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2.1チャンネルスピーカーズ  作者: ふん
シーズン4
84/125

第九話

 青臭い夏の香りが、太陽で温められて息苦しくさせる。

 唯一の救いは葉擦れの音が耳障りよく響くこと。

 だが、それもぬるい風。

 現在、ルームシェアハウスの不快指数は上りに上がりきっていた。

 それなのに奇声が聞こえないのは、家の中にマリ子がいないことを示していた。

 現在いるのは、たかし、京、そして芳樹の三人だった。

「おい……。なんでエアコンを入れねぇんだよ」

「明夫が一日中使うから今は節電中なんだ。知ってる? 明夫の部屋はゲーミングパソコン起動すると三十度超えるって」

 たかしは想像しただけで汗がでると、すぐに考えるのをやめた。

「知らねぇよ。オレは冷たい風を浴びて腹を壊しに来たんだぞ」

「壊したいなら手伝うわ。人がいくつアイスを食べたらお腹を壊すかに興味があるの。さすがにマリ子で実験するわけにはいかないから」

 真顔でさらっと言ってのける京に若干の恐怖を感じながらも、芳樹は負けてたまるかと無駄に声を張った。

「なんだっているのが、ザ・普通と男女なんだよ」

「あら、私は女男よ。男女はあなたの友達」

「おい、たかし。言い返す必要がないけどムカついた場合はどうしたらいい?」

「知らないよ。大人しくしててよ。芳樹がいるだけで二度は部屋の温度が上がるんだからさ……」

 たかしが暑苦しいとポータブルの扇風機を自分の顔に当てると、ぬるま湯に撫でられてるかのよう微風が不快に肌を撫で抜けた。

「情けねぇ……情けねぇ。良い歳の男と女が部屋でゴロゴロしてるだけなんてよ」

「あなたもそのうちの一人よ」

 京は時間が経ってぬるくなったコーヒーにミルクを足すと、ゴクゴクと喉を鳴らした。

「オレは彼女がいる。……今はいないけど」

 急に声のトーンを落としたたかしに、芳樹は「は?」とまるでイチャモンをつけるかのように近づいた。

「今日は負けたのよ。デート競争に」

「ああ……」と、芳樹は一瞬で理解した。「まだユリと彼女を取り合ってるのか。なあ? 聞いてもいいか? 元カノと今の彼女を取り合うってどういう状況だよ」

「オレが聞きたいよ。確かに関係をややこしくしたのはオレかもしれない。でも、デートプランの提出制ってどう思う?」

「面白えよ。他人事だからな。ついでに、老後の計画も聞いておこうぜ」

「オレは本気で悩んでるんだ。夏なのに彼女とデートできないんだぞ」

「でもエッチはし放題なんだろう。実に正しい大学生の恋愛だと思うけどよ。自慢か? さては自慢だな」

「いいえ、本当に悩んでるのよ。この間はアイスの半額券で釣ろうとしたけど、無料券に負けたのよね? アイスを二つ半額で買っても、一つを無料でもう一つ買っても同じなのにね」

 京はここ最近のたかしとユリのデート勝負を楽しんでいた。

 というのも、二人が取り合ってるマリ子とも友人で、ユリとも友達。二人は逐一SNSで連絡してくるし、残りのたかしもマリ子とユリのことをやたらと説明してくるので、京は三人の関係性を一番熟知しているのだ。

 現在はユリが優勢。

 たかしとは二度目の恋ということもあり、前ほどの新鮮さがなくなったというのもあるが、今は彼氏にヤキモチを妬かせるのが楽しい時期でもある。

 相手が男ではなく女なら、気を咎めることなく調子に乗ることができるのだった。

「昨日なんか明夫と当番を変わって、ディナーを作ったんだぞ」

「まあまあの出来だったわね。次に期待ね。でも、サーモンのマリネは絶品だったわよ」

「おい、オレは食ってねぇぞ」

「食べたかったら、冷蔵庫に残ってるけど!」たかしは怒鳴ってから、声をを荒らげたのは八つ当たりだと後悔した。「ごめん……」

「謝るなよ。うまいぞ」

 芳樹は許可が出る前から勝手に冷蔵庫から出して食べていた。

「食ったな」

 芳樹の気を使うことのない陽気と傲慢さから、たかしの罪悪感はすぐに消え、逆に芳樹へ強く出ることができた。

「食べて良いって言っただろう」

「食べたからには、対価を支払ってもらう」

「せめてシャワーは浴びさせろよ。夏だぜ」

「芳樹! オレは真面目だ」

「わかってるけどよ。真面目に恋人を元恋人から取り戻そうとしてるんだろう。オレはユリと幼馴染だ。言いたいことはわかるな?」

「彼女のネタを持ってる?」

「あいつは意固地になるってことだ。付き合ってたならわかるだろう。今は元恋人から恋人を奪うのが楽しいんだ。言っとくけど、もうたかしに興味がないのは本当だぞ。あいつが一番嫌いなのは裏切り」

「わかるよ。別れる前にもひと騒動あったからね」

「わかってない……。昔オレがユリのお気に入りのぬいぐるみをボロボロにした時……。オレのトレーディングカードは全て燃やされた……小学六年生だぞ。信じられるか?」

「小六で友達のぬいぐるみをボロボロにする方が信じられない」

「あの頃は男子と女子。毎日が戦争中だったんだ。これがどういうことかわかるか? 皆童貞を捨てるのが一歩遅れたってことだ。意味がわかると怖い話だろう?」

「小六で子供みたいなことやってるから、大人になるのが遅れたんだろう」

「言わせて貰えば小六は子供だ。つーかよ、オマエも男なら奪うくらいしてみたらどうだ?」

「した。そうしたら向こうも付いてきた。新しい下着のお披露目会するんだって。……オレは追い出された」

「そういう時はオレを呼べよ」

「オレの恋人と芳樹の幼馴染だぞ」

「それでも呼ぶのが友情だ。そう思うだろう?」

「そうね。性的秘密を抱えた男子二人が、悶々とする様子を観察するのは楽しそう。何日までなら耐えられそう?」

 京の突拍子もない言葉に、芳樹は詐欺師でも見つけたような視線で返した。

「この女は不気味だ」

「あら、ありがとう」

「聞いたか? お礼を言ったぞ」

「皮肉だよ」

 妙案が出ないとたかしが諦めたときだ。

「良い考えが浮かんだ!」と芳樹が声を大きくした。「たかし、オマエは昔の恋人と今の恋人で板挟みになっている。だから板挟みにしてやれば良いんだ!」

「どうやってさ」

「まず、マリ子と別れろ。そしてオレが付き合う」

「で?」

「それで終わり。今考えが変わった。せっかく付き合ったのに、オレが別れる必要ってあるか?」

「そもそも付き合うことがないね。だから無駄な妄想をする必要もない。京さんは何か聞いてない?」

「黒の下着を買ったそうよ。ほぼお尻丸出しの」

「……聞いてない。でも、ありがとう。そうじゃなくて……男として物足りないとか、男として役に立たないとか」

「言われてて欲しいの? よくやってるわよ、たかし君は。少なくとも私が知ってるマリ子の男遍歴の中では一番良い男よ」

「ちょっと待った!」と芳樹が右手を挙げた。「ザ・普通だぞ。本当に一番良い男か? マリ子だぞ。ミュージシャンとかスポーツマンとか、一発逆転でプロフィールに金持ちって書けるような奴が色々いただろう」

「いたわ。でも全員つまらない。男として当たり前の行動をするんだもの。その点たかし君は明夫君に振り回されている分、面白い行動が多くて助かるわ。来季の選択講義、人間学も履修しようかしら」

「そんなわけねぇ。たかしだぞ。他の男と同じ行動をするに決まってる」

「ガスだまりで背中を痛める男は稀よ。それも、自分があと回しにした結果だってわかってるのによ」

「確かに変だな。オマエは変人だよ。変人の中でも普通だけどな」

「わかったよ……。エアコンをつければいいんだろう」

 これ以上話のネタにされてたまるかと、たかしはエアコンの電源を入れた。

 すぐに室温が下がる訳ではないが、こもった夏の空気をこじ開けるように冷風が流れ込むと、三人が同時に落ちつきのため息をついた。

「これぞ日本の夏だ。風鈴、扇風機なんて過去のもの。エアコンとサーキュレーター。一瞬で冷えるぜ」

 芳樹はサーキュレーターの首振り機能を止めて、自分にだけ強風に当たった。

「まるで戦争ね……。趣がないわね」

「ほら、京さんが暑いってさ」

「違うわ。せっかくの暑い部屋。やることはもっとあるんじゃないかしらと思って」

 そう言うと、京はシャツの胸元に指を入れて冷たい空気を取り入れた。

 芳樹は「なるほど……」と頷くと、エアコンの電源を切り、窓まで締め切った。

「なるほどってのは、理解した時につぶやく言葉だぞ。夏にエアコンを切るアホが言っていい言葉じゃない」

 一瞬の涼しさだけでお預けを食らったたかしは、苛立ちのまま芳樹を睨みつけた。

「おい、大声を出すなよ。汗をかくぞ」

 芳樹はニヤリと笑った。

「第一に大声は出してない。第二に汗はずっとかいてる。そして、第三。下心が顔に出てる」

 芳樹が京の乱れた姿を見たいのは、だらしのない口元から見て明らかだった。

「おいおい……。挑発してきたのは向こうだぜ」

「京さんが? 芳樹を?」

 たかしはそんなことありえないと、確認のために京を見たのだが、目に映ったのはしっかりと頷いた京の姿だった。

「ええ、そうよ。この間明夫君が見ていたアニメでやってたの。夏の我慢大会を。男は本当に基本スペックを煩悩で超えるのか気になるわ」

「熱中症になっちゃうよ。そんなので緊急搬送されてみなよ。ネットのおもちゃ箱に放り込まれることになる」

「それもそうね……残念だわ。芳樹君が一番適任だったのだけど……」

 友人のマリ子と公子には当然頼めない。

 オタク三人は試すまでもなく倒れるのがわかっている。

 残るのは男三人。それも一番頑丈そうな芳樹に白羽の矢を立てられたのだった。

「任せろ!! 当然勝負だろう?」

 芳樹は鼻息荒く言った。

 これだけの暑さ。京も大量の汗をかくのはわかりきったことだ。

 マリ子のような出るところが出ている体型は少しの汗でもわかりやすく映えるが、スレンダーな京の汗で乱れた姿というのはなかなか見る機会がない。

 少しの汗でシャツが張り付いても服の皺に隠されてしまう。その隠された色気を想像して、芳樹はルアーを投げられる前から食いついているのだ。

「構わないわ。時間はどうする?」

「時間なんて気にすんな。ぶっ倒れても俺様が優しく介抱してやるからよ!!」

「開放? ドアは開けておくの?」

「介抱だ」

「快方したなら良かったわ。でも、病み上がりに我慢大会は酷よ」

「だーっ! もう!! 介抱だつったら介抱だ。介抱介抱介抱介抱介抱介抱介抱介抱介抱かいほうかいほうかいほうかいほう」

「崩壊? 確かに崩壊してるわね……」

 京がキョトンした顔で見当違いのことを言うので、顔を真赤にして介抱と連呼していた芳樹は、もう付き合いきれないと癇癪のように大声を上げた。

「もういい! エアコンをつけろ! これ問答を繰り広げたら頭が爆発する」

「もうとっくにつけてる……。気付かないだけだろう。暑さを和らげるにはじっとしてるのが一番だ」

 オーバーアクションで騒ぎ立てる芳樹と違い、たかしと京の汗はとっくに引いていた。

 芳樹は一人で暴れ、興奮し、熱気とともに上がった体温で苦しんでいただけだ。

 一度冷静になれば、汗だくの身体は冷風を受け入れ、乾燥した空気が優しく濡れた肌を撫でた。

 しばらくそのまま無言だった芳樹だが、蛇口から汲んだばかりぬるい水をごくごくと飲み干すと「……仕組んだな」とたかし京の顔を睨んだ。

「仕組んだもなにも……クーラーが入れば汗は引くし、興奮してたら汗をかくのは当たり前のことだろう」

 たかしが困って見てくると、京は頷いて肯定した。

「私もたかしくんと同じよ。我を忘れた人間が、いつクーラーの存在に気付くのか。なかなか興味深かったわ」

「おい! たかし!!」

 からかわれたと距離を詰める芳樹に、「オレは違うよ!」とたかしは弁明を繰り返した。

 その間。京はリビングをゆっくり周り部屋様子を確かめていた。

「わかったわ……。導き出された答えは――そこよ」

 京は芳樹を指した。

 芳樹が触っている場所はたかしの隣。つまりいつもはマリ子が座っている場所だ。

 サーキュレーターの向き、エアコンの位置を考えると、マリ子の場所にだけ冷たい風が当たらないようになっていた。

 犯人は考えるまでもなく明夫だった。

 マリ子との口喧嘩に負けた明夫の隠れた復讐だ。

「なんて手の込んだことを……」たかしはさすがに芳樹も怒るだろうと思い、フォローを入れようとしたのだが、様子が違うことに気付くと声をかけた。「芳樹? 大丈夫か?」

 芳樹はソファーに座ったまま一箇所を見つめたまま「落ち着けオレは冷静だ。見ろ。この顔を」と優しい声で言った。

 実際に芳樹の顔は演技ではなく和らいでいた。

 一体何かと思いって芳樹の視線を辿ると、そこではスカートだけ布で作られている特別仕様のフィギュアが飾られていた。

 なにが特別仕様なのかと言うと、特殊な重りが縫い付けられており、風の循環によって艶めかしくはためくのだ。

「……問題は解決」

「あら? そうなの?」

「芳樹はしばらく立てないからおとなしくなる。おとなしくなれば体温は下がる。体温が下がればイライラすることはない」

「イライラよりムラムラなのね。やっぱり……我慢勝負をしても面白い結果になったかもしれないわね」

「そんな無茶なことを……」

「そうかしら?」

 京は口元に笑みを浮かべると、シャツの首元を引っ張った。

 数十分前にも同じ行動をしたのだが、その時になかったネッククーラーをいつの間にかつけていたのだ。

 そのまま自室へ戻っていく京の後ろ姿を眺めながら、たかしはクーラの風ではないなにかに背中を冷やされるのを感じていた。

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