第六話
「うおぉぉぉぉぉ!!」という雄叫びは、テレビから流れる昨夜のプロ野球ニュースの結果VTRでもなければ、明夫がプレイしているゲームの効果音でもない。
公子がソファーに座る京の膝に顔を押し当てて号泣しているのだった。
「うおぉぉぉお! 会社いぎだくないお……」
「でも、もう家を出ないと遅刻するわよ」
「夏休みだからって偉そうに!! この学生風情がぁ……」
「じゃあどうする? 有給使うの?」
京が頭を撫でると、公子は「いぐぅぅぅ……いぐよ……」と小動物が威嚇するように、喉を鳴らしながら言った。
外は晴れ。
期待と興奮を予感させる夏の熱線がジリジリと肌を刺激し、弾けるような熱帯の草花の香りが風に混じる。
アウトドア派で体を動かすのが大好きな公子は、こんな運動日和の日に一人だけ社会の歯車に組み込まれるように出勤するのが寂しくてしょうがなかったのだ。
ただでさえ昨夜はマリ子の部屋にお泊りして、京も交えて三人で盛り上がったばかりだ。仲間内で一人だけ身支度を整えて家を出ていくのは後ろ髪を引かれて当然だった。
だが、そう簡単に社会人が仕事を休めるものでもないので、公子は顔を涙でぐちゃぐちゃにしたまま出勤していった。
「大丈夫なの? あれ……」と心配したのは明夫だった。
「あら、珍しいのね。現実の女性の心配だなんて」
「だって、どう見たって子供が泣いて登校してるように見えるもん。僕だって通報する」
「大丈夫よ。あれで大人なんだから」
「いいや、急にアゲハチョウが頭に止まったかと思えば、次の瞬間戦国時代に飛ばされて、ロリ大名になってることなんてざらにある」
「……日本語で喋ってもらえるかしら?」
「今頃は伊達政宗か上杉謙信になってる可能性があるってこと。俗説のせいで上杉謙信が女性化することが多いけど、僕は断然伊達政宗派。属性盛りすぎって感じは否めないけど、それぞれが別の属性に尖ってるからいいんだよね。混ざらないからこそ光る個性ってあるだろう? 恥ずかしがり屋の女幹部――カッコセクシーな衣装バージョンカッコ閉じ――とか、お姫様――カッコ腹筋割れてるカッコ閉じ――とか」
「……地球の言葉でお願いできるかしら」
「知らないの? この世で起こり得ることは、全て先に美少女ゲームで再現されてるって。現代における過去の名作SFと言ってもいい」
「言ったらダメだと思うわ」
京は冷めたコーヒーに口をつけると、この話を広げるべきか悩んだ。明夫を筆頭とするオタク達の会話は京にとって宝の山だ。話題。思想。どれをとっても興味が尽きないもの。
しかし、ルームシェアに参加してからというもの、興味にはそれなりのリスクがついて回るということも理解したので、なんでも話題に飛びつくのは身を滅ぼすと実感した。
なので、付かず離れずの距離の会話を明夫と繰り広げていた。
気のない返事に気付いた明夫は「君の友人のピンチかもしれないんだぞ。よく平気でいられるな」と京を責め立てた。
「やらないわよ。悪の女幹部ごっこも、密偵ごっこも」
心の内を見破られた明夫は「わかった……」と少し不機嫌になった。「じゃあ話を変えよう。オタクの想像力の話だ。君達がバカにしてるオタクがいかに偉大な考えをしてるかってこと」
「バカにしてるのはマリ子よ。でも、面白そう。続けて」
「続けるのは君だ。ほら、なんでも言ってみてよ」
「なんでも言ってみてと言われても……」
「簡単だ。君がありえないと思うことを言えばいい」
「そうね……悪に負ける正義の味方とか」
京は自分の弟のことを思い出し、もし無敵のヒーローが負ける姿を想像したら泣きそうだと思って言った。
「ちょっと……バカにしてる? そんなの聞くまでもなく存在してるに決まってるだろう」
「私が言ってるのはピンクや青みたいなヒロインじゃなくて、赤や黒みたいな男のヒーローの話よ」
「言わせてもらえば青は男でも女でもいける。とっくの昔に歴史が答えを出したんだ。戦隊シリーズを語りたいならせめてカラーバリエーションにおける作為的な傾向を理解してからにしてほしいね。そして、君の答えにはこう返させてもらう。男のヒーローは悪の女幹部に屈服される為の存在だ。大人たちはずっとヒント出してたんだ。子供の頃から目に映る悪はセクシーな女幹部。オタクの成人式はヒロインではなくヴィランに目を向けることから始まる。わかるね? 清楚なあの子が目尻を尖らせてる。それはあっちの世界からのサイン」
「わかったら何かを失う気がするわ……」
「そうお金を失うんだ。人の想像力に対価を払う。実に素晴らしい制度だと思わない? オタクはお金と一緒に文化を回してる」
「今……人も振り回してるわよ……。わかったわ。冷蔵庫。これならどう?」
京はたまたま目に入ったキッチンの冷蔵庫を見ながら言った。
「無機物の擬人化っていうのは、もうひと財産を築けるほど発展した文化だ。今はやり過ぎることなく、皆でルールを守りましょうという文化遺産的。だから今はご当地キャラだったり、企業とコラボしたりする。それも全て美少女ゲームが根付かせ、ユーザーが発展させたものだ。だから、今は無意味にエッチな格好をさせるんじゃなくて、ご当地の名産に寄り添ったメイキングがされてるキャラが増えてきただろう。造形からカラーリングまで、オタクは新たなものをトレンドにする神だ。今の流行りも全てオタク文化からの逆輸入――って聞いてる?」
タブレットに手書きで文字入力をする京を見て、話を理解していないと明夫は眉をしかめた。
「聞いてるわ。ちゃんとメモまで取ってるのよ」
京がタブレット端末を裏返してみせると、明夫が熱く語った内容の要約が書かれていた。
「どうやら君は優秀な生徒のようだ。マリ子の親友というのが信じられないよ」
「それで。そんな日本の経済の一部を牛耳るオタク文化。その中でも明夫君が熱弁する美少女ゲームは廃れたのかしら」
「いいかい? 美少女ゲームの文化というのはオタクには過ぎたるテクノロジーだったんだ……。悲しい話だよ。なんでも表現できるおかげで、人が分散しすぎてしまったんだ。その結果ブランドの乱立。顧客の取り合い。性癖への誇大広告。理想郷はディストピアだったんだ……。乱雑に積み上げられ多文化は、時代の風に吹かれて崩れて散らばってしまった……。3Dアイドル。ガチャ文化。果ては音楽のジャンルから映え写真まで……美少女ゲームの影響は薄く僕らに根付いてるんだ」
「わからないわ……」
「そうだろうね。とくに最後の映え写真はコマ送り文化とスクリーンショットという一瞬を切り取る侘び寂びのオタク文化を知らないと理解できない。そこにはゲームのタイムアタック文化というのも関わってくる。実に複雑なパズルだよ……。きっとこのパズルを組み立てられた人は、もう一人自分に出会えるよ。それほど偉大な思考のパズルだ。その僕が時代に反したロリフェイスの彼女を心配してるんだ」
「あら……そこへ戻るのね。それで公子は無事会社に辿り着けそう?」
「それは彼女の属性による。オタクの剣は鋭いんだ。どんな物でも切り取って推し属性に変えちゃうんだ」
「彼女は現実という名のバリアに守られてると思うわ。言い方を変えれば警察ね」
「なるほど……おもしろい。最強の矛と最強の盾が戦うわけだ」
「いいえ。最強の魔法を唱えるのよ。ハラスメントって」
「ファンタジーをバカにする人に限って、現実世界で使える呪文を唱えるんだ……。最近じゃマジックポイントより精神ポイントの方がしっかり来るよ」
「それは面白いわ」
「面白いもんか」
「人によってダメージが変わるなんて、ゲーム要素たっぷりで明夫君好みだと思うわ」
「ふむ……続けて……」
「簡単な話よ。好きって言葉や嫌いって言葉。単純なものだけど、誰に言われるかで物凄い印象が変わるでしょう」
「それってみーたんとか三坂姉の甘々ボイスと、あぽろちゃんとか米山薫みたいな低音の甘々ボイスで印象が変わるってことだろう」
「……違うわ」
「じゃあなんでみーたんの「よしよし」ボイスでは癒やされて、あぽろちゃんの「よしよし」ボイスだと右の乳首がうずくのさ」
「……知らないわ」呆れると、京のズボンのポケットから振動音が鳴った。一度立ち上がってスマホを手に取ると「大丈夫みたいよ」とスマホの画面を明夫に見せた。
公子からメッセージが届いており、現在電車の中にいて、夏休みで開放的な服装の学生に苛ついているという内容が書かれていた。
しかし、明夫にはその内容が読み取れなかった。
「メッセージ届きすぎだよ。彼女メンヘラなの?」
「寂しがり屋なのよ」
「つまりヤンデレだ。彼女一人でどれだけ属性をつけるつもりさ。個性の多さは個性の強さじゃないって知らないのかな?」
「知らないと思うわ」
「君達はいつもそうだ。知らないを知らないままで通そうとする」
「君達っていうのは女性ってこと?」
「違う。”現実の”女性だ。知らないをなくそうと練り上げられたのが美少女ゲーム。AIの規制問題で話題になってるけど、力あるものに規制が入るのは当然のこと。そして美少女ゲームもまた規制と戦ってきたコンテンツ。つまり力のあるコンテツってこと。言っておくけど美少女ゲームなんていうのは、上澄みだからね。同人コンテンツ。鍵アカウントと深く潜れば潜るほど、僕らは人間とは離れた存在になっていくんだ」
「それは恐ろしいわね」
「恐ろしい? 恐ろしいもんか。それこそが二次元と心を繋ぐ唯一の作業だ。現実世界という制限の中で出来ること。人間でいることに毎日に無力さを感じるよ……」
「誰かが作ったコンテンツにそこまで熱を上げられるのはすごいことね」
振り切れる方向が正しいとは思わないが、好きなものをとことん好きでいようという明夫の姿勢に感心した京は、ある種究極の質問をしてみた。
「現実の恋愛に興味がないと言うけど、全てを理解して楽しんでくれる女性が現れたらどうするの?」
「全てって僕の全て?」
「ええそう。まるのまま全てよ」
「そんなのありえない。自分でさえ外付けSSDの中身に恐怖してるんだ。オタクはいつの日もお金と容量とパソコンの熱と戦ってるんだぞ」
「でも、共通の敵に向けて仲間が出来るのは普通のことでしょう?」
「パソコンが悪の大魔王だとでも言うのかい? ならば僕の答えはこうだ。世界の半分をもらって理想郷を作り上げる。なぜなら僕には魔族差別がないからだ。ビキニアーマの戦士からレオータードサキュバスまで、ペガサスに魔法のランプ。僕の作る世界はワンダフルでいてブラボーなんだ。この意味わかる?」
「わかるのは語彙の消失ってことね」
「君の想像力が鍵ってことさ。オタクはみんな想像力の鍵を持ってる。しまってあるものは同じ、現実では飾りきれないオタクグッズってこと。思い出のフレームに飾ったほうがいい作品もたくさんあるからね」
明夫は笑顔で言い切ると、自分事を誇らしく思うように照れて笑った。
「想像力のベッドにたどり着くのは大変そうね……」
「それはありえない。想像力のベッドにたどり着く時はオタクが死んだその時だ。たどり着いた時には、僕の頭の中の図書館は崩壊する」
明夫はオタクの活動をやめたときのことを仰々しく言っているのだが、京はそれを童貞を捨てて現実と向き合った時だと思って聞いていた。
そうして色々考えた結果一つの結論に落ち着いた。
「なるほど……。楽しかったわ。これお礼よ」
京はカバンの中から食玩を出すと明夫に投げ渡した。
「なになに!? なにこれ!」明夫はきれいに箱を開けて、チョコの中からミニフィギュアを取り出すが不満顔だった。「あー……なんだよ……これ持ってるやつだ。急になに?」
「図書館を崩壊させたら世の中に迷惑がかかると思って」
「なるほど……君は次元の番人になりたいわけだ。でも、ご心配なく。僕の記憶の図書館にはスーパーメイドがハイパー執事共に働いてるからね。僕の脳細胞はメイド服と執事服のコントラストで出来てるのさ」
「これはさすがに処理しきれないわ……」
京は明夫の想像力にはついていけない自分の不甲斐なさと、まだ一般人でいられるという妙な安堵感にメンタルを少しやられながら、逃げるように家を後にした。
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