第二十三話
「やあ、いらっしゃい」とルームシェアハウスで迎え入れたのは、家主の三人ではなく悟だった。
「おかえりなんだけど」と京はうんざりした表情で返した。
理由は簡単。悟が魔法少女の変身衣装を片手に持っているからだ。
そして、すぐにわらわらとオタク三人が顔を出した。
「世紀の対面だよ。この時。まだお互い敵だって知らないんだ」
明夫と青木は厳粛な司祭が祈りを捧げるように、胸元で手を握り合わせていた。
「僕感動しちゃう……」
「意味がわからないわ」
京は買ってきた夕食の食材を袋から出しながら言った。
「簡単だよ。彼らが手を合わせてるだろう? ……呪いの儀式ってこと」
悟はこのあと魔法少女の衣装に着替えさせられることがわかっているので、なんとも言えない微妙な表情を浮かべていた。
「いつもこんなことしてるの?」
「そうだよ。モデル代貰えるから。それに、撮るのは楽しんでるけど、誰も編集をしないからネットに流れることもない。割の良いバイトだって割り切ってるよ」
「変わった趣味ね」
京はジャガイモの皮を剥きながら言うと、包丁をチラつかせて近寄らないように牽制した。
この間のセクシーな衣装を着せられては、たまったものではないからだ。
普段なら食い下がる明夫だったが、ジャガイモの隣に人参のオレンジ色が見えると、京に強制するのをやめた。
「今日は諦めよう。赤沼もいないし、時短でもあったかふんわりレンチン系魔法少女と、セクシーボーイッシュ悪の女幹部のファーストコンタクト計画は終了だ」
「これからがいいところなのに? 魔法少女計画はどうなる? プライベートシーンは絶対に必要だぞ。二人共招待を隠しながらも日常では姉と妹。ほのぼのと殺伐の対比が大事だって散々話し合っただろう」
青木は長い文章の中で、妹という言葉にだけ力を入れて喋った。
「わかってる。わかってるけど……今はオタクとか関係ないんだ。見てみろ」
明夫は小声で言うと、キッチンに立つ京を指した。
「まさか人間の女に興味が出たのか?」
「彼女は今カレーを作ろうとしてる。全人類の好物だ。機嫌を損ねたらどうなるかわかるだろう」
「……戦争が起こるね。だって、まだカレーの匂いもしてないのに、もうカレーを食べたくなってるもん」
「そう。だから今日は魔法少女パートだけを撮るんだ。それでいいね」
明夫は我慢してくれと苦渋の表情で悟を見た。
「僕は後日でもかまわないし、なんなら万全に万全を期して、百年後に計画を移したってかまわない」
悟の皮肉は青木に伝わることはなかった。勘違いして、ますますやる気になったのだ。
「聞いたか? 明夫。姫はやる気満々だぞ。リアル魔法少女認識計画を百年続けるつもりだ」
「百年後は大変だぞ。そこかしこに魔法少女だ」
「そうなるとペット業界も大変だ。使い魔のマスコットも必要になる。人語を理解する小動物はなかなかいない」
二人が大真面目にありえない話をしているので、悟は少し不安になって口を挟んだ。
「本気で言ってるわけじゃないよね?」
「姫……。本気で言ってるに決まってるだろう」明夫は何を言っているんだと、逆に心配の瞳で悟を見返した。「本気で言うからオタクなんだ。にわかとは違うんだ。上辺で会話をしたいんじゃない。それが間違っていたとしても、本質で会話をしたいんだ」
「君達が本質的なコミュニケーションを取っていたとしたら……。もし取っていたとしたら、今頃男に魔法少女のコスプレを頼もうとはしないよ」
「でも、着るんだろう」
青木が衣装の上に五千円札を乗せると、悟はため息をつくものの悩むことなく衣装と五千円札を手に取った。
「卑しい自分が嫌いだ……。それで? 着替えればいいの?」
悟はもうやけくそだとその場で服を脱ごうとした。着替えれば終わり。そう思っていたのだが、悟がシャツに手をかけた瞬間に、明夫が新しい問題提起をしたのだ。
「肝心なことを忘れてたよ……。青木……大問題だ。変身シーンはどうする?」
「僕ら編集技術なんてないぞ。素っ裸にして、シルバーかなにか塗る? 古き時代の魔法少女ファンとしては、裸はなくてもシルエットは欲しいぞ。それがあっての変身だ。おもちゃを売るために、ギミックにこだわる。それも悪くはない。でも、それは仮装になってしまう危険がある。わかる? 妹ではなく、妹っぽい同級生になるわけだ。これは悩ましいぞ……妹なのに妹じゃない――よりも、複雑になっている」
「君達の本質は隠せるだけ隠したほうがいいと思うよ……。それにもう三回だよ。三回も集まってるのに、何も撮らないで話し合ってるだけ。やらないならやらないで大歓迎だけど、コスプレをする必要は?」
「モデル代は払ってるだろう」
「もっと貰えるはずだった……。動画収入分まで入ってるはずだったからね」
明夫と赤沼と青木の三人が協力して発信しているオタクチャンネル。
女性顔で背も小さい悟を利用して、オタク達からお金を巻き上げて、自分達のオタク活動資金にしようという計画だったのだが、現在絶賛迷走中だった。
最初はただのコスプレライブ配信をしようとしたのだが、それはやりたくないと悟に言われ断念。
次いで、皆に妹に扮した悟がオタク情報を発信する予定もあったのだが、オタク情報というのは既に完成されたサイトがいくつもあるので、今更新規参入は難しいと諦めた。
他にも意見を出しては誰かが却下しが続き、今は魔法少女と悪の女幹部の短編実写ドラマを撮影しようと思いついたまま話し合っていたのだ。
「オタクの世界は厳しいんだ。手のひら返しがどこよりも凄い。中途半端な動画を投稿できるか? 宗教戦争のど真ん中で、各国の神様を女体化した抱きまくらを抱えて歩くようなものだよ」
「良くわからないけど……。バイトしたほうが早いから、もうコスプレも終わり」
悟は今更時間の無駄だと気付くと、最後のバイト代をちゃっかり財布にしまった。
「わかったよ……。しょうがない」
明夫は立ち上がると、ついてくるように言った。
「なにをさせるつもりだよ」
「お金が欲しいんだろう?」
「わかったよ……」
悟があっさりうなずいたのは、この間のドキドキ海フェスの旅行でお金を使ったからだ。
あの日はたかしが放心して楽しめなかっただけど、他の人は存分に楽しんでいた。ユリまでもたかしを吹っ切るように楽しんでいたのだ。
そして、楽しさと出費というのは比例するものだ。
予定より多くのお金を使ってしまった悟は、オタクの甘い罠に自らかかるしかなかった。
三人が靴を履き終え、つま先を床に叩いて履き心地の調整をしていると、ふいに青木が「そういえばカレーの匂いしないんだけど」とつぶやいた。
「シチューだろう。日常物のアニメでよくある勘違い展開だろう」
「カレー楽しみだったのに……」
その青木と全く同じため息を、一時間後に悟はつくこととなった。
「意味がわからないんだけど……」
悟はうさぎの耳が付いたウィッグを持ったまま呆然としていた。
「わかるだろう。被るんだ」
ボスは早く着替えろと悟を急かした。
明夫が紹介したバイトとは、ボスが経営するカードショップのレジ店員だ。
「……なんでうさぎ?」
「好きだからだ」
「はあ?」
「オレが好きだからだ」
「……身の危険を感じるから、このバイトは遠慮するよ」
「おいおい……オレをそこらのオタクと一緒にするな」
「一緒にはしてない。……余計ややこしいよ」
悟が言っているのはボスの外見だ。
つばの真っすぐの帽子に大きなサングラスで顔を隠し、太めの体型を隠すためにダボダボのシャツとズボン。そんな彼の横にうさぎ耳のウィッグを付けた男がいる。
自分がオタクだとしても、こんなカードショップにきたら混乱するだろうと思っていた。
「ややこしいもんか。シンプルだろう。オレは女が好き。奴らは、紙やディスプレイを媒体にした女が好き」
「確かにシンプルだ……」
悟がいつもいるオタク三人よりも、遥かにボスのほうが常識人だと思い安心すると、更に甘い言葉をかけてきた。
「とにかく明日から来てくれ。夏休み前に金が欲しいだろう? 少しは融通してやる。遊ぶ金の重要さは十年前に経験してる。それでもし慣れたら夏や以降も来てくれ。まずは短期バイトだと思えば気が楽だろう?」
知り合いの紹介とはいえ、こんなラフにバイトが決まると思っていなかった悟は「いいの?」と、思わず聞き返した。
「いいよ。ずっとバイトは募集してたんだ。イベントとかやると人手が足りないからな。でも、募集しても来るのはこういう奴らだけだ……」
ボスは邪魔者を見る目で明夫と青木を睨んだ。
二人共まるで自分の店かのように、商品のレイアウトを変えていた。
「でも、これは絶対条件なわけ?」
悟はウィッグを持ったまま、今日何度目かわからないため息をついた。
「そうだ。ただの男が働いてもつまらねぇだろう。オレはなこの店をオタクが来やすい店にしたいんだ。一生独身でも、子供が出来ても、ここだけは少し異常で心休まる空間。いつでも帰って来られる。オタクの居場所はネットだけじゃない。オレは声を大きくして言っていきたいね」
「……履歴書は明日持ってきます」
悟は他人と一線を引くようなタイプなので、あまり人の熱のこもった会話に耳を傾けることはなかった。
偶然ではあるが最後までボスの話を聞いた悟は、少し感化されて熱っぽくなっていたのだ。
「それは必要はない。もうここにある」
ボスは釣りゲームで魚がヒットした時のような瞬間的な笑みを浮かべた。
「え? なにこれ……僕の住所から高校まで全部書かれてる。……こういう作戦か」
悟に睨まれたが明夫と青木は一切振り返らずに、聞こえないふりでレイアウト変えるふりをしていた。
ここを乗り切れば、ボスから紹介料を貰えるからだ。
「いいか? オレもいい年だ。嫁さんが欲しい。それも一緒にここを経営してくれるオタク趣味の嫁さんがいい。その為には餌が必要なんだ。オレは最近ハマっている釣りゲームで、恋愛の本質に気付いた。恋愛はルアーだ。ルアーを使って釣るのが一番」
「これがルアーってわけ……」
悟はウィッグを強く握りしめた。
悟の顔は整っているので、少なからず界隈のオタクには噂が広がる。一目見ようと、女性客がやってくる確率は少なからず上がるはず。
まずは店に足を運ばせ、そこから一気に引き上げようとボスは考えていたのだ。
「ここまで来たら正直に言う。オレの釣り竿になってくれ……。正直自分の釣り竿には全く自信がない。ルアーはオレが好きなだけ用意してやる。任せろ。オタク相手のルアー選びなら完璧にやれる自信がある」
「僕はやられる自信があるよ……。やっぱりこの話はなし」
悟が不機嫌に顔を歪めた瞬間。突如フラッシュに襲われた。
証明写真用の写真を勝手に取ったのだ。
「完璧だな。カードケースがよく映えるように照明にこだわっておいて良かった」
ボスは悟が文句を言う前に、ウィッグを無理やり被せて更に写真を取った。
「これはネームプレート用の写真だ。バレたくない相手もいるだろう? ウィッグを被ってればネームプレートの写真に気付かないだろう? それに、店内で偽名はオッケーだ。オレがボスって呼ばれているくらいだからな」
ボスは強引に話を進めると豪快に笑った。
訴えれば勝てるほど強引な面接だったが、ボスの人柄に興味が出た悟は結局カードショップでバイトをすることに決めた。
単純なお金欲しさや、オタク三人に無茶振りをされた時の逃げ場所が欲しいというのもあるが、普段女性だらけの家族に囲まれて過ごしているので、こういう男が集まる場所に憧れていたのも事実だったからだ。
ウィッグを被る必要は出たが、知られたくない知り合いにバレることも考えると、彼なりの優しさなのかもしれないと思った。
悟は明日に備えて帰ってこの日は帰った。
明夫と青木は、ボスから受け取った紹介料でシチューに合うと噂のパンを買って帰った。
カレーじゃないのは残念だったが、シチューも悪くないという話になったので、たまには皆に買って帰ろうと思ったのだ。
しかし、今日の夕食はカレーでもシチューでもなく――豚汁だった。
「アンタ達って豚汁にパンで食べるの? 変わってるわね」
マリ子は炊き込みご飯のほうが会うのにと、自分と京とたかしの分だけ茶碗によそった。
「だって……シチューだって。だからシチューに合うと噂のパンを」
「シチューには合うと噂かもしれないけど、豚汁にはアウトね」
「もう絶対に買ってきてあげないからな!」
明夫とマリ子が子供のような言い合いをしていると、京が真剣な顔をしていた。
「カレーとシチューを分ける本質って、記憶だって研究があるのを知ってた?」
「今日一日のことは、全員からそれぞれSNSでメッセージを貰ってるから知ってるけど……。たぶん京さんの本質が一番変わってると思うよ」
たかしは今日一日なりっぱなしだったスマホの充電を見た。
もう残り数パーセント。
悪の女幹部の話から、ボスの店でバイトすることまで全部の話を知っているたかしでも、最後の京の言葉だけはまったく理解不能だった。




