奪い取った。

「物資補給は現実でもゲームでも大事だろう!」

「二次元的世界大戦の話をしてたのに……コレだよ」

 呆れる素振りを見せた青木だが、しっかり食玩の奪い合いに参加していた。 

「アンタらみたいな引きこもってるオタク達がどこに戦争を仕掛けるってのよ」

 空いたソファーに座ったマリ子は、汗も拭かずにコンビニで買ってきたアイスを食べていた。

「第二次世界大戦じゃなくて、二次元的世界大戦だ。二次元の性的ダムダム弾が飛び交う。女には危険な戦場だ」

 明夫が作った声でアニメのセリフのように言うと、マリ子はこれ以上ないくらい大きな声でため息をついた。

「まず女の無差別悪口のダムダム弾が一番効果がある。あと、総括して二次元っていうのやめなさいよ。普通にキモい。世間ではアニメで通じる」

「現実女の罵声なんて僕には効果なしだ。【アンリエイト】のバリア魔法みたいに、僕の体は薄い魔法の層に守れてる」

「なら声優に金払って言わせる」

 マリ子はこれならどうだと人差し指を付きつけた。

「それはご褒美だ」

「もう! ユリぃ! うちにゴキブリよりしぶとい奴いる!」

 マリ子は話にならないと助け舟を求めた。

「この暑いのに、熱くなるなんて無意味よ。せっかく家の中に入ったんだから、のんびりしましょうよ。心もね」

「じゃあオタク共のあの面の皮の厚さをどうにかして」

 マリ子は明夫が口に出したアンリエイトというRPGの話題で盛り上がるオタク三人を指した。

「現実に恋すれば代わるわよ。だって、一番の友達に恋人がいるのよ。感化されるのが普通じゃない? ねえ」

 ユリに聞かれた明夫は黙った。

 無視しているわけではなく考えているのだ。長年溜め込んだデータの中どこにもジャンル分けされない。このドキドキにまだ名前はない。明夫の心の中に新しいフォルダが一つ生まれた。

「そんな……友達の彼女の友達なんて……新しいジャンルだ。これは会議の必要ありだ」

 明夫がオタク三人を集めようとするが、それより先にマリ子が口を挟んだ。

「友達の彼氏の友達と付き合うのはよくある展開よ。少女漫画読んでないわけ?」

「少女漫画ってそんなエッチな漫画なの?」

 明夫が驚きに目を見開くと、反対にマリ子の目はどんどん細くなっていった。

「三人でやるわけじゃないわよ……。出会う前が、友達の彼氏の友達ってだけ」

「それって……第一話で敵同士だった二人が、共通の敵を倒すのに一時的に手を組み、それが嬉し恥ずかし冒険珍道中に繋がる。そう言いたいわけ?」

「違う!! 友達の友達は――オタクなにを熱弁してるんだか……。ねえユリ。部屋行こう。ジメジメしてるのに、オタクの思想で余計ジメジメしてきた」

 マリ子は立ち上がるとアイスを食べながら階段を上がっていった。

 ユリはテーブルのゴミをまとめてコンビニの袋に入れると、オタク三人に手を振ってからマリ子の後をついていった。

「ねえ……なんでたかしってあの子と別れたの?」

 赤沼は別け隔てなく会話してくれるユリに良い印象しか持っていなかった。

「優柔不断だから」

 明夫はきっぱり答えた。

「でも、僕らに比べたら決断力はある方だぞ」

「僕らと比べられるくらいの決断力だからだろう」青木はユリが妹ではないので、あまり興味がなかった。しかし、友達の恋人の友達。というワードには不思議と惹かれていた。「それより、誰か恋人作らないの? 友達の恋人の友達ってのに会ってみたいんだけど」

「今会っただろう。たかしの恋人の友達だ」

 明夫はユリこそがそうだと言ったが、青木は否定に首を振った。

「それだと友達の恋人の友達は元恋人だろう。この思い違いは処女非処女戦争に発展する。歴史を繰り返すつもりか?」

「確かに……僕が浅はかだった。謝ろう」

「でも、実際難しいだろう。友達の恋人の友達は、僕らにとっては訪問セールスと一緒だ。やつらのちょっとした図々しさが、僕らには致命傷になる……」

 赤沼は無理だから諦めようと、提案するとあっさり明夫は折れた。

「では、僕は友達とゲームをしてただけなのに、いつの間にか友達のお姉ちゃんとその友達と遊ぶことになっちゃった――という僕らの現実世界の話をしよう」

「そんなの無理だよ……」と赤沼は頭をたれた。「友達がなぜ部屋からいなくなったから話さないと。ママにお使いを頼まれたのか、それとも宿題をコピーしに別の友だちの家に言ったのか」

「本当今日の僕ってダメダメ……。それとも赤沼が冴えわたってるだけ?」

「夏の男って呼んで」

 赤沼はサラサラのおかっぱ頭をサーキュレータの風になびかせると、明夫とオタク談義を深めていった。

 ただ一人姉というワードに興味もなく、『友達の恋人の友達』という言葉に不思議な高揚感を覚えた青木だけが、スマホを片手に話半分でオタク談義に加わっていた。

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