第四話
「うそ! 五〇〇キロカロリーもあるわけ?」
夕食後に食べようと思っていたお菓子のラベルを見て、マリ子は悲鳴にも似た声を上げた。
「コンビのお菓子って言うのはそんなものよ」
京は三人分の食器を重ねると、それをシンクへ運んだ。
今日はたかしが急遽夕方から深夜へのシフトに変更になったので、今日の夜はマリ子と京と明夫の三人だった。
いつもなら夜遊びに出かけるマリ子も、金欠気味なので泣く泣く家にいるしかなかった。
「でも、ふわふわって書いてある。ふわふわしてるのにカロリーあるって詐欺じゃない?」
「そのすぐ下にあるもちもちって文字は読まなかったの?」
「読めなかったの。成分表のところに割引シールを貼るのってズルいと思わない? もちもち分のカロリーが勝手に増えるんだもの。これは事件よ」
「勝手に増えることはありえないわ」
そそっかしいマリ子もいつも通りだと、京は話題を打ち切ろうとしたのだが、突然明夫が真面目なトーンで話題に入ってきた。
「事件? ありえない? なるほど……僕の出番のようだね」
明夫は顎に手を当てて考える素振りをしたまま、マリ子が持っているお菓子の袋をじろじろ眺めた。
そして、そんな挙動不審な明夫をじろじろ眺めるのは京だ。
「あら、探偵ごっこ? 面白いわ」
「子供の探偵ごっこは面白いけど、二十歳を超えてからの探偵ごっこは面白いの意味合いが違う」
マリ子は関わらないほうがいいと忠告したが、こんなチャンスはないと京は立ち上がった。
「だから面白いのよ」
「私は忠告したわよ」
マリ子はろくなことにならないと自分はお菓子を食べて我関せずを貫こうとしたのだが、明夫がマリ子の前から離れることはなかった。
思わず「なに?」と聞くと、「しぼう確認」と明夫がつぶやいた。
「は?」
「脂肪確認……って言ったのが聞こえなかった? 包み紙はマリ子の手。口元にはコンビニ先行発売ミントクッキーのクリーム。カロリーは彼女の中だ。だから脂肪確認。これは事実だ」
「暴行事件と殺人事件。どっちの事件を解きたい?」
「君は疑っているようだけど。様々な事実から繋ぎ合わせられた真実だ」
「疑ってない。食べてるのは私。ムカつくからぶん殴ってやろうと思ってるところよ」
「いいかい? まず、君は最近カロリー表示を気にしている。夏に向けてのダイエットが無駄にならないようにね。だから値引きシールが張って合っても絶対に確認する。なぜしなかったか。言い訳が欲しかったからだ。見ないふりでカロリー摂取を曖昧にしようとした。自分の体を騙そうとしたんだ。そして、これらが故意であることの裏付けは、そのお菓子のカロリーは七〇〇キロカロリーだ。僕がアニメコラボのお菓子の食品栄養成分表を間違えると思う? チョコミントクッキーが好きなのは【ロンリネスクラブ】のミサとケンのカップル。チョコミントは二人のカップルカラー。わかる? 全てを繋ぎ合わせた答えはこうだ。おまけのシールはなんだった?」
「見事よ、シャーロック」
京は小さく拍手を響かせた。
「あーもう……構ってらんない。おまけのシールも推理したら? 名探偵さん」
マリ子はお菓子とティーカップを持つと、誰にも邪魔されずにゆっくり食べるために自分の部屋へ行ってしまった。
残った明夫はまだ名探偵気取りで、マリ子がこの場から逃げるようにいなくなったのを不審がり、それを面白く思った京は適当な言葉で明夫を乗せて、どんな行動を取るのか観察していた。
「おかしい……なぜ被害者が逃げた」
「近しい人間に聞き込みするのが一般的よ」
「近しい?」
「そうよ。被害者と仲がよくて、この時間でもフットワークが軽い人物」
京は時計の八時と言う文字盤を見て、早速ある人物に連絡を取った。
そして一時間もしないでその人物はやってきた。
「なんだよー。一人で居酒屋かにも行けない。コンビニでIDを見せても偽造だと疑われる。だからって暇とは限らないんだぞ。言っとくけど社会人は忙しいぞー。そりゃもう地獄さ。平日の夜に急に連絡をもらっても、都合が合うかどうか微妙なところ。そこまで考えが至らないのが学生だよね」
公子は腰に手を当てると、コーヒーの蒸気を吐息で踊らせる京に得意顔を見せた。
「そう言うわりにはすぐに来たみたいだけど?」
「それくらい寂しいのもまた社会人。学生のうちだけだよ。その日その気分で遊べるのなんか。……それでなにして遊ぶ? カラオケ? ミヤちんがいるなら居酒屋も行けるじゃん。イタリアンの良い店出来たの。ワインがめっちゃ美味しんだって。それとも夏のドライブと洒落込む? ……もしかしてゲーム大会じゃないよね?」
公子は京の隣に当たり前のように座っている明夫を見て、睨むように目を細めた。
ここにいるのがマリ子ならば楽しい夜が約束されているのだが、マリ子は部屋で音楽をイヤホンで聞いているので来客に気付いていない。確率として一番高いのが、オタクとの遊びに付き合わされること。
そして明夫の「彼女は役に立つのか? ワトソン君」と言うセリフで、公子はオタクの遊びに誘われたのだと理解した。
「ちょっと……オタクワールドに引き込まないでよね。私は超アウトドアで超肉食なの。ごっこ遊びなんてしてたらカビ生えちゃうよ。シャーロックホームズごっこをするくらいなら、夜の公園を走りに行こうよ。今ぐらいの夜が一番走りやすいの」
「そのオタクに惚れてたのはどこのだれ?」
「あれは可愛いオタクちゃん。痛いオタクじゃない。見て、もう夏なのにトレンチコート着てるのよ。まず自分の脳みそが正常に動いてるか推理するべきだよ」
いつの間にか着替えていた明夫に一瞬京はギョッとしたが、これはこれで公子も逃げられない状態になったのでチャンスだと思った。
「シャーロックに失礼よ。レストレード警部」
「巻き込まないでってばぁ……だいたいさぁ……事件ってなにが起こったの? 推し声優が結婚したとかだったら、これから本当の事件が起きるよ」
巻き込まないでと言いつつ詳細を聞く。徐々に明夫の影響力の波に飲まれていくのに公子はまだ気付いていなかった。
「良い質問だ。そうだな……今回の事件は。ふわふわともちもちのランデブー事件と名付けよう」
「京ぉ……オタクが会話をしてくれないよぉ」
「簡単なゲームよ。数日後マル子の体重がどうなってるか。増えてるか減ってるか」
「トトカルチョじゃん! なんだ。それならそうと早く言ってよね。なにかける? いつの飲み代? 次の飲み会分? 次の次の飲み会分? それとも思い切って旅行代とかいっちゃう?」
オタクのごっこ遊びではなく、賭け事だと丸め込まれた公子は楽しくなってきたとテンションを上げた。
まるで躾のなっていない小型の室内犬のように部屋の中をうろちょろして、勝手にマリ子のおやつを棚から取り出し、冷蔵に入れておいた自分用のビールを持ってきた。
明夫は不満げに「そんな話じゃないだろう」と眉間に皺をつくった。
せっかくの【シャーロット・ホームズ】の妄想遊びが台無しになると思ったからだ。
「いいえ、これでいいのよ。あなたは脂肪を確認したわ。それから考えればいいの」
京が思わせぶりなことを言うと、明夫ではなく公子が「カロリー計算だ!」と声を大きくした。
「カロリー計算だって?」
明夫はバカなことをかぶりを振った。
「そうお菓子の袋にはカロリーが表示されている。そして、マリちんはまだダイエットメニューを続けてる。ダイエットメニューを作ったのは私。カロリー計算なんて毎日やってる楽勝!!」
公子はゴミ箱を漁ると、マリ子が食べたであろうお菓子の包み紙を探して、カロリーの数字をスマホに記録していった。
「さあ、どうするの? シャーロック」
京は明夫がどんなとんでも理論を出してくるのかとワクワクしていた。
別のアニメから引用するのか、それともすでに答えとしてオタク界の中でテンプレートがあるのか。
しかし、明夫から返ってきた言葉はどの期待も裏切るものだった。
「さっきからシャーロックシャーロックって。僕はホームズだ」
「ええ、知ってるわ。シャーロック・ホームズでしょう?」
「違う。シャーロット・ホームズ。シャーロットとホームズだ。まさか探偵バディアニメのシャーロット・ホームズを見てないの? 呆れたよ……。それでなにもつけてないのか……」
明夫はこれみよがしのため息を一つつくと、自室から猫耳とたぬき耳のカチューシャを持ってきて、たぬき耳を京に渡して猫耳は自分でつけた。
「これは……なにかしら……」
「君はワトソンなんだろう? ワトソンは長身でスレンダーなたぬきお姉さんだ。それでたぬきメイクしてるんじゃないの?」
「これは徹夜でレポートをやってたから、目の下にクマが出来ただけよ。マリ子と違ってあまり化粧をしないから目立つの。そんな遊び方をするつもりはないわ」
「じゃあなんで野良猫上がりのレストレード警部の秘密。ゴミ箱漁りの癖が出てるのさ」
「あの子がバカだから……」
最初は楽しんでいた公子だが、ゴミ箱に捨てられている間食おやつの箱と、報告されている摂取カロリーの合計が合わないので、虚偽の報告を受けていたことに気付いてしまった。
「ちょっと! なにこの脂質!! 洋菓子は化け物だって教えたのになに考えてるわけ!!」
公子の怒声は、その小さな体が拡声器であるかと錯覚するほど大きな声だった。
その声は二階にいるマリ子にも聞こえており、何事かと小走りでリビングに降りてきた。そして公子がゴミ箱からおやつの空き箱を手に取ったのを見ると「ヤバ……」と思わず声を漏らし二回へ逃げていった。
「聞こえたぞ! マリちん! 家にいたのね!!」
「いない! これは私じゃないの! そう……残像よ! これは残像!」
「ダイエットメニューを考えるのがどれだけ大変なことか分かってるのか!!」
「わかってるからハムに頼んでるのよ!」
マリ子は自室に鍵をかけると、さらにドアノブを掴んで絶対に公子が部屋に入って来られないようにした。
「正直に言いなさい……今の体重は?」
「……買った水着は着られる」
「体重は?」
「気になるなら、ゴミ箱を漁ってカロリー計算すれば良いでしょう」
体重が増えていることを気付かれれば、運動メニューがキツイものに変わってしまう。絶対に公子に気付かれるわけにはいかなかった。
「ようし……言ったな。おい! ホームズ! 私の分のネコ耳を持てい! モリアーティの悪事を明らかにするぞ!!」
「これでこそ僕の待ってた展開だ!」
明夫はウキウキした笑顔で自室に戻ると、先が齧られた縞模様の猫耳カチューシャを握りしめて戻ってきた。
「貸せい!」公子は乱暴にカチューシャを頭につけると「チョコチップクッキー。320キロカロリー!! 脂質は――」と箱に書かれた栄養成分表を朗読し始めた。
「すごい……第八話【萌えるドラゴンヘッド】のレストレード警部の覚醒のシーンを見てるみたいだ。あの時。」
「ワトソンがホームズに振り回される話はないの……」
「原作を読んでないの? オタクとしてがっかりだよ……。いいかい? ワトソンはホームズにいつも振り回されている。まだなんか言うことある?」
明夫は良いシーンを見逃したくないんだけどと、鬼の形相でスマホにカロリーを打ち込んでいる公子の様子を気にしていた。
「そうね……最後に一言。次回のタイトルは決まったわ。【偽ワトソン引退を決意】ね」
京はたかしにメッセージを送って収集をつけるように頼むと、自分は巻き込まれないように冷めたコーヒーカップを持って自室へ戻った。




