第二話
「もう最悪だよ! レジ周りでうろうろと。虫みたいだよ。空いてるレジに移動する輩が!」
声を荒らげているのは明夫だった。
今日のバイト中。レジ員が足りなくなったので、明夫は品出しからレジへと移動になっていた。
明夫の性格的に品出しの方が向いているが、自動レジが増えたので昔ほどストレスに感じることはない。
周囲の状況を見る余裕もある。
そのせいで、隣から列を移動してくる客を見てしまったのだ。
「別に割り込みじゃないんでしょう。いちいち気にするようなこと? レジのイケメン店員にこっちどうぞって言われてついて行こうとしたら、私の後ろのおっさんが我が物顔でついていったことなら別」
マリ子は明夫に奢られたアイスを食べながら話を聞いていた。
たかしも京もバイトのシフトが重なり、今夜は明夫とマリ子の二人きりなのだ。
話を聞かないマリ子にアイスを奢り、今日のバイトでの不満を聞いてもらっているところだった。
「僕はあさましいって言ってるの」
「あら難しい言葉知ってるのね」
「僕は真面目に言ってるんだ」
「私だって真面目に言ってるわよ。あさましいってなに?」
「卑しいとか嘆かわしいとかそういう意味」
「ならそう言えばいいじゃない」
「漫画という聖典から得た知識だ。活用するのがオタク」
「その話長くなるし理解できないから嫌い。とにかくムカつく客がいたってだけでしょう。ほら……前にも言ったじゃない。橋を架けるなって。それみたいなもんでしょう」
たかしとマリ子が付き合っていた時。
一度明夫から、手を繋いで前後の棚を両方見るのは迷惑だから辞めるようにと苦言を呈されていた。
「絶句だよ……。心の好感度メーターを持っていないの?」
「なにそれ」
「そのまんまだよ。長い細いメーターもあればハート形のもある。凝ったのだとキャラクターの表情が変わるのもある。類似品に人懐っこい同性の友人っていうのもある。かっこよく、優しく、気も使えて、お喋り。でも、絶対にヒロインに相手にされないんだ」
「ゲームの中でもいじめってあるのね。普通の女はそっちの男を選ぶ。じゃなくて、アホなこと言ってんなことよ」
「いいや、僕は大真面目だ。好感度メーターシステムは小学校から導入するべきだね」
「本当にアホね……アンタは……。どうせ極めるなら、アホじゃなくてマッサージとかクリーニングにしなさいよ。頼めるから」
「とても恋愛シミュレーションゲームをやったことある人のセリフだと思えないね」
「やらされたのよ」
「ハマってたくせに。製作者は男のオタクだけじゃない。女のオタクの心に入り込む手段を知ってるんだぞ。女性向けのゲームがアプリと家庭用ゲーム機で多く売られてるのを知ってるだろう」
「知らないわよ……」
「だから君のような人種はSNSで問題になるんだ。僕は心の好感度メーターシステムを使ってるから平気だもん」
「外国人に絡みにいかないのと同じよ。言語がわからないんだから炎上なんてしないでしょう」
マリ子が言い終える直前で、明夫は唇をブルルと震わせてブーという音を鳴らした。
「なによ」
「僕の心の好感度メーターが下がった音。わかりやすいでしょう」
「別にアンタからの好感度が下がっても、なんにも気にならないんだけど」
マリ子がうんざりして言うと、明夫はまた唇を振動させて音を鳴らした。
「また下がったよ」
「やめなさいよ、それ……」
「気にならないんだろう」
「気にならないけど、思うことはある。ムカつく……」
「そうならないためには、心の好感度メーターを持って人にやさしく接する。小学校の道徳の授業に取り入れるべきなのがわかった?」
「わかんないわよ……。いや――ちょっと待った。わかった。それって夢のシステムじゃない?」
「そうだろう! そうだろう。得意なんだよ僕みたいなオタクっていうのは、夢のシステムを構築するのが」
「特異なだけでしょう……。とにかく、それ採用」
翌日。
マリ子はたかしと買い物先でお茶をしていた。
お茶といっても飲んでいるはたかしで、マリ子はいつもどおりアイスを注文しついでにキャラメル・ラテも追加していた。
「――で、好感度メーターって面白いと思わない?」
マリ子は昨日の話を早速たかしに話していた。
「オレは中学生の頃から聞かされてるんだよ。思わない」
「ふーん」とマリ子は唇を振動させた。
「おっ、下がったな。今好感度が」
たかしはさんざん明夫で見てきたと笑った。
「どうかしらね」
「自信を持って言えることは、今日のマリ子さんはオレに良い印象を持ってる」
「いつからそんなに自信家になったのよ。昔は誰かが石橋を叩き壊してから、最新の橋が架けられるまで待つタイプだったじゃない」
「キャラメル・ラテまで頼んだんだ。それで文句が出るなら、好感度が下がるのはオレのほう」
会計は一括電子マネーで払っているので、たかしから代金が引かれていた。
「この間は私が奢ったでしょう。細かいことを言う男はこれね」
マリ子は下唇を突き出すと、好感度が下がったとまた振動させた。
「よく見て、これ。電子クーポン付き。またオレと来ると一割引だ」
たかしはアプリのクーポンを見せた。
「さすがオタクの親友ね。好感度メーターの上げ方を熟知してるのね」
「というか……マリ子さんがわかりやすすぎ」
「その私の女心がわからなくて苦労してたのはどこの誰よ」
「あの頃は毎日有頂天で毎日テンパってたから。本当の君がわかったのはその後だ」
「そういうもんよ。男だけよ。初めてのセックスで心まで奪えると思ってるのは。そんなことよりどっちがいいか決めた?」
たかしとマリ子が買い物に来ているのは、テーブルクロスを買うためだった。
すっかり友人のたまり場となったルームシェアハウス。
どうせ集まるのならそれなりのものをセットしようと、食器やマットなどのキッチン用品を見に来たのだ。
いちいち誰かが来る度に使い捨ての食器はお金がかかるし、ゴミの量が増える。捨てるのは家に住んでいる者だ。
洗い物で済ませたほうが楽という結論になったのだった。
「テーブルクロスね……正直わかんない」
「ちょっと……頼りにならないわね。なんで連れてきたと思ってるのよ」
「お茶を奢らせるため?」
「Mr.普通に普通のテーブルクロスを選んでもらおうと思ったからよ」
「それが不思議なんだけどさ。Mr.普通より、ザ・トレンドが選んだ方がよくない」
マリ子のほうがセンスがあるので、たかしは口出しをするつもりはなかった。
「テーブルクロスよ。意味わかってる?」
「テーブルクロスの意味はわかる。なんで不機嫌な顔してるかはわからない……」
「SNSによく映り込むって意味よ。私が選んだのが、他の女と被ってたらムカムカのムカじゃん。たかしが選んだのなら問題なし。明夫は絶対オタクものから選ぶし、京のはシンプル過ぎてつまらない。絶対黒一色とかだもん」
マリ子の言っている意味はたかしにも理解できて納得した。
だが、責任重大なことには変わりなかった。
つまり後々文句を言われるのはたかし一人ということだからだ。
「プレッシャーが凄いよ……。またガス溜まりにさせるつもり?」
たかしは習慣になった朝の運動で良くなったのにと不満顔だ。
「元カレとの運動ね……。言葉だけ聞くとものすごい想像しそう……。でも、運動を続けるのには賛成。結構良い体になってたわよ」
そう言われてたかしは複雑な気持ちだった。
前の体はどうだったのか不安になったり、まだ初めて一ヶ月も経っていないのに目に見える効果はないので、茶化されているように感じていた。
「そんなに変わる?」
そんな不安な顔に気付いたマリ子は「やるって決めただけで普段の表情は変わるのよ」と言った。
「前から思ってたけど……マリ子さんって人のことよくわかってるよね」
「男はセックスに誘う直前にそんな顔してるからよ。言っておくけど誉めてるのよ。なあなあでセックスを始める男は最悪。あとタバコ吸うやつ。タバコは浮気の匂いを消す都合いいアイテムよ。シャンプーとか香水の匂いとか一発で消えるんだから」
「その話題テーブルクロスと関係ある?」
「ないけど聞いて。昔の男は本当最悪だったの。これ私じゃなくて友達の話ね。私だったら今頃その男生きてないから。で、プレゼントに下着くれるようなキザな奴だったんだけど。毎回センスのいいくれるわけ。なんでかわかる。わからないでしょう。タンスの中を覗いてたから。チェック柄の下着が多いからそれを選んだんだって。黙ってても最悪なのに、それを自分から暴露できる神経。どうなってるわけ?」
「オレに聞かれてもなぁ……。お互いにそういう関係だったってことない? 束縛し合うみたいな。たまにあるじゃん。カップルのルールが複雑なことって。それに口を挟むと、どっちかが損することになるみたいな」
たかしの言い分にマリ子はため息をついた。
「本当に普通の答えね。とりあえず相槌を打つって言うのも大事なスキルよ」
「詐欺が横行する世の中。気をつけなきゃね。でも、その話。本当なら、どこかに相談したほうが良いんじゃない」
束縛の関係にはストーカー事例が付き物だと、たかしは助言をするとマリ子は肩を落とした。
「去年言ってよ。危うく証人で呼ばれるところだったんだから……」
「本当に?」
「嘘よ。でも、それくらい板挟みになった」
「マリ子さんは濃い恋愛をしてるから、相談者が多いんじゃないの」
「そうなのよ。でも、私から言わせれば自分の恋愛は自分で決めるからこそ価値がある」
「マリ子さんらしいね」
たかしは冗談っぽく笑ったが、マリ子の目は真剣なままだった。
「本気よ。皆不安にならないのかしら。この人が運命の人だってわかったふりをするしかないじゃない? それってものすごい不安定よ。そんな時に色んな感情が渦巻く恋愛って、どんな詐欺師の言葉より複雑でシンプルよ」
わかるようでわからないマリ子が恋愛に対する価値観。
たかしは肯定も否定も出来ないでいた。
出来たのは溶けたアイスをこぼしたマリ子にハンカチを差し出すことだ。
「あら、ありがとう。奇遇ね」
「なにが?」
「友達がプレゼントされたチェック柄の下着にそっくり」
「あぁ……そう?」
たかしが気のない返事で返したのは、このハンカチは明夫から送られたものであり、アニメキャラの下着のデザインと同じ柄のものなのだ。
そのことを説明すると、そんなハンカチを持ち歩いてる無神経さになにか言われそうなので、たかしはそれ以上何も言わないことにした。
しかし、一つだけ忘れられないことがあった。
「それで テーブルクロスはどの柄にするか決めたの?」
「チェック柄かな……」
マリ子が広げたハンカチが下着だと一瞬錯覚してしまったたかしは、もうチェック柄のテーブルクロスしか目に入らなかった。
その夜。明夫のテンションはマックスだった。
「最高だよ!! 【カレリン】のパンチラ柄じゃないか!!」
明夫は頬ずりしそうな勢いでテーブルクロスに顔を近づけていた。
「最低よ。今の今までなにも思わなかったのに……アニメキャラのおケツでご飯を食べろっていうの」
「お尻じゃない。パンツの柄でご飯を食べるんだ。君は本当に頭が悪い……」
明夫がバカにしたように頭を振ると、マリ子はすぐにカチンときて目を三角にした。
「心の好感度メーターを持ってる割には、ずいぶん私の評価が低いけど?」
「何を言ってるんだよ……君は攻略対象ヒロインじゃない。なんて図々しいんだ……。マリ子が僕が主人公のゲームのヒロインだって? 一度鏡を見てから言ったら?」
「アンタは現実を見てからものを言ったら。つーかアンタよ、この話をしだしたのは」
「心の好感度メーターを持てって話だろう。モブキャラにも好感度メーターは反応しないんだぞ。ゲームに登場しないキャラにあるわけないだろう。この前はわかりやすく説明して見せただけ」
「じゃあアンタの心の好感度メータは誰に反応してるのよ」
「誰にも。僕はここの次元で誰かに特別好かれようとは思っていないからね」
「アンタの大好きな声優は?」
「声優を恋愛対象にするオタクと一緒にしないでくれ。僕はアニメキャラを生贄に召喚された悪魔だ」
「それよくわかるわ。本当に悪魔って感じ」
「つまり過剰に応援はするけど、それは作品に対してだ。西友だけではなくスタッフ、SNSでのムーブを作り出すイベント。その全てを愛してこそ熱狂的ファンってそういうもんだろう」
「まあね。でも、そのうちアンタが新聞を騒がせそうで心配ね」
「こっちの新聞には乗らないよ。いつか異世界に風のうわさは広がるけどね。勇者が転生したって」
「たしかに……こんな奴に対してまで好感度メーターがあったら困るわね。邪魔でしかないもの。あと惑わされる……」
マリ子は憂さ晴らしにたかしの頬をつまんで軽く引っ張ると、ため息を付きながら自室へと戻っていった。




